ベッドが二つ置かれているさほど広くはない部屋である。 片方のベッドはすでにも抜けの空であるが、もう一つのベッドでは布団が一定の膨らみを持って波を打っていた。 すっぽりと顔が納まってしまっている布団からは紫色の長く艶を持った紙が流れ出ている。 んっと小さく寝言を漏らされた直後に寝返りをうつとすっかり女性らしい顔つきとなったラナの顔がひょっこり布団から出てきた。 そのまま深く寝入り続けるかと思えば、窓から差し込んでくる陽の光がまぶたを透過して目覚めさせる。 「朝、お弁当…………ルカのお弁当つくらないと」 寝癖のついてしまった髪に無意識に手櫛を通しながら起き上がったラナが寝ぼけ眼でいたのは一瞬の事。 ある事に気づいて飛び起き、信じたくはないと叫ぶ。 「嘘、なんでこんなに明るいの?! 今何時、お昼じゃないわよね!」 跳ね除けた布団を蹴り飛ばし、同時に服を脱ぎながら化粧台においてある櫛を手に取り髪を梳かしたりと混乱の極みであった。 それでも窓から見えた太陽の位置から昼までには、まだ少し時間がありそうな事を確認した直後、それは起こった。 脱ぎかけたパジャマのズボンに足をとられ、ぴょんと跳ねた先にあったタンスの角に小指をぶつけたのだ。 痛みに座り込んだ所に、タンスの上の絵入りの額縁が落ちてきたのはお約束。 「痛ッ〜なんなのよ。もう」 何処に怒りをぶつければ良いのか、とりあえず理不尽な痛みに耐えて立ち上がったラナは、頭に落ちてきた額縁を拾う。 そこには魔界へ来たばかりの頃の絵が収められていた。 父と二人の母、年の離れた妹と自分、そしてルカ。 それをタンスの上に戻してから、ラナは着替えを済ませ、急いでキッチンへと向かった。 すでに家の中はもぬけのからであり、ラナ以外は仕事か遊びかで出かけてしまっているのだろう。 遊び組みは放っておくとして、しっかりと毎日畑仕事に向かうルカへとお弁当を作るのが、ラナの一日の中で最も重要な仕事となっている。 元はお菓子作りから始まった趣味が自然と料理へと派生したわけで、一家のご飯を全てラナが取り仕切る時もあるほどだ。 さっそく昨晩仕込んでおいた材料を氷室から出そうと扉を開けると、そこにはあるべきものが全て姿を消していた。 「あれ?」 ルカのお弁当分はしっかりと名前を書いてあるので、フローラやビアンカが勝手に使うことはまずありえない。 一体誰がと思えば犯人は一人しかいないわけで、その犯人が向かった先へと自分も向かおうと玄関へと向かいドアノブに触れると、向こうから開いた。 「おはようございます、ラナ。と言っても、もうすぐお昼ですけど、よく眠れましたか?」 あまりのタイミングの良さに、ラナは言葉に詰まったがすぐに答えた。 「おはよう、コリンズ君」 「はい、これ。プレゼントです」 そう言ってコリンズが差し出したのは、真っ赤に咲き乱れるバラの花束……などではなく、その辺で摘んで来た花束である。 こうしたマメなプレゼントを貰い慣れてしまったラナは、受け取ってしまった以上、コリンズを放って出かける事が出来なくなってしまった。 「ありがとうございますわ。折角ですし、お茶でも飲んでいきますか?」 「では、お言葉に甘えて」 本当は早く出かけたいんだという言葉を飲み込んでの台詞であり、ラナは心の中では自分の失敗に泣いていた。 かと言って家に上げてしまった以上、どうしようもない。 花束をテーブルに置いて、お茶といれにキッチンへと向かう。 状況はどうあれ、迎えた以上しっかりともてなさなければいけないと、美味しいお茶と、作り置きのクッキーを小皿に持ってお盆へと乗せる。 それらを全て終え、ダイニングに戻ると、コリンズは勝手知ったると近くの花瓶に新しい花束を生けていた。 「はい、お茶ですわ。それで用件は何かしら?」 少しばかり直球な切り出しであるが、コリンズには気にした様子はみられなかった。 「ラナの顔が見たくなったではいけませんか?」 「いけなくは……」 逆に楽しむように直球な言葉を返され、明らかな紅潮を自分が見せている事をラナは自覚せざるを得なかった。 自然と二人の間に沈黙が降りるが、コリンズはそれさえ楽しんでおり、ラナは言葉に窮して困っていた。 困りながらもラナは早くとある場所へ行かなければと焦っていた。 どうすれば、何を言えばこの場を脱出できるのか。 そわそわとしだしたラナであるが、相変わらずコリンズはお茶を飲んでクッキーをほお張っている。 (あれ?) そこに違和感を感じたラナは、コリンズが家に着てからを振り返る。 そして気づいた。 「コリンズ君、どうして私が寝坊をしたって知っているんですの?」 その言葉に、クッキーをかじりかけのままコリンズの動きが止まる。 「言いましたわね、もうすぐお昼だと。よく眠れましたかって。どうして私が寝坊をしてしまった事を知っているんですの?」 「それは、愛するが故の感とでも」 「コリンズ君?」 言い訳も通用せず、コリンズが口を割るのに一分と掛からなかった。 それからすぐにラナは家を飛び出していき、コリンズは一人家に取り残されながらしぶとくお茶を飲んでいた。 全て飲んでクッキーも平らげてから片づけをする所など、本当にマメであった。 家を飛び出したラナはと言うと、ルーラの呪文で空を飛行していた。 本来ならばプックルを呼んで乗せてもらうのがベストであったのだが、何故か呼びかけに答えて現れなかったのだ。 呼んでもプックルがこないと言う事で、ますます一連の犯人の目星をつけたラナは、広く広がる農場が眼下に広がるのを見つけると急降下した。 呪文全般が苦手なラナのルーラは荒く、着地時の勢いが殺しきれずに謝って誰かを巻き込んでしまった。 「ふごわっ!」 それがメッキーであると確認してすぐに、どうでもいいやと切り捨てる。 早速目的の人物を探そうとすると、すぐに後ろから揶揄するような声が投げつけられた。 「あ〜、いっけないんだ。折角お兄ちゃんが耕した畑を駄目にしちゃって」 そこにはいつもルカが使っているお弁当箱を、ルカに渡しているヒナ、ビアンカとリュカの間に生まれた妹がいた。 「どの口でそういうことを言うんですの。どうせタイミングを見計らってコリンズ君を呼んだのはヒナでしょ!」 「知らな〜い。お兄ちゃん、お姉ちゃんがいじめるの。助けてえ」 白々しくも助けを求めてルカへと抱きついたヒナへの複数の怒りが一気に爆発した。 ツカツカと歩み寄り、ルカへと抱きつくヒナを力ずくで引き剥がそうと引っ張る。 当然ヒナは引き剥がされまいと強くルカに抱きつき、ルカが苦しげにうめく。 「いいからルカから離れなさい。そこは私の特等席ですわ!」 「い〜や、お姉ちゃんは私より十年も先からお兄ちゃん甘えてたんだから。もう甘えるの禁止、それにお姉ちゃんにはコリンズ君がいるでしょ!」 「ちょっと二人とも、落ち着いてください。思い切り痛いんですが」 話の中心に居ながら、行動の中心に居られないルカが呟いたが、すぐさま二人同時に睨まれた。 「ルカは黙っていてください!」 「お兄ちゃんは黙ってて、これはアタシとお姉ちゃんの問題なの!」 だったら巻き込まないで欲しいと言うのが、ルカの正直な気持ちであっただろうが、そんな事を言える男など何処にもいない。 弱々しく「はい」と呟くのが精一杯で、辛抱強く我慢するしかなくなってしまう。 二人の妹の罵りあいにはさまれたルカを、畑の中のクレーターからやっとの事で脱出したメッキーが羨ましそうに呟く。 「くっ、相手が妹とはいえうらやましい光景だぜ」 そう思うだろと、メッキーが同意を求めたのは畑のそばで日向ぼっこをしていたプックルであった。 確かに少し羨ましそうにしていたプックルであるが、どこか怯えるそうな素振りを見せていた。 「プックル、なにやってんだ?」 「ガウ……別に」 獣型から人型へと変化をしたプックルはそっぽを向いたが、すぐにその理由はわかることになった。 「プックル、ヒナの言いつけで私を起こさないばかりか、呼んでもこなかったですわね!」 「プックル、お姉ちゃんの言う事なんか聞かなくても良いからね。自分で起きられない方が駄目なんだから」 「じゃあ、ヒナは自分でおきられるって言うんですの!」 「私は子供だも〜ん」 二人の言い合いが飛び火したプックルは獣の姿になってガタガタと震えながら、メッキーの後ろへと逃げ隠れる。 だがメッキーが自分への飛び火を恐れて、震えるプックルをあっさりと差し出してしまった。 ラナも大好きだが、ヒナも大好きなプックルには二人の優先順位など存在せず、ただ体を小さくするしかない。 そこへ助けの手を差し伸べたのはルカであった。 「二人とも、いい加減にしなさい」 声を張り上げたわけでもなく、ただ望みを呟いただけであるが、効果は絶大だった。 言い合いをしていたラナとヒナは直ぐに口論を止め、恐ろしげにルカの言葉を待っていた。 もっともルカも無関係なプックルへ理不尽な言葉を二人が投げかけなければ、何も言わなかった事であろう。 だが、ものには限度と言う物があり、それを踏み越えた二人へとルカは言った。 「喧嘩は昔から両成敗と決まっています。今日から三日、僕に抱きつくのを禁止します。もちろん破れば、解っていますね?」 「やだやだ、三日も待てないよ。悪いのはお姉ちゃんだもん!」 「なんで私なんですの?! 元はと言えば」 それでも言い合いを止めなかった二人へと、ルカはただ呟くだけであり、悲鳴にも似た叫びがこだました。 「三日ではなく、五日とします」
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