今は主のいない執務室の中を、フローラが落ち着きなく行ったり来たりを繰り返していた。 歩き回る間にも時に思案にくれては、首を横に振るのを繰り返している。 「少しは落ち着いたら?」 フローラとは対照的に落ち着いた様子でソファーに座り、自分で用意したお茶をすすっていたビアンカが言った。 その落ち着きようはもはやくつろいでいるとも表現できるレベルであり、フローラがもっと心配しろといった視線で睨みつける。 それでもまだ、ビアンカはどこ吹く風というようにお茶を飲んでいた。 自分がこんなに慌てているのにと、フローラが一言言おうとすると執務室のドアが開き、ラナとルカが顔を覗かせた。 「駄目ですね。父上は、何処にもいませんでした。引き続きサンチョが探していますが……グランバニア内にはいないのかもしれません」 「それに気づいたんだけど、プックルとメッキーもいないの。お父様と一緒かもしれませんわ」 子供たちの知らせに、激しく肩を落としたフローラはよろめくようにしてビアンカが座るソファーの対面へとへたり込んだ。 そのフローラへと真っ先にラナが駆け寄り、気遣うようにしてその体を支える。 事の始まりは、複雑な事は何もなくとてもシンプルなものであった。 リュカが突然その姿を消した、それだけであった。 フローラが朝起きてみればすでにその姿はなく、何の連絡もないまま朝食にも現れなかったのだ。 そして皆の必死の捜索にも関わらず、居場所を示すヒントすら見つけられなかった。 「ビアンカさん、何か知っているのですか?」 「え、私?」 まいってしまいそうなフローラから視線をそらし、ルカがそう尋ねたのには理由があった。 城中の人間が安否と共にその行方を心配する仲、ビアンカだけが一人普段どおりであったからだ。 それでは疑ってくれと言っているのも当然である。 「私もリュカの行き先なんか知らないわよ。でもルカ君の思ってる通り心配なんてしてないわよ、ただ……」 「ただ?」 「結構深刻かもね」 ビアンカが深刻という表現した事で、ハッとフローラがその顔を上げてビアンカを見た。 冗談めかしてではあるが、昨晩リュカは「逃げちゃおうか」と言ってきた。 だがすぐにフローラはそれを半分否定した。 「いえ、あの人は一緒にと言いましたし」 「考え事を唐突に漏らされても、わけわかんないんだけど。まあいいわ、丁度良い機会だし貴方たちが気づいていないリュカの事少し話してあげましょうか?」 「私たちが気づいていないお父様ですの?」 「そうよ、むしろ貴方たちが気づいていないのは普通なんだけどね。一番近くにいる家族なんだから」 そのような事があるのかと呟いたラナに向けて、ビアンカは微笑みかけながら伝えた。 興味を持ったのかリュカを捜索する一時の休憩のつもりかルカもソファーに腰掛けてきた。 だがまだビアンカは話し始めず、フローラが興味を持って耳を傾けてからようやくルカたちの気づいていない点を話し始めた。 「赤子の頃からパパス叔父さんと旅をしていたせいか、リュカって何事も自分が我慢するのが当然だって思ってるの。忙しいパパス叔父さんを見て、遊んで欲しくても言えない。旅の先の地で仲の良い友達ができても、ずっと一緒に居たいって言えない。大好きなパパス叔父さんの為にしてた我慢が当然のものになってた」 喋りながらもビアンカは、フローラたちの為にお茶を入れなおし続けた。 「たぶん今でも無意識に、自分が一番最初に、もっとも長く我慢すべきだって思ってる。では質問です、リュカの初恋は一体誰でしょうか?」 意地悪いその質問に、ムッとしたのはフローラであった。 先ほどのビアンカ自身の言葉にも、仲の良い友達と出てきた。 考えるまでもないと素早く答えた。 「貴方ですわ、ビアンカさん」 「残念、違うわ」 だがしてやったりとした顔のビアンカは驚くべき言葉を放った。 「私とリュカが出会った頃って本当に子供で初恋もへったくれもなかったわ。正解は、マリアさん」 「マリアさんって、ラインハットのコリンズ君のお母様ですの?」 「そうよ、おかしいと思わなかった? マリアさんと出会ったのは、ヘンリーと同時期。奴隷から救い出したのも同時。じゃあ、何故マリアさんはヘンリーと結婚したの?」 下世話な話になってきたが、確かにリュカがマリアと結婚していてもちっともおかしくはなかった。 むしろ王子から奴隷へとなったヘンリーよりも、旅慣れ、世間慣れしていたリュカの方が魅力はやや上であっただろう。 当事者ではないので魅力以上の何か出来事があったのかもしれないが、考えてみればおかしい話である。 「じゃあ次のって言ってもこれで最後だけど、リュカがたった一度だけ我侭を言った事があります。生まれて初めて、他人の想いが介在せず、自分の意思、気持ちだけで行動した事がありました。それは何時、どんな時でしょう?」 次第に興味が出だしたのか、身を乗り出しそうなルカとラナである。 加えてフローラも知らず知らずのうちに、真剣に耳を傾けるようになっていた。 「はい、魔界に行って魔王を倒した事に決まっていますわ」 「ぶー、それはお母さんを助ける意味もあったし、世界中がそれを望んだからです」 「では、グランバニアを継いだ事ですか? 確か継がなくても誰も困りはしなかったはずです」 「ぶー、オジロンさんがそれを望んでいた。サンチョさんもね。パパス叔父さんの跡をついで欲しいって」 ラナとルカが、交互にあれやこれやと意見を繰り出すも、かすりもせず全てビアンカによって不正解の烙印を押されていった。 「じゃあ、ヒント。リュカがそれをする事によって、とても心を痛めた人が二人いました」 「もしかして……私を選んだ事。私たちの結婚式」 「正解、ちゃんと解ってるじゃない。リュカがフローラさんを選んだ事で、リュカの幼馴染である私が。フローラさんの幼馴染であるアンディが心を痛めた。リュカ自身それを知っていてなお、フローラさんを選んだ」 リュカが居ないと言う状況を忘れ、ちょっぴり頬をフローラを前にビアンカは微笑みかけながら続けた。 「だから、もう少し信じてあげなさいよ。リュカは絶対に戻ってくる。フローラさんと、もちろんルカ君とラナちゃんの元にね」 そのリュカと言えば、そことも知れない太陽の下、風になびく大草原の中で草を押しつぶしながら大の字に寝転がっていた。 冒険者時代に来ていた服は、草や泥によって汚れ、一目ではその人が一国の王等とは到底思えないほどである。 リュカの傍らには、同じように黄金色の毛皮を思い切り汚したプックルと、汚れた翼を一生懸命整えているメッキーの姿があった。 「あー、面白かった。さすがに魔物が大人しくなったって行っても、まだまだ外は危険だねぇ」 アハハと能天気にリュカが笑い声を上げると、プックルは渋面を作り出し、メッキーは煙を体中から吐き出し人型に変身すると思い切り叫んできた。 「だねぇ、じゃねえよ! いきなり連れ出されたかと思えば、魔物の巣に飛び込むは、森を無意味に突っ切るわ何を考えてるんだ。見ろ、俺様の優美な翼がボロボロじゃねえか!」 「大丈夫、大丈夫。元々ボロボロなんだし、今更だって」 「ボロボロって言うな。今すぐにでもキメラの翼として売り込めるぐらいだわ!」 まったくと言葉を締めようとしたメッキーだが、ふいにブチッという音が響いた。 後に訪れた一時の静寂は、嵐の前のものであった。 「い、痛ぇー! ブチって、ちぎ、ちぎれた!!」 一体何が起こったのかとリュカが転がるメッキーを見ると、鋭い爪で羽毛の一枚をちぎってしまったプックルがいた。 どうやらメッキーの羽毛が気になったようで、じゃれ付いた途端に爪でひっかけてしまったようだ。 あまりのメッキーの痛がり様に、自分に雷を落としたプックルが珍しく人型に変身して謝罪する。 「ガウ、すまん。とれた」 「とれたじゃねぇ! なにすんだ、このクソ猫!」 「俺、猫じゃない。それに道具屋に売れば、ラナにお土産買える」 「たった一枚で売れるかボケェ!」 言わなければ良いものを、だったら何枚だと売れるのかとプックルが再び無造作にメッキーの羽毛をもぎ始めた。 「痛ッ、本当に止めて。嗚呼、なにかに目覚めそうだ!」 「我慢しろ、ラナのためだ」 「きっぱりとお前の欲望のためだろうが!」 これ以上もがれてはたまらないと、臨戦態勢をとるメッキーに対し、ちぎった羽毛を大事そうに抱えるプックル。 このままではあたり一体の草原が禿げ上がることになってしまうだろうが、リュカは止めることなく二人のやり取りを笑ってみていた。 落ちる稲妻に、吹き荒れる凍れる吐息、通常の人間はおろか、魔物でさえも巻き込まれればただでは済まされない。 それでもリュカは黙って城を抜け出し、大勢の人に迷惑をかけている事を自覚しながらも笑っていた。 「てめえの毛皮をはいで、ラナのしりの下に敷かせてやるから覚悟しろ!」 「ガウ……羽毛、たりない。なら焼き鳥」 「ふざけんなー!」 「ガウ、鶏がらでもいい」 「ふぬがぁッ!!」 額に欠陥を浮かび上がらせながら叫ぶメッキー。 だがどうやらプックルの方が基本性能も、一撃必殺の稲妻も威力が高いようである。 しかもメッキーはうかつに空に大きく飛び上がれば、稲妻の直撃は避けられない。 冷静に分析してしまってから、首をゆっくりと横に振るとリュカはポツリと呟いた。 「この喧嘩がおさまったら、帰ろうかな」 そう言うと、稲妻と吹雪が飛び交うすぐそばで目を閉じ寝息を立て始めていた。
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