第二十三話 兄とのデート?


今日のルイセは一言で、ご機嫌であった。
歩けばその足取りは軽やかで、宙を歩いているかの様であり、柔らかな風が吹けば、その風に乗せて鼻歌が唇からもれた。
何故そこまでご機嫌であったのか、グロウが毒から完治したのはすでに三日も前の事である。
理由は別にあった。

「ふふ〜ん、早く昼にならないかなぁ」

家の廊下を歩きながら、窓から見える太陽を見上げて呟いた。
だがじっと見つめていても遅々として動いてくれない太陽を少し恨めしく思い、やがて自分の部屋へと向かっていく。
ガラリと引き戸を引いて開いた部屋では、ここ数日居候を決め込んでいたミーシャが雑誌を前に寝転んでいた。

「も〜お行儀が悪いよミーシャ」

「あは〜、ごめんごめん。……? どうしたのルイセちゃん、なにかあったの?」

注意されてすぐに起き上がって座りなおすと、ふいに首をかしげながらミーシャが問いかけた。

「え、なんで?」

「だって……すごく嬉しそうだから、良いことあったのかなって」

「そ、そんな事ないよ。私はいつも通りだよ、ほら」

取り繕うように腕を曲げて、有るか無いか解らないほどに小さな力こぶを作って見せたルイセは、心の中で落ち着けと自分に言い聞かせていた。
ミーシャに機嫌がよい理由がばれれば、とある用事について来ると言う事は解っていたからだ。
さすがに親友でもここは譲れない所である。

「あ、そうだ。ミーシャ、今日は私ちょっと用事があって昼から付き合えないから」

「えー……あ、まさか機嫌の良い理由ってお兄様とデートじゃ」

「え?!」

もちろんミーシャは冗談のつもりであったが、ルイセに図星を指されながら平気で嘘をつけるはずも無かった。

「な、なにを言っ言ってるのよミーシャ。わた、わた、私がカーマインお兄ちゃんとで、デートだなんて」

言葉を詰まらせ、顔を赤らめながら否定しては、肯定しているのと同じである。

「る〜い〜せ〜ちゃ〜〜ん? 抜け駆けは許さないわよぉ」

じりじりと追い詰めるように問い詰めながら、立ちあがったミーシャがルイセとの間合いを詰めていく。
力ずく(くすぐり)で来られてはルイセに勝ち目はない。
ならば勝てる方法を選ぶしかないと、両手をミーシャに向けて叫ぶ。

「彼の者を永遠の眠りに誘え、スリープ!」

「え……ルイ、セちゃ…………ん」

決断さえしてしまえば、ルイセの行動は早かった。
眠りに落ちて、ガコンと床で頭を打ったミーシャをベッドに寝かせ、念の為にともう三度ほどスリープをかけておいた。

「ごめんね、ミーシャ。帰りにミーシャの好きなお菓子を買ってくるから」

それで許されると思う辺りかなり甘いのだが、床に頭をぶつけたミーシャがこの事を覚えている可能性がまず少ないだろう。
ルイセはそろそろ準備をとクローゼットを開けて、今日着て行く服を選び始めた。
そう、ミーシャが言い当てた通り、今日はカーマインと待ち合わせてのデートであった。
厳密には、闘技大会のあった日にグランシルで無理矢理とりつけた約束ではあるが、ルイセにとってはデートであった。
そのため、待ち合わせに指定した時間が訪れるギリギリまで、服を、アクセサリを、念入りに選んでいった。





太陽が真上に来る頃には、ルイセは家を出て待ち合わせのカフェへと向かっていた。
一緒に住んでいるのだから一緒に家を出ればよかったのだが、そこはルイセが譲らなかったのだ。
もうすでに心がありえないほどに舞い上がり、自分の足がとてつもなく遅く感じられた。
少しでも早く待ち合わせ場所に行って一分一秒でも長くデートの時間を長くしたいのにと、あまり速くない自分の足が恨めしく思えたほどである。
だがようやく走る通りの先にカフェが見え、ティーカップを傾けるカーマインが視界に見えた。
そして、カーマインも走ってくるルイセに気がついて、その手を軽く振る。

「あ、ルイセ。こっちこっち」

「カ、カーマインお兄ちゃん」

一番最初になんて言おうか、ルイセはグルグルと台詞を数多の中で選びはじめる。
着てきた白いワンピースについて似合うか聞くか、何処へ行くかと尋ねるのか。
それとも、選べぬまますぐそこにまでカーマインのが近づいた時、いてはならぬ者が見えてしまった。

「あ、やっと来たの? そりゃ、念入りに準備したのはわかるけど、時間ギリギリよ」

カーマインの直ぐ横で両手を腰に当てて、注意してきたティピであった。
ルイセはすっかりこのお目付け役であるティピの事を忘れていたため、足が危うくつまずきかけた。

「ちょっと、ルイセ大丈夫かい? ほら、ちゃんと立って」

つまずきかけた所を救い上げてくれたのはカーマインであったが、ルイセの視線はティピへと向いていた。

「カーマインお兄ちゃん、ティピが……なんで?」

信じられないという顔つきのルイセに答えたのは、そのティピであった。

「なんでって、ルイセちゃんは忘れてるかもしれないけど、デリス村でコイツがなんでも買ってくれるって約束したもの。それで今日ルイセちゃんと買い物にいくから、ついでに来たらってね」

そう言ってティピが指差したのはカーマインであり、つまり、カーマインがティピを誘ったのである。
本当に信じられないとルイセは精一杯カーマインを睨みつけたが、首を傾げさせることしかできなかった。
きっぱりとカーマインは何が悪かったのか、そもそも睨まれている事にさえ気付いていない。

「どうしたの、ルイセ?」

真顔で聞いてくるカーマインに、このまま泣いて困らせてみたいとまで思ったルイセだが、救いの手は意外なところから差し伸べられた。

「はぁ…………もう、わかったわよ。しっかりやるのよ、ルイセちゃん。あと、後でなんか奢る事。いいわね!」

「うん、うん。いくらでも、有難うティピ!」

「え? なにが……ちょっとティピ何処に行くんだよ。もう、勝手なんだから」

二人だけの間で成り立つ会話の後、飛んで行ってしまったティピへとカーマインが手を伸ばすが振り返りもしなかった。
全く要領を得ない様子のカーマインだが、機嫌を直したようにテーブルにルイセが座りなおしたので、頭を切り替えていた。
とりあえず、ティピを抜いて二人で買い物に出かける事だけは解ったからだ。

「ルイセもお昼まだだろ? なにか軽く食べてから行こうか。何か食べたいもの有る?」

「うん、えっとね……」

お互い認識に大きな開きがあるものの、ようやくスタートしたデート。
仲良くメニューの厚紙を見ている二人を去ったはずのティピが物陰に隠れて見ていた。
まるで監視するようで怪しい事この上ないが、体の小ささが幸いして誰にも気付かれていない。

「マスター、予定通り私が隠れて後を追うBプランになりそうです」

一人でぼそぼそと呟くと、ティピの頭の中だけにサンドラの声が響く。

『やはりBですか。では予定通りに……』

「あのマスター、これってあたしとユニに新しく加えたテレパシー能力の実験テスト、ですよね?」

『そんなのは建前に決まっているでしょう! 貴方の使命は二人を見失わずに、状況を詳しく報告する事。』

「は〜い、解りました」

本音を言ったのだから、回りくどい事を言わずにおけばいいのにと思いながら、ティピの返事はおざなりであった。
それもそのはずで、ティピの視線の先には、運ばれてきたパスタをフォークですくい、イタズラ半分でカーマインに食べさせようと口を開けさせようとするルイセがいた。
カーマインは妹にそうされる恥ずかしさからなんとしても断りたそうな顔をしているが、そうするとルイセが泣きそうになったので仕方なく口をあけていた。
ティピははっきりと背中に痒い者を感じながら、こう評した。

「あ〜、なんだかものすごく紙切れを切り刻みたい気分」





元々ルイセの食は細いので、食べ終わったのはかなり時間が経った後であった。
それからようやく、食後のコーヒーを前にして二人は何処へ何を買いに行くかを相談しはじめた。

「何から見て回ろうか。ルイセはなにか欲しいものがあるの?」

尋ねられてもと一瞬、ルイセは言葉に詰まってしまった。
いつの間にか、欲しい物を買いにいくのではなく、カーマインと買い物をする事が目的へとすり変わってしまっていたからだ。
すっかりその事が頭から抜け落ちてしまっていた。

「あ、あの。えっと……髪飾り。うん、新しい髪飾りが欲しい、かな?」

「髪飾りか。それじゃあ」

無難な答えを得に疑う事も無く納得したカーマインは、カフェから見える幾通りの通りを眺めた。
生活用品を主に売る通りから、武器防具等の冒険者用の売り物が中心の通り、書籍を中心に売る通り。
何処が一番良いかと眺める中で、雑踏の中を歩く二人組みに目が留まった。
武具を主に売る通りを歩くグロウと、ここ数日ミーシャ同様に居候を続けているウォレスであった。

「あ、グロウとウォレスさんだ」

「え?!」

また邪魔が入りそうな予感に嫌そうな声がルイセから漏れたが、もう一人似たような声を上げた小さな影があった。
物陰に隠れていたティピである。
デートなどとこれっぽちも思っていないカーマインが、二人を呼び止める事は容易に想像できた。

「マスター、グロウとウォレスさんがいます。下手をすると合流しちゃいますよ。どうしますか?」

『仕方有りません。二人の位置を正確に伝えなさい。狙撃して追い払います』

「狙撃って、マスター今どちらなんですか?」

『いいから正確な位置を!』

一体サンドラは何処にいるのかと訝りながらも、ティピはグロウとウォレスの位置を正確に伝えた。

「グルエン通りを南の入り口から約三十メートル。そのまま南の入り口まで歩いています」

最後の「す」を良い終えた途端、件のグルエン通りの一角に光の矢が空から突き刺さっていた。
ドーンと言う大きな音と砂煙が舞い上がり、なにも知らぬ市民の悲鳴がこだまする。
煙がはれた頃には通りに突如生まれた穴の中心に、全身に傷を受けた二人の男が倒れていた。
確かに道がえぐれた分だけ、カーマインの視界から消えたが、サンドラは一つ間違いを犯していた。

「な、何が起こったの?」

「わからない。けど、さっきのにグロウとウォレスさんが巻き込まれたかも、行こう、ルイセ!」

カーマインの正義感である。
悲鳴を聞いて、そのまま素通りできる性格であるはずがないのだ。
ずばりその通りにティピの目の前で、ルイセ手を引いてグルエン通りまで走っていくカーマインがいる。

「マ、マスター?! アイツ自分から行っちゃいましたよ!」

『そう言えば、グロウにはユニが着いてるのですから、それとなく誘導させればよかったですね』

「暢気に言ってないでください!」

そうティピが突っ込んでいる間にも、カーマインとルイセはグロウとウォレスが倒れる穴にたどりついていた。
隠れながらであはあるが、慌ててティピも追いかけると、穴の周りをグルリと野次馬が囲んでおり、倒れる二人のすぐ傍には心配そうに顔を曇らせるユニがいた。
いきなりの惨劇に何をどうしてよいのか分からないようで、野次馬の中から顔を見せたカーマインとルイセにすがりつく。

「カーマイン様、それにルイセ様も。お助けください」

「ユニ、一体なにがあったんだい!」

「それが急に何かが光ったと思ったらこの通りで、私にもさっぱ………………さっぱりです!」

妙な間があったのは、ようやくユニにもサンドラからのテレパシーが届いたからだ。
しかも今更ながらにグロウとウォレスを遠ざけろと無理な注文まで入っていた。

「兎に角治療を。ルイセ、ウォレスさんとグロウにキュアをかけてあげてくれ」

「うん……わかった。癒しの力よ、キュア」

心の中ではデートが台無しになりそうな気配に、心で泣きながらも、ルイセは二人の傷を治し始めた。

「マジックアローだったな。しかも大怪我をしない程度に手加減をした。かなりの手誰だ」

「ああ、この痛みは覚えがあるぞ。きっぱりとな」

ルイセの回復魔法が効き出して、二人はやがて地面に別れを告げて体を起こした。
そしてグロウは犯人に心当たりがあるように、冷や汗を流しながら飛んでいたユニを握るようにして素早く捕まえた。

「ひゃっ、あの……グロウ様」

「グロウ、乱暴しちゃダメだよ。それにまだ傷が」

「やかましい。俺はやられたら、必ずやりかえす。確かテレパシーでお袋と繋がるようになったって言ったよな。それは俺の声も届くのか?」

心配したカーマインの言葉を欠片も聞かずに、ユニに確認を取る。

「直接は無理ですが、私が聞いたことをそのままお伝えすることはでき」

「周りの迷惑ぐらい考えろ。これだからおばさんは」

その悪意ある一言で、カーマインもこの仕業が誰の者であるのかを理解した。
もっともそうした理由までは、分からなかったが。

そして伝えてはいけない悪意ある言葉を、ユニはしっかりと頭に思い浮かべてサンドラへと送ってしまっていた。
その後、刹那の間をも持たずに、まずユニを掴むグロウの腕に、何処からか飛んできた光の矢が寸分たがわず当たった。
痛みにユニを手放してしまうと、コレで心配いらぬとばかりに光の矢の雨がグロウを中心に降り始めた。

「うおぉぉぉぉぉぉ! だから迷惑を!」

「ちょっと待て、なんで俺まで。俺はなにも言ってないだろう! 良くわからんが早く謝れ、グロウ」

「死んでも謝るくわ!」

止まっていては良い的だと、二人が走って逃げたのがまずかった。
ここは家ではなく、人が大勢いる往来なのだ。

「お二人とも、走り回らないでください。一般の方々が!」

ユニの言う通り、巻き込まれたのはグロウの近くにいたウォレスだけではない。
危うい所でカーマインはルイセを庇って避難したが、回りの野次馬にそこまでの機敏な行動を強制するのは無理な話であった。
さすがにマジックアローが当たってしまう様なことは無かったが、グルエン通りに次々に拳大の穴ぼこがうまれていった。
グロウとついでに狙われたウォレスがグルエン通りを真っ直ぐ逃げて行った為に、その被害は確実に広がっていく。

「あうぅ……せっかくのお出かけが。カーマインお兄ちゃん、一体なにがどうなってるの?」

「う〜ん、良くわからないけど……」

グロウから遠ざかるように安全地帯へと逃がしてもらえたルイセは、肩を落としながら尋ねる。
カーマインは言葉を濁したものの、サンドラの管轄である王宮の一番高い塔の窓を見つめていた。
光の矢はそこから何本も放たれており、狙撃者、おそらくサンドラがそこに居るのには間違いなかった。

「多少の怪我はしても、大怪我だけはしないかな。気にしないで買い物を……ん?」

「なんか、グロウお兄ちゃんが戻ってきてない?」

気にせず買い物を続けようかと言おうとしたカーマインだが、ルイセの言うとおりの光景を見て言葉を留めていた。
今もなお狙撃され続けているグロウとウォレスが、反転して戻ってきたのだ。
それは良いとして、なぜかカーマインとルイセ目掛けて走ってきているようにも見えた。

「ちょっと、まずいわよ! ユニから逃げてくださいってテレパシーが。グロウの奴、理由を知ってアンタたちを巻き込む気よ!」

「ティピ、一体どこから。それに理由って……ルイセ、ごめん。ちょっと我慢して」

「へ?」

いきなり現れたティピが言った台詞に、カーマインははっとしてルイセを抱え込んだ。
いわゆるお姫様だっこをして走り出したのだ。
その直後に、マジックアローの嵐から逃げ回るグロウの叫びが届く。

「おいカーマイン逃げるな! お前らを盾にすりゃ、攻撃を受けずにお袋のところまで行けるんだよ!」

「だから逃げてるんだよ! 僕とルイセを盾にするなんて最低、最悪だよグロウ!」

「勝てばいいんだよ勝てば。頭下げるぐらいなら、俺は後ろ指をさされる方を選ぶ!」

「本当に最悪だな。俺はコイツの何処に隊長と同じものを感じたんだか」

ウォレスが溜息を着く間も、マジックアローの雨は収まるどころか、激しさを増していた。
一粒一粒が強力な雨を前に、カーマインたちが悲鳴を上げながら逃げる中で、一人だけ幸せに埋もれる者がいた。
とっさの事とはいえ、カーマインに抱かれる事となったルイセであった。
その目は後ろから迫る破壊音を無視してトロンと垂れて、有る意味良い度胸であった。
結局マジックアローの雨が止んだのは家の中に逃げ込んでからであり、誰もが疲労で口を開けることも出来ずにいた。
その中で唯一元気だったルイセだけが、こう言った。

「カーマインお兄ちゃん、結局買い物できなかったし……また、一緒にいこうね」

「え?! ……あはは、時間が取れたらね」

また誰かの邪魔が入ったり、騒ぎを起すだけなんじゃないかと思うカーマインには、即答する事ができなかった。
ニコニコとまた行こうねと念を押す妹を前に、言葉を濁すのが精一杯であった。

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