カーマインが気合を入れた割には、あっさり何事もなく抜けてしまった洞窟。 その先にあるブローニュ村という農村を抜け、カーマイン達は魔法学院へとたどり着いた。 敷地の広さはそこらの村など比較にならないほどに広く、また校舎となる建物も度肝を抜くほど大きかった。 魔法学院の入り口から続くのは真っ直ぐに校舎へと伸びる道であり、時々枝分かれをするように別の建物へと続いている。 奥に見える校舎は下から数えて七階、建造物の高さで言えば人が作り出した物の中で最大である。 「うわぁ、大きいねぇ。ルイセちゃんいつもこんな所で勉強してるんだ」 学院の入り口から校舎まではかなりの距離があるはずなのに、それでもまだ見上げる様にしなければ校舎を視界に納められなかった。 「うん、そうだよ。ここはね、ロランディア王国とバーンシュタイン王国が共同で創った学院なの。一番の目的は魔法の平和利用かな」 「魔法の習得じゃないの?」 「それもあるんだけどね。魔法は便利な反面危険だから魔法技術が独占されたり、悪用されたりするのを防ぐために研究、管理する機関でもあるの。学院と言うよりは一種の研究機関だって言う人もいるよ」 「ふ〜ん、なんだか難しそうでよくわかんないわ。兎に角、学校よね」 なんとも投げやりな理解の仕方に、ルイセは苦笑するしかなかった。 そんな二人をやや後ろで見ていたカーマインは、説明が終わったのを見計らい後ろからルイセの頭に手を置いた。 「ルイセはアリオストさんの居場所を知っているのかい? 確か研究生とか言ってたから、何処かの研究室なんだろうけど」 「アリオスト先輩は自分の研究室をもらえているから、あっち。入った事はないんだけど、有名だから知ってるんだ」 「有名? なんで?」 案内するように先を歩き出したルイセに着いていくと、ティピが首をかしげながら尋ねる。 「自分の研究室ってね、四十とか五十歳ぐらいの教授って呼ばれる人しか普通はもらえないの。でもアリオスト先輩は優秀だから、二十五歳って若さで、しかも研究生なのに自分の研究室を貰えたの」 「二十五?! うそ、見た目よりずっと歳とってるじゃない。コイツよりは年上だと思ってたけど、二十五……」 どうしても実年齢が信じられないようで、何度も二十五と言いながらティピは腕を組んで頭をひねっている。 ルイセは得に実年齢に興味が無い様で、とことこと先を歩いていく。 カーマインの方は、確かに見た目より上だとは思ったが、ティピほどは頭を抱えていなかった。 これが女性ならば、多少はティピのように頭を悩ませたかもしれないが。 「見えてきた。あれがアリオスト先輩の研究室だよ」 見えてきたのは、校舎とは比べ物にならないほど小さな一軒家であった。 その外見に少しだけ拍子抜けしそうになるが、国家機関から個人へと贈られた物だと思えば幾分ましに見えた。 「先輩、アリオスト先輩。いらっしゃいますか?」 研究室のドアをリズム良くルイセが叩くが、反応はない。 いないのかなと呟いたルイセがドアに掛かっているホワイトボードを見た。 そこには行き先、図書館と書かれている。 「あ、なんだ。外出中だ。アリオスト先輩は図書館みたい」 「何でわかるの?」 「研究生以上の何かしらの役職を持っている人は、できるだけ自分の居場所をはっきりさせなきゃいけないの。だからこうやって伝言を書いておく人が多いの」 「図書館って事は校舎の中って事になるのか?」 「四階かな。エレベーターを使えばすぐだよ」 チンっと言う軽い音を立てて出た先は、確かに四階と目の前に書いてあった。 何故だと理解できないティピは、四階と書いてある文字をしげしげと見つめては、騙されたのかと擦ったりしている。 「嘘よ。箱を閉めているうちにこの字を書き換えただけよ! この、この!」 「ティピ、ちょっと恥ずかしいんだけど……」 どうも魔法装置であるエレベーターを手品と勘違いしているのか、必死になるティピを見ては学生たちがクスクスと笑いながら通り過ぎる。 飛んでいたせいもあるのだろうが、垂直移動したときの浮遊感をティピは感じなかったらしい。 反対に、 「気持ち悪い。胃を直接手で持ち上げられたみたいだ」 「あはは、慣れてないと皆そんな感じになるよ。大丈夫? カーマインお兄ちゃん」 浮遊感を感じすぎたカーマインは口を押さえながら、壁に手をついていた。 しばらくそうしていても、胃を持ち上げられた時の手の感触が胃の下に残っている。 なんとか深呼吸をして気を落ち着けると、未だ四階と書いてある文字相手にムキに鳴っているティピを掴む。 「あ、こら。なにすんのよ! 脅そうだって、あたしは認めないわよ!」 「認めなくていいから、諦めなよ。ティピのせいで、ルイセが恥かくんだぞ。ルイセ、ここから図書館は?」 「あ、こっちだよ」 と、ルイセが指を指した方向から、何か積み上げた塔のような物が走ってきた。 白い何かを積み上げたそれはグラグラとよろめいたままで移動している。 これも魔法学院にある何かの魔法装置の一種なのか。 そう思いながら見ていると、女の子のような声で叫んできた。 「どいて、どいて〜!!」 塔の様な物が走ってくるのではなくて、積み上げた塔を持って女の子が走ってきているのだと気付いた時には遅かった。 「ミーシゃ?! あ、カーマインお兄ちゃん、あぶなッ」 ルイセの言葉が終わらないうちに、カーマインと白い塔を持った女の子がぶつかってしまう。 普段ならいくら珍妙な白い塔相手でも避けられただろうが、やはりエレベーターの後遺症が残っていたらしい。 尻餅をついた女の子の悲鳴の後すぐに、白い塔は数百枚の紙となって廊下に散らばっていく。 「いたたぁ……もう、どこ見てある…………」 文句を言いながら女の子が見上げた先には、当然の如くぶつかったカーマインの顔があった。 「ごめん、大丈夫? 怪我は、ないかい?」 「あ、あの……えっと、ご……ごめんなさ〜い!!」 威勢のよかった言葉は何処へやら、カーマインを見てすぐに顔を赤くした女の子は、差し出された手を無視して走って行ってしまう。 差し出した手を所在無くさ迷わせたカーマインと、ぶつかった衝撃でカーマインの手から逃れたティピは呆然としていた。 いきなり現れた女の子は、これまたいきなり走って去ってと、まるで突風のようであった。 「ミーシャったら、もう。カーマインお兄ちゃん、私ちょっと行ってくる」 「あ、ルイセちゃん」 どうも先ほどの女の子は知り合いであったようで、ルイセまでもが走って行ってしまう。 「…………とりあえず、拾おうか」 「あたし、嫌だ」 「いいよ、僕が拾うから」 すこし釈然としないカーマインであった。 それから十分たっても二十分たってもルイセが戻ってくる気配はなかった。 これがいつものローランディアの街中であるのならば耐えられるが、ここは魔法学院である。 見知らぬ場所で何時までも待つと言うのは、かなり精神的にくるものがある。 「もう、待てない! 何時まで待たせれば気が済むのよ。ルイセちゃんは何処? アリオストさんは何処なのよ!!」 「ティピ、かってに動いちゃ」 とめる間も無く、ティピが先ほどの女の子を追いかけてルイセが向かっていった部屋でと駆け込んでいった。 仕方なくカーマインも続こうとするが、拾い上げた紙の束がかなり重かった。 そして、部屋へと入って絶句した。 ルイセやティピと同じように。 壁に向かって一人で喋り続ける、先ほどの女の子を見て。 「あ〜、まだドキドキしてるよ。これってまさか恋?! あ〜でもでも!」 人はそれをトリップと言うが、いやいやと首を振るたびに二つのお下げが顔に直撃して痛くないのだろうか。 「ルイセちゃん……あの子、さっきからずっと。いつもこうなの?」 「う、うん。いつもは……こんなんじゃなかったと思うんだけど。ミ、ミーシャ?」 「でもこれってりんごの花だしぃ」 何処からともなく花のついた木の枝を取り出し、また身をよじる。 「ミーシャってば!」 「へっ、うわ。ルイセちゃんじゃないの。急に大声出さないでよ。びっくりしたぁ」 「急にじゃないよ。ずっと呼んでたんだから」 「あ、そうなの。それより聞いてよ、さっきそこの廊下で……あー!!」 全くルイセの話を聞いていないミーシャが指差したのは、カーマインであった。 自分が一体何をしたのかと、すこし後ずさる。 「えっと、私にお兄ちゃんが二人いるって話はしたことあったよね。その一人で、カーマインお兄ちゃん」 「え、ルイセちゃんのお兄ちゃん?! ……お兄様って呼んでもいいですか!」 意味がわからなかった。 何故ルイセの兄だと、ミーシャというこの女の子のお兄様となるのか。 全く理解の出来ないミーシャの行動に、カーマインはもう意味がわからなくなりどう答えて良いのかもわからなかった。 そこで助け舟というか、ミーシャを物理的に止めたのはティピであった。 「ティピちゃん、キーーーーーーーーーーーーック!!」 蹴られたのはもちろん、ミーシャであった。 頭を蹴られてグキっと音がなった首を押さえながら、言い返す。 「痛ったぁ。なにするのよ!」 「いいからあんたは黙って。あんたのせいでどれだけ足止めくらってると思ってるのよ。あたしたちは忙しいの!」 「こらこら、君たち。ここは図書館だよ。騒ぎたいのなら運動場へ行くのがスジじゃないかな?」 「アリオスト先輩?!」 よくよく見てみれば、ここは幾つも本棚と並べ立てられたテーブルには学生たちが本やノートを広げていた。 言葉どおり図書館であり、騒いでいたミーシャやティピへと冷たい視線が送られている。 「アリオストさんの言う通りみたいだね。えっとミーシャだったよね、はいこれ一度に運ぶと危ないから、数回にわけて運んでね」 「ご、ごめんなさいお兄様。あ! いそいでこれ持って行かないといけなかったんだ! お兄様、また会いましょう!!」 お兄様は決定事項なのか、ミーシャはカーマインの忠告を全く無視して渡された紙束全てを持って走って行ってしまった。 ミーシャが去った事でようやく落ち着いて、カーマインはアリオストをみた。 どうやら向こうもあの時の事を覚えているようで、にっこりと笑い返してきた。 「君はたしか、ルイセ君のお兄さんだったよね?」 「カーマインです。今日は貴方にお願いしたい事があってきました」 「お願い?」 たった一度会っただけなのにと、アリオストの言葉が語っていた。 「お願いです。アリオスト先輩。グロウお兄ちゃんを助ける為に、力を貸して欲しいんです」 「そのためにここまで来たんだから!」 具体的な台詞ではなかったが、懇願とも言える言葉に何かを察したのか、アリオストは真面目な顔で頷いた。 「余程の事情みたいだね。場所を、変えようか」 再び戻った先はアリオストの研究室であった。 カーマインたちには用途の知れない魔法装置が所狭しと並べられていたが、今は見向きもしていなかった。 少しでも早くと、現在の状況を説明する。 「そうか、確かあの時は二人だったのに。カーマイン君だけなのはそういうわけだったのか」 グロウが未知の毒に侵された事を説明すると、アリオストは神妙な顔で考え込むようにしていた。 説明をしたのはカーマインだが、ルイセも再び現状を見直させられ、目が潤んでいた。 「それで、空を飛ぶ研究ってのは何処まですすんでるの?」 「確かに、フェザリアンに会うのなら僕の研究が役立つだろう。まだ発表はしてないんだけど、物をや人を単純に浮かすことだけならできるんだ。だいたい二人分ぐらいの重さまでなら」 「え、それじゃあ」 希望が繋がったようにルイセがアリオストを見るが、そう上手くはいかなかった。 「浮かんだ後は完全に風まかせなのさ。高度によって風向きが変わる事もわかってはいるんだけど、風任せでフェーザーランドまで行くとなると……」 「とりあえずやってみたらいいんじゃないの?」 「でも風向きを間違えればそのまま海の中にどすんだ。たどり着ける確率なんてないだろうね」 いかにもティピらしい意見だが、すぐに却下されてしまう。 さらに海とは逆の陸方向でも、フェザーランドの高さを考えたら、隣のバーンシュタインまで流されかねない。 不法入国ともなれば、面白くない結果が待っている事は間違いないだろう。 「風か……自分の魔法で風を起して、自分自身を押すというのはできないですか?」 「着眼点は良いんだけど、浮かんでいる間は足元がおぼつかなくて、姿勢制御で手一杯なんだ。それにずっと魔法を唱えっぱなしじゃ、体がもたないよ。かと言って、魔法でもないのに勝手に風を……」 そこまで言った所で、アリオストの動きがピタリと止まった。 「いや、待てよ。そんな道具を何処かで…………何処かで見たぞ? そうだ、南にあるフェザリアンの遺跡。なんで今まで気付かなかったんだ!」 「南にあるフェザリアンの遺跡と言うと、学院長の許可を貰えば入れるあそこですか?」 「そうだよ。今から早速学院長の所へ行こう。今頃は確か校舎の屋上の歪み計のところに居るはずだ」 「ねえねえ、アリオストさん。時空の歪み計ってなに?」 屋上へと登っていくエレベーターの中で、ティピがそう尋ねた。 どうやらもうエレベーターへの疑惑はどうでも良いようで、興味がそちらへ移ったようだ。 「ああ、この世界は二つの世界を重ね合わせる事で成り立っている、とても不安定な世界なんだ。そしてその二つの世界のズレを時空の歪みとして観測する装置が屋上にあるのさ」 「なんでそんなもの観測するわけ?」 「それはねティピ。歪みが大きくなって二つの世界が大きくズレだしたら、私たちは元の世界に帰らなければならないの。そもそも、元の世界は太陽の光が弱くなって死の世界へと変わってしまったの。それが原因で今の世界にきたんだけど」 「って事は、死の世界に帰るかもしれないってこと?!」 とても嫌そうにしながら体を震わせると、恐る恐る尋ねる。 「だからそうならないためにも、早期発見の為に歪みを計測しているのさ」 そう聞いてもまだ怖そうにティピが震えている間に、チンっとエレベーターが到着した音が鳴った。 ぞろぞろとエレベーターから出た屋上では、地上よりも多くのグローシュが辺りを漂っているように見えた。 七階の屋上、その高さよりもまずはグローシュの多さに目を奪われる。 そのグローシュを目で追っていくと、エレベーターの屋根についている装置に吸い込まれていた。 「送魔線とは違うけど……確かグローシュは、時空の歪みが大きな場所でより多く観測されたはず。もしかして、あれで計測しているんですか?」 「その通りだよ、カーマイン君。時空の歪みを観測するには、その歪みをあらわすグローシュの量を計測するのが一番なんだ」 「おや、アリオスト君にルイセ君ではないか。二人そろってどおしたのかね? 新入生の案内かね?」 エレベーターの屋根を見上げて説明をしていたアリオストたちに声を掛けてきたのは、老齢の男であった。 しっかりと顎鬚をたくわえ、黒皮でコーティングされた高価ろうなローブで身を固めている。 柔和そうな笑顔の中にも、時折値踏みをするようにカーマインを見る目は、ただの老人ではなかった。 「学院長先生」 「学院長、貴方を探していたんです。実は、南のフェザリアンの遺跡へ行く許可を頂きにきました」 「南の遺跡か。得に断る理由も無いがの……ほれ、持っていけ」 ローブの中をあさってやけにあっさり出してきたのは、何かの金属で出来たプレートであった。 その表面には魔法学院の物であろうマークと、学院長のサインが記述してある。 「遺跡って言うから面倒な手続きが必要かと思ったのに、やけにあっさり出てきたわね」 またも興味を持ったようにアリオストが受け取ったプレートに近寄るティピ。 「ほっ? コイツは」 「きゃっ、なにすんのよ!」 逆に学院長に興味をもたれたのか、無造作につかまれてしげしげと興味深そうに見られる。 「あの、学院長先生?」 「ほほ〜、これはなかなか」 「なにすんのよ、離せ馬鹿。エロジジィ!」 「これは良く出来ておる。たいしたもんじゃ」 「母の作ったホムンクルスです。あの、ところで学院長先生。早く離してあげないと」 「サンドラ殿のか。なるほど、言われて見れば。なるほどのぉ。学生時代のサンドラ殿を思い出すわい」 ルイセの注意も聞いていないようで、ずっとティピを握り締めたまま学院長は簡単の声を上げ続けている。 そんな学院長の手の中にいるティピを、ハラハラしながら見ていたのはルイセだけではない。 いつ爆発するのかと、カーマインもハラハラしているが自己紹介すらしていないため、止めることができない。 そして、二人がまごついている間に、ティピの限界が来てしまった。 「ティ、ピ、ちゃ〜ん…………キーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーック!!」 「むほぉ!」 無理やり手の中から逃げ出したティピが、急降下して学院長の顔を思いっきり蹴り上げた。 無様に屋上の地面に倒れた学院長の鼻から、たらりと鼻血がたれている。 「が、学院長、大丈夫ですか?!」 「なんのなんの、元気な子は大好きじゃ」 「うわ、なにコイツ。気持ち悪い!」 「馬鹿、ティピ。正直に言いすぎだ。すみません、コイツの変わりに謝ります」 「わ、私からも、ティピを許してください」 自分は悪くないとばかりにそっぽを向いたティピの代わりにルイセとカーマインが謝るが、学院長はそれほど気にはしていなかった。 蹴られる前と変わらないぐらいに、柔和に笑っている。 「気にする事は無い。それにしても本当に昔のサンドラ殿を思い出すのぉ。ほ〜ほっほ」 そう言ってエレベーターで学院長は去って行ったが、一つ疑問が残されていた。 「ティピで学生時代のお母さんを思い出すなんて……」 「母さん、どんな学生だったんだ?」 「決まってるじゃない。私みたいに元気で可愛いかったに決まってるでしょ!」 それはそれで、かなり問題があった。
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