第十話 片割れとして


「グロウ、私の声が聞こえますか? これを、薬を飲むのです」

サンドラが手に持った容器から、ベッドに横たわるグロウの口に液体の薬草を流し込む。
意識はないままに、だが飲む事は出来たようでグロウの喉がごくりと数度上下した。
これで一安心とばかりにサンドラは、グロウの額に滲んだ汗をハンカチでふき取った。

「マスター、グロウ様は」

「この薬は現在人の作り出す事の出来る最高の解毒剤です。大抵の毒はこれで浄化できるので、すぐにでも」

「ぐ、ごはぁッ!」

まだ、であった。
薬を呑み込んだはずのグロウが、薬をそのまま嘔吐したのだ。

「そんな馬鹿な?! 薬に対して拒絶反応が出るなんて、一体この毒は……仕方有りません。少し荒療治ですが。我が魔力よ、この者を蝕む毒を浄化せよ、ファイン!」

祈るように両手を合わせたサンドラの手が淡い光を放ち始めた。
そのまま両手を解いて高熱に唸るグロウの体へと手をかざすと、光がグロウを包み始めた。
グロウの額から汗が引き、安らかな寝顔になりほっと息をつく直前、それは起こった。
突然咳き込み始めたグロウが、血を吐いたのだ。

「ぐほッ……ぅえ…………」

「グロウ様?!」

とっさに魔法を中断したサンドラは絶望を顔に張り付かせ、呟く。

「そんな、魔法にまで拒絶反応が……この毒は普通じゃない。私の知る限りこんな毒は」

「マスター、グロウ様は? グロウ様はどうなのですか?!」

「今の私にはどうする事も……できません」

悔しげに、唇をかんで呟いた様子からそれが嘘でない事は容易に知る事が出来た。
ユニはサンドラを気遣う事も、グロウに励ましの言葉も掛けられず、黙って二人の親子を見ている事しか出来なかった。





「あ、お母さん。グロウお兄ちゃんは? 大丈夫だよね?」

グロウの部屋から出てきたサンドラとユニに、廊下で待っていたルイセはすぐさま尋ねた。
治療の間ずっと廊下で待っていた様で、カーマインやウォレスもルイセの後ろで結果を知りたがっている。
だがその想いは当然、全快したという言葉を待っている事だろう。

「このままではなんとか毒の進行を遅らせても、もって一ヶ月です」

サンドラの言葉が理解できなかったように誰もが息を呑んだまま、数十秒間は言葉を発しなかった。
その言葉の意味を理解する事を頭が拒んだのだろう。

「だって、母さんがさっき持ってきた薬は最高の!」

「飲ませた所、拒絶反応がでました。魔法も同じです。これは全く未知の毒なのです」

「ではグロウは……」

「ですが、方法がまったくないわけでは有りません」

希望はとても小さいものであった。

「人には治す為の知識が足りませんが、フェザリアンなら。我々よりも遥かに知識と知恵の高いフェザリアンなら、解毒の薬か、方法を知っているかもしれません」

「なら今すぐにでもそのフェザリアンとやらに会いに行くべきだな」

ウォレスの言葉にティピがう〜んっと思い出すように言った。

「フェザリアンって確か、西に岬から見える山の頂上に住んでいるんだよね? あの青い髪のアリオストって人が言ってた気がする」

「でも、どうやってあんな高い所に行ったらいいんだ?」

問いかけるようにしてカーマインはサンドラを見たが、その顔は渋く苦渋に満ちていた。
まさかとカーマインが気付く。

「フェザリアンが人間を嫌ってフェザーランドに逃げ込んで以来、彼らが人里に現れる事は稀です。ましてや、人がフェザーランドにたどり着いた記録はありません」

「アリオスト先輩の空を飛ぶ研究が上手くいっていればいいんだけど、まだそんな話は……うぅ、グロウお兄ちゃん」

ルイセの涙声が六人も居るはずの廊下を静かに、沈黙へと変えていった。
あまりにも小さくはかない希望は、単純に自分たちが頑張れば何とかなる類のものでもない。
それを叶えるまでに幾つの奇跡を起せば事足りるのか。
誰もがうつむき、その小さな希望でさえ見失ってしまいそうになった時、一人拳を握り顔を上げた者がいた。

「皆さん、諦めないでください!」

ぐっと何かに耐えるように叫んだのは、ユニであった。
その姿が誰かをほうふつとさせる。

「フェザーランドに行く方法がなくとも、関係有りません。フェザーランドに行くのです。どんな手を使ってでも!」

それはデリス村でサンドラの危機を知った時にグロウが叫んだ言葉と似ていた。

「グロウ様なら、もし倒れたのが他の誰かでグロウ様が健在ならば、そう言われたはずです。グロウ様なら……」

「そう、だよね。グロウなら決して諦めない。ここで諦めたら、幽霊になっても僕らを殴りに来るよ。簡単に諦めてるんじゃねえって」

「あは、グロウならやりそうだね。寝ているルイセちゃんの髪の毛をひっぱったりとかね」

「うぅ……それもやだぁ」

「なら、やるしかねえな。まずは手がかりとして、そのアリオストとやらを尋ねるべきだ。研究は上手く行っていなくとも、フェザーランドに行く手がかりぐらいにはなるだろう」

それぞれの瞳に、希望の光が見え始めていた。
サンドラはその中でも、得に驚いた目でユニに注目していた。
その性格は丁寧で理知的な性格であったはずが、全く理にかなわない台詞を吐いたのだ。
ならば誰の影響なのか、考えるまでもないグロウである。

「あの子はとてもよい方向に成長しはじめているのですね。誰かに影響を与える事が出来るほどに」

それは独白とも言える小さな呟きであった。
だがしっかりと耳にしてしまったカーマインは、多分に戸惑っていた。

(そう、注意して見ていなくともわかる位にグロウは成長している。だったら、僕はどうなんだ? 何か一つでも、成長しているのか?)





「あれ、ユニは?」

魔法学院に向かう事にしたカーマインたちが館を出てすぐに、ティピが辺りを皆を見渡して疑問の声を上げた。

「着いてきたそうな顔をしてたけど、グロウお兄ちゃんの傍にいるって。お母さんと一緒に看病と毒物の特定をするんだって」

「確かにフェザリアンに頼るだけでは心もとないからな。そちらの線で調べる者も必要だろう」

「そっか、そうよね。じゃあ張り切って魔法学院にって行きましょうか! ルイセちゃん、テレポートよ!」

「え? えっと…………うぅ」

オロオロとしだし、急に涙目になったルイセにぎょっとしてティピの方もオロオロしてしまう。
自分がそんなに変な事を言ったのか、とウォレスとややうつむき加減のカーマインを見て、助けはないと自分から尋ねる。

「ルイセちゃん、どうしたの?! あたしなんか変な事言った?」

「テレポートは……まだ自分の意志でできないの。あの時のことは夢中でよく覚えていないし」

「あ、なんだ。だったらそう言えばいいじゃない。何も泣かなくても」

「だってぇ、私がテレポート出来ると時間の節約が出来ると思ったらいい出せなくて」

「そんな十日も掛かるような距離じゃねえだろうに。おいカーマイン、ルイセが……おいカーマイン。聞いているのか?」

カーマインが全くの上の空であることに、ウォレスもティピも気付く。
一番懐かれてはずのカーマインが泣いているルイセを放っているのがおかしい。
一体どうしたのかといぶかしげに見ていると、ついにルイセが抱きつくように泣きついた事でようやく事に気がついた。

「カーマインお兄ちゃん……う〜」

「わっ、ルイセ急にどうし……何を泣いてるんだい?」

「アンタ、なにボケッとしてんのよ。話聞いてなかったの? ルイセちゃんがまだちゃんとテレポートできないから、歩いていこうって話になったの」

「あ、ああ。そう。なら歩いていこうか」

気の抜けた言葉に、腹立たしげにティピが声を荒げる。

「だからそう言ってるじゃない。本当に、しっかりしてよ。アンタがグロウの代わりに皆をひっぱらなきゃいけないんだから」

「おい、もうその辺にしておけ。急ぐのだろう?」

ウォレスが先を促した事で、ティピがブツブツ言いながらも後に続いて飛んでいった。
それでもまだカーマインの様子は何処か変であり、うずめていた顔を離してルイセが心配そう見上げた。

「カーマインお兄ちゃん?」

「大丈夫だよ。なんでもない、じゃあ行こうか」

「う、うん……あれ? その剣、グロウお兄ちゃんのだよね?」

それとはカーマインの腰に挿された剣である。
グロウがいつも腰に挿していたはずの、黒塗りの鞘に収められたブロードソードである。

「一応槍は回収したんだけど、グロウの無茶な使い方で壊れちゃったからね。それに……いや、なんでもない。行こうか」

何を言いたかったのかわからず、首をかしげながらルイセも先に行ったウォレス達に追いつく為にカーマインの後をついていった。





自分たちの家族が死のふちに立たされたと言っても、それはこの広い世界のごく一部の話である。
空は晴れ、風が吹き、それに乗って草花の香りが運ばれてくる。
小憎らしいとは思えど、それがかえって陰鬱とした心をわずかながらも軽くしてくれる。
感謝しなければならない。
重くも軽くもない足取りは黙々と一番近くのデリス村へと進んでいた。

「そう言えば、私たちウォレスさんが着いて来てくれる事を当たり前のように思ってるけれど、よかったんですか?」

「ジュリアンの前ではお前たちとはすぐに別れるつもりだと言ったが、特に行く当てがあったわけじゃない。それに、飯を一緒に食った奴が苦しんでいるのを見て見ぬふりもできないしな。当分の間はお前たちに付き合うさ」

「感謝しなきゃ。怪我しちゃったとはいえ、今のメンバーの中ではウォレスさんが一番強いもんね。アンタもそこん所見習って剣を教えてもらうぐらいしないとね」

「そうだね。グロウもそんな事言ってたし、ウォレスさん頼めますか?」

まだ少し元気のない声ではあったが、その目だけは何かを求めるように強くウォレスを見つめていた。

「ああ、こんな状況だ。宿で休む夜ぐらいには少し時間をとってやろう」

「ありがとうございます」

深々とカーマインが頭を下げていると、ガサガサと道脇にある茂みが音を立てた。
道行く人を襲うモンスターかとカーマインは誰よりも早く剣を抜き、ルイセはその後ろに隠れた。
そしてさらに数度茂みを掻き分けるような音が聞こえた時、それは現れた。
金色の軟らかそうな髪に葉っぱやら蜘蛛の巣やらをくっつけたエリオットであった。

「あっ、酷いじゃないですか。王都につれて言ってくれる約束だったのに、置いてけぼりにするなんて。あの後また変な男たちが部屋にまで入ってきて大変だったんですよ!」

泣きそうな感じでそうまくし立てたエリオットを見て、誰もが忘れていたと心の中で呟いていた。
そう頼まれた事はグロウから聞いてはいたのだが、慌てて忘れてきたのだ。
あの時皆を起してくれとのカーマインの言葉に、ティピが皆の中にエリオットを入れていなかったせいもあるが、まあそれも仕方がない。

「ご、ごめんなさい。実はお母さんが危なくて」

「え?! そうなんですか……そうですか。じゃあ、仕方がないですよね。でも、王都までは連れて行ってください。約束ですから」

母という言葉に自分も何処へ行ったのかわからない両親を思い出したのか、それとも単に人がいいだけなのか。
それでもちゃっかりと約束をあげたのだが、先を急ぐカーマインたちの顔は渋かった。

「どうしよう、カーマインお兄ちゃん。約束は守らなきゃだめだけど……」

「かと言って、間逆の魔法学院に連れて行くわけにもいかないし」

「そんなぁ……今の僕には頼れるのは貴方たちしかいないんです」

まるでルイセのように泣きながら泣きつきそうな様子に、誰もが呆れそうになっていた。
確かに約束をすっぽかした事は自分たちが悪かったのだが、仮にも男が女のような声を出すのはいかがなものかと。
得に傭兵家業などで荒っぽい男たちを見てきたウォレスの呆れは凄まじいものがあった。
それでも溜息一つでこう言い出したのは、彼が多分に大人だからであろう。

「俺が王都まで連れて行こう。少し遅れて合流する事になるだろうが、魔法学院だったな。もし別の場所にでも移動する事になったら、誰かに伝言をするか、わかりやすい所に張り紙でもしておいてくれればいい」

「わかりました。魔法学院にはお知らせを張っておく掲示板があるので、そこに伝言を書いておきます。誰かに聞けば場所はすぐにわかるはずです」

「そうか、わかった。おいエリオットとか言ったな。俺が王都まで護衛する。ついてこい」

「あ、はい。宜しくお願いします」

大柄な体格のウォレスの後を必死についていくエリオットの姿は、どこか捨てられた子犬を連想させられる。

「なんだか、あの子もよくわかんないわね。あの変なおっさんに追われてたけど、喋り方が堅苦しいし何処かのお坊ちゃんなのかしらね」

「良くわからないけど、きっと色々理由があるんだよ。それじゃあ、カーマインお兄ちゃん。私たちも先を急ごう」

「ああ、急ごう」

短く答えたカーマインの顔は、何処か堅かった。





カーマイン、ルイセ、ティピの三人は、デリス村を抜けてた先の分かれ道で、以前山小屋へと向かった反対方向へと進んだ。
それからしばらく進むと、大地がえぐれた場所にできた川に掛かる橋があり、そこを渡ると大きな洞窟が見えてきた。
特別に人の手が入れられた洞窟ではないが、ローランディアから魔法学院へと向かうためのほぼ唯一の道である。
そのため極端に凶悪な魔物がすむわけでもなく、一般の人も良く通る洞窟である。

「ひぇ〜、洞窟だよ。洞窟。暗そぉ〜。本当にここを通るの?」

「大丈夫だよティピ。この洞窟は何度も通って道も覚えてるから。ほとんど一本道だし」

「だといいんだけど、ほらアンタ。何かあったらちゃんとルイセちゃんを守るんだぞ。アンタしか居ないんだから」

「わかってる」

もちろんティピは人数のどんどん少なくなるパーティを明るくする為にはしゃいで言った言葉なのだが、あまり通じていなかった。
拳を握り締めていたカーマインがかなり真面目な顔で、答えてきた。

「ルイセは僕が守る。絶対に」

「は?」

ティピの間の抜けた声の後、ボムッと心が爆発したような音が聞こえてきた。

「…………あ、うぅ」

「アンタ、真顔でそんな台詞恥ずかしくないの? ルイセちゃん茹でダコみたいになってるんだけど」

呆れたようなティピの突っ込みも、顔を真っ赤にしたルイセもカーマインには見えていなかった。
握り締めた右手の手のひらには大量の汗をかき、反対の左手は小刻みに震えていた。
暗い洞窟が怖いなどと言う馬鹿な理由ではない。
今この場にグロウはいない。
そして思いもしない事から頼れるウォレスもパーティを離れてしまい、カーマインは今初めて一人であった。
ルイセとティピが居るものの、二人は守るべき対象であってカーマインを支えてくれる人物ではない。
いざと言う時に頼れる人物が居ない事がこんなにも、心細く不安な気持ちにさせるものなのか。

(そう僕は……常にグロウに頼ってきた。特別、意識してなかったとしても。そしてまだ、頼ろうとしてる)

握り締めたのは、あのブロードソードの柄であった。
それだけで、ほんの少しだけ勇気のようなもの湧き上がる気がした。

(誰かに頼りきったまま成長するはずがない。だけど今は僕の成長よりも、グロウを助ける事の方が先だ)

しっかりと前を、暗く先の見えない洞窟を見据えてから、カーマインは歩き始めた。
その後からティピが、まだ茹でダコ状態のルイセが続いた。

「ちょっと、いきなり歩き始めて……待ちなさいよ」

「うぅ……カーマインお兄ちゃん、待ってよぉ」

二人の前を歩くカーマインは、全く気付いていなかった。
自分の未熟を認める事もまた、一つの成長の証であると言う事を。

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