第九話 メッキーの恋


とある大木の、とある一本の枝。
地上よりはるか上空にあるそこからは、ファミリアを一望するどころか、魔界の地平線の端まで見渡せるほどである。
そんな枝の上に腰かけ憂いを帯びた瞳を作り上げるのは、半キメラ半人間のメッキーであった。
意味もなく風を煽るように羽をそよがせながら、そっと溜息をついた。

「ああ…………素敵な恋がしたい」

当に四十歳には確実に差し掛かっているであろう大の大人が呟くような台詞ではないが、彼は大真面目であった。
若気の至りとはいえ、普通のキメラとしての生活を捨ててリュカについて歩き、様々な困難を彼らと共に越えて、今に至る。
その間にリュカは結婚をし、子供まで設けていると言うのに……
自分は結婚どころか、恋人の一人さえいた事実すらない。

「まあ、結婚できなかったのは俺だけじゃないしな。はは、プックルだって俺と同じ、同じ?」

何か視界の遠い所で横切ったそのプックルの姿を見て、メッキーは疲れているのかなと言う風に目をこすってみた。
ついでに首をほぐして背伸びをし、さらについでに肩までまわして深呼吸してからもう一度目を凝らした。

「あ〜、やっぱ疲れてるのかな。プックルがよりにもよって美人と歩いてる幻覚を見るなんて。あのプックルが」

疲れていると決め付けて枝の上で立ち上がったメッキーの視界の中で、その幻覚のプックルが気づいたように振り向いた。
あまつさえはるか遠い木の上にいるメッキーへと手を振る始末。

「やばいな、幻覚が手を振ってやがる。今日はもうナンパを諦めて、家に帰って暖かくして寝よう」

もはや何が幻覚で何が現実なのか、見失ってしまったメッキーはそのまま足を一方踏み出して落っこちていった。
羽を羽ばたかせる暇もなく落ちた痛みはメッキーの体中を駆け抜け、彼に何が現実なのかを認めさせていた。
首が妙な方向に折れたまま木の幹にさかさまに体を預けていたメッキーの瞳から光の粒が零れ落ちていた。

「くやしくなんか、うらやましくなんかないんだからね。アンタなんか勝手にすればいいじゃない。知らないんだからッ!」

すぐさまそれを拭うと、再びこぼれてきたそれを振り払って女言葉で叫びながらメッキーは走り出していた。





メッキーが勢いよく家の玄関を叩き開いた時、運悪くいたのはルカ、ラナ、ヒナの三人であった。
リビングでのんびりとお茶を飲んでいた三人を見て、メッキーは旨のうちを惜しげもなく晒し一つの感情をぶつけていた。
人はそれを、嫉妬、逆恨み、妬み、そう言う呼び方をする。

「なんで、メッキーが女性と歩いてるんだよ! メッキーはラナとヒナの管轄だろうが、何かやらかさんうちに呼び戻せ! プックルのくせに、プックルのくせに!!」

「メッキー落ち着いてください。何故こんな真昼間から僕がここにいるとお思いですか?」

「これが落ち着いてられるか。アイツだけには負けたくないんだよ。と言うか、負けても良いから勝たないでくれ!」

「イオラ」

しっかりとラナとヒナを守った状態で、ルカの手から放たれた爆発は正確無比にメッキーだけを直撃して入ってきた玄関から飛び出させていた。
それから数秒、顔と体中血だらけになったメッキーが勢いよく戻ってきた。

「いきなり何するんだよ。俺様の美貌がッ!」

「落ち着かせるのも面倒になったので。ちなみに僕が真昼間から家にいるのは、ラナとヒナがプックルを呼ばないようにするためです。邪魔させるわけには行きませんので」

「前から気になってたけど、ルカってメッキーにだけ凄く冷たくないですの?」

「実験動物だから情がうつらないようにしてるんじゃない?」

「まったくもって、その通りです」

「お前ら……」

好き勝手にのたまう兄妹たちを前にしてワナワナと震え出したメッキーの顔色は、俯いててはっきりとは伺えない。
ラナとヒナはこそこそとルカの後ろへと隠れ、結局何が言いたかったのかとルカは呆れていた。
突然メッキーが動いた。
怒り狂って飛びつくように宙へと浮いたその体を、何もしないまま地面へとへばり付けて言った。

「お願いします。誰か女の子を紹介してください!」

土下座のままプライドも何もかもを捨て去ったメッキーの一言は、威力がありすぎた。

「あ、あのメッキー。生きてればいつかいいことが。ないかもしれないけど、でもがんばって生きる事に意味があるかも、あったら良いですわね」

「ヒナもお姉ちゃんと同意見だよ。だってメッキーってほら、か、格好良いと思えない事もないし。だからもう少しだけがんばってみよう」

「僕にも出来ることと、出来ない事があります。残念ですが……」

「お前ら、なんでいきなり過程を吹き飛ばして諦めモードなんだよ。むしろ、お前らが少しがんばってくれよ!」

本気で泣きながらたち上がったメッキーは、ガクガクとルカたちを揺さぶり始めた。
いつもなら格好良い俺様なら女の一人や二人と、強がるはずのメッキーとは何処か違った。
このままでは本気で一人山奥にでも首を吊りにいきかねない様子に、ルカにメッキーを任せてラナとヒナは慌てて外へと飛び出していった。
ルカはバタバタと暴れるメッキーを今度は実力行使以外の手で落ち着かせた。
それから涙を拭いて、顔をあらわせてからソファーに座りなおさせた。

「でだ、なんでお前はここにいるんだ?」

「貴方を落ち着かせたのは私です。それに、私は女友達がいませんから」

「けっこう意外だ」

「文句があるわけではありませんが、二人きりにでもなろうものならあの二人がすっ飛んできますから」

それはそれで難儀だなと、羨んで良いのか哀れに思って良いのかメッキーは微妙な顔をしていた。
ぷっつりと会話は途切れてしまったものの、すぐにラナが戻ってきてくれた。
年の頃はラナよりも一つか、二つ上と言った所か。
短くカッとした茶色い髪と気の強そうな瞳が印象的であった。

「メッキー、この子がハンナちゃん。良い子よ、とっても」

「ハンナちゃん、いい名だ。この俺と一緒に夕日を眺めながら、切々とこれからの二人について語りあ」

「ラナ、良い人ってコレのこと?」

本人はくどき文句のつもりなのだろうが、あっさりと当のハンナに割り込まれた台詞はきつかった。

「ハ、ハンナちゃん?」

「気安く呼ばないでよ、おっさん。あ〜あ、ラナが紹介するってコリンズ君だと思ったのに……それじゃあね。私、帰るわ」

あっさりきっぱりハンナが帰って数秒、ガタリと物を動かす音が響いた。
それはメッキーが椅子を動かした音であり、さらには天井に先にわっかを作ったロープをくくりつけていた。

「二人とも、結構楽しかったぜ。また次の人生も一緒に遊ぼうぜ、約束だ」

「わーッ! 次なんてない、そんな保障はありませんわ!」

「早まってはいけません。そんな清々しい顔で逝かれては、毎日夢の中で出てきてしまいます!」

止めようとして間違えてメッキーの足を引っ張ってしまったりと、色々惨劇がおきかけながらも二人は何とか思いとどまらせる事に成功した。
だがそれでもメッキーは輪の付いたロープを手から離そうとはせず、いつ発作がおきるか解った物ではない。
こうなったらヒナがつれてくる子が頼みであるが、ヒナはまだ八歳である。
その期待に答えられるのか、きっぱりと無理そうな空気が流れていた。

「へへ…………生きてるってなんだろ、生きてるってなんだ。過去から未来へ、親から子へと時代を託すのなら、俺の生きてる意味ってなんだろ?」

「早く、ヒナきてください。今ならルカを一日貸し出してあげますから」

「犠牲は小さい方が、ならば今が消す時でしょうか」

体よりも先に心が逝っちゃった目つきで呟き続けるメッキーの放つ瘴気に、ルカとラナもやられそうになっていた。
あと十分もこの状況が続けば本気で危ない所で、ヒナの元気な声が響いてきた。

「メッキー連れて来たよ、ほら!」

ヒナが元気よく自分の前に押し出したのは、期待通りの子であった。
茶色の髪は先ほどのハンナと同じであるが、首筋のあたりで二つにチョンボにしている辺りが違っていた。
可愛らしいことは可愛らしいのだが、女性と呼ぶには十年以上早く、そう言う意味でも違ってきている。
八歳のヒナよりもさらに、一つか二つほど下に見える。
もう駄目だと、ルカとラナが頭を抱える前で、その女の子がメッキーへと話しかけていた。

「あのお兄ちゃん、いつもお空飛んでたよね。ソノラも、お空飛びたいの。だからお付き合いしてくれますか?」

絶対付き合うという言葉の意味も理由も間違っている台詞であった。
だが、あれ程握り締めて話さなかった輪のついたロープをメッキーは手放していた。

「いいよ、ソノラちゃんの為なら何時でも何処でも飛んであげる。俺からもお願いできるかな」

「じゃあ、今からでもいい?」

「もちろんさ、何時でもって言っただろ?」

はしゃぐソノラを抱きかかえてメッキーは行ってしまったが、よかったよかったと喜ぶヒナ意外は数分間固まっていた。
いくらなんでもそれはそれで、倫理的にまずいのではと思った事があたり、数日後にソノラの親が苦情を叩きつけてくる事になった。
それでも諦めきれない二人は駆け落ちまがいの事もやってのけた為に、ますますメッキーへと近づく女性が減った事は言うまでもない。

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