第三十六話 フェザリアンの書


月とグローシュ、二種類の光が照らす草原の元、ただひたすらに剣を振るカーマインを照らし出していた。
クレイモアという大剣の性質上、素早く鋭くとは行かないまでも、一度振るたびに風を巻き起こしていた。
だが僅かに雑草をそよがせる程度の風が気に食わなかったのか、両足をしっかりと踏みしめる。
前方へと突きつけた剣先が半円を描いて後ろへとまわると、底から一気に前へと振り切られた。
叩き付けられ押し潰された空気が唸りを上げて、大地を削っていく。
だが集中力が足らず、二メートルも進んだところで、大地が削られる事はなくなってしまう。

「くそ、もう一度!」

湧き上がる苛立ちから、再度構えをと取ろうとしたカーマインだが震える腕がそれを許さなかった。
無理矢理振り回したクレイモアは手を離れ、やや離れた場所に剣先から突き刺さる。
柄を握ろうと腕を伸ばしても、手のひらが柄を握る事は無かった。

「くっ」

それでも柄を掴もうと無理矢理腕を伸ばすカーマインを、隠れて見ている影があった。
完全にカーマインから死角となる木陰に身を潜めてるグロウである。
声を掛けることなく、夜風に乗らない程度に小さく舌打ちをした。

「ゲヴェルか」

腕の痙攣が治まり、ようやくクレイモアを握りなおしたカーマイン。
再び振り回しだしたその姿を見納めたグロウは、月を見上げて、やがてその視線を西の空へと向けた。





大陸の西端に位置するフェザーランド。
その民家から離れた位置にある浮遊円盤の端に光が生まれ、やがて二つの人型となって光が二人の人と一人の小人となった。
一人はひねた目つきを持った黒髪のグロウと初めて訪れた土地で様子を伺うユニ、戸惑いながらテレポートを唱えたルイセであった。

「ルイセ、迎えは夕方でいい。お前は家に戻って普通にしてろ」

「普通って、お休みだからカーマインお兄ちゃんとお買い物にでも行くけど……グロウお兄ちゃんはなんで急に?」

「ステラに会いにきた。それだけだ」

とは言っても、グロウの雰囲気はあの古の毒から救ってくれた礼を言う雰囲気でもなく、ルイセは疑わしげな表情でユニに視線をよこした。
だがユニ自身もグロウの行動を把握しているわけではないようで、首をかしげられてしまう。

「とりあえず、夕方にもう一度ここに来るから」

「ああ」

聞き出せないと諦めたルイセは、もう一度テレポートを唱えてローザリアへと帰っていった。
それを見送る事もなくグロウは、フェザーランドの中央、民家の連なる場所へと足を踏み入れていく。

「グロウ様、聞いた話ではあまりフェザリアンはあまり友好的ではないそうなので、気をつけてくださいね」

「向こうが何もしてこなければな」

「でも、できるだけ逃げる方を選択して欲しいのですが、アリオスト様のこともありますし」

一瞬だけグロウの足が鈍り、ユニへと振り向いた。

「暴れにきたつもりはねえ。頼みごとにきたんだからな」

「頼みごと? 一体ど」

ユニの質問が途中で止まったのには理由があった。
急に空気が張り詰めたと思ったら、民家へと続く道に二人のフェザリアンが立っていたのだ。
それだけならまだしも、衛兵のようで槍を突きつけはしないものの、警戒心があふれ出していた。
ユニだけでなく、グロウもそこまで人間が警戒されていたとはと、カーマインたちの話通りで戸惑ってしまった。

「あれからまだ数ヶ月も経っていないというのに、何用だ人間」

「ここはフェザリアンの土地だ。無用な立ち入りは望まない」

淡々としすぎている言葉だが、感情が見えにくいだけに実際に槍を突きつけられるよりも迫力が見えた。
いつもならば無理矢理にでも押し入ろうとするグロウだが、深く息をついて頼み込んだ。

「女王のステラに会いたい。礼が言いたい」

「礼だと?」

「まさか女王が人間に救いの手を出したと言う話は本当だったのか」

「どうする?」

二人の衛兵は顔を見合わせた後、頷きあった。

「条件がある。それさえ飲んでくれれば、案内しよう」

「条件?」

やや身構えるようにしたグロウに対し、衛兵の一人が大した事ではないという意味で手で身構えた事を制止した。
そして急いでもう一人の衛兵が民家の集中する場所へと走り、しばらくたってから戻ってくる。
その手の中には、体を包み込んでしまうぐらいの大きさである真っ白なコートが手に持たれていた。

「これを着ろ。それが条件だ」

「これを着るだけでいいのですか? 病人用の服にも見えますけれど」

「その通り病人用の拘束具だ。我々の中には已む無く羽を失ってしまう者もいる。だが我々にとって羽を失うのは死と同義。それゆえ非合理にも自ら命を絶つ者がいる。もちろんお前達の思う拘束具とは少し違うが」

やや嫌そうにその白いコートを着込んだグロウだが、意外な事に気付く。
ベルトで体を縛る拘束具ではなく、一見普通のコートなのだ。
袖があり、普通に腕が通せてしまった。

「大丈夫ですか、グロウ様?」

「まあな、自殺防止用の拘束具か。とてもそうは見えないが……なにかしかけがあるんだろうな」

知りたかったが試す気にはなれなかった。
グロウが拘束具を着込んだことで満足した衛兵の一人が、先を促して歩き始めた。
やがてフェザリアンの民家が立ち並ぶ街並みに入ったが、それでも衛兵は黙々と先を歩くだけであった。
フェザリアンの街並みを見るのも興味深くはあったが、グロウはそれ以上に気になる事を聞いた。

「つまり、これを着ていれば俺は人間ではなく、羽を失ったフェザリアンに見えるわけだ。だが、どうしてそこまでしてステラに会わせる? 人間が嫌いじゃなかったのか?」

「私は今でも、フェザリアンのほとんどは人間が嫌いだ。非合理的で、平気で傷つけあう。なんとも愚かしい種族だ」

「そんな」

言い返そうとしたユニをグロウが手で止めた。
無駄な議論と感じたのは衛兵もそうなのだろう、続けた。

「だが、女王が地上から戻ってしばらくして皆が気付いた。時折、思い出したように女王に笑顔が浮かぶのだ。衝撃的であった。あの方が女王になってから長年、命の尽きた太陽に陽が戻ったかのようだった」

「何があったか、興味がわいたか」

「そうだ。人間は嫌いだがな」

相変わらず淡々とだが前を向いたまま話す衛兵に見えないように、ユニがこそっとグロウの耳元に寄った。

「良い傾向なのではないでしょうか? おそらくまだ少数派でしょうが、人の良さが浸透しているのではないでしょうか?」

「これを着させられているのにか?」

そう言ってグロウが白いコートを通した腕を持ち上げて見せた。
全くその通りで、興味が出たぐらいではまだ弱い。
アリオストの願いが聞き届けられるのはまだ先だろうと、グロウは結論付けていた。
それからぱったりと会話が途切れ、しばらく歩くと段々と衛兵の歩調が緩やかとなっていった。
そして、その足が一軒の邸宅の前で完全に止まった。

「ここが女王の邸宅だ。念のため、私も同行する。おかしな真似はするなよ」

「しねえよ」

よしと確認するように呟き、衛兵がその邸宅の戸を叩いた。
しばらくして戸を空けたのは、まぎれもなくフェザリアンの女王であるステラであった。
グロウの来訪を予測できるはずもなく、さすがに驚いた表情を見せていたが、それも一瞬で表情が消えた。

「まだそんな顔してんのかよ。せっかくの美人が台無しだぞ」

女性にそんな台詞を吐いた所を聞いたことがなく、ユニが驚いている前で女王は軽く返した。

「愚か者に言われとうない。案内ご苦労であった、お主はさがってよいぞ」

「しかし、女王」

「そのためのその拘束具であろう? それがあればフェザリアンの赤子でさえ、この愚か者に勝てる」

見下しているわけではないのだろうが、表情がない事でステラの台詞には妙な迫力が見えた。
さすがのグロウも少し気圧されてしまっている。

「……一体どんなしかけなんでしょうか?」

「今のでさらに試したくなくなったな」

「とにかく、中に入るが良い。いつまでもそこにいても、仕方あるまい」

ステラはグロウとユニを中に招くと、客室に通してソファーに座らせた。
それから姿を消すと、自分の手で用意したお茶と茶菓子をお盆に載せて戻ってきた。
どうやら女王と言っても、人間とは少し違い、お手伝い等がいたりするものでもないらしい。

「して、どのような用件で参った? お主の事だ、真っ当に礼を述べにきたわけではあるまい。甘んじてその状況を受け入れるほどだ」

ステラはお茶を二人に配り、自分は向かいのソファーに座ってから切り出した。
どうやら交わした言葉は少なくても、大抵の性格はお見通しであるようだ。
グロウが拘束具などと知って、そのコートを受け入れた事に違和感を感じたらしい。
見抜かれることをある程度予測していたのか、グロウも単刀直入にきりだした。

「頼みがある。フェザリアンが記録してきたコレまでの歴史。その本を読ませて欲しい。できれば五百年ほど前、グローシアンが世界を手にしようとした時の」

「ふむ……」

自らが用意したお茶を口に含んだ後、ステラが考えるそぶりを見せたのは一瞬であった。

「断る。お主は以前に自分で言うたな。俺の借りと。我はまだ返してもらっておらぬ。無理に返せとは言わぬが、返さぬうちに次の借りを作るつもりかえ? 我はお主らを気に入ってはいるが、甘やかすつもりはない」

「いつ返せるか解らない物を待つ余裕がないんだ。頼む、俺に歴史書を貸してくれ」

「グロウ様、どうしてそこまで」

グロウはお茶の置かれたテーブルの上に両手をついて、額がテーブルに着きそうなほどに頭を下げた。
それでもステラの考えを覆すには至らなかった。

「答えは変わらぬ。用件はそれだけかえ? 終りであるなら」

そう言って立ち上がったステラだが、後の言葉が続かなかった。
その体が斜めに傾いたかと思うと、決壊するようにテーブルに手をついて倒れこんだ。

「ちょ、おいステラ! ユニ、誰か人を呼んでこい。医者だ」

「あ、はい。でも人が大勢来てはグロウ様が人間だと」

「そんな事はどうでもいい。呼んでこい!」

やっと外へと飛んでいったユニを見送ると、グロウはまずステラをソファーに寝かせてから邸宅の中からベッドがある部屋を探し出した。
そしてステラを寝かせると、少しでも症状が和らぐようにとキュアを唱え始めた。





ステラは、軽い過労であった。
その事にほっと胸を撫で下ろしつつ、グロウはそれ以上の問題にぶつかっていた。
ステラの寝室から出てきたばかりの医者がグロウに向けた視線である。
明らかにグロウをフェザリアン以外、人間だと疑った視線であった。

「君は人間だな?」

「ああ、そうだ。わかるのか?」

「私は医者だ。例えその拘束具を纏っていても、一目見れば羽失ったものか、ただの人間かぐらい見分けはつく」

短いやり取りの後、面倒な事にならなければいいがとのグロウの心配は無駄に終わった。
フェザリアンである目の前の医者の目が、剣呑な雰囲気ではなかったからだ。

「君がよく女王が口にする愚か者だな。なにをしに来たかはあえて聞かんが、少し女王のそばにいてやってくれ」

「俺は医者じゃねえ。してやれる事なんてなにもねえよ」

「そんなもの人間に期待しとらん。女王の過労は精神的なものだ。長い間新たな側近もつけず、誰にも頼らず一人で激務を続けて神経をすり減らす日々。今日倒れたのも、君が来たことで緊張の糸が切れたのだろう」

医者の言葉を聞いて、グロウは明らかにやってしまったと思っていた。
ステラがそんな風に思っていたとは全く思っておらず、しかも一方的に頼みごとを持ち出したのだ。
もしかすると、歴史書を貸してくれなかった事は、フェザリアン云々よりも無神経な言葉にいらついていたのか。

「くそっ、あせりすぎたか。わかったよ」

「できるだけ他の者には、邸宅に入らんように言っておこう。時期に目は覚めるだろう。その時は頼んだぞ」

念を押して去って行った医者を見送ると、ステラが眠るベッドの脇に椅子を持ってきてグロウは座り込んだ。

「でも、グロウ様。今更なのですが、何故フェザリアンの歴史書を借りようと思ったのですか?」

「今は忘れろ。今、俺はステラに何かをしてやらなきゃいけない。貸し借りを無視して……俺に何ができる?」

自問自答するように呟いたグロウは、やがて目を閉じて眠るステラの顔に手を伸ばした。
額にかかる前髪を押し上げ、その端正な顔をまじまじと見る。

「あの……グロウ様、あまり寝ている女性に手を触れるのは」

「そういえば、ステラって幾つだ?」

ピクリと額が引きつったのを、ユニだけが気付いていた。

「確かアリオストのお袋さんを知ってるそぶりだったんだよな。ってことはアリオストが二十五で、その母親が四十と仮定して」

「グ、グロウ様、あの……そのへんで」

引きつるどころか、だんだんと険しくなっている事にユニが慌てふためいていた。
完全に意識を取り戻しているのに、目を開けないステラが逆に怖かった。
そもそもいつから意識を取り戻していたのだろうか。

「下手するとお袋より年上じゃねえか。パッと見、二十七、八に見えなくもないのに」

もはやステラの表情は、喜んだり怒ったりと面白いように変化していた。
幸運なのはグロウが歳を算出する事に気をやっているために、気付かなかったことだろう。

「見たところ、この広い邸宅で一人か……決めた。ユニ、ステラのことしばらく見ててくれ」

「あ、はい」

グロウが立ち上がり、パタンとドアを閉めてからゆっくりとステラがベッドから体を起した。
ゆっくりと、ゆらりと表現できそうな起き上がり方であった。

「あの…………ステラさ」

「我がおばさん…………そう、見えるかえ?」

「いえ、ステラ様は大変お綺麗で、羨ましい限りです! グロウ様も言っていたではありませんか、二十七、八に見えると」

「そう、かえ?」

暗かった顔に少し光が見え、ユニはほっと息をついた。
どうにも精神的な疲れ以上に、グロウに疲れた年齢という言葉の威力が凄まじかったように見える。
看病をまかされて、ダメージ与えてどうするんですかとユニは心の中でグロウを非難した。

「さてユニ、真面目な話をしよう。グロウは何故フェザリアンの歴史書などを見たいと申したのだ?」

「それは……予想はついていますが、私の口から申し上げるわけには行きません。グロウ様がそう、お決めになりましたから」

どうれがどういう事なのかと聞く前に、グロウがドアを開けて顔を覗かせた。

「お、ステラ起きたのか。ちょっと待ってろ、今なんか食えるもん作ってやる。ユニ、ちょっと来い」

「なんでしょう?」

ユニが近寄ってくると、耳を貸せのジェスチャーをしてグロウが何かを呟いた。
それを聞くにつれユニの顔が呆れに呆れ、大きく溜息をついた。

「信じられません、それならそうと何故最初に言ってくれないのですか?」

「なんとかなると思ったんだよ」

「なるわけないじゃないですか。まったく。ステラ様、しばらくお待ちくださいね」

何をしたのか、言い合いながらドアの向こうへ消えた二人を見て、ステラはベッドを降りた。
そこで一度伸びをして、体を確かめると、ドアの向こうへ消えた二人へ向けて微笑んだ。

「ならば楽しむとするか。貸し借りなしで」

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