第三十話 ミーシャの勉強


カチャリと音を立てて、中の様子を伺い、誰もいない事を確認してからルイセの部屋に入る影があった。
何かの本を持ったミーシャである。
これまた部屋の中から廊下を伺い、誰もいない事を確認してから、そっとドアを閉めた。
床に座り込んでルイセのベッドに背をもたれさせると、抱えていた本の表紙を見た。
そして、何故かガックリとうな垂れた。

「う〜〜〜、やっぱりやらなきゃダメだよねぇ」

とても嫌そうに見た本は、魔法学院の授業で使用している教科書であった。
授業が嫌で半ばルイセの家に転がり込んだのはいいが、かといってずっと逃げたままで入れると思うほど馬鹿ではない。

「でもこれ以上成績落として、おじ様に迷惑をかけるわけにも……」

ミーシャの言うおじ様とは、魔法学院の学院長の事である。
両親のいないミーシャの身元引受人であり、魔法学院の入学の道を示してくれた恩人でもある。
ミーシャにとっては成績の悪さよりも、そのことで学院長に迷惑をかけることの方が問題であった。
だから自主学習など似つかわしくない事を始めようと、寝泊りしているルイセの部屋にこっそりきたのだ。
何故こっそりかというと、成績が悪いのに努力するのが恥ずかしかったからだ。

「でも頑張らないと、いくわよミーシャ!」

過剰に気合を入れて教科書を開き、苦手な魔法の論理部分の読解を始める。
そして数分後……

「ん〜…………お兄様〜」

なんとも幸せそうな顔をして、眠りこけていた。
しかも両手で教科書を支えて船をこぐ形ではなく、ベッドに頭を置いて、顔に教科書を被せた格好でである。
半分自分から眠り込んだことは間違いなかった。
なんとも気持ち良さそうに眠るミーシャだが、少しずつ眠りから覚ます音が聞こえてきた。

「おい、ルイセ。いねーのか?」

グロウの声と、強めに叩かれるドアの音であった。

「おい、ルイセ!」

とうとう面倒になってグロウが踏み込んだのと、ミーシャが眼を覚ましたのは同時であった。
何やってるんだと冷たい視線をグロウから送られている事に、教科書を軽く持ち上げたミーシャが気付いた。

「ウワッ、ちょっと待って。今のは無しで、別に勉強なんてしてないですて。それに居眠りなんて!」

「見苦しい言い訳をするな」

「あっ!」

ひょいっとミーシャが顔に乗せていた教科書を奪い、その内容を見るグロウをミーシャが止めに掛かる。
すぐに奪い返す事には成功したが、内容がしっかりと見られてしまったようだ。
それでも一応、教科書を後ろに隠しながら、ミーシャが顔を赤くしていた。

「み、みました?」

「ああ、見た。お前なぁ……それって魔導の初等教育じゃねえか? 確かルイセが入学当初に読んでた教科書だぞ」

「う〜、だってアタシだとそれぐらい最初から……」

ますます恥ずかしそうに顔を赤らめたミーシャを見て、グロウはルイセのベッドに座ってその隣を手で叩いた。
その動作の意味が分からずに、ミーシャが首をかしげそうになると、言った。

「横に座れって言ってんだよ。寝たら起してやる」

「え……良いんですか?」

「良いも悪いもあるか。どうせルイセに教えるつもりできたんだ。あの馬鹿、自分から頼んでおいてどこ行ったんだか」

「教えるって、どうやってですか?」

ミーシャがグロウの言葉に違和感を感じたのは当然である。
ルイセはグローシアンであることを抜きにした、理論の方でもそうとう優秀な成績を上げているのだ。
そのルイセに教えることが出来ると言ったのだから、不思議がってもおかしくはない。

「あのなぁ……俺のお袋が誰だか考えても見ろ。魔法学院こそ行ってないが、俺はガキの頃からお袋に個人授業を受けてたんだぞ。贔屓もあるだろうが、魔法学院でも上位を狙えるって言われたぞ」

「う、羨ましい……宮廷魔術師の個人授業って」

もう半分の、「グロウさんが成績優秀って似合わない」という言葉は出さなくて正解であっただろう。

「羨ましがってないで、座れ。そんで読め」

再度グロウの座るベッドの隣を叩かれ、ミーシャは大人しく座って教科書を読み始めた。
そしてグロウは座っているだけのも暇だと、一度立ち上がって近くの本棚から適当な魔導書を取り出して読み始めた。
真剣に魔導書を読み始めたグロウを横目で盗み見て、ミーシャはその本の内容も盗み見た。
一行目ですぐに意味が分からなくなり、本当に成績優秀だったのかと再びグロウを盗み見た。

(あまりお兄様と似てないけど……黙ってれば結構格好良いんだけどなぁ。そう言えば、レティシア姫にも気に入られてたし)

「おい」

「ふぇ?」

ポケッと教科書を読まずにそんな事を考えていたミーシャを、グロウが睨む。
中途半端に口をあけてしまったミーシャに、グロウが軽い拳骨を落とす。

「痛ッた〜〜〜、なにするんですか」

「お前にはまだこっちは早い。大人しくそっちを読んでろ」

頭を押さえながらやや恨めしそうな視線をよこしつつ、これがなければとミーシャは先ほどの意見に付け足した。
見目はそこそこ良いのだが、口と手が出ることが決定的な欠点であった。
涙目になりながら片手で頭をさすり、もう片手で教科書を支えて、今度こそミーシャは教科書をちゃんと読み始めた。

だが初等の教科書と言えど、ミーシャにとっては一筋縄では行かなかったようだ。

眉間に皺を寄せ、ひらめきによって理解したかと顔を輝かせては、次の瞬間には眼をむいて教科書に顔を近づけていた。
だがそれも長くは続かなかった。
やがては、一人で読み始めた時と同じように、瞼の重みが増したように閉じ始めていた。
そのままではやがて船をこぎ始めたであろうが、グロウが先に言っておいた言葉を実行した。
頭と一緒に揺れるミーシャのお下げに手を伸ばし、躊躇なく引っ張ったのだ。

「痛い! イタタタタ、起きました! 起きましたから!」

「なら読め」

「分かりましたけど、もうちょっと優しく起してくださいよぉ」

ひーんっと悲鳴を上げたが、グロウには通じなかった。
あまつさえ、

「痛い思いをしたくなかったら、ちゃんと理解しながら読め。後でテストしてやるからな」

突然思いついたように、そのような事まで口走ったのだ。

「テ、テスト?! だっていきなり……」

「漠然と読むだけじゃ、効果は薄いからな。目的があってこそ、修学率も上がるもんだ。点が悪かったら……解ってるな?」

真面目な顔で何故か右手の指先をコキコキと鳴らしながら問われ、ミーシャは小さく悲鳴を上げた。
なんとなく、殺されると思いながら、慌てて教科書を開いた。
今度こそ恐怖によって眠ることなくしばらくミーシャが教科書を読みふけっていると、ふいにグロウが立ち上がった。
もしかして用を思い出してテストは無しかと、ミーシャは淡い希望を思い浮かべ始めた。
そのまま何も告げずにグロウが出て行ってしまった為、少し気を抜いてしまう。

「ミーシャ、いる?」

「お、お兄様?!」

だがしばらく後に何故か入れ替わるようにして入ってきたカーマインを前に、体中に無駄な力が入りまくった。
さらにミーシャが入る事を確認したカーマインが、先ほどまでグロウがいたベッドに座ったため、さらにコチコチに体が固まっていた。
グロウとも同じ距離で座っていたのだが、激しく反応が違うものである。

「ミーシャが頑張ってるから、グロウが手伝ってやれってね。もっとも、僕がミーシャの相手をしている間にテストを作るつもりみたいだけど」

にこやかにそう言われても、ミーシャはまったくうれしくなかった。
浮かれた気持ちを顔を激しく振って追い払うと、再び教科書とにらめっこを始める。
だがグロウとは違い、自分では何をするでもなくカーマインが自分の様子を見てくるため、かなり集中しにくかった。
しかも全く読み進んでいない理由を勘違いしたカーマインが、

「どうしたの? 分からない所でもあった?」

と、ミーシャが持つ教科書を覗き込んできたからたまらない。
ミーシャが読みやすい位置に持った教科書が読めるように覗けば、当然カーマインとミーシャの顔が近くなる。

「だ、大丈夫ですから。そんな。お兄様の手を煩わせるなんて!」

ズザッとベッドの上であとづさるミーシャを不思議そうに見て、カーマインが言った。

「そう? でも分からない事があったら、ちゃんと聞いてね? 魔法は使えないけれど、僕も一応グロウと同じ教育は母さんから受けてるからさ。大抵の事には答えられるつもりだよ」

「はい、その時にはぜひ。でも、今はいいです」

気持ちはありがたいのだが、逆に邪魔になってしまっているカーマインを申し訳なく、恨めしく思いつつミーシャは教科書を読むことを再開した。
さすがに何度も邪魔をするのは忍びないと、カーマインも先ほどのグロウのように、近くの本棚から適当な本を取って読み始めた。
横目でそれを確認したミーシャは、ようやく集中できるとほっとしていた。
だが邪魔というものは、次から次へとやってくるものである。
部屋が静かになって十五分もたっていないぐらいに、部屋のドアが開けられた。
グロウかと思い、ミーシャもカーマインも本から顔を上げたが違った。
何処へ行っていたのか、ルイセであった。

「あー! ミーシャずるい。それ教科書だよね、カーマインお兄ちゃんに教えてもらってたんだ!」

しかもドアを開けたまま、何度もずるいと繰り返す。
数週間前に、ミーシャにスリープを掛けてまでカーマインとデートしたとは思えない非難振りである。

「ルイセ、落ち着いて。ミーシャは勉強してるんだから」

「カーマインお兄ちゃん、ミーシャの味方なんだ!」

「味方って……そういう話じゃないと思うんだけど…………」

かなり理不尽な物言いに困った顔をしたカーマインだが、ミーシャはこれ幸いにと追い出しに掛かった。

「あのお兄様、私は一人で良いんでルイセちゃんをお願いします。これぐらい一人でできますから」

「でもなぁ……」

それでもカーマインが渋るのを見て、ルイセがさらに不満を募らせていた。
妹と妹の友人との間で板ばさみにあったカーマインだが、ひょっこり現れたグロウがルイセの首根っこを掴んだ事で助かった。

「あ、グロウお兄ちゃん、邪魔しないで! 私は今」

「邪魔はお前だ。何処行ったかと思えば、騒ぎやがって……来い、馬鹿」

「馬鹿はグロウお兄ちゃんだよ。もう! カーマインお兄ちゃんも、ミーシャも馬鹿ぁ!」

猫のように持ち上げられて運ばれていったルイセの最後の叫びであった。
結局終始、そのような感じであり、ミーシャの勉強がはかどる事は無かった。





「あの……グロウさん、あんまりはかどらなかったんですけど」

「邪魔が入ったのは認めるが、それはそれだ」

ついに一枚の紙を持って現れたグロウに、上目遣いで言ってみたミーシャだが無駄だった。
関係ないとばかりに、ミーシャをルイセの机に座らせると持っていたテスト用紙を置いた。
聞く耳を持たないというか、問答無用であるらしい。

「問題数そのものは多くないからな、一時間もあれば余裕だろう。始めろ」

「うぅ……わかりました」

今更ながらに、テストを受ける義務みたいなものがない気がしたが、断れる雰囲気でもない。
一応は勉強を手伝ってもらい、テストまで作ってもらったのだ。
断ったら、愚弄のことであるからあして、後が怖い。
まさに泣く泣くといった感じでミーシャはテスト用紙に向かった。

ざっと全体を見て、最初は簡単な単語問題から穴埋め問題へと続き、四択、説明問題となっていた。
グロウ自身がそういう問題形式でテストを受けていたかは不明だが、形的には見慣れたものであり、ミーシャは気合を入れなおした。
だが入れなおしたからと行ってスラスラ解けるものでもなく、う〜っと唸りながら一問ずつ解いていった。
それから一時間となる少し前になって、両手をあげてミーシャが言った。

「終わったぁ!」

どうも解き切ったことよりも、終わった事を喜んでいる台詞であったが、グロウは得に突っ込むことなく答案用紙を手に取った。
休んでいろとミーシャを机の前からどかせて、変わりに自分が机の前に座って採点を始める。
少しペンの動きがシューっと長く走るよりも、ピュっと鳴る事が多いが気のせいであろうか。
不安そうに、だが開放感にひたりながらボフッとミーシャがルイセのベッドに倒れこんだ。
さすがにそのまま寝入ってしまう事は無かったが、椅子に座ったグロウの背中を見る。

(グロウさんって変に面倒見がいいよね。やっぱりお兄ちゃんだからなのかなぁ)

そうは思っても、やはり口と手が出ることが欠点となって候補から外れてしまう。
何の候補からかは、ミーシャのみぞ知るというところだが。

「ま、こんな所か……想像以上なのか以下なのか」

「あ、採点終わったんですか?」

頭を欠きながら微妙な台詞を吐いたグロウに、ミーシャがベッドから身を起して問いかける。
あまり知りたいものでもないが、一応勉強した手前得点が気にもなるものだ。

「まず点から言うと、七十八点。悪くは無いが……初等の勉強でコレは良くないな」

「そんな、凄いじゃないですか?! 私七十点代なんてとったこと無いですってば!」

「だから、これは初等だろうが」

喜ぶミーシャに呆れてグロウが言い直すが、あまり聞こえてなさそうである。

「大体木曽の単語や穴埋めは出来てるが、後半の説明問題がなかなか見当違いな事書いてるぞ。知ってはいるが理解してないってことだ。もう教科書を読むよりは実践と実験をした方がよっぽどいいな」

「わ〜、グロウさん言ってることが先生みたいですよ」

「驚く所が違うだろうが」

かなり軽めの拳骨を落とし、叱る。
そんな所まで、少し先生が入っていた。

「さて、結果は七十八点だったわけで……最初に言ったとおり」

ポキポキとグロウの指が鳴った。

「ちょっ、なんでですか?! だって悪くないって言ったじゃないですか!」

「点数は悪くないが、問題のレベルを考えろ。十分に悪い!」

「そんなぁ……結構頑張ったのに」

「結果がついてこなけりゃ、一緒だ。とりあえず、後でどっさり宿題だしてやるからな。学院サボってこっちにいるんだ、これ以上授業についていけなくても困るだろう?」

その一言で、もしかして私の為にとちょっと喜んだミーシャは甘かった。
グロウの言う後になってから出された宿題の量に、頭痛がするほどであり、今すぐにでも学院に帰ろうかと思うほどであった。
しかもその宿題はグロウの目の前で、すぐに開始であり、逃げられなかった。
その日ミーシャの勉強はかなり夜遅くまで続けられた。

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