謁見の間で王座に座る壮齢の男は、目の前にひざまずくカーマインとルイセ、そしてウォレスを前にして静かに頷いた。 「そなたの頼み、しかと聞き届けた」 「ありがとうございます」 深々と頭を下げたサンドラであった。 その頼みとは、カーマインたちの仕官とゲヴェルの調査についてである。 まずはサンドラがゲヴェルの事を語り、その後で闘技大会に優勝した事を持ち出して王にカーマインたちを薦めたのだ。 「いやいや。闘技大会を優勝した腕前なら、近いうちにこちらから仕官の誘いをしたであろう。それが少しだけ早まっただけのことだ。では、早速仕事を頼みたい」 「は、なんなりと」 にこやかに言った王が続けた言葉に、ハッキリとした口調で答えられたのはウォレスだけであった。 王の前で極度の緊張を強いられて固まっているに近いカーマインとルイセに比べれば、その毅然とした余裕のある態度は栄えて見えた。 「実はもうすぐバーンシュタイン王国の王子が、王として即位する事になった」 バーンシュタインの王子と聞いて、カーマインとルイセが同時に思い出したのはあの少年であった。 エリオットと名乗った、お忍びでローランディアまで遊びにきていたかも知れない、気弱な印象を受ける少年であった。 そして、闘技大会でのリシャール殿下を思い出し、そのかもし出す威厳とのギャップに僅かに頭を捻った。 どちらが本当の姿なのかと。 「その戴冠式に我が国の姫が招かれている。そこでだ……お前たちにレティシア姫の護衛を頼みたいのだ」 カーマインとルイセの僅かな疑問に気付くはずもなく、王が少し振り返って前へと促したのは、今まで王座の脇に控えていたレティシア姫であった。 白に近い淡い桃色のドレスに身を包み、腰まで届く黄金の髪の上に白銀のティアラをのせている。 そんな整えられた格好とは裏腹に、柔らかく陽だまりのようににこりと笑った少女にカーマインは顔が赤くなるのを自覚した。 それに気付いたルイセが微妙に頬をふくらませていた為、ティピが仕方ないなとカーマインの顔を肘でつついて知らせる。 「鼻の下、伸びてるわよ」 「う、うるさいな。妙なこというなよ」 「む〜〜〜〜〜」 ぼそぼそと言い合うと、姫のほうが一歩カーマインたちに歩み寄り言葉をかけた。 「よろしくお願いしますわ」 先ほどの笑顔とは対照的に、整然とした声が響き、一瞬にしてカーマインの赤面は収まっていた。 その変化に心の中で首を捻っていたのはカーマインだけではなかった。 「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」 どもりながら返答してしまったルイセも、内心は同じであるようだった。 「行き先は南にある砦の先だ。そこで先方から、インペリアル・ナイツの騎士が出迎えに来る事になっている」 「バーンシュタイン王国のインペリアル・ナイツというと、有名なあの近衛騎士団でしょうか?」 「そうだ。彼らならば信頼に足る人物。お前たちには、彼らとの待ち合わせの場所までの護衛を頼みたい。もちろん戴冠式が終わり次第、同じ場所で待ち合わせ、再び姫の護衛を行う」 「了解しました」 ようやくカーマイン自身が王と直接口を聞いたのは、その返事だけであった。 それもまた経験不足故と、ウォレスは密かに含み笑いをし、これから慣れて行くかと思っていた。 さらに詳細なスケジュールや、護衛方法などは文官等から伝えられてから、カーマイン達はレティシア姫より先に、謁見の間を出た。 「さっそく大変な任務をもらっちゃったね」 謁見の間を出てすぐにそう言ったのはティピであった。 任務をもらった大変さよりも、ずっと静かにしていたせいで鬱憤がたまり、何か喋りたかっただけかもしれない。 レティシア姫とは城の入り口で再度荷物と共に落ち合う予定なので、歩きながらのお喋りは丁度良かった。 「そうだよね。いきなりお姫様の護衛だなんて」 「普通は新入りにこんな任務は回ってこないんだが、単に期待されているだけかそこはサンドラ様の子だからか。どちらにせよ、真っ当に任務をこなす事だ」 「七光りですか?」 不満そうな声をあげたカーマインだがウォレスは甘いと言う。 「俺はお前が必死に戦ってきたのを見てるからいいが、他人はそうはいかない。精々華々しく闘技大会で優勝し、仕官に抜擢された。っと思ったら、早速姫の護衛なんて重要任務だ」 「華々しくねぇ。実際はルイセちゃんのトルネードに吹き飛ばされたり、ゼノスに叩きのめされたり……ねえ?」 「思いださせないでよ! でも私は、その……か、格好良かったと思うよ?」 トルネードでカーマインを吹き飛ばした光景と感触を思い出し、ルイセは耳を塞いで頭をふった。 その後に恥ずかしそうにフォローした言葉は本心なのだろうが、話題がずれている。 カーマインはとりあえず、無難にありがとうとルイセの頭を撫でてやる。 「まあ、いつも通りにやれば大丈夫だ。それだけは間違いない」 そのいつも通りにやると言う事がどれだけ難しい事か、ウォレスはそれを知っているだけに気楽そうな声をだしてカーマインの肩を強く叩いた。 かなり痛かったようで、少し涙目になっていたカーマインは一旦深呼吸をしてから肩をコリコリとまわした。 気負って失敗するのは、フェザリアンの遺跡で一度経験済みである。 深呼吸で熱くなりかけている頭へ冷たい空気を送ると、一歩一歩冷静になるように念じながら歩いた。 謁見の間から城の入り口の門まで、そんな長い距離があるわけでもなく、カーマインたちがたどり着いてすぐにレティシア姫も現れた。 「お待たせしました。道中、頼みますね。さあ、出発いたしましょう」 そう言ったレティシア姫は、謁見の間で会った時と同じドレスであり、歩くごとにカツカツと音が鳴るのはヒールだからだろうか。 荷物を渡そうとした侍女もその事は解っているのか顔が引きつっていた。 どうやらスケジュールやお忍びの徒歩で向かうなどは決まっていたらしいが、その道中の格好までは官位を持つ誰もが考慮しなかったらしい。 誰かが考慮すると思ったのか、何かが当然で誰も考慮しなかったのかまでは分からない。 「グロウだったら……ハッキリ言ってくれるんだろうなぁ」 とりあえずカーマインは皆に目配せをしてから、寄る所があるとレティシア姫に告げた。 それはグロウとミーシャの待つ自宅であり、迎えに行くのと同時に、レティシア姫の格好をグロウの発言に任せる事にしたのだ。 「護衛ね。何考えてんだ馬鹿か。さっさと着替えよ」 やはり引き合わせて開口一番その事に突っ込んでくれた事にカーマインはほっとしながら、感謝した。 一部その発言に慌てているのは任務の内容に驚いているミーシャだろう。 グロウと同じく何故か持っているトランプを手に、バタバタと両手を振るたびに、トランプの札が床に散らばる。 「グロウさん、なんて事言うんですか。お姫様ですよ。すぐ捕まっちゃって、牢屋に入れられて、会えなくなっちゃいますよ!」 「え?! グロウ様、例えそうなったとしても、私はちゃんと面会に行きますからね!」 「あんたら思いっきり失礼よ、それ」 半眼でティピが突っ込んだ。 「そんなにこのドレスは変でしょうか? 変えのドレスなら、荷物の中に幾つか……」 素直なのかズレているのか、自分のドレスのすそを掴んで眺めるレティシア姫に、カーマインはやはり謁見の間での印象と違うと思っていた。 謁見の間や場内では整えられた雰囲気を纏っていたが、今は格好以外は普通の女の子にしか見えなかったからだ。 「レティシア姫、姫の格好は外では目立ち過ぎます。不満かも知れませんが」 着替えてくれと言う前に、何に着替えさせればいいのかとカーマインの言葉はそこで止まった。 一般的な目立たない服に着替えさせるにも、姫のバッグの中は恐らくドレスのみであろう。 「んなもんルイセの…………お袋の服を適当に借りればいいだろうが」 一々考え込むようなことかと、妙な間を持ってからグロウが言うが、本人が気にしないはずもなかった。 「む〜、なんでそこで変わるのよ、グロウお兄ちゃん!」 「皆の前で一から十まで説明して欲しいか?」 「う……レティシア姫、こちらに来てください。服を着替えてもらいます」 レティシア姫はグロウやカーマインと同じ十七であり、十四の、さらに成長の遅いルイセとは様々なサイズが違った。 そういった容赦ない言葉のとげがグロウから放たれる前に、ルイセは慌ててレティシアの手を引いて、サンドラの私室へと駆け込んでいった。 もちろんそれは謁見の間で僅かな時間とはいえレティシア姫相手に見とれていたカーマインの前で、比較されたくなかったからだ。 「あ、アタシも着替えるの手伝おうっと」 「あたしもちょっと、興味あるかな」 「それでは、私も」 さらに興味深そうに、ルイセとレティシア姫に続いてミーシャにティピ、そしてユニまでもがサンドラの私室へと入っていった。 その様子にウォレスはやれやれと肩をすくめて、独り言のようにつぶやく。 「ま、着替えてくれるなら何でも良い。ただし、インペリアル・ナイトに引き渡す直前には着替えさせる必要はあるな。他国に対する態度として、舐められるわけにはいかないだろう」 それが良いだろうと、ウォレスの言葉に頷く二人だが、妙な喜声が割って入る。 「お母さん、すごーい。なにこれ!」 ルイセの声なのだが、着替える服を探していたわけで、服が凄いのは分かるが、どう凄いのかは分からない。 そもそも凄い服とは何だろうと男の三人は、首を捻った。 「さすがにそれは、ちょっと……」 「レティシア姫、これなんてどう? 大人っぽい、って当たり前か。ルイセちゃんのお母さんの服だし」 「それもちょっと……」 レティシア姫の声がやや引いているようなのは気のせいなのか。 「なんていうか、統一感のない趣味ね。無難にこっちシャツとブレザー……あとスカートでいいんじゃないの?」 「「つまんなーい」」 「あんたらね」 「あの、ルイセ様にミーシャ様。見事に目的と手段を取り違えてらっしゃいますが」 頭が痛そうなティピの声と困り果てたユニの声が聞こえた。 その後も十分、二十分とサンドラの部屋から出てくる気配はなく、あれやこれやと声が尽きない。 カーマインは仕方がないなと苦笑し、ウォレスは渋面に、そしてグロウはこめかみが引きつっていた。 刻一刻と時間が無駄に過ぎていく中で、三人の様子も刻一刻と暗くなっていった。 「あいつら、たかが着替えに何時まで……」 「グロウ?」 「やるな、これは」 すでに床に座り込んでいたグロウがゆらりと立ち上がり、サンドラの私室のドアの前に立つと、一気に跳んだ。 その勢いのままサンドラの部屋のドアを蹴破り、踏み込んだ。 中では服が脱ぎ散らかされており、レティシア姫だけでなく、何故かルイセとミーシャも半裸であった。 さすがにティピとユニはサイズの問題もあっていつもの服だったが、当たり前のように喜声が悲鳴へと化けた。 「チンタラやってぶっ!」 「キ、キャー! グロウお兄ちゃんの馬鹿!」 「グロウさん、信じられない!」 ルイセらの半裸に眼もくれず怒鳴ろうとしたグロウに、化粧品か何かの瓶がぶち当たった。 次々とハンガーやら服やらと投げつけられる中、グロウはそれでもめげずに叫んだ。 「さっさと着替えろ!!」 そしてまた一つ、大きな家具がグロウめがけて飛んでいった。 「グロウ……相変わらず、得な性格だよね。僕にはできないよ」 「眼の見えない俺には、関係のない話だが……行きたきゃ、行って来いよ」 「それができたら、そうしてますよ」 「本当に、信じられません! 確かに時間をかけたこちらも悪かったですけど、聞いてますか、グロウ様!」 「あ〜、はいはい」 覗かれた女性たちの中で、一番最後まで怒っていたのはユニであった。 それもローザリアを出てから間も無くデリス村に着こうかというところまで歩いている今もなお、怒っている。 それはグロウが話し半分以下にさえ聞いているかどうか、怪しいからかもしれないが。 ちなみに一向はレティシア姫を中心に、後方がウォレス、最前列がグロウ、姫を守るようにルイセとミーシャ、そしてカーマインが傍にいた。 とは言うものの、ルイセやミーシャは得に護衛ではなくレティシア姫の話相手を勤めているようなものであった。 「私、王都から、城から出ることさえ稀で、今回の事はとても楽しみにしていました。外に出られるだけでなく、外の国にまでいけるなんて」 「え〜お城からも出られないなんて、抜け出したりとかしないの?」 「それは……周りの者が困りますから」 「でもこっそりならいいよね。私ならテレポートで何処にでも行って帰られるから、今度遊びにいきませんか?」 こちらはこちらで、グロウの、彼女らからすれば覗きを完璧に忘れたわけではないが、それよりもお喋りに夢中であった。 まだ多少姫だからと互いに遠慮は見えるが、その壁が取り除かれるのも先の話ではないだろう。 三人がお喋りに夢中になるなか、カーマインは歩く速度を落として、ウォレスまで歩み寄る。 「どうした?」 「どれぐらいのペースで歩けば良いのか、グランシルの南にある砦までひとまずは行かなければならないんですよね?」 「ローランディアとバーンシュタインの境となるラージン砦だ。そうだな、今日はデリス村を越えてブローニュ村まで歩けられれば良いほうだろう。もっとも、姫さんの体力次第でもあるが」 くいっとウォレスが顎でさしたレティシア姫は、正確な歳はわからないが、ルイセやミーシャよりも線が細く感じられた。 さっきの城からさえあまり出たことがないという話から、体力も知れているだろう。 下手をすれば、すぐそこのデリス村で一旦休憩となりかねない。 「でもまあ、いざとなればグランシルまではテレポートで行けるんだ。姫さんの興味が薄まれば、それでもいいだろう」 興味が薄まればと言われ、一体どういうことかとカーマインがレティシア姫を見た。 キョロキョロと挙動不審になる事はなかったが、それでも抑えきれない好奇心から、変に見えない程度に辺りを見ては小さく驚いたりしていた。 普通なら何をしているんだと不思議がるものだが、姫の事情が事情だ。 カーマインはあっさり納得し、護衛に戻り声をかける。 「レティシア姫、お疲れにはならないでしょうか? よろしければ、もうすぐ見えてくる村で小休憩を取りますが」 「いえ、その必要はありませんわ。踏みしめる大地の小石の一つ一つ、進む度に吹き抜ける風、木々のざわめき。どれも新鮮で、立ち止まるなんてもったいなくて」 「そうですか、ではこのまま進むとして、辛くなったら必ずおっしゃってくださいね」 最後に気兼ねなく疲れたと言ってくれる様に笑顔に切り替えるカーマイン。 反対に姫も礼を述べながら笑いかけると、微笑みあう二人が絵になるようで、 「ちょっとアンタ、あれ、あれ」 ちょいちょいとティピに服を引っ張られ、カーマインはリスのようにほっぺたを膨らませているルイセに気付く。 困った顔をしながらどう対処して良いか迷っていると、いつの間にか歩調を落として追い下がってきたグロウが、カーマインの尻を蹴り上げる。 「痛ッ、なにするんだよいきなり」 「交代だ。お前とルイセが前、行けよ」 そういうことかと、納得しルイセを呼んで少し前を先行していく。 もっともそんなぶっきらぼうな言葉の奥に秘められた本当の意味を組めたのは、カーマインとウォレスぐらいだろう。 カーマインに呼ばれて嬉しそうに着いていったルイセを見て、ようやくミーシャも言葉の意味を悟る。 「えっと……どういうことなのでしょうか?」 一人グロウの言葉を読みきれなかったレティシア姫が、首をかしげつつミーシャに尋ねる。 「見たままなんですけど、レティシア姫の前じゃお兄様も言い訳しにくいんじゃないかってグロウさんが」 そのまま説明してしまい、ポカリとミーシャはグロウに拳骨を落とされる。 「余計な事は言わんでいい。ちょっと蹴ってみたくなっただけだ」 「痛ったーい。グロウさん、素直じゃない。家でトランプしてる時も、ひねたカードの切り方するし!」 「性格が如実にゲームに出てますね。ミーシャ様は反対に、やろうとしている行動が筒抜けですが」 「酷いユニちゃん、私が単純だって言いたいの? そうだ、レティシア姫も今日休む前にゲームしません」 「え? ええ、もちろんいいですわ」 突然話をふられて、とっさに何も考えず了解の言葉を放ったことには理由があった。 レティシア姫は、素直じゃないと表現されたグロウを面白い人だと心の中だけで評していたのだ。 有る意味当然ではあるが、彼女のこれまでの人生の中に、グロウのようにひねた性格の人間が回りにいなかったからだ。 まして優しさを隠して荒っぽく振舞う者など、はじめて外の世界に出たレティシアの興味を引かないはずもなかった。
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