第二話 旅支度にて


すっかりサンドラに拗ねられてしまい、グロウはカーマインとルイセを残して玄関を出たすぐ横で、壁に背を当てて座り込んでいた。
痛そうに赤く腫れ上がった腕や顔などに手を当てており、ユニが心配そうにチラッと見ては視線をそらしている。
そのおかげで初めてみるはずのグローシュ、大気中に浮かぶ光の玉に気づく様子もない。

「くそ、お袋の奴。もうちょっと手加減しろっての。だいたい八つ当たりでマジックアローを使うか、普通?」

「あの……」

「なんだ?」

「いえ、なんでもありません」

そうは言っているがそうもあからさまに怯えたような、落胆したような顔をされては気にならないはずもない。
なによりもそう言った態度をするものに正面から鬱陶しいと言い切る気質のグロウである。
無理やりにでも言わせてやると口を開こうとしたが、間の悪い事にカーマインがティピとともに出てきた。

「そこにいたんだ。グロウ、母さんがこれで旅の準備を整えてこいってさ」

そう言って手渡された皮袋からはずしっとした重みがあり、最高とは言わずとも最低限の容易なら十分に整えられるであろう。

「あんまり無駄遣いしちゃダメだよ。買い食いとかね?」

「お前、俺をいくつだと思ってんだ。ルイセみたいなガキと一緒に」

するなと言おうとしたところ、上からなにか落ちてきてポコンとグロウの頭にヒットした。
そのまま地面におちたそれはアヒルの人形であり、キッと上を睨むとルイセが窓から隠れようとするのが見えた。
隠れようとしたのはいいが、急いで閉めた窓に髪をはさんで悲鳴無く痛がる様子がしっかりと見えていた。
悲鳴を上げればばれるとでも思っていたのか、あとでからかってやろうと心に刻み、グロウは立ち上がる。

「んじゃ、俺は行くからな」

「? ……ああ、じゃあまた後でね」

直前の間と、苦笑が気になったが、いいかとグロウは歩き出す。

「おい、ユニ。何やってんだよ、行くぞ」

「あ、はい。すみません。すぐに行きます」

グロウは家から東へと歩き出し、カーマインは逆に西へと歩き出した。
その間もずっとカーマインは笑っており、とうとうティピが口を挟んだ。

「クスクス一人で笑って気味が悪いわよ? なにがそんなにおかしいわけ?」

「ああ、それはすぐにわかる事になるよ。それよりもユニがちょっと元気なかったけど」

「あの子真面目だからね。グロウに必要ないって言われたのを気にしてたわよ。マスターの命令に背くわけにも行かないから一緒にいないといけないし、大丈夫かしら」

「そっか。なら大丈夫だよ」

気楽そうに笑ったカーマインにティピが不思議そうに尋ねる。

「どこをどう見たらそう言える訳? ルイセちゃんを苛めるわ。ユニの目の前で着替えてデリカシーないわ。マスターの、と」

最後のだけは言葉にするのを回避して再度カーマインを見ると、やはり笑っていた。
それにしてもよく笑う男だわねとティピの考えがずれ込んでいくほどに。

「グロウは優しい男だからね。それもすぐにわかるかな?」

「わかんないわよ。アンタ、人を見る目ないでしょ。そんなんじゃこれから大変よ。世の中には怖い人が一杯いるんだから」

「ティピは今日生まれたばかりだろ? その点、僕はティピより十七年も前に生まれているんだよ。言われるまでもないさ」

「へ〜、私より物知りってわけ? それじゃあこのふわふわぴかぴかしてるコレは何?」

周りに絶え間なく浮かぶ光の玉を指差して尋ねるティピに、カーマインは的確に一つずつ教えていった。





その頃グロウは家から東へ行ったところにある一番近いグッズ屋の店頭にいた。
グロウの視線は二つの商品へと注がれている。
一つは実戦には程遠く、切れ味も耐久力も無い、もはや練習用の青銅の剣。
もう一つは下級兵士用が良く使うグラディウスである。
どっちを買うかで迷っていると思いきや、グロウは悲壮な顔で店主に語りかけた。

「おっさん、マジで武器これだけかよ。他の田舎町でも、もうちょっとまともなもん売ってるぞ?」

「ああ、いいんだよ。こちとら片手間でやってる店だからな。いいもんが欲しけりゃ南へいった商店街にでも行くこったな」

「グダグダだな。仕方ねぇ、南にいってみるか。ユニ?」

またしても姿が見えないと見渡すと、ぽけっと店内のある一点をみつめていた。
本人にはその気がなかったかもしれないが、グロウにはそう見えた。

「ユニ!」

「きゃッ」

振り向いた途端に羽ばたかせていた羽根が棚にぶつかり、ガクンとその体勢が崩れた。
ユニ自身とっさのことで体を丸めてギュッと目をつぶることしか出来なかったが、以外にも着地は穏やかなものであった。
ポテンと落ちたのはグロウの手の中であったからだ。

「お前なぁ。飛び慣れてないならそう言え。ったく、迷惑な奴だな」

「グロウ、様。あの……私、すみません!」

「って、おい!」

何が何だかわからないのはグロウの方であり、飛び去っていくユニを止める事は出来なかった。

「なんだいアンちゃん今のは? 妖精かい?」

「いや、あいつはホムンクルスなんだが」

そう店主に言いながら振り向くと、グロウの視界にとあるものが入り込んできた。
それは先ほどユニが見つめていたものであり、仕方ねえなと頭をかいた。





確かにグロウの言う通り、飛びなれていない状態の現在、全力で飛び続けるのには無理があった。
すぐに失速し高度を保てなくなったユニは、最低限の高度を保ちながら壁に手をついた。
汗がその小さく端正な顔を流れて、顔には、はっきりと困惑が浮かんでいた。

「つい、飛び出して……戻らないと。でも戻ったとしてもグロウ様は、それでもマスターの命令は守らないと」

「お嬢ちゃん、大丈夫かい?」

「え?」

ユニに話しかけてきたのは恰幅の良い、中年の女性であった。
よく見上げてみれば今自分が手を着いているのは宿屋の壁であり、この女性はおそらくその女将であろう。
役に立てないまでも自分の醜態はマスターの醜態とばかりに無理に息を整える。

「はい、なんでもありません。お気遣い感謝いたします」

「へえ、小さいのによく出来た子だね。妖精かい?」

「いえ、私はホムンクルスです。解りやすく言うと魔法で生み出された生命です」

「魔法、ってことは宮廷魔術師のサンドラ様がお作りになられた?」

その短絡的な思考には苦笑させられたが、間違っては居ないためユニは頷いた。

「そうかい、サンドラ様の……お嬢ちゃん、今時間あるかい? すこし頼みたい事があるのだけれど」

「……あっ、私にできる事なら」

「実は今旦那と街の外で待ち合わせているんだが、ここを離れられなくてね。少しの間でいいんだ。店番を頼めないかい? 人が来たら宿帳に書いてもらう。それだけでいいからさ」

本当は今すぐにでもグロウの元に戻らなければならないが、それぐらいならとユニは頷いてしまっていた。
少なからず、すぐには戻りたくないといった気持ちもあったのだろう。
去っていく女将さんを見ながら、ユニはそのことを自覚していた。

「私が本当に役立たねばならない相手は、グロウ様なのに……後で謝りましょう。そして役に立ちましょう。例えグロウ様にとって必要なくても」

もの悲しい決意をして店頭のカウンターの宿帳のすぐ横に座っていると、すぐに客は現れた。

「馬鹿、何をやっているんだ新入り。普通にしていればいいんだ。普通に」

「そうですよね。誰も俺達が盗ッテ!」

「声がでかい!」

妙な二人組みだなと思いつつ待っていると、そのままズンズンとカウンターまで歩いてくる。
そしてキョロキョロと確認する様に辺りを見渡していたため、ユニが自分から騙りかける。

「いらっしゃいませ。お泊りですか?」

「うお! なんだ、びっくりさせやがって」

「申し訳有りません。なにぶんこの通り小さなもので。お泊りでしたら宿帳に記入をお願いします」

「いや、泊ってわけじゃないんだ。ちょっと確認させて欲しい事があって、宿帳を見せて欲しいんだ」

「はあ……」

正直一般常識をある程度持っているものの、それがユニには見せてよいのか悪いのかの判断がつかなかった。
良い悪い以前に、宿帳を他人が見ることが許されているのかが解らなかったのだ。
だが万が一を冷静に考えると見せない方が無難であろうと簡単にいきついた。

「申し訳有りませんが、代理の私には判断しかねます。しばしお待ちいただければ直に」

「帰ってきちゃ困るから」

「もういい、新入りどけ。そんな小さな奴あいてにするこたぁねえんだよ!」

「キャッ、何をなさ」

「うるせえ、黙ってろ! 新入り、捕まえとけ。ついでだ、後で珍しいもの好きの金持ちに売りつけてやる」

男の一人がユニを掴んで新入りと呼ぶ男に投げつける。
それだけで小さく華奢なユニの体が激しく揺さぶられ、意識は半分ほど飛んでしまった。

「だ……め。私がしっかり、しないと」

「ほら、大人しくしてな。痛い目みたくないだろ」

「わたし、が」

ペラペラと宿帳を捲る音が無常にも聞こえ、なにも出来ないのだと聞かされているようでユニは涙を流しそうになっていた。

「何やってんだてめえら」

とても小さいが底冷えするような声と後頭部を掴む手に、新入りの手が緩み、よろめくようにユニは逃げ出した。
必死に宿帳を捲っている男は不運にも、まだ人が来た事に気づいていない。
新入りと呼ばれた男は後頭部をつかまれた事で振り返ることすら出来ず、その耳には何かがミシミシと悲鳴を上げる音が聞こえた。
さらに音の大きさに比例するように痛みが増していく。

「あ、アニキ」

「うるせえ、まだ見つかってな」

「何をやてんだって聞いてるんだよ!」

ついに新入りと呼ばれた男は、後頭部を捕まれたまま振り回して投げつけられ、宿の外へと飛んでいった。
その途中で閉まりかけていたドアが吹き飛び、表からの悲鳴にようやく宿帳を捲っていた男も気づいた。

「な、なんだてめえ!」

「俺が誰かなんてどうでもいい。お前らが何をやってたんだって聞いてんだよ。いや、もうそれすらどうでもいい。とにかく死ね!」

「くそっ!」

グロウの迫力に押されて、とっさに腰の剣に手を伸ばした男だが、グロウの拳がその顔を捉える方が速かった。
えぐり込むように放たれた拳は、男を打ち倒しそのままカウンターへと凹みを作らせたほどであった。
完全に気を失ったその男を担ぐと、先ほど投げ飛ばしたもう一人の下へと運び、叩き付ける様に落とした。

「失せろ。二度とその面見せるな。今度この王都で見たら……わかってんな?」

「は、はい! 申し訳、アニキ重い」

「遅い、後三秒で二度目に入るぞ!」

重いと言っていた言葉はなんだったのか、それで男はアニキと呼んだ男を抱えて逃げていった。
ざわめく表通りで、グロウは勝ち誇るわけでもなく、すぐさま宿へと戻っていく。

「ユニ、大丈夫か!」

「はい、だいじょ」

「馬鹿野郎、全然大丈夫に見えん。動くな、癒しの力よキュア」

よろめきながらも倒れていた床から起き上がろうとしたユニを止め、グロウの手のひらの光が包み込んだ。
魔法を使う事ができる者なら誰にでも出来る回復呪文だが、それはとても暖かな光に見えた。

「グロウぼっちゃん、一体何が……お嬢ちゃん、その怪我は?!」

「二人の馬鹿が宿帳を調べていた。ユニは恐らくそれを止め様としてやられたんだ。くそ、やっぱ殺しておけばよかった!」

「そんな、大丈夫なのかい? すまない、私が気軽に頼んだりしたから」

「いいえ、これは私の力が」

「だから喋んな馬鹿」

「はぅ!」

ピコンとでこピンをされて、ユニは喋る事もできずに黙って治療を受けるしかなくなってしまった。
そのぶん申し訳なさと悔しさが沸いてきて、やはり黙っている事が出来なかった。

「私、グロウ様の役に立たないと。でもグロウ様は私を必要ないって、だから必要ないなりに頑張ろうって」

「だから馬鹿なんだよ。いつ俺がお前を必要ないって言った? 俺が必要ないって言ったのはお目付け役であってお前じゃない」

「でも私はそのために」

「そりゃお袋がお前に与えたもんであって、お前が望んだもんじゃないだろ!」

そこまで言われてようやく気づいた。
置き換えれば運命、今のはグロウ自身の運命に対する言葉であった。
だがユニが気づいていない事もあった。
グロウがその運命を知ったのは今日であるはずなのに、答えを出すのが速すぎる事に。
まるでずっと前からそう思っていたように、自然とグロウの口からその言葉が出た事に。

「いいか、一応治したつもりだがお袋に見てもらうまでは飛ぶな」

「しかし」

「俺の肩にでもとまってろ」

グロウはそう言ってユニを摘み上げて自分の肩に乗せると、サンドラから貰った皮袋をそのまま女将へと渡した。

「グロウぼっちゃん?」

「カウンターと入り口のドアぶっ壊しちまったからな。修理代だ。あと迷惑料」

「でもそれはグロウ様のムグッ」

何かを言いかけたユニの口を人差し指で塞ぐ。

「迷惑をかけたのはこちらの気がしますけど、ありがたく頂戴しますよ。お嬢ちゃん、こんな事があったけどまた来ておくれよ」

「はい」

宿を出てしばらくしてから、ようやく尋ねられるような雰囲気がグロウから放たれ始めた。
いや、むしろかなり上機嫌と言って良いほどで、ユニにとっては少しうるさいが鼻歌まで聞こえる。
なにがそんなに良かったのか、訝しげに問いかける。

「あのグロウ様、何をそんなに……それにアレはマスターがグロウ様の為に用意した出立金ではありませんか」

「それぐらい知っている。お前の方こそ勝手に飛び出してトラブル起して、今日の意図を知っているのか?」

「それは……謝罪しかうかびませんが。だったら何故」

「一応収穫があったからな」

グロウが掲げた右手には、黒塗りの鞘の剣が握られていた。
一般的兵装、中級から上級兵士と幅広く使用されているブロードソードである。

「何時の間に、あの店には確か売っていませんでしたよね?」

「さっきの盗賊が落として行った物だ。気に入らん相手の持ち物だが、拾った以上俺の物だ。それにあの皮袋まるまる使って買えるかどうかの値段のはずだからな。そこだけはお手柄だ。よくやったな」

「はい、有難うござイッ!」

突然顔をしかめた涙目になったユニは、乱れて複雑に絡みついてしまった髪の毛を摘み上げていた。
先ほどの乱暴な扱いで乱れた髪を必死に手櫛で対応しようとしていたのだが、指がひっかかったようだ。

「無茶すんな。我慢できなきゃ、これで誤魔化しとけ」

「リボン、ですか? このような物を何故……そう言えばこれをどこかで」

「拾ったもんだ。気のせいだろ」

そう言われてウッと嫌がったのは一瞬、拾ったはずなのに汚れておらず、しかも値札がそのままのリボンを見て微笑む。

「拾って貰った以上、私のものですよね?」

「だろうな」

その言い草にもう一度笑うと、ユニは値札をとるとそのリボンで長い髪を結い上げる。
それだけで髪の絡まりは治らないが、不用意に互いを引っ張り合わないため幾分マシであった。
いや、心情的にはもっと軽く、とても穏やかになれていた。

「あっれー、グロウにユニじゃない。なんでこんな所に? しかも何時の間に肩に乗るまで仲良く」

「あ、ティピ……これは、その!」

「だから、お前はそこから動くな」

声を掛けてきたのは向かいから歩いてきたカーマインの周りで飛んでいたティピであった。
指摘されて恥ずかしくなったのか、慌てて飛ぼうとしたユニをグロウが押さえ込む。

「だから言っただろ? 大丈夫だって。それに何かを買い揃えるには商店街が基本だからね。いずれ会うとは思っていたよ」

「それが解っていたから別れ際に笑っていやがったのか。それでそっちの収穫は?」

「ほとんどの店がリニューアル中で、この青銅の槍一本買うのがやっと」

「なにがやっとよ。聞いてよコイツの押しって強くない代わりに怖いのよ。すっごい笑顔でずっと武器を見せてくださいって繰り返すのよ。あそこの店主ちょっと泣きそうだったわよ。実際この青銅の槍だって半額以下にさせたし」

「コイツの笑顔は色んな意味で武器だからな。俺だったら張り倒して終わるが」

「客商売を逆手にとってますね。どんな方法であろうと、お客様である以上逆らいにくいですし」

そう言ったのはユニだが、カーマインと得にティピから信じられないといった視線を投げかけられる事となった。

「ユニがどんな方法でもだって……ちょっと信じられ、はっは〜ん」

「な、なんでしょうか?」

「そうよね、早くもプレゼント貰ってるぐらいだもん。私たちが居ない間にチュ―ぐらいはしたの?」

後半はユニにだけ聞こえるように抑えていた。

「そ、そんな事! あ、でも……」

思い出したのは宿屋でグロウの指が自分の唇を押さえ込んだ事だった。
そっと自分の手でも触れてみるが、やはり違った。
もっとごわついていた気がしたが、それが嫌なわけではなく。
そこまで考えた所で、ポムッと音をだしてユニの顔が真っ赤に染まった。

「あれ? ユニ、冗談というかからかっただけだったんだけど、そんな不安になるようなリアクションしないでよ。ユニってば!」

そうやって小さな二人が話している間にグロウとカーマインは勝手に家へと足を向けていた。
そのまま到着してしまうわけだが、二人が武器しか買ってこなかった事に対しサンドラが怒り、再度買い物に行かされるのに時間は掛からなかった。

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