第百話 守るもの、戦うもの


魔法学院からとある理由で急遽戻ってきたカーマインたちは、ローザリアの街へと入る門をみて確信する事となった。
扉が外側から破壊されるようにして倒れこんでいる事から、襲撃があったことは間違いない。
カーマインたちが今は学院長となったブラッドレーから、グローシュの抜き取られたグローシアンについて聞いている時にも襲撃があったのだ。
おかげでゲヴェルの兵士たちにはルイセの状態がばれてしまった。
さらに襲撃は魔法学院だけには留まらない事を知って慌てて戻ってきたのだ。

「見た限り壊滅なんて目にはあってないようだが、被害がゼロってわけでもなさそうだな」

「でもおば様は、大きな被害はなかったって言ってたんだよね、ティピちゃん?」

「う〜ん、そうなんだけど。口調が気になるというか、なんか怒ってたような」

壊れた門を抜けてからは少し歩調を落として、街の破壊跡に目をやりながら歩く。
するとカーマインの服の袖がふいにひっぱられた。
ルイセである。

「カーマインお兄ちゃん、早く帰ろうよ。ルイセ、疲れた」

「ああ、ごめん。すぐに帰るから。それともおんぶしようか?」

立ち止まり覗き込むようにして言うが、首をふられてしまった。
グロウがいない状態での行動で、さすがにカーマインには心を開き始めていたが、複雑な気分である。
これまでの日々がまるで嘘のようで、そんなはずはないと自分に言い聞かせながらカーマインはルイセの頭を撫でた。

「すぐ家に帰るから……グロウにも会えるよ」

「うん!」

グロウの名を出した途端、元気を取り戻してしまうルイセの姿を見て一瞬だけカーマインの動きが止まる。
この数日で幼き日のルイセがグロウにこそなついていた事は、嫌というほど教えられた。
これまで何度かルイセと話したことで、自分の気持ちは言うまでもなく、ルイセもある程度は好いてくれていると思っていた。
だがそれはあくまで兄妹としての事だったのだろうか。
それとも、自分の知らないところでは、自分以上にグロウに親しくしていたのか。

(最低だ。そんなこと考えている場合じゃないのに、ルイセ自身の症状もそうだ。破壊されたローザリアの事だってあるのに)

久しくなかった自己嫌悪は、酷くカーマインを落ち込ませる事になった。
その顔を見ただけでティピが察してしまうほどに。

「アンタ、何考えてるかもろバレよ。アタシから言って良い事じゃないけどね、ルイセちゃんは間違いなく」

「ティピ、いいよ。言わなくて」

だが立ち直りに要する時間は過去とは比べ物にならなかった。

「今大事なのは、ルイセを元に戻す事だから。それにゲヴェルを倒す事も。ルイセの状態が知られた今、こちらから攻め込むぐらいの気持ちでいないと」

「そう、アンタがそう言うならいいけど……でも、それって正しい意見だけど、アタシはちょっと嫌だな」

「嫌? どうして?」

「今のアンタの答え、正しすぎる。そりゃゲヴェルは因縁もあるし人にとって脅威だけど、もうちょっと……やっぱり、いい。聞かなかったことにして!」

中途半端に言ったティピは、疲れきっているルイセを励ましに飛んでいってしまった。
強すぎる、それがいけないことだとはカーマインには思えなかった。
何が駄目なのか、その答えを見つけるには、ローザリアの門から家までの距離は短すぎた。
たどり着いた家のドアを開けて、何時も皆であつまるリビングへと行く。

「なに、してるの母さん?」

そこで見た光景に、一時的に抱いた疑問は吹き飛んでいた。

「自分の状態も省みず、武器一つ持たないでゲヴェルの私兵に向かっていった今世紀最大のお馬鹿にお仕置き中です」

カーマインに続いて入ってきたティピやウォレス、ミーシャもその光景にあっけにとられた。
ロープでぐるぐる巻きにされ、猿ぐつわまでされたグロウはソファーに転がされ、サンドラのお尻のしたである。
猿ぐつわのせいで何を言っているのかは解らないが、サンドラへの罵詈雑言だと簡単に想像がつく。
ちなみにユニの方は、ソファーの前のテーブルで正座をし、首から小さな文字を書き込まれた看板を下げていた。

「えっと、なになに。私はお目付け役の仕事を放棄してグロウを止めなかったお馬鹿さんです? ユニ……アンタ、なにやってんの?」

「違うんです。止めはしたんですけど」

「ユニ、口を閉じなさい。言い訳は許しません。言い訳を続けるのなら、カーマインとグロウのお目付けを変えますよ?」

お茶を口にしながらサンドラの言葉の効力は絶大で、泣きそうな顔でユニが黙り込んだ。
ついでにティピの顔がげっと嫌がったのは、効力の余波である。
本当に怒り心頭で容赦のないサンドラの行動であったが、もっと容赦のない無垢な言葉が宙を舞った。

「おかあさん、おもそう……グロウおにいちゃんがつぶれちゃう」

体は十四でも現在、心は五歳以下。
単純に思って口に出した言葉はナイフよりも鋭利にサンドラの心に突き刺さり、部屋の空気を凍りつかせた。
俯き加減のサンドラの顔には影が差しており、持っていたティーカップはみしみしと悲鳴をあげている。

「ル、ルイセちゃん。疲れたんだよね、眠いんだよね。上でお昼寝しようか。それともこのお姉ちゃんに本でも読んでもらおうか!」

「そう、よね。ルイセちゃんおいで。アタシがご本を読んであげる」

「ほんとう、じゃあね。じゃあねえ」

慌てたティピとミーシャに連れられてルイセが部屋を出て行く。
一応これ以上の追撃はなくなったわけだが、部屋に残された男どもはたまったものではない。
下手なフォローは火に油を注ぐ結果になりかねないし、頼みのユニは口が聞けない状態である。
ミシミシといっていたティーカップが、一際大きなピキッという音を立てた。
何故だかくるのかと身構えてしまったカーマインたちであったが、さすがにそこは宮廷魔術師のサンドラである。
一つ大きく息を吸い込んで、

「あの様子では、ルイセを元に戻す為の有効な手段は見つからなかったようですね」

ルイセの発言を根底からなかった事にしてしまったようだ。
この流れにのらなければ、待っているのは死である。

「有効な手段は確かに見つからなかった。ブラッドレーさんが言うには、マクスウェルはグローシュを抜き出す事に終始して元に戻す研究は殆どしていなかったみたいなんだ」

「でしょうね。あくまであの人の目的は、自らがグローシアンとなることでしたから」

「でも、まったく手がかりがないって訳でもないんだ」

何か見つけたと言うカーマインの言い方に、サンドラが僅かに身を乗り出した。

「グローシアンは時空の歪みの祝福を受けている。グローシュとは誰しもが持っていたはずの能力。最後に、真のグローシュの発現の鍵はグローシアンの発生の元となる現象」

「意味ありげな言葉ではあるんですが、サンドラ様はお分かりになられますか?」

「真のグローシュという言葉からするに、今までのグローシュは本当の力ではないということですね。真のグローシュ、真の?」

考え込むようにしていたサンドラは、何かに思いついたかと思うとお尻に敷いていたグロウを開放しだした。
荒縄を解き、猿ぐつわを外し、グロウが文句を言う前に自分から疑問を投げかけ黙らせる。

「グロウ、貴方の翼。あれは真のグローシュに限りなく近い、もしくはそれそのものなのではないでしょうか?」

「知らねえよ。ヴェンツェルやマクスウェルが言うには、グローシアンの王としての証らしいが」

「王こそが持つグローシュ。それが真のグローシュと言われても違和感はねえな。こじつけという気もしないでもないが」

ウォレスに賛同されグロウをゆさぶるサンドラであるが、グロウ自身の反応はあまり良いものではなかった。

「あのなあ、お袋揺さぶるな。一応怪我人だぞ俺は。それに俺は自分の意思で翼が出せねえんだよ。余程切羽詰るか、死にそうにでもならねえと出ねえんだ」

「え、グロウってそうだったの? てっきり嫌ってるから出さないだけかと思ってた」

「アホか、お前は。お前の力みたいに自由に出し入れできれば、今までの怪我も半分以下ですんでただろ。好き嫌い程度の話で大怪我なんてするか!」

「自分の力も満足に操れないとは、情けない」

明らかにグロウの神経を逆なでする言葉を放ったサンドラであるが、その顔はすぐに真面目なものとなっていた。
すきあらばサンドラに飛びかかってやろうと思っていたグロウが立ち止まるほどに。

「魔法学院での結果がどうであれ、急がなければなりません」

「急ぐって、ゲヴェルとの決戦が近いからって事?」

「それもあります。ある意味ではもっと大変な事です。グローシュを使うということは、自分の中に元の世界とのチャンネルを開くと言うこと。その方法を無意識に記憶しているわけですが、その記憶を無理矢理に操作され破壊されてしまった。記憶を壊されては、今までのことを忘れるだけでなく、知識を蓄え、新しい記憶を覚えることさえ出来なくなるということです」

言いながらサンドラが自分の手のひらを強く握りつぶしていた。
今はまだルイセは時間の退行という症状だけですんでいるが、それはグローシアンの中でも際立って強い皆既日食生まれのグローシアンだからである。
それでも大本の記憶がなく、グローシュもない以上症状は進むことはあっても回復する事はない。
自分が生きた証を自分の中に刻む事はできず、他の何かに刻む以外に生きるすべはない。
もしかするといずれ生きると言う行為すら難しくなってくるだろう。

「はやく方法を見つけなければ……貴方達が掴んだ言葉をヒントに、少し調べものをします。しばらく書斎には誰も入らないように。それとカーマインとウォレス、上にいるミーシャも休息をとりなさい。今後の方針については明日、ルイセの様子をみてから決める事にしましょう」

決める事を決めると、サンドラは早速書斎へと向かっていった。
残されたカーマインはウォレスに目配せをして休むように言うと、ミーシャにも伝えるように頼んだ。





明日の為には直ぐに寝るべきだとわかってはいても、カーマインはなかなか寝付くことが出来なかった。
つい先ほどサンドラの書斎の前を通った時には、ドアの下から灯りが漏れていた。
サンドラを手伝った方がよいのでは、そう思ってベッドに入ってからも中々寝付くことが出来ないでいた。

「ねえ、アンタ」

考え事をしながら何度も寝返りを打っていると、ティピ用の小さなベッドからティピが顔を出してきた。
灯りがないためよく見えないが、声から察するにご機嫌斜めなようである。

「あ、ごめん。起こしちゃった」

「当たり前よ。寝付けないなら、グロウと話してくるとか。なんか抱えてるなら言って喋ってきなさい」

そう言ったっきりティピは布団の中に顔を引っ込めてしまった。
まだ起きているのだろうか。
ティピの含みのある言葉を疑問に思うよりも前に、カーマインはそれが気になっていた。
ベッドを降りて部屋を抜け出し、グロウの部屋の前へと立つ。

「グロウ、起きてるかな。ちょっと良い?」

「ああ、ちょっと待ってろ」

起きている事はありがたかったが、意外なことにグロウの方からドアを開けて廊下へと出てきた。
普段なら勝手に入れと言いそうなものだが、珍しい事もあるものだと言う顔をしているとグロウの方が答えてきた。

「ユニがもう寝てる。珍しくお袋に説教されて疲れたんだろ。お前が来たとなると跳ね起きて会話に加わりかねないからな」

「それって会話に加わりたいと言うよりも、グロウ以外に寝顔を見られたくないだけじゃないの?」

「まあ、それもあるな。俺だってそうだ。アイツの寝顔は俺だけのもんだ。例えお前でも見させねえぞ……なんだよ、その顔は」

言われてカーマインは自分が口をぽかんと開けていることに気付いた。
グロウが歯に衣着せぬ言い方は何時もの事だが、改めてその言い方に感心させられる。
と言うよりも、奥手な自分を思うと尊敬や憧れさえ抱きそうである。

「馬鹿面見せに来ただけなら、さっさと部屋に戻って寝ろ」

「眠れなかったんだ。かと言って、何を話しに来たわけでもないんだけど……」

「お前、夜中に人を呼び出しておいてそれかよ」

「何か話したかったのは本当なんだ。ただまとめ切れてないだけで」

カーマインの歯切れの悪さに、グロウはあきれ返り、一度自分の部屋のドアを完全に閉めた。
長くなりそうなのが雰囲気からわかったのか、閉めたドアに背を預けカーマインがその話をまとめるのを待つ。
気の迷いを見せるカーマインを見るのが久しぶりだと眺めるグロウの前で、カーマインは必死に考え込んでいた。
最初に言った通り、何かは話したかったが、何を話したかったのかがさっぱりなのだ。
今胸のうちにあるものを一つ一つつなぎ合わせて、一つの言葉を発する。

「もしもゲヴェルを倒すチャンスとルイセのピンチが同時にきたら、グロウはどうする?」

どう答えてくるかはカーマインには一切不明であったが、答えを出す速度は思ったとおり即時であった。

「ゲヴェルを倒す」

「そう、少し……意外だったけど、やっぱりそれが正しいんだよね」

「あくまで、俺にとってはな」

一呼吸おいて、グロウはまくし立てるように言った。

「忘れたわけじゃねえだろうな。ヴェンツェルのクソ爺に出生を聞かされたときにお前が言った言葉を。お前はルイセを守れるぐらい強くなれたと言った。だから俺はお前がルイセを守っている間にその脅威を殺す。この構図は昔から変わらねえ。お前は守る、俺は戦う」

「僕が守って、グロウが戦う。そうだ……あの時、守るって言うなら自分の事よりもルイセの事を一番にって?」

どんな言葉を持ち放ったとしても、グロウはいつもルイセの事を一番に考えていた気がした。
ルイセを気遣い、その脅威へと向けて剣を手に取る。
そして脅威が去った後、ルイセはカーマインの元へと走ってきた。
昔からずっとそうであった。
カーマインは言いようのない、不安にもにた心を締め付ける衝動を感じた。
双子なのだ、自分達は。
例え事実はどうであれ、双子として育ち、ルイセと一緒に育ってきた。
何故ルイセに好意を抱いたのが自分だけだと断言できようか。

「グロウ、君は……」

「俺がなんだよ。俺の事なんかどうでもいい。大事なのはお前がどうしたいかだろ?」

「僕は、渡したくない。誰にも、誰よりもルイセが好きだから」

「だったらちゃんとルイセを守れ。それで早いとこその言葉を言ってやれ。まったく寝る前にくだらねえ話させやがって、俺はもう寝るぞ。お前もさっさと寝ちまえ」

深い追求を避けるように、グロウは自室のドアを開けて滑り込むように入っていった。
ドアがゆっくりと閉められ、カーマインは先ほどまでグロウが居た場所にたちドアに背を預けた。

「グロウ、さっき言った言葉は嘘じゃない。誰にも渡さない、例えグロウであっても」

返答はなかった。
ただ恋敵かもしれないという新たな認識がカーマインの心を強くした。
自分こそがルイセを守るのだと。

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