第三十三話 火を噴く山


活火山である事を示すかのように、人体に有毒なガスを噴出し充満させるブレーム火山。
ミーシャが思い出した体が透明になる薬の原料、クリアノ草がこの洞窟の奥にあるらしい。
魔法学院の教授にはクリアノ草を取ってくる代わりに、透明になる薬を貰う約束をとりつけたのはいいが、いざブレーム火山を前にすると戸惑ってしまっていた。
洞窟とはただでさえ魔物の住処になりやすく、さらには濃い霧のように有毒なガスが充満しているからだ。

「やっかいなのは魔物よりも、この毒ガスだな。たしか周期的に止まるとは聞いているが、それも何時なのか、どれぐらいの間なのかはわからない」

どうするんだと決断を求めたウォレスの言葉だが、答えたのはカーマインでもグロウでもなかった。

「間も無くだ。間も無く毒ガスの噴出が止まる。クリアの草をとってくるのであれば、急いだ方がいいぞ」

ミーシャであったが、ミーシャではなかった。
その口から漏れた声は、いつもの元気な声ではなくしゃがれたこえであったのだ。
よく見れば、眼の光が消えてうつろになっていたが、声の事に驚いて誰もそこまでは気がつけなかった。
ぎょっとしてミーシャを見たウォレスとルイセだが、一瞬後にはいつものミーシャに戻ってしまう。

「ミ、ミーシャ?」

「ん? どうしたのルイセちゃん、変な顔して」

「どうしたのって」

疑問を疑問で返そうとしたルイセだが、カーマインとグロウの声が割って入った。

「ティピ、ちょっとどうしたんだ?」

「おい、ユニ。しっかりしろ!」

先日の水晶鉱山でのように、カーマインとグロウの手のひらの上にへたり込む二人の姿があった。
頭痛が酷いように頭を抑えながら、息を荒くして大量の汗をかいている。

「おい、ミーシャの言う通り、毒ガスが薄れてきたぞ」

ウォレスが指摘する間に、あたり一面をうっすらと白く染めようとしていた毒ガスが薄れていく。
一度にあまりにも多くのことが起こりすぎたが、カーマインはグロウと眼を合わせた。
そしてうなづきあう。

「ルイセはティピとユニ、ミーシャを連れて水晶鉱山のある街へ行っていてくれ」

「ティピとユニの看病は頼んだぞ。あとミーシャの事もな」

「え、なんで私まで?!」

反論しようと考える隙を与えないようにまくし立て、それぞれの手のひらからティピとユニを渡した。

「カーマインお兄ちゃん、グロウお兄ちゃん!」

「大丈夫だから、夕方までには戻るよ」

自分の手のひらの上でぐったりとする二人を放っておけるはずもなく、せめてと叫んだルイセ。
そのルイセの頭をカーマインが撫で付けてから、ウォレスを加えた三人で毒ガスの薄れた洞窟の中へと走っていった。

「ねえ、ルイセちゃん。なんで私まで行っちゃいけないの?」

ルイセはその質問に答える代わりに、テレポートを唱えて水晶鉱山のある町へと飛んだ。





一時的に毒ガスが引いたとはいえ、活火山であるブレーム火山の洞窟の中は灼熱という表現がふさわしかった。
体から滴り落ちた汗が、床におちて数秒で蒸発するぐらいであり、剥き出しとなった肌が早くもヒリヒリと悲鳴を上げだしている。
さらに溶岩の地熱によって暖められた空気がねっとりとした粘り気を持ち、洞窟内を突き進む三人の体感温度をさらにあげていた。

「クリアノ草とかは、湿気と熱気が高い場所に生えるんだったな」

「教授はそう言ってたから、一番可能性が高いのは洞窟の一番奥だね。できればそこらに生えてて欲しいけど、数が少ないらしいから」

軽く確認するように言ったグロウとカーマインの後に、ウォレスが二人を追い越して振り返る。

「クリアノ草の探索は二人に任せるぞ。俺は魔物の警戒と撃退に力を注ぐ」

もうウォレスと知り合ったばかりではないのだから、カーマインとグロウは問い返すことなく頷くだけであった。
ウォレスの場合は眼のおかげで、草は草としか移らないからだ。
そもそもこんな火山の洞窟に生える草などまれであろうが、分担した方が見落としは少ない。

「頼りにしてるぜ、ウォレス。その武器の使い方には少し興味もあるしな」

「グロウ、喋るのは良いけど見落とさないでよ。それで、どう使うんですか?」

「…………」

沈黙の後に、ウォレスがやや走る速度を抑えていた。
その行動から、なにかいるのだと二人も足を緩めていた。
次の瞬間、やや盛り上がるようにして出来ていた溶岩石の岩陰から一匹のヘルハウンドが飛びかかってきた。
直立すれば人とほぼ変わらない身長、火を好む魔犬である。
予想された強襲に、ウォレスは右手で掴んでいた双刀の剣を振り、ヘルハウンドの口へと刃を押し入れた。
そのまま剣を振り払うと、絶命したヘルハウンドが刃から引き抜かれて地面で小さく跳ねた。

「普通の剣と変わらないな。柄にも刃がついてて使いにくくないか?」

「そうだな」

率直なグロウの疑問に、ウォレスは気のない答えで濁していた。
その表情は苦いものを噛み潰したように歪んでいたが、この洞窟の暗がりと熱気で二人は気付けなかった。

(飛びかかられる前に気付いていたのに、先手を撃てなかった。俺もまだまだだな。以前と同じようにできるのか、怖いか)

自嘲的な笑みを少しだけ浮かべた後、ウォレスは再び足を速めていた。
それについてカーマインとグロウも走り出したが、進めど進めどクリアノ草どころか雑草一つ見つけられなかった。
それでもと奥へ奥へと進んでいくと、溶岩石の地面ばかりであったはずが、その割れ目から溶岩が顔を出すようになってきた。
ボコボコと念質の溶岩が煮たぎって、薄暗い洞窟に赤い光をもたらしている。

「毒ガスがなくても、あんまり長居すると脱水症状にかかりそうだね」

「そろそろ諦める事を視野に入れてもいいんじゃねえか? 命までかけなくても、別の方法ぐらいはあるだろう」

「いまさら」

そう言われてもと言おうとしたカーマインの目の前に、大きなウォレスの手のひらが現れた。
驚いて立ち止まると、ウォレスが静かにというジェスチャーを見せている。
溶岩が煮える音と蠢く灼熱の空気が流れる音だけが聞こえた

「この洞窟の中で異質な音と匂いがする。植物が揺れて葉が擦れる音と、かすかに青臭い水の匂いだ」

ウォレスがゆっくりと指を刺したのは、ここからさらに洞窟の奥であった。
どうやら神経を集中する為に静寂を欲したようだ。

「ここまできたら、行くしかないですよね」

「だが同時に魔物の気配も複数あるな。俺とカーマインが魔物の相手をする間、グロウが一目散にクリアノ草をとって逃げる。この状況ではこれがベストだ」

「まあ、一番足が速いのは俺だからな。武器も一番軽量だし」

「じゃあ、その作戦でいきましょうか」

その場所から少し進むと、入り口のように一度狭くなった通路へと続いていた。
文字通り入り口であったように、潜り抜けた先は、広いホールのような空間であった。
空間の一番奥にはこの薄暗い場所には似つかわしくない、青々とした植物がわずがに群生している。
さらにそれが宝であるかのように、ヘルハウンドやガーゴイルが侵入者であるカーマインたちを一斉に睨みつけた。

「やはりいたか、カーマイン。あれ、いけるか?」

「大丈夫です。一度使うごとに体が慣れてきてます!」

ウォレスの問いに答え、カーマインがクレイモアを魔物の群れへ向けて水平に構えた。
クレイモアによって爆発するように弾かれた大気が、クリアノ草へと続く道を魔物を蹴散らしながら作り上げていく。

「走れ、グロウ!」

「ああ、しっかり引きつけておいてくれよ!」

クリアノ草へとまっすぐ空いた道のりを突き進もうとするグロウ。
だがなぎ払われたのは、クリアノ草へと続く道の上にいた魔物だけである。
走る事に専念したグロウに対して、被害の無かった魔物たちが襲い掛かった。

「ふんッ!」

だがそこはすかさずウォレスとカーマインが間に入り込んで、グロウへの攻撃を変わりに剣で受けとめ、跳ね返す。

「さすが力強いですね、ウォレスさんは。グロウが戻るまで、いけそうですね」

「俺達の役目は敵をひきつける事だ。無理に倒そうとしなければ、問題は無い」

では無理に倒そうとすればどうなるのだろうか、不意に上げ足をとるような疑問が珍しくカーマインの頭をよぎった。

「ウォレ」

状況を忘れて問いかけようとしたカーマインに、ガーゴイルのマジックアローが放たれた。
慌ててクレイモアの刀身で防御すると、今度は飛び上がるように噛み付きに来たヘルハウンドを叩き伏せる。
状況を思い出してしまえば、再度問いかける事も、問いかけるべき内容すら記憶の彼方であった。
クリアノ草へと向かうグロウの背中に叫ぶ。

「グロウ、急いでくれ。二人だけじゃ、多勢に無勢だよ」

「解っている。もう少しだ」

二人が魔物をひきつけているとはいえ、全てをひきつけていられるわけでもなかった。
とうぜんクリアノ草を取りに行ったグロウへと向かった魔物もおり、すくなからずグロウは足止めさせられている。
それでも新しい剣である雷鳴剣で切り払いながら走り、クリアノ草へとたどりついた。
あとはクリアノ草を引き抜いて持ち帰るだけだと手を伸ばした時、クリアノ草にまぎれていたあるものがグロウの手へと伸びた。

「しまッ!」

とっさに手を引いた時には遅く、両手を植物のつるに絡め取られ無造作に持ち上げられてしまう。
そして地の下に潜りこんでいた大部分が地上へと躍り出た。

「グッ、プラントか」

首へと伸びるつるを前に苦しげな声で呻いたグロウ、プラントという言葉通り植物の魔物であった。
徐々にグロウの体へと伸びたつるが首を、体を締め付け始め、雷鳴剣が熱い溶岩石の上に落ちた。

「グロウ、すぐに」

助けると叫びたかったカーマインだが、多数の魔物とかすかに震える腕がそれを遮っていた。
あの技の後遺症で、僅かながらに剣の握りが甘くなっているのだ。
普通に剣を振るのは問題ないが、同じ技はしばらく使えない。
どうすればとカーマインが頭をめぐらせた瞬間、なにかが空気を引き裂きながら飛んでいった。
円盤のような形のそれは、グロウの両手を吊り上げていたつるを切り裂て、岩盤に突き刺さりながらもまだ回転を続けていた。

「グロウ、今だ!」

解放され空気をむさぼるように吸っていたグロウは、ウォレスの声に反応して雷鳴剣を拾い上げた。
つるを切られた痛みにのたうつプラントを、切り裂いてただの植物へと戻してやる。
それからようやく投げつけられたものがウォレスが持っていた双刀剣のダブルエッジだと気付いた。
いまだ岩盤を削りながら回転していたダブルエッジは、見えない糸でひかれたように回転したままウォレスの手元へと戻っていった。
それは単に跳ね返る方向にウォレスが移動しただけなのだが、カーマインとグロウには、自らの意志でウォレスのもとへと戻ったように見えた。

「ぼうっとしてる暇は無いぞ! さっさとクリアノ草を回収しろ、逃げるぞ!」

はっと我に返ったグロウが、今度こそクリアノ草を引き抜いて戻っていく。
無事に合流を果すと、魔物たちに背を見せずジリジリと後退していった。





ある程度まで後退してから、一気に背を見せて逃げ出した三人だが、魔物たちが見逃してくれるはずも無かった。
背中に魔物たちが追いかけてくる気配を感じながら、一目散に出口へと走っていく。
そもそも魔物たちから逃げ切れても、毒ガスという第二の敵もいるのである。
どこか満足そうにしているウォレスに、先ほどのダブルエッジの事を聞けないまま、さらに走っていく。

「もうすぐ、たしかあの十字路の先に出口があるはずだよ」

「っくしょお、諦めの悪い奴らだ。たかだか草の一本や二本で」

悪態をつきながらも、かなり鈍くなっている足に活を入れて走る。
だがあと少しという、まさにその十字路でカーマイン達は魔物の群れに追いつかれてしまった。
それだけならまだしも、逃げられないようにとまわりを囲われてしまう。

「さすがにこいつはまずいな。ひい、ふう、みい……二十はいるな」

「いっそ、毒ガスが出るまで待って、ひるんだ隙に逃げるか?」

「グロウは毒に強いけど、僕とウォレスさんは無理だよ。ここに住んでるあいつらの方が、毒には強そうだし」

じりじりと包囲の輪を小さくされ、それぞれ向かい合わせていた三人の背中がトンッとぶつかった。
それが合図ではない事は確かなのだが、ブレーム山全体が揺れだし、当然洞窟の中も激しい揺れに見舞われた。
さすがにこんな揺れは魔物たちも初めてなのか、あきらかにカーマインたちへの殺意よりも、地震への警戒と驚きが勝っているようだ。
その証拠に逃げるように洞窟の奥へと去っていく魔物もいる。

「まさか……違うよね?」

「違っていて欲しいな」

壮絶に嫌な予感に顔を見合わせた直後、地震とは違う地響きが伝わってきた。
心なしか十字路の一つの通路の置くが赤い光を発しているように見えた。

「走れッ!」

ウォレスの率直な言葉に、ウォレス自身でさえ反応しきれていなかった。
頭では逃げなければ死ぬと解っていても、思考速度が過剰に早くなりすぎて体がついてこなかったのだ。
視界一杯に広がるのは、赤い光を放つ溶岩の土石流。
火に強かったはずの魔物が無残にも焼け死んでいく様を視界に納めながら、カーマイン達は溶岩の波に飲まれていった。

カーマイン達が溶岩の波に飲まれてからどれぐらいの時間がたったであろう。
押し流された溶岩がさらに洞窟の奥へと流され、残された溶岩が冷えて新しい石に生まれ変わった頃、彼らはまだそこにいた。
腰を抜かしたように地面に座り込んだ彼らは、誰一人として怪我をしていなかった。
そして一様に、なにが起こったのだという顔をしている。

「な、なにが……グロウ?」

「俺じゃねえ。ただ、大きな力が……」

呆然としながらも、立ち上がり洞窟の外へと足を進めた。
信じられないのだ、溶岩がまるで自分達を避けるように流れたあの光景が。

「とりあえず助かったのは、助かったことだけは間違いない」

ぽつりとウォレスが呟いたとき、再び洞窟内を地震が襲った。
それまでノロノロと出口へと向かっていた三人は、今度こそ慌てて走っていった。
そして丁度出口から出たところで、その洞窟は落石によって入り口がふさがれてしまう。

「な、なんだったんだ。一体……」

カーマインの消えぬ疑問に答えられる者は誰もいなかった。
何故なら他の二人も同じ疑問を抱いていたからだ。

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