第百七話 生き残る事の叶わぬ戦い


バーンシュタインへと戻ったカーマインたちは、エリオットに事情を話して翌朝ゲヴェルの討伐に発つ事を話した。
もちろんすぐに行こうと思えばいけないこともなかったのだが、そこはグロウを待つための猶予でもあった。
だが全員が全員、グロウを待ち望んでいたわけではなかった。
ウォレスやティピは完全にグロウを見限ってしまい、ミーシャは迷っていた。
グロウが来ると信じて、待ち望んでいたのはカーマインとルイセの二人だけであった。
そんな二人の願いも虚しく、翌朝に太陽が上り始めた頃になってもグロウがやってくることはなかった。

「グロウお兄ちゃん、来ないね」

バーンシュタインの城下街へと続く門の前で、ルイセがローランディア方面を見上げながら呟いた。
「来なかった」ではなく「来ない」と言ったのは今この瞬間でさえグロウを待っている証拠であった。
だが何時までも来ない人間を当てにして、これ以上の時間のロスを引き起こすわけには行かない。

「ルイセ、残念だけど気持ちを切り替えよう」

「そうよ、あんなのがいなくても平気、平気。コイツと、ルイセちゃんの強くなった力があれば大丈夫よ!」

でもと続けそうになったルイセに、ティピがことさら声を大きくして言った。
ゲヴェルとの戦いで要となるのは明らかにカーマインとルイセなのである。
カーマインはともかくとして、ルイセのような中途半端な気持ちでは皆に危険が及ぶ可能性が高くなる。

「おい、ルイセ。カーマインの言う通り、いい加減諦めろ。エリオットたちが来たぞ」

ウォレスが街中を指差すと、カーマインたちを見送る為にわざわざやってきたエリオットが着ていた。
いつものようにジュリアンを護衛として横に連れているが、今日はリシャールまでもが護衛なのか一緒について着ていた。

「すみません、自分から出立を見送ると言いつつ遅れてしまいました。その様子ですと、グロウさんは……」

「来ないつもりみたいだよ。でも、来たくないのを無理やりに連れて行くわけにも行かない。仕方ないさ」

「エリオット君、お昼まで待ってくれないかな。すぐにでもグロウお兄ちゃんを連れてくるから」

「ルイセちゃん!」

最後まで諦めようとしなかったルイセをミーシャが止めている間に、リシャールが諭すように言った。

「もう、グロウに寄りかかるのは止めてやれ。折れた大樹に人を支える力はない。無理をすれば周りを巻き込んで倒壊するのみだ」

「リシャール、君は何かを知っているのかい?」

「人見知りの激しい人間ほど、知らぬ人間に対して明るい態度をとる事がある。グロウも似たようなものだ。自分の弱さを隠すように強く、ひたすらに強くあろうとしてきた。だがどんな姿に見せかけようと本質は変わらない。どんなに強く自分を見せかけてもその弱さは変わらないのだ」

「そんな事ありません。グロウお兄ちゃんは、とっても強い人です。絶対に、きてくれます!」

諭された言葉を頭から信じようとはせず、真っ向から言い返してきたルイセにリシャールは言い様のない哀れみの顔を見せた。
それはルイセに向けてのものではなく、たった今ルイセが放った言葉が向けられたグロウへのものである。

「ルイセ、その言葉がグロウを一番苦しめるのだ。自分の弱さを自覚している人間に、強いはずだと戦うことを強制するのは拷問に等しい。決して弱音は吐けず、鬱屈した思いだけが重く心にのしかかり続けていく」

戦うことを強制するというフレーズに、ルイセだけでなくミーシャもあっと声をあげていた。
それは先日フェザーランドへ向かった際に、グロウの前に立ったユニが言っていたのと同じ言葉であったからだ。
強いはずだから来いとは言わなかったが、確かにカーマインたちはグロウが一緒について来るのが当然のものとしていた。
戦いたくないと姿を消してまで意思表示したグロウを、無理に戦場に連れ出そうとしたのだ。
ユニがグロウに傷ついて欲しいのかと叫んだ意味はそこにあったのだ。

「リシャール、よくもそこまであのグロウさんの事を理解することができますね。言葉を交わしたのは数度のことでしょう?」

「あの男に限って会話の数はあまり関係ない。少しコツがいるだけだ」

そのコツを話してしまえば、カーマインたちが傷つくのは必死であり、リシャールは詳しく口にする事はなかった。
ゲヴェルの討伐を前に、これ以上カーマインたちの気持ちを沈みこませたくなかったのだ。

「さて、話をゲヴェルの討伐に移すぞ。事の経緯はどうあれ奴が居ないことでお前達の戦力ダウンは避けられない。そこでエリオット王に頼み込み、この私もお前達に同行することになった。お前達は私を好きに扱ってくれ、それなりの働きはするつもリだ」

「えーッ!!」

「なんだ、この私が同行するのでは心もとないか?」

突然の申し出にティピが驚きの声を挙げると、リシャールは不適に笑いながらそんな事を言ってきた。

「いえ、これっぽっちもそんな事は。でもインペリアル・ナイトのリーダーが城を空けちゃっていいの?」

「ナイツが三人もいれば国内の守りは十分だ。依存はあるか?」

「とても心強いよ、リシャール。よろしく頼むよ」

リシャールから差し出してきた手をカーマインがしっかりと握り、順にミーシャ、ウォレスともしっかりと手を握った。
最後にリシャールはルイセにも手を差し出したが、すぐにその手が握られることはなかった。
リシャールからグロウが隠してきた気持ちを聞かされたとはいっても、すぐに納得できなかったのだろう。
かと言って連れ戻しにいく選択肢も今は消え去っており、ルイセは単純にグロウの代わりにという理由でリシャールを受け入れる心積もりが出来なかったのだ。

「案ずるな。所詮はゲヴェルを倒すまでの短期間だ。ゲヴェルを倒した暁には、グロウを呼び戻す為の秘策を教えてやろう。それが交換条件で良いか?」

「ごめんなさい、そういうつもりじゃなかったんですけど。よろしく、お願いします」

グロウを呼び戻す為の秘策とやらに惹かれなかったと言えば嘘になるが、ナイツ・マスターであるリシャールが心強いのもわかっていた。
いくらカーマインやグローシアンであるルイセ自身がいたとしても、戦力が多いにこした事はない。
ぎこちない笑みでありながらルイセとリシャールが手を交し合うと、ジュリアンが言った。

「聞いてはいると思うが、ゲヴェルの居る場所はここから北東にある森の中にある沼地を抜けた先にある。詳しい場所はリシャール様に聞いてくれ」

「皆さん、バーンシュタインを治める者として、この世界に生きる者としてお願いします。ゲヴェルをどうか討ち取ってください。僕の兄弟を、母上を苦しめた奴を。よろしくお願いします」

「必ず、ゲヴェルを討ち取ってまいります。エリオット陛下」

ここが街中と言うこともあってエリオットは頭を下げる事はできず、代わりにカーマインは自ら膝を折って頭を下げた。
ローランディアの騎士とバーンシュタインの王という立場から仕方のないことで、顔を上げたカーマインとエリオットが見合って忍び笑いをする。

「では行くぞ。ゲヴェルの居城に着くまでは私が先導する。そこからはカーマイン、お前が指揮を執ってくれ。他の者もなれた人物の指揮の方が良いだろう」

「リシャール」

先を歩き出したリシャールを、ふいにエリオットが呼び止めた。

「気をつけて、母上からの伝言です。もちろん僕からも」

「行ってまいります、陛下。母上にどうかご心配なくとお伝えください。では」

今度こそゲヴェルの居城にまっすぐ向かったリシャールを、カーマインたちが追って歩き出した。





バーンシュタインに現れる事のなかったグロウは、フェザーランドのとある場所で岩場に体を預けもたれ掛っていた。
グロウの目の前で行われるのはフェザリアンたちの軍事訓練であった。
あくまでオブザーバーと言う立場をとり、グロウは時に司令官から質問を受けて答えるという事をしていた。
自衛の為とは言え、戦事に関わるのは嬉しくは内容でその顔は暗くふざぎがちであった。

「グロウ様、よろしかったのですか?」

ステラの提案を受け入れたグロウを心配してユニが尋ねてきた。
今にも嫌ならば別の場所にでもと言いそうなユニの頭を、グロウは軽く撫で付けた。

「別に俺が戦うわけじゃないからな。もちろん目の前で戦闘が起ころうものなら、参加せざるをえないが。大丈夫だろ」

「そうですね。ステラ様の危惧も、今すぐにというわけでもないですし」

互いに今頃はゲヴェルの討伐に向かっているであろうカーマインたちの事は口にはしなかった。
気にならないわけではなかったのだが、グロウは頑なにカーマインの力を信じ、ユニはそんなグロウの思いを信じていたのだ。
良く言えばカーマインたちに運命を託した、悪く言えばカーマインたちに全てを押し付けたと言う所である。
何か質問をされない以上は暇な状況で、二人はたまに口を開いて喋る程度でずっとフェザリアンたちの訓練を眺めていた。

「少し様子を見に来たのだが、お主らは案外暇そうにしておるの」

そう言いながら市街地の方から歩いてきたのは、ステラであった。
突然の訪問に兵士たちは一時訓練を取りやめてステラに一礼すると、訓練を続けるようにと言うステラの言葉を聞いてすぐ戻っていった。

「どうだ、争い事に長けた人間から見てフェザリアンの戦闘能力は?」

「はっきり言って、向いてないな。地上ではその大きな翼が邪魔で仲間の視界を悪くし、物陰にも隠れにくい。かと言って空を飛べば遮蔽物は皆無で、放たれた弓をかわせるほど速く飛べるわけでもない。ウィンドカッターかトルネードでも唱えられたらアウトだ。最後に倫理観、人間みたいに残酷にはなれないようだしな」

「グロウ様、もっと穏便な言い方をしてくださいませんか」

「それじゃあオブザーバーとしての意味がないだろ。意見を求められたら、思ったことを言う。それが俺に与えられた仕事だ」

折角一生懸命訓練しているフェザリアンの兵士たちに聞こえてはと言うユニの配慮も、正論で看破されてしまった。

「うむ、想像以上に困難と言う所か。かと言って、人間のように戦う為の兵器を開発するのも気がひける。人間に奪われた時の事を考えるとなおさらだ」

「フェザリアンの戦闘の歴史は始まろうとしてる所だ。焦っても仕方ねえよ。より良いやり方をお前が考えていけばいい。それまでは、俺が守ってやるさ」

「惚れた相手に全力で守ってもらうと言うのも悪くはないが、出来るだけ良い案を速く出しておこう」

「女王様、お話中申し訳ありません。グロウ殿、オブザーバーの貴方にこう頼むのもおかしな話ですが、一手彼らに訓練をつけてやってもらえないでしょうか?」

話に割り込んできたのは、壮齢のフェザリアンの男で、今回組織された軍隊の総司令に選ばれた男であった。
その男がいう彼らとはもちろんフェザリアンの若い男たちであるが、その瞳が浮かべる色はグロウを歓迎しているようには見えなかった。
女王がいる前で叩きのめし、そのまま追い出そうとでも言う魂胆か。
グロウは司令官の顔を見ると、こちらは剣呑な瞳をしているわけではなかった。
グロウを歓迎するにせよ、しないにせよ、この一戦で兵士たちの心積もりを決めてしまおうとしているようであった。

「それもよかろう。我は許可するが、グロウ。お主はどうだ?」

「気は進まないが、惚れてくれた女と今日明日の飯のためだ。やるさ。あと、ユニのためもな」

「気にかけてくれたのは嬉しいのですが、ついでのように言われては嬉しさ半減です!」

「そいつは失礼。さてと、成功した試しはないがレギンレイブは出てくれるか?」

グローシュの翼を発現させたグロウは、その名を呟きながら右手に魔力を込め始めた。
手の平から伸びた魔力が形を作り始め、明確な形となったころには魔力の金色が銀色に変わっていた。
手にしたのは二度目であったが、意図して出したのはこれが始めてであった。
ヴェンツェル曰く、全ての生物の天敵となりうる剣、全ての属性を内に秘めた剣。
今まで手にしたどんな剣よりも手になじむそれを軽く振るいながら、グロウは同い年ぐらいのフェザリアンの兵士たちを見た。

「あんまり機嫌がよくないんだ。多少痛い思いをする事になるだろうが、俺を恨んでもステラや司令のおっさんを恨むんじゃねえぞ」

戦う前から、フェザリアンの兵士たちはグロウが生み出したレギンレイブを見てほぼ戦意を喪失していた。
手にした槍を指先にひっかけたまま、向かってくる事も降参の声を挙げることもしない。
これにはグロウもまいったなと行動を決めかねていたのだが、誰よりも早く空気の変化を感じ取り辺りを見渡した。

「おっさん、ステラを守れ。お前達も全員退け!」

争い事に無縁だっただけあって、総司令を引き受けていたフェザリアンでさえグロウの言葉には反応が鈍かった。
一番速かったのがステラであり、グロウに言われた通りに兵士たちを一箇所に集めるように指示を出し始めた。

「グロウ様、どうされたのですか?」

「ユニはステラのそばにいろ!」

そうグロウが叫んだ直後、グロウの近くに光が落ちてきた。
それがテレポートの光と解るやルイセを想像したグロウであったが、それにしては着地が荒っぽすぎた。
ルイセほどテレポートに慣れたグローシアンであったならば、出現場所にそよ風一つ起こさないはずである。
フェザーランドの大地を陥没させ、大きく風を乱した人物の姿が徐々にあらわになっていく。

「まさか、このような場所に逃げ込んでおったよはな。レギンレイブの波動を感じなければ一生見つからなかった事だろう」

「爺、よくも俺の前にしわがれた顔を出せたもんだな」

現れたのは、以前の純白から漆黒の衣装へと正反対の衣装に鞍替えしたヴェンツェルであった。
その言葉からグロウを探していた事が読み取れ、グロウはレギンレイブを握る手に力を込めた。

「ふん、今のお前にこの私と対等に戦う力があるとも思えんがな。レギンレイブを納めよ、戦うつもりはない。今日は忠告に来てやっただけだ」

そう言われてはいそうですかと納めるはずもなく、逆にグロウは警戒を強めていた。

「そのままでもよかろう。先ほど、カーマインたちがゲヴェルの討伐に向かった。もちろん、知っているな?」

当然知っているグロウやユニは反応を示さなかったが、これを聞いていなかったステラやフェザリアンたちは大いにざわめいていた。

「まさかとは思うが、爺も俺に行けっていうくちか?」

「強制はせん。ただこれを聞けば、お前は自らの意思で赴く事になるだろう。カーマインたちが無事に生還する確率はゼロだ」

「それは嘘であるな」

ヴェンツェルの宣言に間髪居れずに口を挟んだのはステラであった。
その正体を勘ぐりながらも、今口にした言葉のおかしさを指摘する。

「ルイセとやらは元々が皆既日食のグローシアン。さらにそのルイセが真のグローシュに目覚めた今、ゲヴェルの力をかなり押さえ込む事が出来よう。生還率がゼロはありえない、むしろゲヴェルを倒す確率は高いと我は思う」

「ふふふ、フェザリアンの女王よ。お前は人間と馴れ合いすぎたようだな。考えが甘い、私は生還率について言っているのだ。勝率ではない。確かにカーマインたちは勝つであろうな、ゲヴェルに。だが決して帰ってくる事は叶わない」

ヴェンツェルの不気味な笑いは、その言葉遊びに隠されていた。

「ゲヴェルは生物ではなく、兵器だ。では兵器とはなんだ? 敵対する者を殺すもの、生きて帰さぬものだ」

まるでグロウの不安を煽るかのように、ヴェンツェルは結論を先延ばしにして情報を小出しにしてきていた。
この話術に完全にはまっていたグロウたちは、ヴェンツェルが何の思惑もなく忠告などを行わない事を失念していた。
ただただヴェンツェルが口にするゲヴェルが兵器であることから、カーマインたちが生還できない理由に心を奪われていた。
グロウの瞳の揺れ方からそれを確認したヴェンツェルは、最終の結論をようやく口にした。

「追い詰められたゲヴェルは、自分を追い詰めた手ごわい敵を一掃する為に自爆するようプログラムされている」

強く握り締めていたはずのレギンレイブがグロウの手から零れ落ちた瞬間、ヴェンツェルは罠に掛かった獲物を前に心の中で笑っていた。

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