ふらりと一日近く黙って城を空けていたリュカを待っていたのは、愛する家族の抱擁ではなく、親愛なる叔父の罵声の嵐であった。 実際はののしっているわけではないのだが、次から次へと上がるリュカへの細やかな注意や、声の大きさから僧聞こえてしまうのだ。 だが怒鳴られている方のリュカはと言うと、こんなに怒られるのは何時ぐらいぶりだろうとあまり話を聞いていなかった。 そう思われても角が立つと、身を縮こまらせて首をすくめる程度の事はしていたが。 「いいかリュカ君、君は自分の地位が非常に危うい事をもっと自覚してくれないと困る」 「わかりました。わかりましたから、少し落ち着いてくださいオジロンさん」 「これが落ち着いていられると思っているのか? 今回の件で、君を排斥しようとする一派が勢いづいているのだ。なんとか口八丁で予定休暇だと言いくるめて、君の仕事は片付けておいたが」 それを聞いて、ようやく興味がわいたリュカは尋ね返した。 「片付けておいたって、全部ですか?」 「そうだ。少し手を出しすぎたと思わないでもないが、そうせねばならなかった」 まだまだ言い足りない様子ではあったが、それよりも先に体力がなくなったようでオジロンはソファーにどっかりと腰を下ろした。 テーブルの上にあった水差しからコップへ水をくむと、口からあふれんばかりに飲み干していく。 息をついてオジロンが息を整えるまでの数分、リュカはずっと考え事をしていた。 そして頃合を見計らってリュカは言い出した。 「もう一度聞きますけれども、僕の仕事は全てやれてしまったんですね?」 言葉遣いに少し違和感をたようだが、小さな事だとオジロンは頷いた。 「そうだ。だがこれっきりだぞ。それからしばらくは君のそばに私の信用の置ける者を配置する事ぐらいは許してもらうぞ」 「ああ、それはかまいませんけれど。一ついいですか?」 「なんだね?」 「オジロンさん、もう一度王になる気はありませんか?」 「なッ、一体何を言っているのかわかっているのかね!」 先ほどよりも長い時間続きそうな怒声であったが、今度はリュカも聞き流しにしようとせず、全ての言葉を受け入れるつもりであった。 身構えると表現できるほどのリュカの態度に感じる所があったのか、オジロンは最初の一声の後を続けず黙ってリュカの瞳を見つめていた。 一転して静かな時間が執務室の中で流れるが、オジロンの深いため息によって途切れる事となった。 「理由を聞いていいかね?」 「オジロンさんが僕に王位を譲った理由って、僕が父さんの、パパスの息子だからでしたよね。自分は正統に王位を継いだ人間ではないと」 「確かに私はそう言った。先々王の子である君が継ぐべきだと。だがそれは私の、私のための理由だ。君の理由ではない。ならば聞こう、何故私に王位を譲りたいと思ったのかね?」 本当はオジロンのためというのもいくつかある理由のうちの一つではあったのだが、リュカは一瞬躊躇った。 それでも、結局は口にした。 「僕はグランバニアという国を愛しています。突然やってきた僕を、友である魔物たちを受け入れてくれた民を。そのためにも僕は良い王であろうとしました。けれど優秀な王にはなれませんでした」 「どういうことかね?」 「オジロンさんが王だったとき、何を考えて国を治めていましたか?」 「それはもちろん兄上が帰ってきたとき見違えるようだと言われるように、国民たちが今以上に裕福になれるようにグランバニアを発展させようと考えていた」 「それです。僕には王として絶対不可欠なそれがないんです」 不可欠なもの、今までのリュカに何が足りなかったのかとオジロンは今先ほどの自分の言葉からも探そうとしたが見つからなかった。 一体何がと見つかるとも思えないものを探すがみつからず、助けを求めるようにリュカを見た。 「国を今以上に発展させようという意欲です。勘違いしないでくださいね、僕は国を良くしようとは思っているんです」 「それぐらいのニュアンスはわかるつもりだよ。確かに、それでは良い王にはなれても優秀な王にはなれないだろうな」 そればかりはどうしようもないと、オジロンは半ば諦めたように背もたれに体を預けた。 優秀な王であるためには、あらゆることに貪欲でなければならない。 なのに元来リュカは育ってきた環境のせいか、貪欲と言う言葉には程遠い性格である。 今更変えろと言ってすぐに変わるものでもないし、他人がどうこうして変えられるものでもない。 (もしも私がリュカ君ほどの才覚と技能があれば…………どうするだろうか?) リュカがあえてしなかった事、思いつきもしなかった事。 それは数え切れないほどと言うほどに、次から次へとオジロンの頭の中で生まれていった。 まず最初に思いついたのは魔物を軍へと編入させる事、それによって強化と数が増えた兵士によって城の守りは堅くなり、城と一体化した街をもっと広げられる。 城の作りそのものを大きくしてもいいし、地下に広げたっていい。 それからチゾットの山道をもっと歩きやすく整備し、他国との国交を…… (だがそれはリュカ君だから……では、私ならどうする?) 「楽しそうですね、オジロンさん」 言われて気づけば、リュカが目の前に居る事さえ忘れてオジロンは考え込んでいた。 同時に、これまで王位を退いてからもリュカの補佐を行ってきた事から自分が王の仕事が好きな事を気づかされた。 「数日、考えさせてくれないか」 「ええ、かまいません。ゆっくりと、考えてください」 伝えると、自分は邪魔だとばかりに足早にリュカは執務室にオジロンを置いて出て行った。 執務室を出て行ったリュカは、すぐさまある場所へと一目散に歩いていった。 とある階段の横にある隠し扉のはるか下にある部屋にいるであろうルカの元へと急いだのだ。 ルカが運よく部屋に居てくれた事に加え、ラナやビアンカが遊びに来ていなかったのも丁度良かった。 「お邪魔するよ」 「珍しいですね、父上がここに来るのは。それにオジロンさんのお説教はもう良いのですか?」 「はは、まあね。それに関係もしてくるんだけど、ちょっとルカに相談ごとがあって来たんだ」 ルカが実験しているテーブルの近くに、手近にあった椅子を近寄らせリュカは座り込んだ。 相談ごととはますます珍しいという目を向けるルカであるが、先ほど執務室でどんな話をしたのかと言う事を聞いて、珍しく目を丸くしていた。 「正気ですか、父上?」 「魔物が僕に化けてるわけでもなくて、操られてるわけでもないよ。僕は正気さ。僕の王としての欠点は随分前から気づいていた事だし」 「それで相談ごととは、王位を譲り渡した後のことですね? 例えば、グランバニアを出て向かう先で必要なものとか」 「ルカは察しがいいね。あまり先走って考えるのも問題だけど、そこでは絶対に必要とされると思うんだ」 それからリュカの口から説明されたものは、突飛なものでありルカに信じられないと呟かせるものでもあった。 さらに好奇心を刺激するには十分過ぎるものだったらしく、軽い興奮を覚えさせたようだ。 「もしかすると、真の天才は父上かもしれませんね。そのような事、考えた事もありませんよ」 「そうかな。でも僕らはとても無責任だと思わない? 好きに暴れるだけ暴れて、さっさと居なくなっちゃって」 「そう取れない事もないですし、そこでなら真に僕が目指すものができるかもしれません。僕からお願いして手伝わせて欲しいぐらいですよ」 その言葉が嘘でないことを示すためにルカが差し出してきた手を、しっかりとリュカは握り返した。 「それで、何時頃ぐらいまでには?」 「何処から手をつけてよいものか、目星だけは一週間ほどでつけようと思います」 そんなに急がなくてもいいからと去り際に言ったリュカであったが、オジロンの決心は思ったよりも早くついていた。 翌日の早朝、眠らずに考え込んでいたのか眼の下にくまを作りながらもオジロンはリュカへと了承の言葉を運んでくる事になった。
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