第三十五話 こんな奴がいた


先の見えない闇の中、カーマインは何かに怯えるようにひたすら終りを目指して走っていた。
どれぐらいの長い間走り続けても、体は疲れず、汗も流れず、終りも見えてこない。
ただ周りの闇がじわじわと徐々に自分に染み込んで行くような気持ち悪さだけがあった。
だがいつか終りが来るはずだと、周りの闇を振り切るように走り続けた。

「これは夢だ。いつか覚める……だから早く覚めてくれ」

染み込む闇を体からこそぎ落とすように、腕に手をはわせる。

だがそれは逆効果であった。
腕の上を手のひらが削る度に闇が体に刷り込まれ増していく不快感、ついにカーマインは叫んだ。

「誰か、誰でも良い。グロウ、ルイセ、母さん、ティピ、誰か!」

誰かと前へ手を伸ばした時、闇の中に一筋の光が差し込んだ。
闇を裂くような間逆の白。

「あれが夢の終り」

ますます足を速め、光へと向かうカーマイン。
その白い光とどれほど距離があったかわからないが、確実に近づいていった。
初め米粒ほどに小さかった光は、カーマインが走るにつれ近くなったせいか、大きくなっていく。
そして確実に白い光は何かの形をかたどっていた。
何をかたどっていたのか、それが何なのか知ったとき確かにカーマインの悪夢は終りを告げた。

「ゲ、ヴェル……」

光などではなかった。
闇の中に差し込んだ白い光だと思っていたものは、ゲヴェルの白く凶悪な顔であった。
顔のみのゲヴェルが、笑う。
あざけるわけでも、見下すわけでもなく、まるで自分がカーマインの味方であるかのように。
叫び声は上がらなかった。
ベッドで跳ね起きた直後、カーマインの口の中がカラカラに乾いて声がでなかったのだ。
カーマインは叫ぶ代わりに必死に息をついて、大量の空気を何度も何度も吸い込んだ。

「やっぱり夢…………」

「う~ん、もう食べらんない」

ポツリと呟いた後に続いたティピの寝言が、事実を確実にしてくれた。
少し落ち着いてから気付いた事だが、まだ夜明けには程遠く、日の光がない部屋の中は真っ暗であった。
再び夢と同じようにゲヴェルの顔が浮かんできそうな暗がりの中、カーマインは自分を叱咤した。
現実でさえおびえた事もそうだが、一番情けなかったのは逃げた事だ。

「逃げるなんて、グロウだったら逃げないのに。逃げちゃいけないのに、強くならなくちゃ。怯えず立ち向かうぐらいに」

カーマインの視線は部屋の壁に立てかけてあるクレイモアへと向かった。
そして朝になってもいないのにベッドを出ると、クレイモアを片手に外へと出て行った。





「まったくもう、一体何処へ行ったのやら。お目付け役のアタシをおいていくなんてなに考えてるのよ」

苛立たしげに呟いたのはティピである。
朝起きてみればカーマインのベッドがもぬけのからであり、起きてからずっと探しているのだ。
誰に聞いてもその行き先はわからなかった。
家の中をあちこち探し回り、ちょうど玄関の前を通った時、カーマインが帰ってきた。
汗だくになり片手にクレイモアをひっさげていたが、ティピの目にはそれほど重要な事には映らなかった。

「あー、アンタねえ。一体何処行ってたのよ!」

「ティピ、グロウは起きてる?」

「は? あのね、質問してるのはこっちなんだけど」

さらに苛立ちをまして言い返したティピだが、カーマインは答えてくれそうにないティピを無視して二階へと上がっていく。
なんなのよと呟いてティピが後を追うと、カーマインはグロウの部屋を空けてその不在を知る。
そして叫んだ。

「グロウ、いないのかグロウ!」

「折角の休日なんだもん、どっかに出かけたのよ。それよりアタシの話を聞きなさいよ」

家の部屋と言う部屋にグロウを探して回るカーマインを見て、ティピが言うが、カーマインは諦めようとしなかった。
再三ティピがいないんじゃないかと言っても、ほとんど聞く耳を持っていなかったのだ。
折角帰って来たというのに、クレイモアを持ったままグロウを探している事から、グロウが見つかったら何を言いだすのかは明白である。

「稽古するって約束してたわけ?」

「グロウ!」

「もう、好きにして」

言い聞かせる事を諦めたティピが何処かへと飛んで行ってしまったことも気付かぬまま、カーマインはグロウを探し続けていた。
自分やグロウの部屋を探し、ルイセの部屋はノックのみ、それでも見つからず一階の居間へと足を踏み入れる。
そこではサンドラとルイセがテーブルを囲んでお茶を飲んでいた。

「母さん、グロウが何処へ行ったか知らない?」

「いえ、知りませんが。それより少し落ち着きなさい。確かに今回の任務での証拠が消えてしまったのは残念ですが、ゲヴェルの存在を確認できただけでも上出来です」

「解ってるよ、そんなこと」

カーマインにしては珍しく反抗するかのような言い草に、ルイセが驚いた眼を向けていた。

「では魔水晶の横流しの件ですか? 確かに犯人達も、あの爆発で生き埋めになりましたが、横流しの調査は魔法学院の方で始まっています。もっとも証拠が全て埋もれた以上たいした捜査はできないでしょうが」

「母さん、僕は別にそんなことはどうでもいいんだよ。ルイセはグロウが何処へ行ったか知らない?」

「え、うん……知らないよ。あのねカーマインお兄ちゃん、折角のお休みだし」

断る言葉もなく、居間を出ようとしたカーマインの前に現れたのはウォレスであった。
耳の感覚が鋭いウォレスである、すでにカーマインの声から内面を見抜いているかのように、視線をサンドラへと向けた。
サンドラの首が縦に揺れるのを確認した後、カーマインが何かを言いだそうとする前に言った。

「訓練なら、俺が相手をしてやろうか?」

「本当ですか? それなら直ぐにでも」

「ただ一つ、条件がある」

そう言ったウォレスが見たのは、サンドラではなく、ルイセのほうであった。

「私?」





グローシュの光が視界一杯を支配した後には、充満した湯煙と硫黄の匂いが漏れ出す街なみが見えた。
温泉街であるコムスプリングスの少し手前に、ルイセのテレポートでやてきたのだ。
ウォレスの出した条件とは、稽古の場所をコムスプリングスにする事だった。

「あー、この匂い。また温泉に入れるなんてラッキー」

「最近働きづめだったから、たまにはゆっくり温泉でお肌を磨くのもいいわね」

まだ少し温泉から遠いせいで街中ほどではないが、それでも温泉独特の匂いが漂ってきていた。
決して良い香りとは言いがたいが、それでもティピは胸いっぱいにその匂いを吸っていた。
それに加えサンドラも、ニコニコしながら観光気分まるだしてある。
温泉街という場所でさえ気が抜けていないカーマインを心配そうに見ているのは、ルイセぐらいだ。

「さ、ルイセ。女は女同士、折角の温泉を楽しみましょう」

だが、サンドラが後ろからルイセの両肩に手を乗せて、その背を押し始める。

「え、で……でも」

「いいからいいから、温泉で女を磨いてカーマインに自分の魅力を見せ付けてやりなさい」

もちろん最後の見せ付ける云々は、ルイセの耳元に顔を寄せての一言であった。
効果はてきめんであり、真っ赤になって何も考えられなくなってしまったルイセを温泉街へと連れて行ってしまう。

「さて、俺達もいくか」

「そうですね。でも、どこでやるんですか? グランシルとかならまだしも、こんな避暑地で」

「なに、あてはある。ちょっとその用意に時間が掛かるんでな、着いてこい」

一体何処で手合わせを行うのかと、黙ってついていくカーマイン。
温泉街へと続くコムスプリングスの門を抜け、段々と濃くなっていく温泉の匂いの中を抜けてついた先は、あの温泉宿であった。
以前にフェザリアンを研究している学者に会いに来た時に泊まった温泉宿である。
おそらくルイセたちも、この宿の温泉へと来ていることであろうが、それよりもカーマインはどういうつもりなのだとウォレスを見た。

「ウォレスさん!」

「そう声を荒げるな。言っただろう、場所の手配に時間が掛かると」

ニッと口の端をあげて笑ったウォレスを見て、明らかに騙されたとカーマインには分かった。
だがコムスプリングスへきてしまった以上、ルイセがいなくてはローザリアに戻れない。
となると訓練相手は、今目の前にいるウォレスしかいないのだ。

「心配するな。ちゃんと相手にはなってやる。場所の都合がついたならな」

「絶対ですよ」

黙ってウォレスについて行き、受付すらもウォレスに任せてしまっていた。
そして受付が済んで脱衣所へ、服を脱いで煙充満する温泉を前にしてもカーマインの心は晴れるどころかますます陰鬱になっていっていたく。
何もかもが不安で、少しでも強くなる過程の上にいないと心が押しつぶされそうになるのだ。
温泉の湯に浸かりながらも、カーマインは何処からか吹く冷たい風に震え、両腕を抱きしめていた。

「何度きても、この温泉に浸かる前の雰囲気ってのは良いもんだな。そう思わないか?」

そんなカーマインの様子に気付いていないはずも無いのに、遅れて服を抜いたウォレスがやってきた。
お湯を桶ですくって全身を洗い流すと、ゆっくりと温泉に浸かり始めた。

「さあ、どうでしょう」

そっけない答えに、気分を悪くするでもなく、ウォレスは空を見上げるようにして言った。

「俺が傭兵団にいた事は何度も話したな。その中に、こんな奴がいた」

それから先、ウォレスが黙り込んでいたため、根負けしたカーマインが先を促すように聞いた。

「どんな奴ですか?」

「そいつは故郷では負け無しで、剣の腕には自信があった。だけどな、いざ傭兵団なんてもんに入団してみると、まわりは凄腕ばかりで自信なんかすぐに吹き飛んだ。そして自信の喪失から、傭兵としてやっていけるかの不安から毎日、寝る間を惜しんで休日でさえ訓練に明け暮れていた」

「なら、すぐにまわりに追いつけたんでしょうね」

だから自分も直ぐに訓練をしたいとカーマインは突きつけたつもりだったが、ウォレスの返答は違っていた。
そう思うだろうと空を見上げるのを辞めて、カーマインを見て言った。

「いや、そいつがいくら訓練しても、追いつくどころか、入団したての新人にさえ追い越されてしまった」

「そんなのおかしいですよ。絶対その人以外に理由が」

ウォレスが溜息をついてカーマインの言葉を遮ると、答えを教えた。

「理由はそいつそのものだったよ。寝る間を惜しんで、休むことなく訓練し続け、そいつの体はボロボロだったんだ。そいつは倒れて病院に担ぎ込まれるまで、自分がいかに体を痛めつけていたかを知らなかった」

「だから僕に訓練じゃなく、休めって言うんですか? でも不安なんです。どうしようもないんですよ、この気持ちは」

ついにカーマインは叫ぶようにして立ち上がり、ウォレスの話を打ち切ろうとしていた。
焦っていると解っていても、この不安を押さえ切れないのだ。
ゲヴェルとのつながりの先に有る、とてつもなく不安な未来が怖いのだ。

「それも一つの教訓だが、話はそれだけじゃない。そいつは、仲間からそれとなく体をいたわれと注意されてたのさ。だが、聞かなかった。せっかくの仲間の好意を、声を荒げて踏みにじった時もあった」

カーマインは、胸を貫かれたような思いであった。
今まさに自分が声を荒げて、自分の胸のうちだけを考えていたからだ。

「俺はまだお前をある程度理解してやれる歳だ。だが、ルイセは?」

「あ、僕は……」

ルイセ自信が構って欲しいというのもあったろうが、気分転換を進めた言葉をこともなげに断っていた。
それでルイセがどんな気持ちになるかも考えずに、自分の不安だけを考えて。

「まだ訓練をすると言い張るか?」

立ち上がった状態から、一度温泉の湯に浸かって考えた末、カーマインは答えを出した。

「はい、訓練は絶対にします」





「もう、お母さんったら悪ふざけして…………うぅ」

一人先に温泉を出ていたルイセは、髪を乾かしながら自分の胸を見下ろして唸っていた。
悪ふざけとは、サンドラの手によって直に大きさを測定されてしまったのだ。
それだけならまだしも、測定された後に信じられないと言う顔つきで「嘘」と呟かれたのがなおさら痛かった。

「絶対そのうち大きくなるもん。お母さんがあんなに大きかったんだし」

絶対に揺るがないはずの血のつながりに期待して、ルイセは髪を乾かすのに専念しだした。
だがその手は断続的であった。
旅行的なノリで無理矢理サンドラに忘れさせられたものの、家でのカーマインの無言が痛かったのだ。
ルイセ自信得に気を使って誘ったわけでもなかったが、本心から誘った故に痛かった。
今回の任務の事で何かしらカーマインが悩みを抱えていたとしてもだ。

「はあ……折角温泉に来ても、どうしよう。もう出ちゃったし、一人で街を歩いてもつまんないし」

ミーシャはブレーム火山の時や、爆破された水晶鉱山の坑道近くにいた事などから大事をとって一時的に魔法学院に帰っている。
もう一人かまってくれそうなグロウは、カーマインが探す前に、ルイセがとある場所へとつれていってしまっていた。

「一人で行こう」

まだ温泉につかる母とティピを置いていく事に決め、ルイセは立ち上がって脱衣所のドアを開けた。

「あれ? 意外と速かったね、何処へ行こうか?」

「カ、カーマインお兄ちゃん?」

ドアの直ぐわきで、出待ちをしていたのはカーマインであった。
今頃ウォレスと剣の稽古をしているはずなのにと、どうしてと言葉でなく表情でルイセが問いかける。

「体を休めるのも仕事のうち……ってのは建前で、折角コムスプリングスに来たんだしね。一緒に出かけるのはいや?」

嫌なはずがないと、またもや無言でルイセは思い切り顔を左右に振っていた。
二つの結われた髪が顔に当たるのも構わず行われた動作に、クスッとカーマインが笑うとようやくルイセも本来の調子が戻ってきた。

「笑うなんて酷いよカーマインお兄ちゃん」

「ごめんごめん。それじゃあ、お詫びに一つだけなんでもお願いを聞き届けましょう。お姫様」

うやうやしく頭を下げたカーマインを見て、それじゃあとルイセは答えた。

「お腹空いちゃったから、カーマインお兄ちゃんの奢りで食べ歩きツアーがいいな」

「随分食いしん坊なお姫様だな。けど、仰るとおりに。行こうか」

「うん」

歩き出したカーマインの腕に飛びつくようにして、ルイセは腕を組んで歩き出した。
ルイセにとってカーマインにどんな心境の変化があったかまではそれほど重要ではなかった。
ただ一緒にいてくれれば、それだけで十分であったからだ。





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