第九話　命を狙うモノ


「と言うわけで、少ない目撃情報から進入した賊は二人。入り口付近の大量の血痕はそのうちの一人の者だと思われます。死体も残りの一人が魔導書とともに持ち去ったと考えた方が無難でしょう。ですが、誰が侵入者を殺したかは以前不明です」

「そう」

兵士の報告を受けながら、サンドラは自分の目の前に掲げたフラスコを振って、その色の変化を見ていた。
全く聞いていないわけではないだろうが、半分程度は聞き流している事だろう。
まるであらかた予想していた事よりも、目の前に転がる一つの事実の方が大切であるかのように。

「あの……サンドラ様？」

「ご苦労様です。報告は確かに受けました。もう、結構です」

「はい。それでは……あっ、あと数日はこの研究所の警備を厚くせよとの王のご命令ですので。ご迷惑をおかけするかもしれませんが、ご了承ください」

「わかりました」

王の名を出してまで上の空のサンドラに、兵士は不審げな目を向けながらも一礼して研究室を出て行った。
そのサンドラが持つ試験管にどんな意味があるのかを想像しながら。

「反応が出た……やはり、あの入り口の血痕とカーマインに付着していた血は同じもの。侵入者の一人を殺したのがカーマインで間違いないわ」

サンドラが血を調べようと思ったのは、グロウの言葉が原因であった。
自分がカーマインを見捨てたと言う。
息子だからと言うのも在るが、その言葉の裏に何かが隠されているとはすぐにわかった。
だからこうして血を調べ、カーマインが侵入者を撃退した事実を突き止めた。
だが……

「解らないのは、何故それを隠さなければならないのか。確かに夜の王宮に忍び込んだ事は許される事ではないわ。それでも私の研究室ですもの、私の一言で侵入は警護に置き換えられる」

それが解らないグロウでもあるまいしと、考え込むと音が、入り口のドアを開ける音が聞こえた。
先ほどの兵士が戻ってきたのかと思ったが、足音は複数であり、バタバタと荒っぽいものばかりであった。

「探せ、サンドラは今この研究室に居るはずだ。なんとしても探し出して殺すのだ！」

「襲撃？！ 馬鹿な、数日の間警備は厳重にと」

先ほどの兵士の言葉を思い出し、サンドラは一挙に逃げを選択した。
王が嘘をつくはずもなく、確かに警備は厳重であったはずだ。
ならば答えは一つ、警備の厳重さを超える侵入者がやってきたのだ。
サンドラの足はすぐに入り口の反対側、屋上へと向かったが、無常な叫び声が聞こえた。

「いたぞ、サンドラは上だ！」





勢い良く起き上がったカーマインは、すぐにそこがデリス村の宿にある一室である事を思い出した。
僅か先しか見えない闇の中、リアルに思い出したのは先ほどまで見ていた夢。
母であるサンドラが侵入者に追われる夢であった。
そして、リアルに思い出せる夢は現実であると脳で情報が直結されるとベッドから立ち上がった。

「え？ なに？ どうしたの？！」

「ティピ、ウォレスさんやジュリアン。ルイセをすぐに起してきて！」

「え、だってまだ真っ暗じゃ」

「母さんが襲われてる夢を見た！ ただの夢じゃない、あれは……現実だ！」

「わ、解った。すぐに起してくる！」

ティピもカーマインの夢の事は聞いたことが有り、すぐに納得して部屋を出て行った。
そしてカーマインの声に反応してグロウが、ユニが起きだした。

「カーマイン……今のは本当か？」

黙ったまま頷いたカーマインを見て、グロウも飛び起きてジャケットを羽織りブロードソードを腰に挿す。

「ユニ、お前もティピを手伝いに行け。もって行くもんは武器だけだ。余計なものは持つな！」

「は、はい！」

「お兄ちゃん、お母さんが襲われてる夢を見たって本当？！」

バタバタと隣の部屋からルイセが、ウォレスが、ジュリアンが集まってくる。
その手にはグロウが言った通り、最低限の武器と防具だけが納められていた。

「夢だと？ お前の夢は現実だと言うのか？」

「ウォレスさん、今は信じてくれとしか言えない。けど襲われてるのは確かなんだ！」

「そんな……お母さん…………お母さん」

「にわかには信じがたいが、信じるしかないか。だが、ココがいくら王都から一番近い村だと言っても、王都までどれぐらいかかる。ここからで間に合うのか？！」

「うぅ…………お母さん」

ジュリアンの言葉は確かに、現実的でもっともなものであった。
カーマインの夢が現実時間と同じであるならば、今こうして話している間にもサンドラへと侵入者が迫っているのだ。
話す時間すらも、今は惜しいぐらいなのである。

「ごちゃごちゃうるせぇ！ 間に合わないからなんだ。間に合わせるんだよ。どんな手を使ってでも、お袋が殺される前に！」

不用意なグロウの言葉が、空気を、夜の空気を重く苦しいものへと変えていた。
どんな手と叫んだ所で、今は無いのだ。

「お母さん、死んじゃやだよ。……お母さん、お母さん！」

その時、光が湧き上がった。
ルイセが叫んだ事で、その体から金色の光が湧き上がり、ドンドンと膨らんでいく光が、やがて全員を包みだした。
それぞれの意識がむき出しとなって絡まるようにして、その場から消えた。





耳鳴りのような甲高い音が聞こえたと思ったとき、彼らは景色が一変している事に唖然としていた。
確かにデリス村の宿にいたはずなのに、そこは大理石のように磨き上げられた渡り廊下であった。

「ここは、母さんの研究所の前？！」

「嘘……できちゃった。テレポートできちゃった」

「テレポート？ あの高等呪文を、しかもこの人数を一瞬でデリス村から。まさか君はグローシアンなのか？！」

カーマインや、ルイセだけでなく、ジュリアンまでもが一瞬状況を忘れていた。
人を一瞬で運ぶこの高等呪文はそれほどまでに珍しいものだったからだ。
グローシアンでもない限り、例え歴史に残るような大魔術師でも、本来は視界に映る範囲で移動するのが限界である。

「カーマイン、お袋は何処だ？！ どこで襲われている！」

「そうです。マスターは？！」

「母さんは、屋上だ。侵入者の数までは見ていないけど、そこに居るはずだ」

奇跡を前に一瞬忘れていた目的を思い出した一行は、グロウを先頭に走り出した。
一目散に何一つ目を奪われる事なく目指した屋上では、サンドラが、侵入者たちがいた。
屋上は建物の構造上カタカナのコの字型であり、コの先端にある入り口から対称の位置にサンドラはいた。
侵入者は白いフルフェイスの兜に鎧と統一された格好の二人とであった。
まだサンドラに手は出していないようだが、それも時間の問題であろう。

「お母さん！」

「「マスター！」」

「貴方たち、どうしてここに」

「話は後だ。まずはあの二人組みを……マズイな」

サンドラの声を遮ったウォレスの額に、うっすらと汗が浮かんでいた。

「今の貴方ではきついだろう。カーマイン、お前たちなど論外だ。私が奴らを斬る」

そう断言したものの、ジュリアンもまたサンドラを助けることが難しいと考えていた。
確かにジュリアンの実力であるならば、倒す事自体難しくはない。
だがサンドラを助けるとなると、どうしてもジュリアンが一人斬っている間に、サンドラの元まで到達されてしまう。

「ふん、今頃きても手遅れだ。奴らの相手は私がする。お前はサンドラを、殺せ」

「ああ、わかった。だが油断するな。一人だけ強い者がいる」

侵入者が二手に分かれた。
一人はカーマインたちへ、一人はサンドラへと。
せめて二人同時に自分たちへ向かってくれればとジュリアンが唇をかんだ。
だが、一人だけあきらめていない者がいた。

「カーマイン、お前の槍を貸せ！」

「グロウ？！」

奪うようにして青銅の槍を取り上げると、グロウはそれをサンドラへと投げつけた。
だがそれはサンドラへ到達する目前で失速し、壁へと突き刺さる事に終わった。

「グロウ様、まさか！」

「ちっ、今はグロウに掛けるしかないか。ウォレス援護を頼む。ルイセ、お前はサンドラへ向かった敵を牽制しろ。カーマインは万が一の為に待機」

ジュリアンの指令が終わるか終わらないかのうちに、グロウは走り出した。
そのままの勢いで屋上からへりを乗り越え、サンドラの居る場所まで跳んだ。
悲鳴が上がった。
ルイセかティピ、ユニか……それとも今命を狙われているサンドラか。
当然数メートル以上ある幅を跳んで渡れるはずもなく、グロウの体は重力に引かれ落ちた。

「グロウ、そこだ。槍はすぐそこだ！」

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉ！！」

奇跡は二度起きた。
グロウの片足が、サンドラの居る側の壁に突き刺さった槍の柄にかかった。
しなる柄がグロウの重みに負けることなく弾き返した。
そのまま手を屋上のへりに手を掛けると、よじ登ろうとする。

「なによアイツ。あたしたちと一緒で羽根でも生えてんじゃないの？！」

「すごい、グロウお兄ちゃん。この距離を跳んだ」

「ルイセ、すぐにグロウの援護だ。マジックアローでまずは足元、バランスを崩すんだ」

「わかった。我が魔力よ！」

我が子の為に手を貸したサンドラへせまる仮面の騎士の足元に、ルイセのマジックアローが突き刺さった。
その間にグロウはサンドラの手を借りて、壁をよじ登るとブロードソードを構えた。
相手も同じように剣を抜いていたが、相対すればわかる。
例えルイセの援護があろうと、今の自分には敵わない相手だと。

「ふん、死ぬのが少し遅くなっただけだ。一人では寂しかろう。我が子ともども送り出してやる」

「お袋、下がれ。お袋を気にしながら、いや。守れるほど余裕はない」

「私とてこのローランディアの宮廷魔術師、息子に守られてばかりではありません。母を、舐めるんじゃありません」

絶望から一転、サンドラは強い眼差しで立ち、グロウの横に並んだ。

「お母さんがんばって！ もうすぐジュリアンさんとウォレスさんが行くから」

「ルイセ、次は母さんたちと挟み込む形で、アイツの背後にマジックアローだ。無理にあてなくていい、下手をすれば母さんたちに当たる」

「う、うん。私、がんばる！」

再度ルイセのマジックアローが騎士の背後に突き刺さるが、微動だにしなかった。
まるで戦況を全て読んだ上で、それが牽制だと知っているようであった。

「いくぞ」

「お袋、まずは俺にアタックとプロテクトを。堅実に行くぞ」

「ええ、すでに詠唱は終わっています。貴方はのびのびと自分の思うとおりに戦いなさい」

「ああ、解った」

白尽くめの騎士が、まるで重さを感じていないような軽やかな動きで迫ってくる。
その格好もそうだが、得体の知れない相手とその動きに惑わされぬよう、グロウはしっかりと相手を見据えた。
はずが、ピッと何かが視界を横切ったと思った後、右肩が斬れていた。
とっさに傷口を押さえようと手が剣から離れかけたが、無理やり本能に逆らって剣を両手で握ったまま掲げた。
そのすぐ後に、見た目の軽やかさが信じられない程に重い一撃が振り下ろされ、傷口である右肩と両腕に痺れがはしる。

「ぐあ！」

「よくも私の子を、風よ。荒々しき風の渦よ。我が敵をなぎ払え、トルネード！」

騎士の足元から風が渦を巻いて巻き起こった。
それが好機かと一撃を受けた事でしびれてしまった両腕を叱咤してブロードソードを握りなおす。
だが目の前で、その風の渦が真っ二つに割れて消えてしまった。

「馬鹿な、私の魔法を剣一本で……」

「愚かな。その程度の、グローシアンでもない貴様に我々を止められる筈がなかろう」

「くそがぁ！」

破れかぶれで振り回したブロードソードはあっさりと弾かれてしまい、無手となったグロウに騎士がせまる。

「グロウ！」

「ばっ！」

我が子を庇い覆いかぶさるようにサンドラが前に出た。
その事に悪態をつくが、サンドラは思いのほか強くグロウを抱きしめ、ただ子の盾になろうと体をかたくしていた。
白尽くめの騎士がその手の剣を振り上げる。
ルイセとカーマインが兄弟と母の為に悲鳴を上げた。
だが、その剣がふり降ろされる事はなかった。

「なんとか、間に合ったようだな」

ウォレスの声に気付き、目をつぶっていたサンドラとグロウが目を開けるとそこには胸を貫かれた騎士の姿があった。
その剣は騎士の背中から胸へと貫かれており、その柄をジュリアンが握り締めていた。
その剣を抜き去ると同時に、騎士の体が動くことなく倒れこんだ。

「グロウ、大丈夫ですか？！ 怪我は？」

「ば、馬鹿野朗！ なにを勝手な事を、助けに来て死なれでもしたら無駄足じゃねえか！」

「馬鹿は貴方の方です。どこの世界に息子を見殺しにする母親がいますか！」

ギャアギャアと言い合うサンドラとグロウを置いて、ウォレスとジュリアンは白尽くめの騎士の死体を見つめていた。
その体が絶命してすぐに液体とも固体とも判別できないものへと崩れて消えた。

「こちらもか、人間ではないな」

「ああ、殴った感触が普通ではなかった。人間の形をしたなにか別の者だ」

「それは恐らく、フレッシュゴーレムです。死体の肉を使って作る外法のゴーレムです」

「死体を……気分の悪い話だ」

「お母さん！」

「グロウ、大丈夫か！」

消えてしまった死体を眺めていると、ルイセとカーマインが走ってくる。
とくにルイセなどは助かったと言うのに瞳には涙がたまっており、それが心配の度合いをしめしていた。
走ってきたスピードそのままにサンドラへと抱きついた。

「もう、大丈夫ですよルイセ。それにしても、どうして私が襲われていると？ それに貴方たちは今はデリス村では」

「それはサンドラ様、貴方の息子と娘さんの力です。カーマインの夢で貴方の危機を知り、ルイセの力でデリス村からテレポートで飛んできたのです」

「そうですか。また夢をみたのですね。それにルイセ、貴方も当等グローシアンとしての力に目覚め始めた」

「お袋、その辺は後にしてとりあえず場所を変えようぜ。実は俺ら今日はこれで三度目の実戦だ。さすがに疲れた」

グロウの台詞に聞きたい事はたくさんあると思い、サンドラも頷いた。
このまま夜の風が吹く屋上で話すには、話すべき事がお互い多すぎたからだ。
サンドラは賊が侵入したことを一人の兵士に伝え、さらなる警備を増強してから皆を連れ立って屋敷へと向かった。





「おい、二人とも少しいいか？」

王宮を後にしてグロウたちの家を前にして、ジュリアンがグロウとカーマインを呼び止めた。
他の者が先に家に入ったのを確認すると、決意を秘めた目で二人をみた。

「私はこれでもう、お前たちと別れようと思う」

「思うって、まだ母さんを助けてくれたお礼もしていないし。急にどうして？」

「止めとけカーマイン。ローランディアまで着た事はジュリアンにとっては不本意だったんだよ。この件がなけりゃデリス村で別れていたはずだ」

「それとこれとは別だろう？」

「いや、今が一番良いのだ。これ以上お前たちと共に居れば……ここは居心地が良すぎる。だから、ここでお別れだ」

止める事はできないと判断したカーマインはその手をジュリアンへと差し出した。
ジュリアンもまた答えて握り返す。

「本当に有難う。君に会えてよかったよ」

「それはこちらの台詞だ。できればまた会いたいものだ。もちろんグロウ、君にもだ」

「俺は別にどっちでもいいぜ。その時に手合わせしてくれればな」

「その時までにもう少し強くなって居ればな」

「のやろう」

ピクピクと瞼を痙攣させながら、憎らしげに呟くとグロウは右手を掲げた。
握手ではなくハイタッチでジュリアンの手のひらがたたきつけられた。

「それじゃあ、また会おう」

そう言って走って言ったジュリアンは、振り返ることはなかった。
すがすがしく去ったジュリアンの背中を見て、負けていられないとカーマインもグロウも笑っていた。
いつかジュリアンのように強くなり、追い越して見せるとその背中に言葉のない思いをぶつけていた。
しばらくジュリアンの背中が見えなくなっても、二人はしばらくそのままでいた。

「さて……母さんの所に行こうか。色々話さないといけないし」

「ああ、そうだな。それで……しばらくはウォレスに稽古をつけてもらうってのも悪くないな。俺達はまだよわ…………い」

言葉尻が消えたかと思った瞬間、グロウは地面に膝をついている自分に気がついた。
グルグルと世界が回るように、脳みそがかき回されるようなめまいと吐き気。
まさかと右肩に手を当てようとしたが、指先が震えて、曲げる事すら出来ない事に気付いた。

「ま……さ、か」

「グロウ？！ どうしたんだ。おい、グロウ！！」

「ど…………く……………………」

カーマインに揺さぶられながら、グロウの意識が急速にどこか遠い所へと薄らいでいった。

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