第十七話 二人の母


答えそのものを出す事を自分自身に任される事となったルカであるが、未だリュカの執務室から一歩も出る事はなかった。
両の手のひらを合わせて組み、ソファーに座る自分の膝へとおろしてじっとしている。
ただ全く動かないからだとは違い、その頭の中だけは高速に動き続けていた。
自分がどうするべきか、何をするべきかをずっと考えて。

「僕は」

どうすれば何事もなく、これまでの生活を続けられるかは解っていた。
ラナに正面から謝ればいい、それだけだ。

「だけど僕はまだ、怖い」

あの時天空の剣に認められないと自暴自棄になってラナが叫んだ台詞。
ルカがいるから天空の剣に認められない。
そういわれた瞬間、自分がまた一つ人から大切なものを奪ったのだと思わされた。
問題そのものはすでに解決したのだが、また同じ事が起こらないとは、自分が奪ったのだと思われないとは限らない。
だから、謝るための勇気がでない。

「それでも、行かなくちゃ行けないと思うから」

勇気など欠片もないままに立ち上がったルカは、ゆっくりとだが歩き出した。
執務室を出て長い廊下を歩き、やがてその足は急ぎ足へと、駆け足へと変わり動いていった。
走っている間も頭の中ではどうすればいいのか、どうしたらいいのかずっと自問自答を繰り返している。
迷えば足も鈍り、迷いを振り払おうとすれば足は加速する。
ルカの迷いを体現するように変動していた足がやがて、動きを止めた。

「あらまだこんな所にいたんだ」

そう言いながらも廊下に立ちふさがるようにビアンカが立っていたからだ。
今はかまっている暇はないと、避けようとすると同じようにビアンカも立ち居地を変えて邪魔をしてくる。
何がしたいのか少しだけ苛立った様子でルカがビアンカを見上げた。

「なにか?」

「別に放っておけばいいんじゃない? 同情で謝りにいっても、またいつか繰り返しになるわよ?」

「真っ先にラナに同情して僕を殴ろうとした人の台詞ではないですね」

「あの時はあの時、今は今」

呆れるほど身勝手な台詞であるが、怒ろうなどという気持ちはわかなかった。
そもそもルカは愛人という立場をとるビアンカに対して、ラナほど嫌うという事はなかった。
むしろどこか好意的に受け取っていた所もあるだろう。

「私も貴方と似たような所があったから解るわ。誰にも教わっていないのに魔法を操ったりとか、果ては幽霊退治まで。おかげで一箇所に住んでるくせにリュカみたいに友達がいなかったわよ」

それは恐らく二人の出会いの事であり、嘘ではないだろうとルカは思った。
そして程度の差はあれ、ビアンカは誰よりもルカを理解しているところがあると理解できた。

「ですが僕は同情だけで動いているわけではありません」

「ならそれを証明できるかしら?」

挑発的な言葉に対して、できるとはルカには言えなかった。
なぜならまだ答えは自分の中に完全には生まれていなかったからだ。
そう思えば足は完全に歩みを止めてしまい、ビアンカの言葉を肯定するようであった。
だからと言って同情だけではないというのも決して間違ってはいなかった。
無理やり殴ってでも足を動かして、一歩一歩を歩き出す。
そんなルカに対してビアンカは、道を譲る事はなくとも、たちふさがる事はなかった。

「がんばれ、男の子」

通り過ぎざまに軽く肩を叩かれ、振り向いたそこではいつものように笑顔で笑っているビアンカがいた。
どう言うつもりで立ちふさがっていたのかは解らないが、勇気付けようとしてくれようとしたのか。
危うければくじけたかもしれないが、ペコリと頭を下げてからルカは再び歩き出した。
その後姿がかなり小さくなった所で、

「いいなぁ。私も子供欲しいな、リュカに頼んでみようかしら」

ビアンカは自らのお腹をさわりながら羨まし気につぶやいていた。





ビアンカに肩を叩かれた事で後押しされたのか、ようやく動き出した足がルカをラナの元へと連れて行き始めた。
いまだ答えは出ないけれども、謝らなければならないとの気持ちだけは膨れ上がり固まり始めていた。
いつまでも続いていそうな廊下を進み、やがて見え始めたラナの部屋のドア。
その前では母親であるフローラが、ドアの前に立ち走るルカを見つめてきていた。

「母上、そこをどいてもらえませんか?」

「理由を聞いてもいいかしら?」

ビアンカと同じ様に立ちふさがるつもりなのかといぶかしむが、フローラの顔はそうではなかった。
ただ、答えを欲しているだけなのだと解り、ルカは今の気持ちを正直に述べた

「ラナに謝りにきました。理由は色々ありますが、僕はラナに泣いて欲しいわけじゃない。それだけは確かだからです」

「悪くはない答えだと思いますよ」

そう言って微笑んだフローラは、ルカの前で膝をつくようにしてまだ大きくはない体を抱きしめた。
勇気付けるように、言葉ではない何かで間違ってはいないと教えてやるように。

「母上?」

不思議そうに問われてフローラは少し体を離して、ルカの顔を正面から見据えた。

「なんでもありません。いいですか、ルカ? 貴方は何処にでもいる普通の人間です。少しばかり人よりできる事が多くても、誰かを傷つけないか、優しくできるか悩んで、それが普通の人と何処か違いますか?」

「……そう、なのでしょうか?」

「私やリュカも同じです。いつも悩んだり笑ったり、苦しんだり幸せだと実感したり。時には間違えることもありますが、大切なのは心に嘘をつかないことです。貴方がラナに泣いてほしいわけじゃないのなら、それに嘘をつかず笑顔にさせてごらんなさい」

最後にルカの頬にかるいキスをすると、フローラはラナの部屋へのドアの前を譲り、ルカの背中をそっと押し出した。
ドアを開けるのには多少時間を要するかもしれないが、間違いなくルカはドアを開けるだろうと確信してその場を離れていく。
大丈夫だ、リュカと自分の子供なのだからと思いながら。
そう考えているとふいにリュカに会いたくなり、小走りで駆け出した。

「そんなに急いでどこ行くのん? ってそんなに嫌な顔しないでよ」

だが自分の前に真っ先に現れたのはビアンカであり、言葉通り嫌な顔をしていたのだろうか。
フローラは自覚がないままに、ビアンカの手をとって走り出した。

「ちょっと何処に連れて行く気よ」

「この際細かい事はどうでもいいですわ。リュカの所へ行きますわよ」

「ま、別にいいけど。私も用があったし」

成すべきことを成したような顔をして、二人はまっすぐリュカの下へと急いだ。

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