第十九話 愛人の事情


隠し扉が開いていく間、隙間に入り込んだ砂粒か小石をすりつぶしていくあまり心地良くない音が耳に届く。
だがそのような事は小さなこととばかりに、開いていく隠し扉の前でラナはハミングを口ずさんでいた。
いささがテンポが速いのは、隠し扉が開くのが遅いからであろう。
速く速くとせかせる心がハミングまでもをせかせているのだ。
ようやく出来上がった小さな隙間に体を滑り込ませ、続く階段を降りきって断りもなく部屋へと入っていく。

「ルカ」

「ああ、少し待っていてください。もう少しでキリが良い所までいきますので」

別に約束をしたわけでも目的があってきたわけではないが、先に察したルカからそんな言葉が送られる。
彼の前に広げられた書物に書かれた意味も、手元の試験管の液体の意味もわからないラナは勝手知ったると仮眠用のベッドに腰掛けた。
仮眠用だけあって弾力は皆無であるが、そのぶん椅子として使うには申し分ない。

「今度は何作ってるの? この前は疲れをとる薬だとか言って、ワライダケの入れすぎでメッキーのお腹がねじ切れそうでしたわね」

「ああ、今回も似たようなものでリラックスができる薬です。礼によって実験台はメッキーですが」

大勢いる魔物の中でルカは一番メッキーと仲が良いはずであるが、妙に扱いが酷い。
どう考えてもラナは同じく自分が一番仲の良いプックルに間違っても変な物は与えようとも思わない。
当たり前のように仲が良いからである。
仲の良いという所で、ラナは唐突に気づいた。

(そう言えば私プックルと平気でじゃれたり、お昼寝したり……プックルも人間に変身できるから男の子ですわよね?!)

そう考えると、もしやルカはプックルと遊ぶ自分にやきもちを妬いていないだろうか。
いや、妬いているに違いない、妬いていて欲しい。
わざわざ確認するのも変だし、でも妬いてなかったらいやだしと取り合えずラナは口にしてみた。

「ルカ、やきもちを妬きなさい!」

「は?」

唐突な言葉に意味が計りかねている顔つきに、己の失策を知るラナ。

「じゃ、じゃなくて。プックルが」

「プックル? さすがに焼餅をおやつに与えるのは良くないと思いますよ。喉に詰まらせたら一大事です」

「そうですわね。今のは無しで、忘れること。良いですわね!」

疑惑にも似た奇妙な視線を受けながら、ラナはどれだけ自分が妙な事を口走ったのかを頭で繰り返していた。
かなり恥ずかしくなって、さっさと作業に戻ってくれる事ばかりを願ってそっぽを向く。
そんな時だ、微かに部屋全体が震えたのは。
誰だろうとラナが上を見上げたとおり、それは隠し扉を誰かが開けたときの微振動であったのだ。

「お邪魔するわねぇ。って、本当にお邪魔だったかしら?」

階段から降りてきたのはビアンカで、ルカ以外にラナもいることを見つけたが、結局は誰の返答をも貰わずにズカズカと入り込んできた。
そして棚の中に何故かある女性用雑誌を取り出して、ラナの座る仮眠用ベッドに寝転がり雑誌を広げ始めた。
妙に慣れた行動でルカも何も言わず、しかも良く見れば棚の中の雑誌は一冊や二冊程度ではない。

「ビアンカさん、何か御用ですか?」

だからラナの言い方に多分の棘が混じっても仕方のない事であろう。

「ん〜、別に。何にもする事がないから何時も通り休憩しにきたの。ルカ君、お茶」

あっさり何時も通りと答えてきたビアンカが最後の言葉をより簡潔に述べると、それまで手元に集中していたルカが立ち上がりヤカンからお茶を用意し始めた。
当然のように用意するルカもルカであるが、さらに当然のように受け取るビアンカもビアンカである。
ありありとわかるようにほっぺたを膨らませ始めたラナはルカを睨みつけるが、お茶が欲しかったのかと勘違いされて差し出される始末。
また喧嘩になりたくはなかったので、ラナは矛先を変えた。

「それ飲んだら出て行ってもらえますか?」

「え、なんで? やっぱり私邪魔だった?」

「邪魔です!」

普通正面から邪魔だと言われれば反論してしまうものだが、仕方がないとばかりにビアンカはお茶を一気に飲み始めた。
さすがのラナも心配になったが、すぐに気にした様子もなくどうしよっかなと呟きながら部屋を出て行った。
何処か寂しげな後姿に邪魔とストレートに言った事を少し後悔したラナであるが、次のものを見てもっと後悔した。
それは自分の目の前で珍しく怒った顔を見せているルカであった。
ルカの手が大きく動き、もしかして叩かれると思って目をつぶったラナであるが、次の瞬間我を疑った。

「はい?」

正面から思い切り抱きしめられていたからだ。
しかも身動きが取れないほどに、力強く。

「ル、ルカ。あの」

「ここ数ヶ月でどうも僕とラナでは誤解が生じやすいと判断しました。だからこのままでお説教をします」

こんなお説教なら何時でも大歓迎だと思ったラナだが、ルカは大いに真面目であった。

「先ほどの行為と言葉はいけません。いいですか、ビアンカさんは父上の愛人です。ですから女性であるラナが仲良くできないのはある意味仕方のない所もあります」

確かに抱きしめられもせず面と向かって言われたら、誤解が生じていたあろう。
ビアンカのほうが良いのかとか、ルカも男の子だったんだスケベとか言っていたに違いない。
ただ一つの不満は、強く抱きしめられすぎて腕までもが動かずに、ルカの背中に手を回せなかった事一つだ。

「だからこそせめてラナは優しくしてあげられませんか? 愛人は楽してお金を儲けようとする人種に見られがちで、事実ビアンカさんをそう見ている城の者も多いでしょう。城にいては気が休まる暇もないぐらいでしょう」

「でもビアンカさんは平気で城を散策していますわ。何時も暇と言ってますし」

「散策の目的は少しでも城に馴染もうと、理解してもらおうと手助けを欲しがっている人を探す目的です。本人が散策好きと言うのも確かにありますが」

そう聞かされても、やっぱり悔しいと言うのが先に来るラナであった。
ルカは一生懸命ビアンカを理解しようとしている、それはすばらしい事だ。
だがその視線の半分は自分に向けてくれてもいいのではないか。

「はあ……解りました。謝ってきます」

「そうしてください。ビアンカさんも、間違いなく僕らの家族なんですから」

最後にちょいちょいと頭を撫でてくれたルカであるが、ラナは最後に一言だけ付け加えた。

「ビアンカさんが休憩に来るのはいいですけれど、二人きりは駄目ですわ。その時は私も呼ぶこと、いいですわね!」

急な反撃に、言葉なくコクコクとうなずくルカがいた。





ラナが急いで階段を上り内側から隠し扉を開けると、それほど離れていない場所にまだビアンカはいた。
のんきそうにどうしようかなっとまだ呟きながら辺りを見渡している。

「ビアンカさん」

「あれ? 折角二人きりにしてあげたのに、いいの?」

アレだけ邪険にあつかったのに、惜しげもなく向けられる笑顔にはラナの方が呆れてしまう。
それと同時に、コレだけ無駄に人の良いビアンカが、城の者たちに良く思われないことが少し悲しくもあった。
だからこそ、謝罪の言葉は驚くほど素直に口からこぼれ出ていた。

「ごめんなさい。ルカから色々教えられて、先ほどの言葉を謝ります。邪魔と言ってすみませんでした」

「あれ? 邪魔じゃなかったの? それじゃあ、毎日入り浸っちゃおうかなぁ」

「そ、それは駄目です」

もちろんわざと意地悪な言い回しをしたビアンカであるが、ラナの方が面白いように引っかかってくれる。

「そっかぁ、ルカ君が色々弁護してくれるなんて。私もまだまだ捨てたもんじゃないわねぇ。いっそ歳の差なんて関係ないわよねぇ。まだちょっと私の方が背が高いけど、数年も立てば尾に間と思わない?」

「思いません、絶対お似合いなんかじゃないです。ルカは私のです!」

「あ、ルカ君」

「え、い、今のは違いますわ! その、私のお兄ちゃんという意味ですの!!」

振り向いて必死に弁護した先には、ゴリゴリと閉まって行く隠し扉があるだけである。
もう一度振り向いてみれば、おなかを抱えて笑っているビアンカがいるだけだ。

「アハハ、も〜可愛いんだから。ルカお兄ちゃんのこと大好きだもんねぇ。ラナちゃんってば可愛い」

真っ赤になってうつむくラナの頭を少々乱暴気味にこねくりまわすビアンカ。
プルプルとしばらく打ち震えていたラナであったが、我慢がならないとばかりに声にならない声を張り上げた。
意味不明な叫びであったが、風が吹き、呼ばれた本人はラナの前にその輝くばかりの刀身を見せ付けていた。
呼び寄せた天空の剣を手に、ちょっと危ない光を瞳に宿すラナ。

「ちょ、ラナちゃん。それは反則だって」

「許しませんわ。もう金輪際ルカに近づけさせませんわ!」

ぶんぶんと天空の剣を振り回すラナと、未だ余裕を持ってからかいながら逃げるビアンカ。
お互いに疲れて立ち止まるまで、城の各所で鬼ごっこを繰り広げる二人の姿が見られた。

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