第百一話 守るということ


ローザリアを出発して三日目の夕暮れ時、通常の倍以上の時間をかけてカーマインたちはラシェルへと到着した。
倍以上もの時間がかかった原因はルイセであった。
最初は元気良くカーマインやグロウの後をついて回っていたのだが、日に日に口数が減り元気をなくしていった。
その辺りはサンドラの予想通りであり、今回ラシェルへ来たのもいずれ衰弱していくであろうルイセの静養のためであった。

「あ、待ってました!」

ラシェルの病院の前まで行くと、カレンが言葉通り病院の外で一行を待っていた。
見つけるなりルイセの前まで小走りでかけてくる。

「お城から連絡があったのですけれど、随分遅かったですね。何かあったんですか?」

「何かあったと言うか、なかったというか。一言で疲れた、ね」

普段は元気が有り余っているぐらい元気なティピが肩を落として呟いたことで、カレンが小首をかしげる。

「ルイセがどんどん子供に退行して、少しばかり駄々をこねられただけですよ。それ以外は特に」

「何が特によ。もうちょっとがんばろうって諭せば泣き喚くし、さらにアンタはルイセちゃんに甘々だし」

「ティピちゃん、ルイセちゃんがいる前ではあまりそう言うことは言わないようにしなきゃ。ほら」

何もなかったかのように言ったカーマインの言葉を逐一ティピが修正途中で、ミーシャがちょいちょいと人差し指である事を教えた。
それは手を繋いでいるカーマインに隠れながら、ティピを上目遣いで見ているルイセである。
直接何かを言う事はしないが、悪口を言われている気分なのだろう。
口先を尖らせて拗ねているようだ。

「問題がなかったのなら、問題ありません。入院の用意はしてありますので。さあ、ルイセちゃんこっちにいらっしゃい」

「ん〜……」

両腕を開いてカレンが招きよせるが、ルイセは喉の奥を鳴らしてカーマインの後ろに隠れてしまう。
さらにはちゃっかりグロウの服の裾も掴んでおり、徹底抗戦の構えである。
話に聞いていたとはいえ、以前との姿とのギャップにカレンが困ったようにカーマインとグロウを見た。

「ルイセ、何も怖い事ないから。お姉ちゃんと一緒に行くんだよ」

「ん〜ん〜!」

ルイセの前にしゃがみこんでカーマインが言うが、激しく首を振られてしまう。
今カレンに着いて行けば二人に置いていかれてしまうと解っているらしい。

「カーマイン様、それにグロウ様。今夜だけでもラシェルに滞在できないのでしょうか? 今のままではルイセ様が納得してはくれないでしょうし、私達がいますぐに出来る事はほとんどありません」

「確かにな。ブラッドレー学院長とサンドラ様がそれぞれ調べてくださっている今、俺たちに出来る事はないな」

ユニのお願いに賛同したのはウォレスであった。
ただ賛同するだけではなく、出来る事がないという自分の言葉に胸を詰まらせていた。

「何も出来ないなら、ここにいるしかねえだろ。カーマイン、お前はどうする?」

「ここに来るまで想定の倍の時間がかかったんだ。今さら一夜増えたぐらい、変わらないよね。ルイセ、僕も行くから一緒に行こうか」

一緒に行くと聞かされて、ようやくルイセはグロウの服を放し、カーマインの後ろから出てきた。
カレンに促されてカーマインと一緒に歩いていく。
その後からグロウたちも表情を曇らせながらついていった。





精神が退行して体力まで落ちていたのか、病室へと案内されたルイセは瞬く間に寝入ってしまった。
カレンが去った後もしばらくそばについていたカーマインであるが、日が落ち、深夜になる前には病室を後にした。
病室を出る前に一度振り返り、ルイセの寝顔を見ていたたまれなく目を伏せる。
頭の中でノイズが走ったのはその時だ。
酷く不快なそれに顔をしかめ、自分も疲れているんだと思った。
カーマインは何度か首を振るだけで気にすることなく部屋を出て行き、病院のロビーへと足を向ける。

「みんな寝て……グロウ?」

「ああ、ルイセは寝たみたいだな」

宿をとる気にはなれなかったのか、皆が皆ロビーのソファーで寝入っていた。
その中で一人だけ起きていたらしいグロウが、戻ってきたカーマインに対して振り返る。

「俺と、コイツもな」

「よう、なんて言っていいか。大変だったな、カーマイン」

グロウがいたそばのソファーから体を起こしたのは、ゼノスであった。
持ち前の明るさで飛ばした挨拶の後に、カーマインの心中を察してくる。
カレンがいた時に気付くべきであったのだが、カレンのそばにゼノスがいないはずがない。

「今は警備員みたいな温い仕事で雇われてんだが、知らせを聞いたときには驚いたぜ。同時にこう言っちゃ悪いが、恩を返すチャンスだと思ってな。なにかあれば、声をかけてくれよな」

「ありがとうございます、ゼノスさん」

「まあグロウに聞いた話じゃ、戦う事しか脳のない俺には出番はなさそうだがな」

本当に残念そうに、力になれないことにすまなそうにゼノスが言った。
つい先日ゼノスもカレンという妹を亡くしそうになったのだ。
知り合いであり恩のあるカーマインやグロウの妹であるルイセのピンチとなれば気が気でないのだろう。

「いつまでもそんな所に突っ立ってないで、座れよカーマイン。明日には発つんだろ」

「うん、そのつもりだよ」

答えてソファーに腰を下ろしたことで、体中の力が抜けていくようであった。
ずっとルイセを看ていた事で、思った以上に疲弊していたらしい。
疲労を実感するだけの余裕が生まれた瞬間には、不安がはっきりとこみ上げてきた。
病院の前でウォレスが言った通り自分達に出来る事はなにもない。
本当にルイセは大丈夫なのだろうかと嫌な考えが余計に生まれてきてしまう。
どうすればいい、なにをすればいい、本当に何も出来ないのかとありもしない答えを求めて頭が動き続ける。

「僕に何が出来る、僕に何がしてやれるっていうんだ」

つい苛立ちと一緒にカーマインは零してしまっていた。
ルイセが元気であれば一緒に出かけてあげられる、ルイセに対する脅威が現れれば戦って守ってあげられる。
だが今のルイセにしてあげられる事など、何一つない。

「あるさ」

カーマインの苦悩の声がさして広くないロビーの中で届かないはずもなく、あると答えてきたのはゼノスであった。
本当ですかと縋るような顔を見せてカーマインへと真面目な顔で答えてくる。

「お前に出来る事、お前にしか出来ない事がある。そばにいてやる事だ。例え自分の胸が苦しくなっても、顔を見ていてやればいい、手を握っていてやればいい。例えルイセに答えてくれる元気がなくてもお前の事は感じられるはずだ」

「僕の事を感じられる」

「落ち着いて考えれば、ルイセが一番何をして欲しいかわかるはずだ」

ルイセが何をして欲しいと思うのか。
うぬぼれていなければ、そばにいて欲しいと思うはずだ。
例え今のルイセが幼少時の精神に戻っていて、グロウによりなついていたとしても。

「間違っても、妹を置いて戦う事だけは選ぶな。他のすべてのしがらみを忘れて、妹の事だけを考えてやれ。っと、こいつはグロウからの受け売りだけどな」

「最後のは余計だ。それにその妹を置いて、当時バーンシュタインの王城に飛び込んできたのは何処のどいつだ」

「一応あれはカレンの了承を得てだな……」

やはりルイセのそばにいてやる事が今の自分にとって一番してあげられる事なのだろう。
そう思いなおしたカーマインは、一度座ったソファーから立ち上がった。
体は疲れているが、そんな事を言っている場合でもない。
ルイセが寝ていようと起きていようと今はそばにいてあげるべきだとカーマインは立ち上がった。
病室へと向けて足を踏み出した所で、またあのノイズが脳内を走った。

「カーマイン?」

「まただ。コレは……なに?」

ルイセの病室があるほうではない、どこか別の場所を見つめ出したカーマインを不審に思ったグロウが話しかける。
だが反応は薄く、カーマインの表情が段々険しくなっていく事だけが解り、グロウもソファーをたった。
一体どうしたんだとカーマインの肩に手を置こうとするが、カーマインが呟いた言葉に手を止められた。

「この感じ、ゲヴェル? ゲヴェルが来る?」

「なに?」

「最初は微弱でわからなかったけど、この感じはゲヴェルだ。理由はわからないけれど、奴がこっちにむけて真っ直ぐ歩いてきている」

はっきりと確信めいてカーマインが断言した直後、病院がかすかに軋むような音を出して揺れた。
じっとしていなければわからないぐらいの揺れであったが、その揺れが断続的に一定間隔で続く。

「おい、なんだそのゲヴェルってのは。この揺れに関係あるのか?」

「すぐに解る。おい、起きろお前ら。来訪時間も考えないはた迷惑な客が来たぞ!」

「ちょっと〜……うるさいわよ、アンタら。ここが病院だって忘れてるんじゃないでしょうね」

「この揺れはなんだ。一体何が起こっている?」

何の事だと聞き出そうとするゼノスを放置し、グロウは蹴り飛ばす勢いで周りで寝ているものたちを起こしにかかった。
病院を包む揺れは段々大きくなっており、ゲヴェルが確実に近づいているだけにゆっくりしている暇もない。

「ウォレスさん、奴が……ゲヴェルがきます」

「なに、それは本当か?!」

ウォレスが一気に跳ね起きると、ミーシャやユニも起き始めた。

「お兄様、ゲヴェルってどうしてですか?」

「わからない。ただルイセの力が失われた事を知って、今のうちにと考えたのかもしれない。ハッキリしているのは、ルイセを守らなきゃいけないって事だ」

腰に下げていたシャドウブレイドの柄を手に、力強く宣言するカーマイン。
だが次の瞬間にはシャドウブレイドをグロウに奪われていた。
あまりの早業に、突飛な行動にカーマインは目を丸くしていた。

「グロウ、何のつもりだい?」

「お前こそ、なんのつもりだ」

そんな事をしている場合でもないのに、二人の兄弟は睨み合っていた。

「ルイセを守るって言ったな。だったらこれは必要ないはずだ。俺が借りていく」

「グロウこそ何を言ってるんだ。ルイセを守るために、戦うんだ。それにゲヴェルは全員でかからなければ勝てないんだ」

今にも掴みかかりそうなカーマインの肩に、ゼノスが手を置いた。

「カーマイン、戦う事が守る事じゃない。本当に守るってのは、そばにいる事だ。お前の役目は、ルイセのそばにいる事だ。これも、ほとんどグロウの受け売りだがな。なあに心配するな、なにが来るのかよくわからんがこの俺も戦ってやるさ」

「ゼノスさん……グロウ」

「はやく行け、もうそろそろ周りも騒ぎ出す頃だ。目を覚ましたルイセを泣かない保証なんてないぞ」

「ゲヴェルは北東方面から来てる。外に出れば闇夜の中でもわかるはずだ」

「あ、ちょっと待ちなさい。私もルイセちゃんの方についてる」

ゲヴェルの居場所だけを伝えると、カーマインがルイセの病室へと向けて走り出しティピもついていく。

「カーマイン、一応コイツを持っていけ」

走っていくカーマインの背中へと向けて、グロウが持っていたフルンチングを投げてよこす。
受け取りながら走っていたカーマインの背中はすぐに廊下の暗がりに消えていく。
その間にも続いていたゲヴェルの足音はさらに大きくなっており、危惧したとおり看護婦達が騒ぎ出した。
夜に起こった微細な地震が続けば当然の事であろう。

「さて、お前ら目は覚めてるか。無粋な訪問者は待ってはくれねえぞ」

「奴に会えるとわかって、眠気なんて吹っ飛んだ。ゲヴェルにはたっぷり礼をしてやらねえとな」

「本当言うと少し怖いですけれど、グロウさんやウォレスさんが一緒ですから。それにルイセちゃんの為にも、追い返さないと」

「皆様、段々音が大きくなっています。ラシェルに入られる前に足を止めましょう」

正面玄関から病院を飛び出してすぐにゲヴェルの姿は捉えることができた。
ラシェルから北東は森が続くが、森の天辺から真っ白な巨躯が浮き出ていた。
まだかなり距離があるはずなのに足音は確実に響いており、その姿がはっきりと見て取れる。
あらためてゲヴェルの非常識な大きさに舌を巻きながらもグロウたちは走った。





カーマインが病室に飛び込んだときには、まだルイセは寝入ったままであった。
気をつけていなくてもゲヴェルの足音がはっきりと解るぐらいなのに、すやすやと夢の中である。
不安に泣いていなかった事だけは一安心であり、カーマインは病室の窓から外を眺めた。
森のずっと向こうにはゲヴェルの肩口から頭までがはっきりと見て取れた。

「グロウたち、大丈夫かな。相手はあのゲヴェルなんだよね?」

「正直に言うとわからない。ゼノスさんが協力してくれても、ルイセが。それに僕も」

グロウから交換するように投げつけられたフルンチングの柄を握り締める。
できれば今すぐにも駆けつけたいが、誰一人それを望んではいないのだろう。

「ん〜…………」

せめてがんばってくれと心で応援の言葉を吐いていると、ルイセが迷惑そうに愚図りながら体を起こす。
カーマインはハッとして病室のカーテンを閉めると、急いでそばに駆け寄った。
眠気はあるのに、ゲヴェルの足音で起こされてしまったのだろう。
最初は本当に迷惑そうにうなっていただけであったが、ふいにルイセが驚いた様にビクついた。
今現在ゲヴェルが迫っている方向を見て、涙と共にしゃくり出した。

「ルイセちゃんもゲヴェルが来てる事がわかるんだ」

「なんとなく怖いのが来たぐらいだろうけど、そうみたいだね。大丈夫だよ、ルイセ。怖いのはすぐにいなくなるから」

ポロポロと涙をこぼすルイセを優しく抱きしめ、何度か背中を撫で付けてやる。
少しは安心したのか、しゃくりあげることが少なくなっていく。

「グロウがすぐに怖いのを追い払ってくれるから。僕はそばにいるから、大丈夫。何も怖い事なんかない」

ルイセをあやしながら、カーマインは以前にもこんな事があったと唐突に思い出していた。
記憶は曖昧で、いままで完全に忘れていた。
そうあれは自分もグロウも、ルイセは言うまでもなく小さな頃。
三人で遊んでいるうちに犬に追いかけられることになって、グロウは犬をその場にとどめ、自分はルイセを連れて逃げた。
グロウが犬と格闘している間、自分は泣きじゃくるルイセを必死にあやしていた。

「大丈夫、なにも怖い事はない。僕がここにいるから。大丈夫だから」

あれからほぼ十年の歳月が経って自分達は成長し、そのぶん敵の強さも果てしなくなった。
だが自分達の状況、グロウは戦う事を選び、自分はルイセを守る事を選んで、何一つ変わっていない。
ならばルイセを守ろうと、好きになったのはその時からなのだろう。
そしてグロウはおそらくそれ以前から。
気付いた事で、カーマインはより強くルイセを抱きしめていた。

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