第百二話 戦うということ


月と星明りを受けて夜空に浮かび上がるのは、ゲヴェルが身にまとう真っ白な甲殻であった。
森の中へと突入したグロウたちからは、覆いかぶさるようにしている木々の枝が邪魔で全貌を掴みにくくなっていた。
だがゲヴェルのその大きさから見失うと言う事はなく、確実に奴との距離が近づいているのがわかった。

「なんて大きさだ。これが、お前達が追っているゲヴェルって奴か」

「ああ、19年ぶりにやっと会えたぜ!」

上を見上げながら走るゼノスの呟きに答え、高ぶる戦闘意欲を隠しもせずウォレスが叫ぶ。

「でもゲヴェルのもとまで行ってどうするんですか? 相手が大きすぎますよ」

一度水晶鉱山で、水晶から出てきたゲヴェルの輪郭は目にした事があった。
こうして実際に相対してみれば、それ以上の大きさを威圧感を感じずにはいられなかった。
ミーシャが萎縮するのも仕方のないことで、想像以上だったというのは一度間近で見たことのあるウォレス以外の全員が感じていたことだ。
なのにあえてグロウは断言して言った。

「決まってる。奴を殺す。追い返そうだなんて甘っちょろい考えは捨てろ。奴を殺すか、俺たちがラシェルごと滅亡するか二つに一つだ」

「確かにグロウの言う通り、これまで自分の存在をひた隠してきた奴が姿を現したんだ。姿を見咎めた奴を生かしておくとも思えん。ここで奴を倒す、それ以外にない」

ウォレスからも同意の言葉が放たれた時、これまでラシェルへと向けて絶えず足を動かしていたゲヴェルの動きが止まった。
一体どういうつもりなのか、つられるようにグロウたちも足を止めるとゆっくりとゲヴェルの首が動いた。
その巨体さから細やかな動きは苦手のようで、ゆっくりと動いた首はグロウたちのほうを向いて静かに止まった。
互いの姿を隠しかねない木々の枝などないかのように、ゲヴェルの眼差しが真っ直ぐグロウたちへと突き刺さる。

「あの娘はどこだ?」

地の底からはいずりあがってくるような声に、皆の背筋に悪寒が駆け抜ける。

「全力で攻撃しろ!」

そのまま聞き入っていれば金縛りにあってしまいそうで、ゲヴェルの声を振り払うようにグロウが叫んだ。
たった一睨みで飲み込まれそうになった。
その事実を忘れ去るように一心に力を込めて攻撃の手を挙げた。

「我が魔力よ、我が敵を打ち砕け。ソウルフォース!」

「積年の想い、ようやく果たすときが来たぜ!」

「こんな化け物に、ラシェルをやらせてたまるか!」

ミーシャが魔力の鉄槌を放ち、ウォレスが特殊両手剣を投げつけ、ゼノスが本家本元の飛ぶ斬撃を撃ち放った。
ゲヴェルと自分達を隔てていた木々の枝を吹き飛ばし、ゲヴェルへと一直線に魔力と武器が向かう。
最初に衝突したソウルフォースがゲヴェルの目の前で弾け月明かりさえも吹き飛ばす輝きを見せた。
ほんの一瞬だけゲヴェルの姿を見失うが、元々の巨体から攻撃が外れることはなかった。
ウォレスの特殊両手剣が火花を散らし、最後にゼノスが放った飛ぶ斬撃が森一体をざわめかせる程の衝撃音をまねいた。

「やったんでしょうか?」

「わからッ」

ゴクリと喉を鳴らしてから問いかけてきたユニに答えようとしたグロウは見た。
ソウルフォースによって生まれた煙の向こう側から、白く巨大な手が伸びる光景を。

「お前ら、退け!」

「え、きゃぁッ!」

そばにいたユニを捕まえると、グロウは言葉にしながら自らもその場から退いた。
直後つい先ほどまでグロウたちが居た場所に、ゲヴェルの腕が落下するように叩きつけられた。
揺れる大地に足を取られながらも振り返り、全くの無傷であるゲヴェルの姿を確認する。

「ミーシャ、ユニを連れてさがれるだけ、さがれ。あれだけの巨体だ、何処から撃っても当たる。ゼノスは俺と一緒に前に出ろ。攻撃の隙間はウォレスの剣で埋める。奴に攻撃の隙を与えるな!」

「了解です、ユニちゃんこっちだよ!」

「わかりました。グロウ様、皆様お気をつけて」

唯一返答を返してきたのはさがれと言われたミーシャだけであり、ウォレスとゼノスは返答なく動いていた。
カーマインから借りたシャドウブレイドの刃を作り出したグロウは、地面にめり込んだゲヴェルの腕へと刃を振りかざす。
続いてゼノスも同じ箇所へと攻撃を加えるが響いたのは、ゲヴェルの甲殻に刃を弾かれた甲高い音であった。

「貴様たちと戯れる程、暇ではないのだ。再度問う、あの娘はどこだ?」

まるで群がる羽虫を鬱陶しいと思うような苛立ちの篭った声であった。
グロウの言葉通り、二人の攻撃の隙間を埋める様にウォレスの特殊両手剣がゲヴェルの顔面を襲った。
人で言えば頬の辺りに高速で回転する刃が火花を散らしていくが、ゲヴェルは物ともしていなかった。
すぐさまミーシャのソウルフォースが轟音をあげ、グロウとゼノスが再度斬りつけてもゲヴェルは唸り声一つあげない。
攻撃が届かないわけでも手を封じられたわけでもなく、ただ攻撃が効かないのだ。

「これで最後だ。よく考えて答えるのだ。あの娘はどこだ?」

絶望と共に降り注ぐ声に、すでにグロウたちの攻撃の手は止まってしまっていた。
コレほどまでに力の差があったとは思いもせず、言葉と共に頭上に振り上げられたゲヴェルの腕を見上げるのみであった。

「うをっ?」

ゲヴェルを前に、立ち尽くすしかなかったグロウたちを我に返らせたのは、ひょっこりと木陰から姿を現した老人であった。
何故自分がそこにいるのかさえわかって居なさそうなとぼけた声が、グロウたちの背中を押していた。

「ミーシャ、爺さんをラシェルまで連れて行け。ゼノスとウォレスは、俺と一緒にこの場を死守する」

「お爺さん、こっちです。急いで!」

「ちょっと待ってくれ、娘さんや。何か……何かを、思い出しそうなのだ」

「もう遅い、あの小さな村を全て滅ぼせばあの娘もついでに死ぬ事だろう。貴様らは用済みだ」

この場にいる全員を押しつぶすように振り下ろされたゲヴェルの腕。
グロウたち三人はその腕から逃げるのではなく、それぞれの武器を掲げ真正面から受け止めようとした。
打ち下ろされたゲヴェルの腕はグロウたちだけではなくミーシャもユニも、あの老人さえも巻き込んで地面にめり込んだ。
決して助かりはしないだろうと、振り下ろした腕を見ることもなくゲヴェルはまだ少し距離のあるラシェルを眺めようとした。
その時、ゲヴェルの意思に反して勝手に腕が持ち上がった。

「ミーシャ、今のうちだ。二人は一瞬だけ耐えてくれ!」

「おお、任せておけ!」

「つっても、長い時間はもたねえからな!」

三人がかりで止めたゲヴェルの腕から抜け出すと、ウォレスとゼノスは自らの剣をゲヴェルの手の甲へと突き刺した。
硬い抵抗の後にひび割れていった甲殻を貫き、地面にゲヴェルの手の平を縫いとめる。

「ぬぅッ!」

さすがに痛みを訴えるゲヴェルの声が届くよりも前に、グロウは地面へと縫い付けられたゲヴェルの手の上を走った。
手から腕へ、腕から肩へと走り抜けたグロウはそのままの勢いでゲヴェルの顔を目掛けて跳んだ。
振り上げられたシャドウブレイドは、夜の闇にも劣らぬ黒い刃を作り上げゲヴェルの顔を目掛けて唸る。

「喰らいやがれ、クソ野朗が!」

老人を連れて一時さがったミーシャも、戒めから抜け出そうともがく手を縫いとめるウォレスとゼノスも、決定的な一撃が入ると確信していた。
無敵かと、決して手の届かぬと諦めかけた相手に手が届くのだと。
だが次の瞬間、信じられない光景が目の前を駆け抜けていた。
振るわれたシャドウブレイドごとの見込むかのように、大きく開かれたゲヴェルの顎。
その喉の奥から夜を切り裂く灼熱の光線が放たれ、グロウを飲み込んでいった。

「グロウ様ッ!」

ユニは叫びながら、グロウが何処へ吹き飛ばされたのかさえ解らなかった。
そんなユニの耳にカツンと何かが落ちる音が耳に届く。
振り向いた先に落ちていたのは、持ち主を失い刃さえも失ったシャドウブレイドの柄であった。
その意味を察して息を呑み、悲鳴は挙げられなかった。

「これは…………」

瞬き一つできずに固まるユニやミーシャたちの中で、動けたのはあの老人であった。
いまだ自分が何に巻き込まれたのかさえ認識しないまま、グロウの手からこぼれたシャドウブレイドの柄を拾い上げる。
まるで扱いなれた玩具のように手の中で弄んでいたかと思うと、その動きがピタリと止まった。

「これは、うをおおぉぉっ!」

気がつけば唸り声を上げだした老人の手の中で、再びシャドウブレイドが息を吹き返し黒き刃を生み出していた。

「今すべてを、思い出したぞ。久しぶりだな、ゲヴェル!」

「まさか、お前は……」

とぼけていた姿が嘘のように喋り出した老人の声をうけて、ゲヴェルが覚えがあるように呟いた。
そもそもにして、ラシェルから離れた場所に突然この老人が現れた事を不審に思うべきであった。
理由はわからないが、この老人はゲヴェルと言う存在にひかれてやってきたのだ。
だが何故一体と考えた直ぐ後に、混乱した頭でウォレスは一つの答えに行き着いた。

「まさか……隊長、なのですか?」

「おお、ウォレスか。何をしている! 今はコイツを倒すことだけを考えろ!」

「やっぱり、ベルガー隊長」

「ちょっと待て、ベルガーって言えば。親父なのか?!」

「はっはっは、ゆっくりと積もる話もしたいが、話はコイツを倒してからだ!」

豪快に笑った後にベルガーが地を蹴ると、その姿が掻き消え、後から森の木々がざわめいた。
まるで力を解放したカーマインに重なるような動きに、あのゲヴェルが一瞬ベルガーの動きを見失うほどであった。
ゲヴェルの目前まで駆けると大地を踏みしめ飛び上がったベルガーが先ほどのグロウのようにシャドウブレイドを振りかざす。
違ったのはゲヴェルの対応であり、迎撃は間に合わないと縫い付けられた手を無理に抜き去り、もう一方の腕とで頭上で交差させる。
響いたのはゲヴェルの頑強な甲殻が砕ける音であった。
さらにベルガーの一撃はゲヴェルの巨体ごと吹き飛ばし後ろに下がらせるほどであった。

「死にぞこないの癖に、これが20年近くも剣を握ったことのない男の力か?」

さすがのゲヴェルの口から負け惜しみに似た言葉が上るが、それだけに終わりはしなかった。

「さすが我が私兵たちの元となっただけのことはある」

「なに?!」

「人の身でありながら我と対等に闘えた貴様の力が惜しくてな。その肉片を使わせてもらったわ! いわばお前の分身が、我が手足となって世界を混乱させていたのだ!」

突然の言葉に、ゲヴェルを吹き飛ばした直後のベルガーに明らかな戸惑いと隙が生まれていた。
ニヤリと口元に人間臭い笑みを浮かべたゲヴェルの腕が木々をなぎ倒しながら振るわれた。
まともに喰らったベルガーが地面に叩きつけられるが、直前でゼノスとウォレスに受け止められた。

「すまぬ、お前達。ゲヴェル、貴様という奴は!」

「ここで貴様が出てくるとは予想外すぎる。ここは一度退かせてもらう」

「逃がすと思って、ぐふぅッ!」

背を向けようとしたゲヴェルをすぐに追おうとしたベルガーであったが、体を起こしてすぐに血を吐いた。
十数年も記憶を失ったまま普通の老人として過ごしてきたツケであった。
一度咳き込むと後から後から咳があふれ、その度に血飛沫がベルガーの口元から飛んでいた。

「親父、こんなことでくたばるんじゃねぇよ!」

「すまんな、ゼノス。お前には迷惑をかけた……カレンはどうしている? 元気でやっているか?」

「ああ、グランシル一の美人に育ってるぜ。親父の顔を知らなかったせいもあるが、ラシェルで看護婦になって働いてる。親父、話は後でいくらでも聞いてやる。だからあまり喋るな」

心配そうに言うゼノスの言葉が聞こえていないはずもないが、ベルガーは口を閉じようとはしなかった。

「ウォレス、お前はしばらく見ない間に老けたな」

「当たり前でしょう。あれから20年も経ってるんですよ?」

「そうか、もうそんなに経っていたのか。部隊はどうなっている?」

「ウェーバーが面倒を見てくれています。今はランザックの正規軍として、がんばっているようです」

ウォレスの言葉を聞いて安心したのか、ベルガーはそこで意識を失った。
すぐさまウォレスが背負おうとしたが、ここは息子であるゼノスに任せて先にラシェルへと向かうように言った。

「ミーシャ、グロウの方はみつかったか?」

「それが、まだです。今ユニちゃんが必死になって探していますけど、ウォレスさんも手伝ってください」

「当たり前だ。ゲヴェルの放った光から考えて、向こうか」

「はい、ユニちゃんもそう言っていました。急ぎましょう」

ウォレスは自分の背中にはグロウを乗せるつもりで、ミーシャと一緒に森の中を走り始めた。





ゲヴェルの閃光に焼かれたグロウは距離にして数百メートル、ユニたちの想像以上の距離を吹き飛ばされていた。
それだけに飽き足らず、吹き飛ばされるままに木々の枝を突き破り、地面が陥没する程の威力で叩きつけられていた。
体の痛みが火傷か、損傷か分からないほどに傷つき、グロウは仰向けになって倒れこんでいた。
ただその両の瞳だけは閉じる事もなく虚ろな瞳で夜空を見上げていた。

「完全に負けた」

火傷や体の損傷以上に、自らの言葉が自らを深く傷つけていていく。
もうすでに体から心臓が綺麗にくりぬかれたように、冷えた風が胸の中に吹いていた。
今回の事は十年前のあの日ととてもよく似ていたのは自覚していた。
自分は戦う事を選び、カーマインは守ることを選んだ。
だがどうだろうか。
戦う事を選びながら、手も足も出ず地べたにゴミ同然に放り出された自分。
戦う事を選びながら、勝つことはおろか、まともに戦う事すらできなかった。

「俺はずっと、ルイセの為に戦う事を選んできた。だからルイセとカーマインの幸せを脅かす全てと戦ってきた」

遠くに見えたゲヴェルが退いていくのは見えたが、数分前までゲヴェルが退くなんて考えもしなかった。
なのに自分は再び立ち上がりゲヴェルに向かうでもなく、ここでこうして寝転がっている。
何か大切なものが折れた、グロウはそう感じた。

「もう戦えない。成す術もなく敗北した俺に、価値なんてない。唯一ルイセの為にできた戦うことさえ、できない」

溜まり溜まった怪我の状況が思わしくなかったわけでも、ゲヴェルから受けた傷の状況が悪かったわけでもない。
はっきりと、自分の中の何かが折れたのだ。

「なんだか、疲れた。すごく眠い……」

ここで眠れば、本当にもう二度と立ち上がることはないだろうと思った。
それでも自分から進んで眠りたいとグロウは思った。
このまま夜の闇に溶けていき、誰も追ってはこれない場所にいくのもいいとさえ思えた。

「グロウ様、何処ですか。声をあげてください。私に声を聞かせてください!」

ユニが必死に探している声が聞こえても、降り注ぐ睡魔を追い払う事は出来なかった。
ゆっくりとまぶたが閉じられていくのが見え、閉じきられる最後の一瞬。
見えたのは、泣きながら自分の名を呼び続けるユニの顔であった。
それだけが消えようとする自分の心を繋ぎとめる唯一のものであった。

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