第十六話 父親として


リュカの執務室は、重苦しい雰囲気が耐えることなく漂っていた。
それはリュカがずっとルカから切り出してくれることを期待して、テーブルを挟んで向かい合いじっと待っていたからだ。
そんなリュカの思惑を知ってか、知らずか。
視線をそらさずかつ、何も話そうとしないルカに対してリュカの方が我慢しきれずにため息を一つついてから切り出した。

「このままお互いに黙っていても不毛な気がしてきたよ。確認するようだけど、何故ここに連れてこられたかは解っているね?」

「何故でしょうと聞いても、信じてもらえないのでしょう?」

「それは理解しているのだと受けとるよ」

短くはあるがお互いの言葉の投げあいに、まるで腹に一物持った大人同士の会話とリュカは錯覚しそうになってしまう。
それと同時に、親と子の会話ではないと言う寂しさもこみ上げてくる。

「話してくれるかい。何故わざとあんな態度をとったのか。ラナが自分にできる範囲で一生懸命に考えて、行動した結果があの紙袋だとはわかるだろう?」

「単にあげると言われただけですので、そこまでは。父上は私を過大評価しすぎているようですね」

「じゃあ聞くけど、そんなに僕は頼りないかな? 息子一人の悩み一つ解決できない父親に見えるかな?」

このままではらちがあかないと思ったのも、こう言い出した理由だが、リュカの本心でもあった。
ルカもラナも子供とは思えないほどに心も体も強い。
それは喜ぶべき事だが、親にとっては悲しくもあるのだ。
頼りにされていないと言う事実を突きつけられているようで、酷く申し訳ない。

「つい先日のラナの時だって、君たち二人は自分たちで全て解決してしまった。なのに今度もまた、全て自分たちで解決してしまうつもりなのかい? じゃあ、僕とフローラさんは」

「違います!」

最後に言おうとした言葉は少し卑怯だったろう。
その証拠に言わせまいと珍しく声を張り上げたルカの瞳がわずかに潤んでいた。

「少なくともラナにとっては違います。父上と母上を探しに行こうと、ストロスの杖を探しに出たのも、全てラナが先です。でも僕はまた違うんです」

「何が違うと言うんだい。ルカもラナと一緒に」

「一緒にいただけなんです。僕はラナを守るために一緒にいただけなんです。僕は……」

さすがに感情を爆発させるだけでは核心を吐露できなかったようだ。
言いよどむルカを前に、今度こそリュカは辛抱強く待った。
ちゃんと、ルカが自分から話すようになるまで。
静まり返った執務室の中に響く音は存在せず、ルカは迷いをあらわに両手を強く握り締め一筋の汗を頬に浮かべていた。
息子がそこまで思いつめているものを持っているとも知らなかったリュカもまた、一緒に苦しんでいた。
どれほどルカが悩み続けたのか、日が傾きかけてきた頃にとうとうその重い口を開いた。

「僕が自分の異常さに気づいたのは三歳の頃でした。それまで僕がではなく、周りが変なのだと勝手に思っていましたから」

要領を得ない説明であるが、邪魔をしないようにリュカは頭に浮かび上がる疑問を全て飲み込んだ。

「父上、僕は魔物以上の魔物なんですよ」

「ちょっと待っ」

さすがに聞き捨てならない言葉にリュカが口を挟みそうになったが、ルカは止まらなかった。
もしかするとずっと誰かに相談したかったのか、洪水のように言葉が流れてくる。

「人は皆努力をします。何故ですか?」

「も、目標を達成できるだけの力がないから」

「何故力がないのですか?」

「人間は完璧じゃないからだよ。だからおのずと自分の限界、現在の力ではできない事が存在する」

「では生まれてすぐに世界中の言語、失われた過去の言語さえも操り、あらゆる知識と武術を操る僕は何ですか?」

問いに答えてこなかったリュカの変わりに、ルカは魔物以上の魔物と、先ほどの言葉を繰り返した。
信じられないと言う顔しかしないリュカへと、まずルカが見せたのはいつも持ち歩いている魔道書であった。
それはリュカが以前見たのとはまた別のであるが、その筆跡がルカのものであった。
さらにその内容は、リュカにとっては文章を読めても理解する事ができないほどに難解であった。

「人は頂点を目指す生き物です。あることの頂点に立つものは、他の人から奪いその場に立つと言う事です。解りますか、父上? 僕がまだこの異常さを隠していなかった頃は、殺意なんて生易しい程に冷たい目で見られる事もありました。だから僕は自分を守るためにあえて不可解な言動と行動を見せ付けた」

ルカの言葉は止まるどころか、ますます勢いを増していった。

「そうすれば才能で負けていてもあいつは可愛そうな奴だからと人は溜飲を下げる。それに僕も人から奪わなくてもすむ。恨まれなくすむようになったんですよ」

驚きの連続であるルカの悩みであったが、一つだけリュカは納得できる事があった。
それは優しすぎる臆病さを持ったルカと自分が似すぎている親子であると言う事だ。

「僕もね、一度だけ人から奪った事があるんだ」

「何をですか?」

「お嫁さん、フローラさんをだよ」

怪訝な顔をしたルカが思い出したのは、両親が結婚する事となった奇怪ないきさつである。

「フローラさんがどう思ってたのかは知らないけれど、アンディと言う人は僕よりも先に、ずっと昔からフローラさんが好きだった。でもね、僕は譲らなかった。アンディがフローラさんを好きなのは知っていたのに。何故だかわかるかい?」

正直に首を振ってきたルカに対し、リュカは当たり前すぎる答えを返した。

「フローラさんの事が好きだったから。単純でしょ? でもそれでいいんだよ」

「意味がさっぱり解りません」

「つまりね、もう少しルカは自分に正直でいていいんだよ。恨まれたって知るかって言えばいいじゃないか。だいたい勝負に負けて恨むなんて馬鹿げているよ。負けたくなければもっとがんばれば勝てるかもしれないのに」

「いえ、勝てません」

「ていッ!」

言い切ったルカの頭を、すかさずリュカが殴りつけた。
もちろんポカリと擬音が聞こえそうなほど軽い一撃であるし、痛みもない事はないがそれほどではない。
ルカにとっては段々と意味不明になっていくリュカの言葉と行為に、半眼を向けている。
だがそんなことを気にもせずにリュカは笑っていって見せた。

「ほら武術の達人じゃなくてもルカに一撃いれられた。勝負でいれられないなんて事もないだろ?」

「勝負でなら油断なんてしません」

「頑固だなぁ……だったら、ちょっと立ってみて」

手のひらを上に向けてひらひらしてくるリュカに言われ立ち上がると、同時にリュカも立ち上がり、手のひらをルカの頭に乗せてきた。
身長を測定するようにルカの頭にのせた手のひらを水平に動かし、自分の胸よりやや下に当てた。

「ほら、僕の勝ち」

「父上、僕を馬鹿にしていますか? 大人と子供で競って勝てるわけないじゃないですか」

「でも何年もすれば勝てるかもしれないだろ? 勝てないかもしれないけど」

またもや笑いかけてくるリュカに根負けしたかのように、ルカはため息をついて座り込んだ。
疲労感に襲われているように、片手で顔を覆いながら何度もため息を繰り返す。

「父上と話していると、悩んでいる自分が馬鹿みたいに思えてきました」

「悩みなんてものはね、誰かに話してしまえば気が楽になるものだよ。大抵の悩みは他人にとってはくだらないものだから」

「長年悩んでいたものをくだらないとは思いたくありませんが……」

「さて、ルカがラナに冷たい態度をとった理由はおおまかにわかったけれど……それじゃあね」

「それじゃあって、父上?!」

また明日とでも言いそうな雰囲気で立ち上がり部屋を出て行こうとするリュカに、思わずルカのほうから止めるような言葉を放ってしまっていた。
その事を自覚したときには、嫌な笑みを見せながらリュカが振り向いていた。
本当に振り向いただけで、部屋を出て行ってしまったが、ルカの腰はまだまだ上がりそうにはなかった。





ルカがまだ執務室で悩んでいる頃、出て行ってしまったリュカはと言うと適当な廊下の曲がり角を曲がった先で座り込んでいた。
その顔は疲労困憊といった感じであり、立ち上がるにはルカ同様にかなりの時間を要する事であろう。

「疲れた。息子の悩みを聞くのって疲れるんだな」

初めての相談で、悩みの次元が大きすぎたのは単なる不幸でしかないだろう。
だがそれよりも一生懸命選んで話した言葉からルカが何かを掴んでくれるのかの方が気になっていた。
答えを与えなかった自信はあるが、ヒントを与えられたかどうかが解らない。
今思い出せば自分が何を言ったのかさえ思い出せないのだ。
それほど必死であったのだが。

「まあ、でもルカならちゃんと答えを出してくれるはずだよね」

そうであって欲しいと願いながら、足に力を込めなおして立ち上がる。

「僕もこれで少しは父親に一歩近づけたかな?」

呟きながらリュカが思い出したのは、パパスの大きく頼もしいばかりの背中であった。

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