第百四話 真のグローシュ


記憶の障害が治ったとはいえ、まだまだ経過観察中のルイセは、変わらず病室のベッドの上であった。
そんなルイセの手のひらに乗っているのは、大きな亀裂を抱いて砕けたプロミスペンダントである。
誓いの通りカーマインに加えおそらくグロウも涙した事からペンダントは砕け、願をかけていた願いは叶った。
カーマインと両想いになりたい。
病室のベッドの上と言うシチュエーションはともかくとして、壊れた記憶が治るおまけまでついていた。
なのにその事を純粋に喜べていないことをルイセは自覚していた。

「ルイセ、はいるよ」

「カーマインお兄ちゃん、グロウお兄ちゃんは見つかった?」

そう、素直に喜べないのはグロウが突然姿を消してしまった事にあった。
ルイセはもとより、カーマインやウォレス、ミーシャも気付かないうちに何処かへ行ってしまったらしい。
唯一安心できる点は、ユニも一緒という所だけであるが、そのユニへとティピのテレパシーは届かない。
ティピが言うには、ユニの方からガードをしているということだ。

「駄目だったよ。病院中の人に、今もウォレスさんやミーシャが聞いて回っているけれど見た人はいないって」

「そう、なんだ……」

「まったく、ルイセちゃんの容態が良くならないうちから何処行っちゃったのかしら。戻ってきたら、ユニ共々とっちめてやらなきゃ!」

「戻ってくるつもり、あるのかな?」

体中で怒りを表現していたティピであったが、ポツリと呟かれたルイセの言葉に動きを止めていた。

「ルイセ、それってどういう意味だい?」

「特に何かあるわけじゃないんだけど、なんとなく。もう戻ってこないんじゃないかって」

自分で呟いた台詞で自分を不安にさせてしまったようで、立てた膝の上に顔を押し付けて涙を隠す。
本当にルイセ自身そう思ってしまったのかはわからなかった。
急にしゃくりあげ始めたルイセを前に、カーマインとティピは顔を見合わせていた。
だがすぐにカーマインはルイセのすぐそばに腰を下ろすと、その頭をなでつけ始めた。

「大丈夫だよ、ルイセ。グロウは絶対に戻ってくる。プロミスペンダントが壊れてるだろ。たぶん自分が泣いた事が恥ずかしくて逃げ出してるだけだよ」

「本当かな、本当に戻ってくるのかな。戻ってくるよね」

「大丈夫、僕も一緒に待っててあげるから」

相変わらず兄と妹の関係のように見える一面だが、一歩退いて二人のやり取りを見ていたティピは気付いた。
カーマインに抱きつくように縋るルイセと、慰め頭を撫で付けてやるカーマイン。
以前までのように変に意識した照れがなくなっていたのだ。
互いに告白した事で踏み出す事ができたからか、これでグロウがいなくなったりしなければと思っていると病室のドアがけたたましく開いた。

「お兄様、ルイセちゃん。あとついでにティピちゃん!」

「ちょっと病院では静かにって言うか、なんで私がついでなのよ。ミーシャ!」

「細かい所に突っ込まないでティピちゃん。見つかったの、グロウさんを最後に見た人が。フェザリアンの女の人と一緒に飛んでいった男の人を見たって。しかもローザリア方面に飛んで行ったって。普通に帰ってるだけかも」

本当に一人でローザリアに帰っただけならばいいのだが。
カーマインはルイセの顔を伺い見て確認すると、すぐに退院の手続きに走った。
もちろんルイセ自身の容態のこともあるので、今もまだローランディアの城で保護されているアイリーンに主治医を引き継ぐ事が条件となった。
そしてもう一つ、できれば魔法学院に立ち寄って奇跡の回復を見せたルイセの話を新しい学院長であるブラッドレーにして欲しいと頼まれた。
少しばかりの寄り道となってしまうが、他にも同じ症状を抱えたグローシアンがいる以上無視もできず、一先ずカーマインたちは魔法学院を目指した。





テレポートで魔法学院に飛ぶと、特にルイセが急ぎ足で学院長室へと向けて歩き出した。
そうしたくなる理由もわからなくはなく、皆もルイセの後を追った。
エレベーターで一気に学院長室のある七階へと昇り、学院長室を目指す。
受付の男性が何か言ったのすら気にも留めずに学院長室の扉を開けてしまう。

「失礼します。学院長先生、お話があります」

「おお、その声はルイセ君だね。少しだけまってくれないか、先日歪み計が異常な歪みを検知する事が多くてね。結構大騒ぎになって……ルイセ君?」

途中で言葉をきってから書類を置いた学院長は、そこでようやくルイセが目の前にいる事への不自然さを察していた。
ルイセがグローシュを奪われた報告は当然送られてきており、学院長も目を通していた。
なのに何故そのルイセが満足な姿で目の前に現れたのか。

「いったい、どうして、どうやったのだ? 私も手は尽くしているのだが、なかなか方法が見つからなかったのだ!」

「実はそのことで、頼みがあってきたんです。私達には調べている時間がないので」

「うむ、任せてくれ」

ルイセがブラッドレーに差し出したのは裂ける様に砕けたプロミスペンダントである。
最初それを受け取った時には、ブラッドレーが不思議そうな顔をしていた。
一見、何度見てもそれはただのペンダント、もっと悪い言い方で玩具にしか見えなかったからだ。

「学生が何人か身につけていたのは見たことがあるが、これにグローシュを取り戻す秘密が?」

「わたしもグローシュの奪われて、ラシェルの保養所にいました。しかし、このペンダントが割れたとき、わたしのグローシュが戻ったんです」

「しかし、何度見てもこのペンダントにそれほどの力があるように思えんが……」

裏を表をひっくり返して眺める学院長に不審げに呟かれると、差し出したルイセも不安になってしまう。
何もいえなくなってしまったルイセの代わりにと、ウォレスがカーマインに尋ねる。

「俺たちはルイセが元に戻る瞬間をこの目で見たわけじゃないからな。カーマイン、そのペンダントのおかげで間違いないんだろ」

「いえ、それが……あの時はルイセが死んでしまうかと思って夢中で、よく憶えていないんです。ただそのペンダントだけが、事の前後で姿を変えていたもので」

「いや、わかった。出来るだけ調べてみよう。何しろ今はワラにもすがりたい気持ちなのだ。しかし、これだけ1つだけ謎が解けたよ」

分からない事だらけの中でブラッドレーが呟いた台詞に、皆が首をかしげる。

「先日、時空観測器が、北の方角に局地的な歪みを記録したんだ。たぶん、ルイセ君のグローシュが戻ったときの波動だろう」

「そんな波動があったんですか?」

「時空の歪みが大きくなったときにグローシアンが生まれる。逆にルイセ君が戻ったとき、歪みが大きくなっても不思議ではあるまい。つまり、歪みを作ることと、グローシュが戻ることには関係がある。そしてそのペンダントが割れたという事実」

「それじゃ、ペンダントを使って歪みを発生させることが出来ればいいんですね?」

「簡単に言えばそうなるが、それはこれから調べる。とにかく、貴重な情報をありがとう」

話が一区切りした所で、ルイセは直ちにグロウの行方を捜そうと部屋を後にした。
ブラッドレー学院長に一礼してから扉に手をかけ様とした所で、思い出したようなブラッドレーの声に止められた。

「そういえば、アレはどうなった?」

「アレ?」

「真のグローシュだよ!」

何の事だと聞き返したティピの言葉に、ブラッドレーの言葉がかぶせられる。

「どうだね? あれはただの伝承なのか?それとも事実なのかね?」

正直に言うと誰もがそれどころではなく、きっぱりと忘れていた。
それに今はグロウを探す事で頭が一杯のルイセは、少しだけ不機嫌さを表に出しながら答えた。

「多分、事実です。うまく説明できないけど、感覚が研ぎ澄まされたみたいな感じがするんです。例えば……え、グロウお兄ちゃん?」

やや瞼を閉じて、意識を集中させ始めたルイセは数秒後には目を見開いていた。
何かを掴んだのかローランディア方面を見て、グロウの名を呟いていた。
瞳そのものは学院長室の壁を見ているのだが、実際にはその向こう側のさらに遥か彼方にいるグロウを感じ取っているようである。

「ルイセ、グロウってどういうことだい? ローランディアにいるって事?」

「ううん、方向的にはローランディアなんだけど、もっと向こう。多分あそこは、フェザーランド? どうしてあんな所に」

本当にグロウの居場所を感じているようで、大まかな居場所まで言い当てていた。
考えてみればミーシャが手に入れたグロウの目撃情報も、フェザリアンの女性と共に飛んでいったということである。
グロウと関係のあるフェザリアンの女性。
真っ先に浮かんだのは女王ステラの事であり、グロウがフェザーランドにいる可能性がますます強くなる。

「カーマインお兄ちゃん、フェザーランドに行っていいよね。グロウお兄ちゃんを迎えに行こうよ」

「そうだね、突然いなくなった理由はわからないけれど。理由ぐらい教えてもらわないとね」

「じゃあ今すぐにでも、ミーシャ、ウォレスさんも急いでッ?!」

カーマインの手をとって走り出したルイセであったが、その足は数歩走ったところで止まってしまう。
今度はローランディアとは間逆にあるバーンシュタイン王国の方を見つめたままである。
今度は一体何を感じ取ったのか、カーマインがルイセの顔を覗き込もうとすると、不安げな顔をしたルイセが先に振り返ってきた。

「ゲヴェルの波動がたくさん。仮面の男達が、ゲヴェルの私兵がバーンシュタイン王国を攻撃しようとしてる!」

「そいつはまずいな。グロウに構っている場合じゃねえぞ。インペリアル・ナイツはともかくとして、一般の兵士にはゲヴェルの私兵は強敵すぎる」

「どうするの、先にグロウを迎えに行く? それとも、バーンシュタインの応援に先に行く?」

確認してきたティピに、カーマインは直ぐに答えていた。

「バーンシュタインに行こう。グロウは後でも迎えにいける。今は人命のかかっているバーンシュタインに急ごう。ルイセも、それでいいよね?」

「う、うん……仕方ないよね。グロウお兄ちゃんは、後でも迎えにいけるもんね」

納得はしていないが、カーマインの言う事が正しいのも解っていた。
仕方がないという言葉でルイセは自分を納得させ、一度校舎の外に出てからテレポートを唱えた。





少し時間は遡り、カーマインたちがラシェルでグロウを探し回っている頃。
当のグロウはローランディア手前の空を飛んでいた。
完全に安定する姿を見せたグローシュの翼は、ステラの翼となんら変わらない働きを持ってグロウを運んでいた。

「さて、そろそろローランディアであるな。お主はどうするつもりかえ?」

「そうだな。とりあえずはレティシアを迎えに行く。その後は、後で考えるさ」

「うむ、レティシアとやらの事も気になるが。お主さえ良ければ我の所に来るがいい。色々と頼みたい事もあるし、お主にとっても都合が良かろう。フェザーランドでは、お主を知るものは殆どおらぬ。それだけ気兼ねは要らぬ」

「ああ、そうだな。それも良いかもしれねえ」

「待っておるぞ」

ステラと一時の別れを済ませると、グロウは翼をはためかせ大地へと降りていった。
さすがにフェザリアンでもないのに街中へ翼で降りていくわけにも行かず、適当な森の中に一度降りてから歩いてローザリアを目指す。
街の門を潜り、街中を歩いて自宅の前を通り過ぎてローランディア城の城門前まで来て一度立ち止まる。
グロウはサンドラの息子である事を抜いてはただの平民なので正面からは城には入れない。
そこで城壁の裏手へと回りこみ、再び翼を開いて飛び越える。

「なんだか、完全にグロウ様の一部となってますね。このグローシュの翼」

「拘る必要がなくなったからな。受け入れれば、案外楽に使えるもんだ」

「それは、どういうことですか?」

カーマインと違いグロウの翼は使い勝手が悪く、自分の意思では全く出せないものだと本人のみならずユニも思っていた。
ヴェンツェルの小細工という点もあるが、一番の理由は特別である事でカーマインよりも目立つ事を嫌ったグロウのせいであった。
無意識のうちにグローシュの翼を使わないように、使えないように押さえ込んでいたのだ。

「もうカーマインの事であれこれ悩む事もない。遠慮しなくても俺はカーマインに勝てない。だからだろうな」

「なんだかありがたみがありませんね。必要なくなってから使えるようになっても」

とは言うものの、城に忍び込むのに使ったりと使い勝手は良かったりする。
そんな無駄口を叩きながら、グロウとユニは一先ずサンドラの研究室の真下へときていた。
城内でレティシアが一番いる可能性があるのかそこだからである。
現にサンドラが良くお茶を飲んでいるテラスを見上げると、見覚えのある後姿が僅かに見える。
最後の一羽ばたきでグロウは飛び上がると、テラスの手すりの上に足をついた。

「レティシア」

「グロウさん、一体何処から。それにその背中の翼は……えっと、とりあえずお茶にしますか? ユニちゃんもそれでよろしいですか?」

尋ねたい事は山ほどありながら、グロウがいるのならそれで良いと何時も通りの対応をするレティシアである。
それに対してグロウはゆっくりと首を振り、レティシアの方へと手を差し伸べた。
真っ直ぐレティシアの瞳を見つめ、言葉をつむぐ。

「レティシア、この先一生俺と共に生きるのならこの手をとってくれ。そうすれば俺は生涯をかけてお前を愛する事を誓う。だが俺がローランディアにいられない以上、俺と一緒に来てもらう。今すぐ決めてくれ。俺と共にローランディアを出るか、残るか」

「ちょっと待ってください。突然すぎて……ユニちゃん」

突然と言う意味ではレティシアの言い分が正しかった。
だが同時にグロウが何処までも本気である事を感じ、助けを求めるようにユニを見た。

「全てはグロウ様のお言葉通りです。レティシア様、私はすでに決めています。グロウ様が何処へ行こうとついていくと。例えグロウ様が拒まれても、ついていきます。レティシア様は、レティシア様の思うままにお答えください」

「そんな……だって私はローランディアの姫なんですよ。グロウさんが愛してくれると言うのなら、その手を取りたい。ですが、駄目なのですか? ローランディアでは駄目なのですか?」

「この国に、カーマインとルイセがいる限り無理だ。気が狂いそうなんだよ。もうあの二人にしてやれる事は何もない、それが一番辛い。俺という存在はあの二人にとって必要ないんだ。だから俺を愛してくれ、レティシア。俺には俺を愛する人が必要なんだ!」

グロウが何を悩み、決断したのか。
言葉の端々からだけではとても理解しきれるものではなかった。
それでもグロウがこんなにも苦しんでいるのなら、助けてあげたい、愛してあげたいとレティシアは思った。
かつてサンドラに忠告された通り、今にも倒れこんでしまいそうなグロウを支えてあげたいと思い、手を伸ばした。
グロウとローランディアを天秤にかけながら、ゆっくりとグロウの手に自らの手をつなげようと伸ばす。

「レティシア姫? それに、グロウ?!」

だが手が繋がる事は、サンドラの声によって阻まれてしまった。
掛けられた声に驚き退いてしまったレティシアの手が再び伸びる事はなかった。
一度でも冷静になってしまえば、ローランディアの姫としての立場が重くのしかかってくる。

「グロウ、貴方一体。レティシア姫、いかがなされました?」

「グロウさん、私は……やはり、行けません。けれども憶えておいてください。私は貴方を愛しています。これ以上ないほどに、愛しています」

「ああ、俺も心の底から愛してる。それと悪かったな、意地悪な問答で」

首を振ったレティシアの瞳からポロポロと涙がこぼれていた。
一体二人の間でどんなやり取りがあったのか、サンドラはレティシアの背中をなでつけながら図りかねていた。

「母さん」

そしてさらにサンドラを混乱させる言葉がグロウから送られる事となった。

「今まで口が悪い息子でごめんな。母さんは十分綺麗だよ。ありがとう、母さんが俺の母さんで本当に良かった。カーマインとルイセがいるから、寂しくなんかないよな」

「ま、待ちなさい、グロウ。ユニ貴方からも何か言いなさい!」

「マスター、申し訳ありません。私はグロウ様がしたいようにさせてあげたいのです。だから止めはいたしません」

ペコリと頭を下げたユニを抱き寄せると、最後に「それじゃあ」と短い別れの挨拶を残してグロウは羽ばたいていった。
グローシュの翼のおかげでしばらくは見えていたが、直ぐにグロウの姿は空の彼方へと消えていっていた。

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