第三十四話 誰だ


「やったね。気付かれてないみたいだよ!」

「シッ!」

ティピが甲高く喜びの声を上げるのには、少し早かった。
魔法学院で貰った透明になる薬を使って体が他人から見えなくなっているとはいえ、声までは消えないのだ。
水晶鉱山の、かつて事件のあった入り口を警備する二人の警備兵の一人が、不審気に当たりを見渡して相棒に尋ねた。

「おい、なにか言ったか?」

「いや、気のせいじゃないのか?」

「そうか? おかしいな」

気にしない事にしたそのやり取りに一向はほっと胸を撫で下ろすと、鉱山の奥へと足を進めた。
どれぐらい歩いただろうか、警備兵から完全に遠ざかった所で薬の効果が切れ、お互いの姿が見え始める。
ようやく見え始めたお互いの顔には、薄っすらと汗が見えていた。

「あ〜ドキドキしたぁ」

「万全の体制で望んだつもりが、ティピの事を忘れていましたね」

胸を押さえてミーシャが言うと、ユニが情けないとばかりに呟く。
さらに付け加えて、少し怒ったようにルイセがティピに言った。

「もう、ティピったら。見えないからって油断しすぎだよ。こっちがビックリしたんだから」

「あはは、ごめんごめん。でもばれなかったんだし、いいじゃない」

「もう!」

ゴメンねのポーズをとるティピに仕方なくといった感じでルイセは許していた。
そして普段なら注意する側である三人が、まったくティピに注意を促さなかった事に首をかしげた。
薄暗くはあるが、底冷えのするような青白い光を放つ魔水晶の鉱山の中で、ルイセ自身体が強張る様に緊張しないでもなかった。
ウォレス自身は過去の凄惨な事件現場に舞い戻る為に、緊張しているのは分かる。
だが、二人の兄までもがただの調査に過剰に緊張し、張り詰めている理由までは分からなかった。

「カーマインお兄ちゃん、グロウお兄ちゃん?」

「なんでもないよ、ルイセ」

緊張から一転、笑顔を向けられて戸惑ってしまったルイセの背中をグロウが押した。

「カーマインから離れるな。ずっと傍にいろ」

「う、うん」

有無を言わせずような口調に頷いてしまい、ルイセはカーマインの手を握って横を歩いた。
そしてその手が汗ばんでいる事に気付いて、さらに握る力を込めた。

「それにしても、この坑道って事件のあった坑道なんですよね? 封鎖されたのが何時なのか知らないけど、綺麗すぎません?」

「そう言われて見れば、所々崩れてる割には片付けられた跡があるね」

「この山は全体が魔水晶のかたまりみたいなもんだ。そうそう自然に崩れるとも思えねえし、当時の調査隊が捜査の為に片付けたのかもしれんな。もっとも盗掘者という線もあるが」

結局の所、ミーシャとルイセの疑問は奥へと行ってみればわかる事であった。
やや下るような坑道を進み、どんどんと坑道の奥へと進んでいった。
これが普通の洞窟であれば次第に薄暗さが増していくものであるが、魔水晶の鉱山だけあって快適と言えないまでも灯りには困らなかった。

「歩いた距離からして、そろそろ水晶鉱山の中枢辺りだな」

「さっすが、昔ここで警備をしてただけの事はあるね」

「褒めてるつもりなんだろうが、そう言われると自分の歳を実感しちまうぜ」

ティピの台詞はウォレスに溜息をつかせてしまったが、彼の感覚は鋭敏であった。
口元に人差し指を当てて警戒を促すと、奥に人の気配がある事を伝えた。
ウォレスの眼には映っていないが、ウォレスが警戒したのは、坑道の先にある発掘現場らしきホールのある空間であった。
魔水晶のわずかな光ではよく見通せないが、確かに人の影のようなものが動いているように見えた。
そして向こう側から見えないように入り口へと近づいて身を潜めると、声と石を叩き割るような音が聞こえた。

「まったく、人が危険を犯して慣れない採掘してるってのに、最近ちょっと出し渋りが酷いんじゃないか?」

「そうだな。グレンガルのダンナも、そろそろ言い値で買ってくれなくなってきてるしな。潮時なのかもしれんな」

「だろ? だいたい頑張ったって俺らの取り分が増えるわけでもないし……かと言って逃げてもな」

聞こえてきた言葉に、皆が顔を見合わせて間違いないと頷きあった。
しかも盗掘の事実だけでなく、生き証人まで、現在目の前にいるのだ。
取るべき行動は決まっていた。

「あんた達の悪事しっかりと見たわよ!」

「大人しくしていれば無用な怪我をしなくて済みます。投降なさい!」

「言って聞く奴らかよ」

ティピとユニの言葉で、盗掘者たちが大人しく投降するとは当然ながら思ってはいなかった。
行き成りの耳慣れぬ声と、思いもよらぬ言葉に戸惑っている盗掘者たちへと真っ先にグロウが切り込んでいった。
抜き去った雷鳴剣の刀身が青白い輝きを放ち、盗掘者の一人にその刃の腹で軽く殴りつける。
盗掘者と雷鳴剣の刃が触れる一瞬だけ目がくらむような光が洞窟内を覆った。
刀身に帯びた雷で気絶した事を確認すると、グロウは油断なく次なる盗掘者へと向けて構えていた。

「だ、誰だお前ら!」

「てめえで考えろ」

「ギャッ!」

答えながら二人目へとグロウが雷鳴剣を振るって雷がほとばしる。

「見張りは一体何をしていやがったんだ!」

ようやく声を絞り出せたのは良いが、彼らは盗掘中の彼らには武器になるような物を殆ど持っていなかった。
持っていて小さなナイフであり、あまりに無謀……むしろ不幸であった。
どんな小さな武器であれ、盗掘者が構えたからにはカーマイン達は安全の為に打ち倒さなければならなかったからだ。

「出来るだけ抵抗はしないでください。抵抗すれば、こちらとしても攻撃を躊躇するつもりはありません」

「ふざけた事を、誰が」

「……警告はしました」

カーマインが悲しんだのは一瞬、言葉通りナイフで向かってきた相手の手をクレイモアでナイフごと砕いた。
腕が砕けて膝をついた相手をけり転がして、次に向かってくる相手に向かうカーマイン。
一人また一人と気絶させられるなか、騒ぎに気付き先ほど入り口にいた警備兵の二人が現れたが、たいした問題ではなかった。
彼らの運命も採掘していた者たちと同じ、槍などと言う武器を持っていた為それ以上であり、ウォレスによってすぐに気絶させられた。

彼らを縛り上げて、念のためにとルイセとミーシャがスリープを掛けて適当な場所に転がしてからが、本番であった。
横流しの調査は、あくまでついででしかないのだ。
問題は二十年前の事件が、本当にゲヴェルの仕業であったか調べるのが目的である。

「で、どこからどうやって調べるんだ?」

「ここのホールを中心に、些細な痕跡一つ見逃さずに調べるんだ。例えば、隠された小部屋のような空間は無いか。隠し通路でも良い。とにかくゲヴェルが外からではなく、何故突然この鉱山の中に現れたのかを調べるんだ」

グロウの質問に細やかにウォレスが答えると、カーマインが提案する。

「ルイセやミーシャが一人だと心配だから、三つにグループ分けしましょう。僕とルイセ、グロウとミーシャ、ウォレスさんはティピとユニを連れていってください。それで一通り調べて一時間ほどで一度ここで落ち合いましょう」

「あいつらを何時までも見張り無しで転がしておくわけにも行かないか」

「ゲヴェルの調査は明日でも出来るしね。今日はほんの下調べのつもりで良いよ」

話が決まると、三つのグループは思い思いの場所へと散っていった。
グロウとミーシャは今来た道を戻り始め、ウォレスとカーマインのグループはホールを中心に調べ始めた。
カーマインが魔水晶の壁に手を当てたり、叩いたりするのを見てルイセも同じように調べ始める。
決定的な何かを直ぐに求めるつもりはないが、それえも切欠を求めてその行為は続く。
だが黙々とその作業を繰り返すカーマインと違い、ルイセの意識は常にカーマインへとあった。

「あのね、カーマインお兄ちゃん」

「なに? なにか見つけた?」

「ううん、違うんだけど…………」

聞き返してきたカーマインに、ルイセは近くに誰もいない事を確認してから続けた。
もちろん手は魔水晶の壁をたたきながら。

「ここに来る時に、ゲヴェルの事心配してるのかなって思ったの。だって本当にそんな化け物がいたら大変だし、カーマインお兄ちゃんが放って置けないって思うのも当然だし」

「……そうだね。放ってはおけない」

やや間があってから答えてきたカーマインを見て、ルイセが今しかないと心を決める。

「だけど、もしいたら。いなくても、私がんばるから。ずっとカーマインお兄ちゃんのッ?!」

そばにいるからと、ルイセは続けられなかった。
カーマインが酷く真面目な顔つきで、今しがた魔水晶の壁を叩いていたルイセの手を取ったからだった。
そのままカーマインがルイセの腕をひっぱり自分の傍に引き寄せた為、ルイセの顔は十分過ぎるほどに赤らんでいた。
もう一歩近づけばキスしてしまいそうなほどに、二人の顔の距離が近かった。

「ルイセ」

「カ、カーマインお兄ちゃん」

カーマインが呼んだ自分の名前に胸の鼓動を跳ね上げられ、ルイセはオウム返しのようにカーマインの名を呟いていた。

「今、どこの壁叩いたの?!」

だが、次の瞬間にカーマインが言った台詞はあまりにも無情であった。
しかもすぐにルイセが答えなかったために、その手をあっさりと離してルイセの前にある魔水晶の壁を手当たり次第にたたき始めている。

「今、明らかに音が違ったんだ。もしかしたら、この壁の向こうに誰も知らない部屋があるのかもしれない。ルイセもすぐに……ルイセ?」

ようやくカーマインは俯いたまま、打ち震えているルイセに気付いたが、少し遅かった。
ルイセの体から、溢れんばかりの光が輝き始めていた。

「カーマインお兄ちゃんの…………カーマインお兄ちゃんのバカーッ!!」

あふれ出した光、ルイセのグローシュがカーマインを巻き込んだまま目の前の魔水晶の壁を崩壊させていった。
さすがに落盤を引き起こすには至らなかったが、離れて調査をしていたウォレスやグロウを呼び込むには十分な破壊音であった。
崩れた魔水晶の壁が作る煙を掻き分けながらやってくる、グロウたちは三つのものをみた。
一つは鼻を鳴らして泣いているルイセ、腰を抜かしたように一点を見つめているカーマイン。
そして、カーマインが見つめているそれ、崩れた魔水晶の向こうにある空間にある影。
人型にえぐれた魔水晶の壁を見つけていた。

「コイツが……ゲヴェルの」

呆然とグロウが呟いたが、すぐに腰を床に落としていたカーマインを見た。
直ぐに駆け寄ろうとしたグロウだったが、カーマインの方が先であった。

「う、うあああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

得体の知れぬ恐怖から、カーマインが叫ぶ方が。





先の見えぬ暗闇と、体の感覚が失せてさえ感じる冷たさが全てを支配していた。
何十年、何百年の年月を待ったであろうか。
やがて闇と冷たさの二つしかなかった世界に、ほころびが走った。
小さな、とても小さなほころびであるが、どれ程嬉しく思った事であろうか。
そのほころびが少しずつ大きくなり、闇と冷たさ意外の希望を与えてくれた事にどれ程の感謝が生まれたことか。

(いま少し、いま少しの辛抱だ。このほころびがやがて我を……どこへ誘うのだろうか。そもそも我は誰であろうか。いや、そんな事はどうでも良い。ただ我は外へと、この世界に別れを告げたい)

やがてほころびが十分なほどに大きくなった時、ソレは行動を起した。
鋭利な棘を持つ大きな二つの手を差し込み、ほころびを自分の意志で、自分の両腕で広げて行ったのだ。
ガラスが割れるような甲高い音を立てて、闇と冷たさの世界が壊れた。

「我は自由だ。もっと外へ、もっと灯りを」

闇と冷たさ意外を求めて踏み出した足に、何かが突き刺さった。
自分の体からどろりと温かい何かが流れ、一番恐るべき冷たさが背筋を駆け抜けた。

「この化け物め!」

なにか小さなものが叫んでいた。
痛みと冷たさを与えたそれは、その小さな者が持つ小さな棘であった。

「化け物め!」

「化け物め!」

「化け物め!」

小さなものは誰もが同じ言葉を吐き、痛みを与えていった。
それに抗わないはずはなかった。
闇と冷たさの世界を出てまで、なぜ今度は痛みと暴言を味わわねばならないのか。
踏み潰し、握りつぶし、動けなくして、何故悪いのだろうか。

「そこまでだ、化け物め。俺の仲間達にこれ以上、手出しさせはしない。俺の仲間は、俺が守る!」

このとき初めて、小さな者に対して恐れを抱いた。
誰かに、その小さな者が誰かに似ていたのだ。
誰であろうか、どこで会ったのだろうか。
そして自分は、化け物と呼ばれる自分は……

「我は……」

魔水晶の空間は、映りの悪い鏡のような空間であった。
それでも自らの姿を確認するには十分であった。
自分は、化け物であった。

「う、うあああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

ベッドから叫びながら跳ね起きたカーマインは、自分自身から嫌悪しか抱かなかった。
気持ち悪い、全てが。
体をぬらす寝汗も、寝汗でべっとりと額に張り付く髪も、自分の吐く息や心臓の鼓動でさえも気持ちが悪かった。
自分を嫌っているわけでもないのに、自分が酷く気持ち悪い。
そこへ自分ではないが、ようやく嫌悪とかけ離れたものが自分の胸に飛び込んできた。

「カーマインお兄ちゃん、よかった。本当に眼が覚めてよかったよぉ」

それはルイセであった。
いつもなら寝汗をかいているからと突き放す所を、カーマインは逆に強く抱きしめていた。
それだけで、いくぶん自分自身への嫌悪感が薄れたからだ。

「ルイセ……僕は」

「水晶鉱山にあったゲヴェルの抜け跡を見て、気絶したんだよ。俺が迂闊だった。お前を、一人にしたのがいけなかった」

答えたのはグロウであったが、その言葉の正確な意味をつかめたのはカーマインだけであった。

「なに言ってるのよ、コイツにはルイセちゃんがついてたでしょ。勝手に驚いて気絶までしたコイツがなさけないのよ」

「まあな」

意味をつかめなかったティピに曖昧に返事をすると、このままでは何時までも離れる気配を見せないルイセをカーマインから引き離した。
恨めしそうな顔で睨まれたが、グロウは何処吹く風である。

「グロウお兄ちゃん!」

「ルイセ、カーマインに何か食わせるものを用意してこい。出来るだけ栄養のあるものをだ。ティピとユニは、ウォレスにカーマインが起きた事を知らせてこい」

「やだ、私まだカーマインお兄ちゃんのそばにいるもん」

「アタシもまたあの鉱山に戻るの面倒くさーい」

「いいから、俺が笑っているうちに行ってこいよ?」

その言葉と顔は効果覿面であった為、三人はそれぞれの顔を浮かべて部屋を出て行った。
ルイセが行ってしまったため、また謎の嫌悪感に襲われたカーマインだが、起きた直後ほどではなかった。
カーマインはようやく、ここが何処だと考える余裕が生まれていた。

「グロウ」

「ああ、解っている。全部説明してやる。お前が倒れた後、ウォレスを一人残して、昨日泊まった宿までお前を運んだ。お前とルイセが見つけたのは、間違いなくゲヴェルが出てきた場所だ。どういうわけか、奴は魔水晶の中から出てきたんだ」

「閉じ込められてたのかな?」

「さあな。ただ二十年前の事件が今になって進展したおかげで、ウォレスは今水晶鉱山で説明に引っ張りまわされてる。そういえば、ミーシャは何処へ行ったんだ?」

いつの間にかいなくなっていたミーシャを探すわけではないが、窓の外を眺めた時、地震のような揺れが起きた。
宿全体がギシギシと悲鳴をあげるが、それほどたいした揺れではないので立っていたグロウも平然としている。
ほんの一瞬のことではあったが、それが地震ではなく、爆発によって起きた振動であると知ったのは直ぐである。
水晶鉱山の方での爆発音と煙のような物が上っているのが見えたからだ。
煙はともかくとして、鉱山からやや離れた場所にある街にまで伝わる振動とは、どれぐらいの規模の爆発なのであろうか。
ついさっきゲヴェルが現れた証拠を見つけ、警備がより厳しくなったばかりなのにいう思いに駆られながら、グロウはその足をドアへと向けていた。
事故にせよ、人の手による者にせよ、行かないわけには行かなかった。

「一体何が起こってやがる。カーマインお前は大人しく」

「嫌だ、僕も行く」

「ついさっき倒れたくせに……」

「僕も行く。あそこにはウォレスさんが、事故なら人手が多いほうが良いだろ!」

強く言い放ち、引き下がらない様子を見てグロウは説得を諦めた。
この様子であれば、体を引きずってでも水晶鉱山へと向かいそうだったからだ。

「仕方ねぇ。行くぞ」

宿を出る途中で、不安そうにしていたルイセを拾い上げ三人は水晶鉱山へと出来るだけ急いだ。
だがそこでウォレスやティピとユニ、そして何故かいたミーシゃの無事は確認できたものの、肝心のゲヴェルと盗掘の証拠は消え去っていた。
何者かが仕掛けた爆薬のおかげで、二十年前に使われていた坑道が、盗掘者ごと瓦礫に埋もれて使えなくなってしまったのだ。

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