第二十四話　夢のなかの異形


「どうした？ まだローランディア王国の宮廷魔術師は、まだ生きているぞ」

薄暗い空間に、それ以上に暗く、蠢くような声が響いた。
段々と鮮明になっていくカーマインの視界の中に、その声を放った何か浮かび上がっていく。
それは異形であった。
一応は人型ではあるが、剥き出しの頭蓋骨のような顔は目元が側頭部にまで割れ、裂けた口には牙が何本も見え、さらには額と両側の頭部に鋭利な角が生えている。
どす黒い肌は棘を持った白い甲殻に覆われており、まるで鎧を着込んだようにも見えた。
カーマインは恐怖からおぼろげに感じる自分の体を、両腕で締め付けるように強く抱きしめた。

「申し訳ありません」

また別の声が聞こえたが、それは異形ではなく普通の人間の声であった。
そこでようやくカーマインにもこの薄暗い空間と異形の全体が見え始めていた。
異形は人の何倍もの大きさを誇り、その前にはあのサンドラを襲った白い鎧の騎士と、人並みの大きさの異形たちが並んでいた。

「もっとも、お前たちだけの責任ではないがな」

「は？」

また異形から漏れる声には失笑の様なものが含まれていた。
相変わらずその声にはカーマインを心の奥底から震え上がらせる何かがあり、カーマインの中で警告の早鐘が打ち鳴らされていた。
これ以上ここにいてはいけない、見てはいけないと早鐘が打ち鳴らされるが、そもそもカーマインに体がなかった。
体を捜せば視界に映る洞窟の岩の中に溶け込んでいるのか、体があるとは感じるのに動かせない。

「作戦を急ぐ必要があるか」

「では、我々はその準備にかかります」

「うむ。それにしても邪魔だなあの娘は……それにあれは、誰だ？ 奴の傍にいる、計画にいないはずのあれは何者だ？」

まるで人間のように異形の口から、今度は失笑ではなく、思案に暮れる声が漏れた。
一体この異形が何なのか、母を襲った男とどんな関係が、この小さな異形は子なのか。
早鐘が焦りを覚えさせる中、反面カーマインが冷静に考えている中で、ふと異形が斜め上を見上げた。
単に思案する中での何気ない仕草なのか。
次の瞬間、カーマインはその考えを全力で否定した。
牙の並ぶその口が醜悪に曲がり、裂かれたような目が嫌らしく細まりながら、カーマインを確かに見たのだ。

「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ！！」

もしこれが夢でなければ、カーマインは全身から血が出るほどに引っ掻き回していた事だろう。
カーマインが感じたのは、己の醜悪な部分を凝縮させたモノと相対したかのような、異形に対する嫌悪であった。





「やっと起きた！ 一体どうしたのよ。すごい叫び声だったわよ。隣のグロウまで聞こえてたんじゃないの？」

「…………ティピ、ここは。僕の部屋か」

眼をあけて真っ先に飛び込んできたティピの姿と、変わらぬ自分の部屋の光景にカーマインはあからさまにほっとして、額にたまった汗を腕でぬぐった。
べっとりとした汗にぬぐった腕の方が気持ち悪かったが、カーマインはそのまま上半身を起してもう一度安堵の息をついた。
その様子に、一体どんな悪夢を見たのかティピが心配そうにカーマインの顔を覗き込む。

「本当に大丈夫？ 変な夢でもみたの？」

「変な……うん、すごく変な夢だった。すごく大きな怪物が、あの母さんを襲った白い鎧の男たちに命令してたんだ」

「怪物が命令？ ただの夢って気休めを言ってあげたいけど、アンタの夢だもんね。一応マスターに相談した方がよさそうね」

ティピの遠慮のない意見に相槌をうちながら、カーマインは再びあの夢を正確に思い出した。
確かにあの時、怪物はカーマインを意識して眼を合わせてきた。
それは一体どういうことなのか。
より一層深刻な顔になっていくカーマインだが、ふと顔を上げると、部屋の入り口に枕を片手に睨みつけてくるグロウを発見した。

「ほら、やっぱり隣まで聞こえてたんじゃない」

「……グロウ？」

こちらはこちらで、かなり深刻そうに顔に影を落としながら、その手の枕を持ち上げて、投げつけてきた。
寸分たがわず、その枕がカーマインの顔にうずくまる様にヒットする。

「朝っぱらから、うるせぇ！ 男のくせに俺を起こしやがって、覚悟は出来てんだろうな！」

「わっ、なにコイツ。なんでこんなにキレてんの？！」

「なんだか知らないけど、昔からこうなんだよ。グロウ、とりあえず話を、ブッ！」

カーマインの弁解は、グロウのフライングクロスチョップによって見事に止められた。
その勢いのままグロウはカーマインを再度ベッドに押し倒し、押しつぶす。

「痛ィ、重い！ グロウ、とにかく落ちつい痛ェ」

「お前こそこの腕どけ……んだこら、どうなってんだ！」

後先考えずに行動に及んだため、腕やら足やら、どっちがどっちなのかベッドの上でもみ合うしかなくなっている。

「あ〜ぁ、なにやってんだか。もう、朝から騒いでるとマスター…………が？」

相変わらずどうやって起き上がれば良いのかわからず騒ぎ続ける二人を前に、ティピがとある気配を感じて振り返る。
そこには同じく起きてきたユニと起こしにきたルイセのほかに、にこやかだが笑っているとは言いがたいサンドラがいた。
その手が何故か強く握られており、拳をつくられていたが、それをどう使うかは簡単に予想がついた。
均等に、二人分だけ奮われたのだ。





「なるほど、つまりあの白い鎧の男達が怪物に命令されている所を夢にみたのですね？ それで叫び声をあげて、ああなったと」

一階のリビングに皆が、ミーシャとウォレスまでもを集めて件の事情が、時々痛みに顔をしかめるカーマインの口から話された。
その頭には端から見て分かるほどに大きなたんこぶができていた。
グロウも同じようなものだが、出来るだけ痛みを顔に出さないように仏頂面でそっぽを向いていた。
だがその耳だけはしっかりと話に傾けられていた。

「気になるのはその夢の怪物ですね。得に白い鎧の男達に命令していたというのが……貴方の夢は特別ですから」

「カーマイン、少しいいか？」

夢の内容に興味を引かれたのか、くだらない喧嘩については黙っていたウォレスが思案顔で尋ねる。

「その怪物の雰囲気や様子、どんな格好か教えてくれないか？」

「ちょっと待って、確か……人の頭蓋骨の眼を切れ長に裂いて、角と牙をそろえた凶悪な顔。体は人の何倍も大きくて、白い棘の様なものが付いた鎧か甲殻をまとって、その隙間からどす黒い滑った様な肌が見えてた」

「その怪物が白い鎧の男達と関係があるか」

カーマインの詳細で細かい説明に、ウォレスの眉間には皺が集まっていた。
だがそれは想像できなかった類の者とは違い、明らかに覚えがあるといった顔であった。
その事にグロウが密かに顔をしかめる。

「ちょっと聞いてくれ。俺が昔、傭兵団に入っていて、水晶鉱山の警備をしていたことは話したな？」

「たしか、化け物が暴れて、って話だったよね？」

「ああ。その化け物だが、似ているように思えるんだ」

確認するように言ったルイセの後に続いたウォレスの言葉を、最初は誰も前後の話で結びつける事が出来なかった。
ハッと一番最初に言葉の意味を理解したのはサンドラであった。

「この子が夢でみた異形にですか？」

「そうです。そして隊長は奴を追って行方不明となった。その隊長を探していた俺の前に立ちはだかり、俺の腕と眼を奪ったのは白い鎧の男たち……」

「白い鎧の男たち？ それじゃ、マスターを襲った白い鎧の男たちって？」

「間違いないですね。符合があいすぎます」

信じられないとティピが呟くが、ユニが確信めいて結論付ける。

「この間戦ったとき、似ていると思ったよ。俺はこの通り、シルエットしか見えねぇが、あんな刺々しい形をしてりゃ、すぐに分かるぜ。話を聞く限りじゃ、同じ連中のようだな」

もはやそっぽを向いていたグロウでさえも、知らぬふりが出来ない話になってきていた。
解っていることだけでも、ウォレスの命と、サンドラの命が狙われた事になるのだ。
そして、二人とも今ここにいる事が単なる幸運の代物と言うのは、ウォレスの現在の姿があらわしていた。
それが怪物という得体の知れない者の下での行いであるとなると、なにか企んでいると考えるのが普通である。

「……お母さん」

「夢に出てきた異形について少々心当たりがあります」

心配そうに母を見上げたルイセに対し、サンドラは決心したように呟いた。

「なんだって？ サンドラ様、詳しく教えてくれ！」

「母さん、僕も知りたい。僕自身、アレが単なる夢なんて思えない。もしもあの怪物が人の命を簡単に奪うような存在であれば、放っておけない」

心当たりがあるといえば、正義感の強いカーマインが知りたいと言い出すことは、ウォレスがそう言いだすのと同じように分かりきっていた。
だから出来ればできれば黙っていて、後々内密に国王と話して調査したいと思っていた。
サンドラが親としてそう思うのも仕方がないのだが、黙っていたいと思いながら決心して話したのには理由があった。
自らが占いによって導き出した答えである。
光と闇、相反する結果であっても、カーマインとグロウの二人ならば、化け物を倒す光となると半ば確信しての事だ。

「あくまでも伝承に残るだけなのですが……昔、グローシアンが人間を支配していた時代に人を襲うゲヴェルという怪物が現れたそうです」

「それで、その怪物はどうなったの？」

「伝承では、数人のグローシアンがゲヴェルと戦ったそうです。詳しい事は分かりませんが、それ以降ゲヴェルも当時いたグローシアンもいなくなったそうです。もし夢でみた異形がゲヴェルだったら……」

ティピの相槌の後、曖昧な結末を語りながらも、サンドラはカーマインの夢の化け物を確定付ける。

「くっ！ 調べてみたいのはやまやまだが、この体じゃ……」

「それに、その怪物の姿を知っているのは、夢を見たお兄様だけじゃ……」

「調べるにしても、水晶鉱山はバーンシュタイン王国にあるんだよ？ 前の通行証じゃ、コムスプリングスまでしか行けないし、もう期限切れだし」

「水晶鉱山だけじゃない。仮に他国にそのゲヴェルがいたとして、今の僕らにはそこに行く事さえできない」

悔しげに義手をギリギリと握り締めるウォレスやカーマインを見て、サンドラが落ち着き払い言った。

「方法はあります。貴方たちは闘技大会で優勝したんですね？ その実力なら、我が国に仕官できるでしょう。そうすれば公務として他国に行くチャンスがもらえるかも知れません」

「ちょっと待て！」

チャンスと聞いて喜色に変わっていく皆の顔を見て、声を上げて止めたのはグロウであった。
いつの間にか化け物の正体から、化け物そのものを探し出す話に移り変わっていた為にとめたのだ。
その顔は間違いなく、怒っているようにも見えた。

「なんでお前らが、カーマインが調べる必要があるんだ。過去の伝承に出てくるような化け物なら、お袋が国に要請して調査。その後に軍隊でもなんでも投入すりゃいいだろ！」

「グ、グロウ様、急にどうしたのですか？！」

「お前は黙ってろ。お袋もお袋だ。なんで進んで危険にさらそうとするんだ」

「危険にさらすつもりはありません。カーマインがゲヴェルを夢に見た理由はわかりませんが、いずれ関わって行く事にはなるでしょう。ならば中途半端な気持ちで巻き込まれるよりは、カーマインの気持ちを優先させるまでです」

サンドラの言葉は、凛として揺るぐものはなかった。
その内容も確かに危険を理解しつつカーマインの気持ちを優先させ、グロウのように一方的な考え方ではない。
グロウは単に危険な行為だからと、相手の意向を無視して止めさせようとしているのだ。
その事に気付かされてくっと呻いて皆に背中を見せてる。

「勝手にしろ！」

「グロウ様、お待ちください」

捨て台詞を残して部屋を出ると、階段を踏み抜くような音を立てて二階へと上がっていく足音が聞こえた。
その後を不安げにユニがついていく。

「びっくりしたぁ。グロウのやつ、なに急に怒りだしたの？」

「あの子なりに、心配しているのでしょう。確かに、ゲヴェルを調べるとなるとそれなりの危険は生じるでしょうし」

「その良い例が俺だ。みろ、この体を」

自虐めいてはいないが、ウォレスが義手の手で自らの目を指差した。
それだけ危険であり、決断をその場の勢いで決める事はないと、カーマインに示している。

「カーマインお兄ちゃん、どうするの？」

「それでも、僕は……ゲヴェルを調べたい。母さんの言ったとおり、必ずいつかゲヴェルと向かい合う日が来ると思うんだ。その時に、ゲヴェルに負けないように、調べながら強くもなりたい」

「お兄様は十分強いんじゃ……闘技大会で優勝したぐらいですし」

「いや、俺が五体満足のときは今のカーマインの何倍も強かった。だが、ほとんど一瞬で眼と腕を奪われた。正直、話にならないだろう」

何倍も強かったと言うのは決して誇張ではないと、誰も疑わなかった。
あのジュリアンでさえ、ウォレスに尊敬の眼差しをときに向け、当時のウォレスと戦いを望むほどであったからだ。
それだけ危険だと言われても、カーマインの決意は変わらなかった。

「だったら、なおさら今よりも強く。ウォレスさんよりも、ジュリアンよりも。誰よりも」

「カーマイン、貴方の気持ちは良くわかりました。王に貴方を紹介しましょう。ただし」

「解ってる。少し、グロウと二人で話してくるよ」





「グロウ様がカーマイン様を心配するのも分かりますが……少しはカーマイン様を信じてあげてもいいのではないでしょうか？」

不貞寝をするようにベッドに寝転がるグロウの背中から、ユニが声をかける。
だがグロウは得に反応することなく、聞こえるか聞こえないかギリギリの声で言う。

「うるせぇ、別に心配なんかしてねえよ」

「またそのような事を」

本当に、グロウが感じているのは心配ではなく、不安であった。
前にも一度、こんな不安を感じた事があった。
初めて王都の外に出た、あの日。

「グロウ、入るよ？」

その不安の当人が部屋に入ってきたことで、さすがにグロウは不貞寝を止めて体を起こしてベッドに座る。

「なんだよ」

「ちょっとね。ユニ、悪いんだけど下に行っててくれないか？ グロウと二人で話があるんだ」

「え、でも……」

「いいから、下に行ってろ」

カーマインのお願いに、一時迷いを見せたユニだが、グロウもそう言った事で何度も振り返りながら部屋を出て行った。
ユニが出て行ったドアを閉め、カーマインもグロウの横に座る。

「本当に、仕官してまでゲヴェルって化け物を探すつもりなのか？ それだけじゃない。仕官するって事は、仮に戦争があれば誰かを殺しに行くってことだぞ」

「うん、わかってる。それでも行くつもりだよ」

「お前が仕官すればルイセもするって事だろう。ルイセを巻き込んでもか？」

さすがにそれを答えるには間があったが、それでも一瞬と言えるほどであった。

「大丈夫、ルイセは僕が守るから」

静かに言いきったカーマインに、グロウもそこまで決心が付いているのならと、少し心が動いた。
だが、次に続いたカーマインの言葉に、とどめられる。

「ただ……さっき、母さん達には話さなかったことがあるんだ。ゲヴェルの夢を見たとき、確かにゲヴェルと僕の眼があった。それでゲヴェルが笑ったんだ。ゲヴェルは……僕の事を知ってる」

確信めいたその告白は、グロウに再びあの日の事を思い出させていた。
人外の、化け物のような力を見せ付けて、月のある空を跳んだカーマインの姿である。
夢で見たゲヴェルと眼が合ったなどと聞かせられれば、何かしら繋がりがあると見て間違いないだろう。
そう、グロウが感じていた不安はそこにあったのだ。

「だから、僕に何かあったら……ルイセを」

「ふざけんな。てめえは、たった今自分が守ると言ったばかりだろうが！」

気が付けば、グロウは立ち上がってカーマインの胸倉を掴んでいた。

「そんな中途半端な気持ちなら、最初からゲヴェルなんて放っておけばいいんだよ！ それに、光はお前だ！」

「ひかり？」

「そうだ、お前は光でいなくちゃいけないんだよ。そうでなけりゃ、俺が……」

言葉に詰まったグロウは胸倉を掴んだ手を離し、カーマインに背を向ける。
怒りよりも不思議な切なさが胸に詰まり、今の顔を見られたくなかった。

「とにかく二度と言うな。言ったら殴るだけじゃ済まさねえぞ。それが解ったら、さっさと仕官でもなんでもして来い！」

「ごめん、グロウ。そうだよね。もう一度言うよ。ルイセは僕が絶対に守るから、それだけは間違いない」

「その言葉、忘れるなよ。行ってこいよ、城に。士官はしねえが、俺もゲヴェル探しについて行ってやるよ」

ありがとうと言葉を残して、カーマインは部屋を出て行った。
それを気配と音で確認すると、グロウはベッドにその身を投げ出した。
ゲヴェルとカーマインのつながり、もし本当にそんなものがあるとしたのなら。

「俺がゲヴェルを殺す」

天井へと右手を伸ばし見えない相手を握りつぶす。
そして呟いて、忘れる事の出来ない決心をまた一つ、心に刻み始めた。

前 目次 次