レティシアとサンドラに別れを告げたグロウは、ティピを伴いフェザーランドへと飛んだ。 待っていると言ったステラとの約束もあるが、他に行く場所がなかったのもある。 ローランディアはもとよりバーンシュタインにも顔見知りはおり、ランザックはまだ大丈夫だがヴェンツェルがいる可能性がある。 一番安全で顔見知りの現れない場所としてグロウはフェザーランドを選んだのだ。 グローシュの翼をはためかせながら、天を貫くような岩山の天辺にあるフェザーランドへと向かう。 「それにしてもステラ様の頼みたい事とはなになのでしょうか?」 グロウの肩にしがみ付きながら、ポツリとユニが漏らした。 フェザリアンの人間嫌いは相変わらずのはずで、ステラの個人的な思惑は別にして快くグロウが迎え入れられる理由がわからない。 「全く検討もつかねえ。ステラの事だ、悪いようにはしないだろう。それに、今の俺たちには明日の食い扶持にも困るありさまだ」 「グロウ様、定職についてませんでしたから。これからはちゃんと働いて、私を養ってください。私も出来る限りグロウ様のお世話をします」 「いきなり尻に敷こうとするなよ。拗ねるぞ」 「拗ねてもお腹はふくれません」 言われて本当に頬を膨らませるような素振りをグロウが見せると、口元に手を当ててユニがクスクスと笑う。 そんな二人の姿は、一時間も経たない先ほどに、恋人や母親と永遠の別れを済ませたようには見えない。 ごく自然に笑い、言葉を掛け合うのは心の中で全てにけりをつけてしまったからだ。 もう二人にとってお互いを除いた人間関係の殆どが、過去のものとなってしまっていた。 「もう少しだな。ユニ、しっかり掴まってろよ」 「はい、グロウ様」 ユニが風で吹き飛ばされないように手でガードしてやりながら、グロウはフェザーランドへと向けて一気に飛ばした。 目前にまで迫ってきたフェザーランドを追い越し、徐々に勢いを殺して今度はゆっくりと空の上の大地に足を降ろしていく。 そこで待っていたのは、何時もは入り口付近で衛兵をしているはずのフェザリアンの兵士であった。 「お待ちしておりました。グロウさんですね、女王がお待ちです」 「数ヶ月前とはうって変わったお出迎えじゃねえか」 「女王のご命令です。これから現れる光の翼を持った人間を客人として案内しろと言う。これについては、すでに我々だけでなくフェザーランド全体に報告がなされています。女王が貴方に何を求められているかも含めて」 「それってつまり、ステラ様だけでなく他のフェザリアンの方も納得していると言うことなのでしょうか?」 「もちろん反対の声を挙げた者もいましたが、知っての通りフェザリアンは種全体の意見を尊重します」 それはつまり、反対意見よりも賛成意見が多かったと言う事だ。 一体何をさせるつもりなのか、興味が出たグロウは聞いてみたが直接女王から聞いてくれと言われてしまった。 かつては拘束具を着せられて歩いたフェザーランドを、グロウはありのままの姿で、もちろん翼はしまった状態で歩いていった。 期待や不安、敵愾心と色々な視線をフェザリアンたちから浴びながらグロウは、ステラの屋敷にまで案内された。 衛兵の案内はここまでだと去っていき、残されたグロウとユニは迷わずステラの屋敷へと入り込んでいった。 「うむ、待っていたぞ。何時までも廊下に立っていないで座るがいい」 リビングで待っていたステラはかなりリラックスした様子で、お茶を飲みながら待っていた。 言われるままにステラの前の椅子に座ったグロウは、肩の上から机の上にユニを降ろす。 「何か俺にさせる事を全体の了解を得た事までは聞いた。ただ何をすればいいのかわからん。その所をまず教えてくれ」 「そうであるな。我がお主に頼みたいのは、我らフェザリアンへの戦の指南である」 これまた意外すぎる頼みごとに、ユニはもちろんのことグロウも一瞬呆けてしまった。 「意外だと言う顔をしておるな。人間の争いを嫌ってこのフェザーランドに逃げ込んだ我らの言い出す事としては確かにおかしなものであろう。だが過去に我が人間に誘拐された事も含め、いずれこのフェザーランドですら我らの逃げ場として成り立たぬ時期が訪れる」 「確かにな。現にアリオストが空を飛ぶ魔道装置を開発した。いずれ大人数が同時に空を飛べる魔道装置が出来ないとも限らない」 「ですが、その為の魔法学院ではないのですか? 魔法や魔道の力を悪用されない為の」 「魔法学院の考え方には我らも一目置いておる。だが忘れたか、ユニよ。その魔法学院の最高責任者であった男が起こした事件を」 ステラに指摘され、ユニはあっと声を挙げていた。 その事件とはまだ記憶に新しい、グローシアン誘拐事件である。 グローシアンになりたいという個人的な欲望の為に、何人ものグローシアンの記憶を破壊した男の事件。 「争いは忌むべき行いだ。だから我らはここへと逃げ込んだが、その時代にも終わりが近づいておる。我らは我らの為に自衛の手段を持つ時代へと変わり始めようとしておる」 「あくまで自衛の為の力か」 「そうだ、そして人間の中でも戦う事に長けているお主に我は白羽の矢を立てた」 「フェザリアンの女王に見初められるとは光栄の至りだな」 やや自虐的な呟きに、ステラの瞳の色が変わった。 以前に会った時も感じた事だが、あれほど強く輝いていたグロウの瞳に陰りが見えるのだ。 グロウと言う人間が放つ輝きが弱くなっていた。 まともに聞いても話してはくれないのだろうなと、ステラは立ち上がると机を回り込みグロウの横に立つ。 相変わらずの瞳で見上げてくるグロウに一言言う。 「立つがいい」 「なんでだ?」 「口答えはよい。言う通りにするがよい」 なんなんだよと愚痴をこぼしながら立ち上がったグロウを、不意にステラが抱きしめてきた。 包み込むようにグロウの顔を胸元に抱きしめ、雛鳥を包み込むように翼で覆ってしまう。 「理由は解らぬが、戦う事が嫌になったようだな。嫌なら断っても良いのだぞ。気にする事はない、それでもお主がここにいる事を我は許そう。もちろん別の役割を担ってもらう事にはなると思うが」 「まだ決めかねてる。考えさせてくれないか」 「うむ、良い返事を期待している」 そう言ったものの、ステラはなかなかグロウを解放しようとはしなかった。 抱き込んだグロウの頭を何度も何度も撫で付ける。 「おい、そろそろ放してくれ」 「そう言うな。もう少し、お主の髪ざわりが良すぎるのが悪いのだ」 「人が悪いみたいに……お前と俺は良くてもな、一人妬く奴がいるんだよ」 一体誰が抱きしめる力を弱めたステラの目の前に、ほっぺたを膨らませたユニが目に入ってきた。 目を潤ませながらギュッと拳を握って、怒ってるのか泣いてるのか解りにくい表情を見せていた。 その顔をじっくりと眺めながら、ステラはこれが妬くという感情かと冷静に観察していたりする。 「妬いているわけでは……ええ、妬いてます。ですが単純に妬いているのではなくてですね。ステラ様、グロウ様に甘えるなとは申しません。ですが甘えるならちゃんとしてください。グロウ様の恋人になると宣言してください」 「それぐらいで良いのなら、かまわぬが。仕事柄のせいか、我はまだ独身である。だがもしも、お主がここを発つというのであれば留めはせぬ。我はこの地に留まり、お主が発つのを見送り、戻ってくるのを待つであろう」 その言葉を聞いて、ステラの手の中にいたグロウがわずかに身じろいだ。 「レティシアとはローランディアの姫の名であったな。そしてその者がおらぬ。その者と我は同じである。責ある者として、土地を離れられぬ」 「どうしてですか? レティシア様やステラ様を責めるつもりはありませんが、私には解りません」 「それはすでにグロウを一番に想い愛する者、ユニお主自身がいるからだ。我らが同行せずとも、十分にお主がグロウを愛してやれる。だが我らを必要とする者たちにとって、我らは唯一無二のものだ。恐らくは、レティシアとやらも我と同じ気持ちなのであろう」 「私のせいなのですか? 私がいるから……」 「それは違う。お主が居るからこそ、我らは安心して留まった地で役割を果たす事ができるのだ。もちろん、我らの愛がお主に劣るわけでもないがな」 最後の台詞は少し負け惜しみっぽくなってしまったが、ステラはユニの頭をちょいちょいと撫で付けた。 生まれた時からグロウのそばにいるべき役割を持ったユニは、根本的に特別なのだ。 だがそれを羨ましいとは思いはしても、恨みがましく思うこともない。 ユニを恨みがましく思うと言う事は、手を離したリンゴが地に落ちる事を恨みがましく思うのと同じである。 恨みがましく思っても何の意味もないと言う事である。 「だからお主はお主の思うままにグロウを愛せばよい。我らも我らのやり方でこの男を愛するのみである」 「はい、わかりました。ステラ様の考えも知らずに申し訳ありませんでした」 随分と脱線していき、ようやくまとまった話をステラの胸の中で聞きながらグロウはレティシアのことを考えていた。 一方的な選択を迫り、即座に答えを求め、言いたくもない答えを言わせた。 それは全て自分のわがままのためであり、レティシアがそのあおりを受ける理由は何処にもないはずである。 本来ならばローランディアには二度と近づかないつもりであったが、レティシアに会う為ならばとグロウは揺れていた。 「別れの言葉一つで全て忘れられない間柄ならば、会いにいってやるべきだ。我ならば、帰ってこぬと解ってはいても待っているぞ。それがかなわぬ望みと知りながらな」 「考えておくさ」 「よく考えるが良い。どうも今回のお主の行動は思慮に欠ける様である。熟考し行動せよ」 諭すように言ったステラが、ふいにグロウを解放し一歩ひいた。 それから数秒と経たないうちに廊下側からノックが数回鳴らされた。 「ステラ様、あの人間に会いたいと数人の人間達がやってきております。いかがいたしますか?」 「それみたことか、思慮の浅い行動は未練を残す。我はここで待っておる。行って共に戻るもよし、きちんと別れるもよし。好きにするがよい」 先に覚悟を決めたようにステラは椅子に座りなおし、黙ってグロウを見送る事に決めてしまう。 何かを決断するにせよ、会いに行かねばならないのは絶対である。 心配そうな顔をするユニを引き連れて、グロウは衛兵と一緒にフェザーランドの入り口にまで戻っていった。 衛兵の案内で歩いていくと、街の外れにカーマインたちが居た。 どうやらカーマインのおかげで元気になったであろうルイセと一緒に。 予想はしていた分だけルイセが元気になった事はさほど驚きはしなかったが、不安を抱いたまま向けられた顔が辛かった。 「グロウお兄ちゃん」 「よお」 「よおじゃないわよ、なに勝手に行動してんのよ。ユニも、そう。ゲヴェルの居場所がわかったんだから、さっさと倒しに行くわよ。一緒にきなさい」 グロウの気のない返事に苛立ったのか、ティピがしかりつけるようにして言ってきた。 ティピにしてみれば言葉通り勝手な行動なのだから、そう言う言い方になるのも仕方のないことだった。 だからと言って黙っているユニではない。 「ティピ、戦う事をグロウ様に強制しないでください。そんなにグロウ様が嫌いですか? そんなにグロウ様に傷ついて欲しいのですか?」 「はぁ? なにわけわかんないこと言ってるのよ」 「それはティピ、貴方や皆様がグロウ様を理解しようとしないから解らないんです。皆様と一緒に居る事で、どれほどグロウ様が傷つくのか。辛い思いをするのか、少しは考えてみてください」 睨みつけ突き放すように言ったユニの台詞に、ティピは混乱したまま押し黙り、皆はおかしなことを言い出したユニをどうしたんだと見つめる。 互いの言葉がそのまま伝わらないほどに、グロウ側とカーマイン側で意識のズレが生まれているのだ。 「それは、あれか。確かにいつも大怪我をするのはグロウだったことか?」 「でもそれは、グロウさんが率先して誰かを守ろうとしてたからじゃないですか。それが辛いって事は、守りたくないって……ことですか?」 ウォレスとミーシャが探るように言った言葉に対して、ユニが何かを言う前にグロウが止めた。 ユニの口元に人差し指を回り込ませると、そのまま抱き寄せて近くの岩に自分の体を預ける。 体中の力が抜けた様に岩に体を預けるグロウは、酷く気だるそうで、諦めきったような表情をしていた。 「ユニ、感情的になるなよ。もうわかったから、俺たちは解り合えないって」 「僕らが解り合えないって、今までずっと解り合えなかったことなんてなかったじゃないか。グロウ、ユニ。僕らこそ、二人が何を言っているのか解らないよ」 「それを説明してやるよ。カーマイン、ルイセの事好きだろ?」 話のつながりはともかくとして、ビックリして顔を赤らめたルイセを見ながらカーマインは一度だけ頷いた。 「ルイセ、カーマインの事好きだろ」 「う……うん」 「カーマインずっと前に、お前は言ったよな。全ては自分ではない誰かの為に戦うんだって。今でも同じ台詞が出てくるか? でてこないよな。お前はルイセの為にって答えるだろう。そしてルイセもカーマインの為に。ウォレス、お前は何の為に戦う?」 何の為に戦うのか、それは随分と前、それこそジュリアンと始めてあった頃に問われた問いかけであった。 「隊長が見つかった今、俺はゲヴェルに殺された仲間の為に。そしてゲヴェルを倒そうとするこいつらを死なせない為に戦う」 「ミーシャ、お前は?」 「え、私もですか。私は、変わっていません。ルイセちゃんの為にできる事ならなんでもしようって。それが戦うってことなら、私は戦います」 全員の戦う理由を聞きいてから、グロウは問いかけた。 「なら俺は、何の為に戦えばいい? 誰かの為になんてあやふやな理由じゃない。特定の誰かの為に。俺は誰の為に戦えばいい?」 「アンタねえ。呆けるのもいい加減にしなさいよ。レティシア姫がいるじゃない、ユニがいるじゃない。アンタにだっていくらでも戦う理由になる誰かがいるじゃない! 聞いたわよ、アンタ一方的にレティシア姫やマスターに別れを告げたって。いい加減考えてる事全部吐き出しなさいよ」 「なら言ってやる。レティシアやユニを守る為に、ゲヴェルを倒しに行く必要が何処にある? レティシアはもとより、俺が行かなければユニも危険な場所にいかなくていい。俺が誰かを守る為に、ゲヴェルと戦いに行く理由はないんだよ。それでもお前らは俺に戦えという」 グッと唇をかみ締め、耐えるようにしながらグロウは言った。 「お前ら、本当は俺じゃなくて。危険を遠ざける盾になってくれる俺が欲しいだけじゃないのか?」 轟音と共に、ウォレスの脇にあった岩が真っ二つに割れていた。 それを割ったのは打ち震えるウォレスの鋼鉄の腕であった。 「どうやら、グロウを仲間だと思ってたのは俺たちだけだったようだな。胸糞が悪い、俺はもう帰ってこいとは言わない。説得に飽きたら迎えに来てくれ」 少し離れた場所で、ウォレスは怒りを押さえ込むように座り込んだ。 「信じたくないって言うのが本音ですけど、今のは酷すぎると思います」 「バーカ、アンタが勝手に消えるから気になってきてあげただけ。思い上がるんじゃないわよ!」 続いてミーシャとティピもこの場を離れるが、ルイセとカーマインだけはまだそこを動こうとしなかった。 もちろん投げつけられた言葉にショックは受けているものの、まだそれでも信じようとしていた。 「グロウお兄ちゃん、私ね元気になったんだよ。それからカーマインお兄ちゃんとね。気持ちを確かめ合ったの。私達両想いだったの。グロウお兄ちゃんが嫌なら、一緒にきてくれなくてもいい。ただ一言でいいの、よかったねって言って。グロウお兄ちゃんにお祝いして欲しいの」 素直におめでとうと言えるはずがない。 生まれて始めてルイセに対して泣きそうな顔を見せたグロウは、唇を噛んで最後の一線を耐えながら背中を向けた。 やはりどう考えても一緒に居るなどと言う選択肢は出てこなかった。 コレまでのように嘘の仮面を被ったまま一緒になど、拷問以上の拷問であった。 「グロウ、あと一日だけバーンシュタインで待ってる。どのみち、こんな精神状態で戦いになんていけないから」 「絶対に来ない奴を待つってのは、そうとう辛いらしいぞ。年上のお姉さんから最近受けた忠告だ」 「待ってるから、ルイセと一緒に」 なんと言われようと、グロウは意見を変えず振り返ることすらせずカーマインたちの前から去っていった。
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