第百十二話 戦いの終わりと始まり


カーマインによって顔を砕かれたゲヴェルが倒れてから、静寂が続いた。
何時までも武器を握る手の力を弱める事のなかったカーマインたちであったが、ゲヴェルが倒れている時間が長くなればなるほど力が抜けていった。
動かなくなったゲヴェルを見つめる事から互いに顔を見合わせ始める。
誰も何も言わない中でようやく事実を呟いたのはティピであった。

「今度こそ、本当にやったんだ。ゲヴェルに勝っちゃった!」

それを聞いたウォレスは膝が砕けるように座り込み、リシャールもまた座り込みはしないまでも肩の力を一気に抜いていた。
未だこのゲヴェルの居城付近にはユングたちがいるかもしれないが、ゲヴェルの波動が途切れた今は怖い相手ではない。

「リシャール、体の具合はどうだ?」

「今はまだ心配無用だ。しばらくは勝利の余韻に浸るのが先だ」

「それもそうだな。俺たちはやり遂げた、仲間の仇を討ち取った。随分と遅くなっちまったがな」

ゲヴェルの亡骸を視界に納めながら、かつての仲間を思い出しながらウォレスが呟いた。
この勝利を誰よりも感慨深く思っているのはウォレスなのかもしれない。
カーマインやリシャールもゲヴェルに因縁を持つものの、彼の持つ二十年近い年月には程遠い。
今では堅く冷たくなった右腕を持ち上げると、かつての仲間に報告するように強く拳を握り締めていた。

「隊長にも報告しねえとな」

そう呟いたウォレスのすぐそばを駆け抜けていく者がいた。
真っ直ぐわき目をふらずに走っていったのはルイセであり、向かう先は言うまでもなくカーマインであった。

「カーマインお兄ちゃん、やったね。ついに倒したんだね。やったぁ!」

「うわ、ルイセちょっと待っッ!」

制止も間に合わず、跳びついて来たルイセを受け止めたカーマインは、勢いに流されるように倒れこんでいった。
ルイセが怪我をしないようにしっかり抱きしめたのは良いが、その分だけ倒れた際の痛みが体を駆け抜けていた。
涙目になって痛みに耐えるカーマインに気付いたルイセが、オロオロとしながら謝罪を口にする。

「ああ、ごめんなさい。カーマインお兄ちゃん」

「痛ッ、ルイセ頼むから走って跳びつくのは勘弁してよ」

「あれれ、コイツってばルイセちゃんが重いって言ってるわよ」

「私そんなに重くないもん。カーマインお兄ちゃんが疲れて、ただけ、だから……ごめんなさい」

ティピに煽られて反論し、シュンと塞ぎこんだかと思えばカーマインと顔を突き合わせて笑う。
大人しいルイセにしては興奮しているのか、感情の強弱が激しくなっていた。

「これでやっと胸を張ってローランディアに、家に帰られるね。なんだか随分帰ってない気がする」

「そうだね。母さんのご飯が懐かしいや」

「死にそうな戦いの後にご飯の話って、お気楽ねアンタらは。まったく」

同感だとでも言いたげにカーマインたちを見つめていたグロウは、杖にしていたレギンレイブを消し、自らの足で立とうとした。
まだ上手く体に力が入らずグラグラと揺れそうになった体を、そっと後ろから支えてくれたのはミーシャであった。

「大丈夫ですか、グロウさん。結局、グロウさんが一番の大怪我ですけれど」

心配そうに見上げてくれたミーシャの頭へと手を置くと、やや乱暴にかき回すように撫で付けた。
痛かったのか小さな悲鳴を挙げたミーシャの頭を最後にポンと叩いて安心させる。

「俺はまだ大丈夫だ。ただ、ちょっと肩を貸してくれ。連れて行って欲しい場所がある」

「場所、ですか?」

グロウの言い回しに奇妙な感じを受けながらも、ミーシャは素直にグロウに肩を貸して歩き出した。
まだ事情を詳しく聞いていないものの、一度はパーティを抜け出しまた戻ってきたグロウである。
その場所とはカーマインやルイセが要る所だとばかり思っていた。
怪我の具合が悪いのか、肩を貸したミーシャが潰れてしまうほどに体重を掛けてきていた。
そんなミーシャとグロウを見て声を掛けようとしていたカーマインとルイセの前を、グロウはそのまま通り過ぎてしまった。

「グロウさん、行き過ぎです。ストップ、ストップ」

「いや、ここで良いんだ。ミーシャ、お前はカーマインたちの所に戻れ」

「ここって……」

そう言ってグロウが借りていた肩から離れた場所は、ゲヴェルの死骸の目と鼻の先であった。
まるでゲヴェルの亡骸に用でもあるかのように、そばに座り背を預けて立った。

「アンタ、そんな所で何をやってんのよ?」

「さあな」

からかう様に言ったグロウが息を整えるようなしぐさを見せた途端、近くで爆発でも起こったかのようにゲヴェルの居城が揺れた。

「アレ、今。揺れ、た? またッ!」

ティピの言う通り謎の揺れは一度では収まらなかった。
始めは長い感覚をおいての揺れであったが、段々とその間隔が短くなっていく。
カーマインたちは原因がわからないままに、不審な行動を取ったグロウへと視線をよこした。
このためにゲヴェルの死骸に近寄ったのか、何かを知っているのだと言う確信を持ってグロウを見た。

「グロウ、一体何が。何を知っているんだ?」

「どうやら、ヴェンツェルの爺の言った事は正しかったみたいだな。ゲヴェルは兵器だ。その兵器が倒された場合、倒した相手を巻き込んで自爆する。その予兆だろうな」

「自爆……皆、アレを見て!」

半分程度ゲヴェルの死骸へと振り向くしぐさを見せたグロウに促されるようにして、ゲヴェルの死骸を見たルイセが指を挿した。
全く動かなくなったはずのゲヴェルの死骸が痙攣するよに動き始めていたのだ。
思わず武器を手に取り全員が身構えるが、ゲヴェルが生きているようにはとても思えなかった。
それでもゲヴェルの体が熱を帯び始め光熱を示す赤い光まで灯らせ始めた事に、警戒を強める。

「ちょっと、ゲヴェルを倒したら自爆するだなんて何で早く言わないのよ。すぐに逃げないと!」

「皆、私のそばに集まって。すぐにテレポートでバーンシュタインまで飛ぶよ」

すぐさま皆がグローシュの輝きで光り始めたルイセのそばへと駆け寄るが、グロウ一人だけがゲヴェルの死骸の前に留まっていた。

「グロウ、早くしろ。敵を巻き込んだ自爆ってのがどの程度かわからねえが、ゲヴェルの事だ並みの爆発じゃすまないはずだ」

「ああ、俺のことはいい。お前らだけ先に戻ってろ」

早く来いとせかすウォレスの言葉に、グロウは信じられない言葉を吐いていた。

「アンタなに馬鹿な事言ってるのよ。まだなんか妙な事で拘ってるの。今はそんな場合じゃないでしょ!」

「グロウ!」

「来るな、カーマイン!」

一人ルイセのそばを離れ、無理にでもグロウを連れて行こうとしたカーマインであったが、駆け寄る事はかなわなかった。
グロウが放ったマジックアローが踏み出そうとしていた足元に突き刺さったからだ。
来るなという言葉が本気であることを示しており、一歩間違えば確実にカーマインの足を貫いていた。

「心配すんな。死ぬつもりなんてこれっぽっちもない。お前と、ルイセに話があるからな。だから先に帰ってろよ」

ルイセのものではないグローシュの光が、カーマインたちを包み込み始めていた。
再び光の翼を背負ったグロウの手によるものであった。

「また後でな」

「グロウお兄ちゃん!」

短い挨拶を終えると、カーマインたちはテレポートの光に包まれてグロウの目の前から消えていった。
だが完全に全員をテレポートで強制的に飛ばす事はできなかったようであった。
テレポートの光が消えた後で、一人体から黒い光を放つリシャールがその場に残っていた。
全力でグロウの強制テレポートに逆い、抜け出したらしい。

「なんで残った?」

「私にはゲヴェルの最後を見届ける義務があるのでな。王族とは、責務と言う言葉に弱いのだ」

「一人で言ってろ。言っておくが、この城が無事にすむ保障なんて無いからな。それ以前に、ゲヴェルの自爆が何処まで広がるか見当もつかない」

拳の裏でゴンゴンとゲヴェルの死骸を叩くと、触れた拳の皮が焼けていた。
カーマインたちを送り出すのに夢中になっている間に、ゲヴェルの体は水風船のように膨らみ始めていた。
ただしその体の中に詰まっているのは水だなんて生易しいものではなく、辺り一帯、下手をするとバーンシュタイン近辺までもを吹き飛ばす程のエネルギーである。
段々と近くに居るだけでも辛いほどの熱気が漂ってくるようになったが、それでもグロウは逃げようとはしなかった。

「それで、どうするつもりだ?」

「爆発する直前で、俺がゲヴェルを連れてテレポートする。場所はそうだな……一度目でこの城の外に。後は可能な限り、空へと連れて行く」

「テレポートは言った事のある場所へしか飛べない。つまりは人が居る場所へしか飛べない以上、それしかないだろうな」

「お前こそ、もしかしてここで死ぬつもりだったのか?」

暴走とも言えるエネルギーを貯め続けるゲヴェルを前に、やけに冷静なリシャールへともしやとグロウが尋ねた。

「まったく無かったとはいえない。だが、エリオットや母上が待っている以上、私は帰らねばならない。私にはなすべき事がまだまだ沢山あるのだ」

「その成すべきことに、俺とレティシアの結婚式に出る事も付け加えておいてくれ」

「ついに決心したか。ならば心配する事はなかったな。ゲヴェルから解放されてからの最初の友よ。その時には必ず出席する事を約束しよう」

「確かに約束したぞ」

グロウは後ろへと振り返ると、真っ白な甲殻を今は真っ赤に塗り替えたゲヴェルの体へと触れた。
一瞬のうちに手の平の皮が焼け、白い煙が湧き上がる。
焼けると同時に回復魔法を手の平へと掛けながら、グロウはグローシュの翼を大きく開いた。
ゲヴェルの体を全て包み込むには翼は小さすぎたが、テレポートの光は十分過ぎるほどにゲヴェルを包み込んでいた。
それからグロウは、リシャールへと振り返ることはなかった。
すでに約束を取り交わした以上、なにも話す事はない。
その約束そのものが再会の約束でもあるのだ。
それでも片手を挙げて軽く手を振るようなしぐさを見せたグロウは、今にも自爆しそうなゲヴェルの死骸と共にテレポートした。

「一度目ッ!」

テレポートの光が弾けた次の瞬間には、グロウはゲヴェルの居城の外に居た。
うっそうと茂った森の中から僅かに見える空を見上げる。
ゲヴェルの死骸が予期せぬ衝撃を受けないうちに、二度目のテレポートを唱える。

「二度目ッ!」

視界の届く限り、空へとテレポートを果たしたグロウは、今一度空の彼方を射抜くように見た。
何処まで上ればよいかなんて指針は無く、ひたすらに空の果てを目指してテレポートを繰り返すしかない。
そして最大の難関は、テレポートを続けた自分が逃げ出す瞬間である。
早過ぎれば支える者を失ったゲヴェルの死骸は落下を始めてしまうし、遅ければ自分が爆発に巻き込まれてしまう。
次のテレポートは大丈夫か、まだ早いか、もう遅いのか。
神経が磨り減るどころか砕けて駆けて行くほどにギリギリのタイミングを繰り返すグロウは、もはやゲヴェルしか目に入っていなかった。
数回目のテレポートで、光の中から自分とゲヴェルが飛び出した瞬間、何かが自分へとぶつかってきたのを感じた。

「待っていたぞ、この時を。貴様に決定的な隙が生まれるこの瞬間を!」

「ヴェンツェル、何を。死にてえのか!」

ヴェンツェルがしがみ付くようにぶつかってきたおかげで、ゲヴェルの死骸は手を離れ落下を始めようとしていた。
振りほどこうにも枯れ果てたような細い腕一つ振り払う事もできなかった。
腕力では明らかに上回っているものの、それをしのぐ執念のようなものをグロウはヴェンツェルから感じた。

「レギンレイブ!」

自分とヴェンツェルの体の僅かな隙間にレギンレイブを作り出すと、グロウは自分もろともヴェンツェルの体を斬りはなった。
胸元を深々と斬り裂かれながらも、それでもヴェンツェルは掴んだグロウの腕を放そうとはしなかった。
傷の手当をするでもなく、ひたすらにグロウを掴み取ろうとしていた。

「放せ、俺はゲヴェルを」

「放すものか。貴様はこの瞬間の為に私に生み出されたのだ。想像を遥かに超えた故に、ルイセの魔力を奪わなければならなくなったが。私のための完璧な体。ゲヴェルとグローシアンの融合体。私に最も欠けている若さ。その体を寄越せッ!!」

「グッァ……」

振り払えなかったヴェンツェルの腕がついにグロウの喉元に掴みかかってきた。
もうすでにグロウとヴェンツェルの間に、レギンレイブの刃を挟みこむ隙間すらない。
残された手はヴェンツェルごと自分を刺し貫くしかないかと思ったグロウであったが、目の前のヴェンツェルの向こう側にあるものが目に入った。
とうに落ちていったかに思えたゲヴェルの死骸であった。
それが落下もせずにその場に留まり、今にも破裂しそうに鼓動を刻んでいた。
グロウは突き放すのではなく、逆にヴェンツェルの体を両の腕で締め付けるように持ち上げた。

「俺はまだ、死ねない。死にたくなんかない! 俺は生まれてこの方何一つやり遂げてない。俺の翼、頼む。俺を守ってくれッ!!」

そう叫んだグロウは、グローシュの翼を最大限に開くと、小刻みに震え始めたゲヴェルの体へと向けて突っ込んでいった。
そして次の瞬間には、世界にもう一つの太陽が生まれる事となった。
元々あった太陽よりも大きく見え、赤く赤く燃え盛る灼熱の太陽は、熱風を巻き上げ雲を作りバーンシュタイン中を黒い雲で覆っていた。
巻き上げられた熱風は更なる高みで冷やされ雫を伴って雲にの中に紛れ込んでいった。
人為的に乱された空は暗雲が覆い、その暗雲から冷たい雨が降り始めた。
これから何日も続きそうな雨はやがて稲妻を呼び、轟音であたりを包み込んでいった。
風と雷雨ばかりが見えるそらの上を、弄ばれるままに落ちていく二つの影があった。
一つは人だった原型をほとんど留めてすらいない、ヴェンツェルの体であった。
焼け焦げた腹の部分から下半身はすべてなく、上半身の皮膚は全て焼け落ち、落ちるほどもない瞼は二度と開く事はないだろう。
そしてもう一つの影であるグロウもまた、怪我を負ったまま下へ下へと落ちていっていた。

「クッ…………」

僅かなうめき声は、まだグロウが生きている証拠でもあった。
だがグローシュの翼が開く事は無く、重力に流されるままにグロウの体は落ちていった。

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