第十五話 王子の秘密


そこは王宮の一階と二階をつなぐ幅広な階段のすぐ脇にある手狭な空間であった。
階段をつける設計上無駄な空間となってしまうが、これ以上階段を広くすれば見栄えが悪くなるからと生まれた場所。
そこに皆を連れて行ったビアンカは、皆を待たせたままどこだっけかと呟きながら壁をさすり始めた。

「ビアンカさん、パントマイムの練習でしたら一人でやっていただけませんか。私はルカに用があるんですけれど」

「まーまー、焦らないの。ちゃんと会わせてあげるから。あ、あった」

ラナのとげとげしい言葉すら物ともせずにビアンカは、探し物をみつけたようだ。
まるでラナよりも子供に見えてしまうような無邪気で楽しそうな笑顔を浮かべながら、手で触れていた場所にある壁を押した。
手で押した壁だと思っていたそれは正方形に切り取られたように奥へと滑り込んでいく。
するとゴリゴリと石臼を回すような音を出しながら、目の前の壁にあった場所が横にスライドして新たな下り階段を出現させた。

「いつの間に、こんなものが……ビアンカはいつ見つけたの?」

「この城に来てしばらくしてからかな。暇なときを見つけて……いつも暇だけど、ほら城って脱出経路とか秘密の部屋とかあるじゃない。それ探して探検してた時にいくつか」

簡単に言うが秘密であるからして、探そうと思って探せるものでもないはずだ。
しかもこんな秘密の部屋や通路があるだなんてリュカは知らない。

「ビアンカ、今まで見つけた部屋とこれから見つけた部屋は全部報告してくれないかな。僕にだけでいいから」

「あっれ〜、秘密のお部屋で私に何するつもり? 昔の王様のものだろうけど、エッチな部屋もあったのよねぇ」

「ち、違うよ。ただこういうものは把握イタッ!」

気が付けば、謎の部屋の出現で唖然としていたフローラがリュカの背中をつねり、ラナまでもがその足を踏んでいた。
そのまま二人ともグリグリとねちっこくリュカを攻め立てていく。

「ちょっと痛いって、把握してなきゃまず痛ッ!」

「そういう時は抱きしめて君だけだって言えばすむ問題じゃない?」

とりあえずラナはどうすればいいのか疑問ではあるが、リュカは背中に回っていたフローラへと振り返り強く抱きしめた。
そのまま耳元でビアンカに言われた通りの言葉をささやいてみたのだが、うまくは行かないのが常である。
ドスッと白魚のような拳がゼロ距離からリュカのお腹へと突き刺さっていた。

「愛人の目の前で言うその台詞にどう説得力を持てと言うのかしら?」

「そのような堕落した人は放っておいて行きましょう、お母様」

横隔膜を痛打されていきも絶え絶えとなって崩れ落ちているリュカを置いて、フローラとラナは目の前の隠し階段を下りていってしまった。
リュカは徐々にすう事を許された空気をむさぼりながら、両腕を頭の後ろで組んで笑っているビアンカをうらむ様に見上げた。
こうなる事が解った上での進言だったのだろう。
ひとしきり笑った後にようやく立ち上がるために手を貸してくれ、それから先に下りていった二人を追いかけていった。





階段は何故か無駄に二階分続いており、それからビアンカの言う本当のルカの部屋へとたどり着いた。
書物や薬品が所狭しと並べられた本棚や棚が壁いっぱいに置かれているのにもかかわらず、その広さは十二畳程度と余裕の有る広さが保たれている。
漂う匂いは間違いなく棚に置かれている薬品類の匂いだろうが、それを苦にするでもなくルカは部屋の真ん中に置かれたテーブルの上で試験管を覗き込んでいた。
しばらくそれを振って色の変化を確かめたあと、人の気配に振り向き、珍しい驚きの顔を見せた。

「…………ビアンカさん、貴方が案内してきたのですか?」

どうしてなど無駄な事は問わずに、的確に事の原因を指摘してくる。
しかも指摘したときにはすでに驚きの表情は消え去ってもいた。

「そうよ、なんかラナちゃんがルカのこと探してたから。別にいいじゃない、ここ教えてあげたの私だし。知られたくなかったら、またストックのある部屋教えてあげるけど?」

「気に入っているのでこの部屋で結構です」

そっけなく答えたルカは、部屋を見て再び隠し階段を見つけたときのように驚いているラナたちをみた。
もっとも隠し部屋が本当にあったという驚きではなく、その部屋に置かれた薬品や書物、おどろどろしい雰囲気に飲まれているだけかもしれないが。
事実あの奔放なビアンカでさえ、何もなかった部屋が一晩で魔女の部屋みたいになっていたのを見たときには驚いていた。

「それでラナ、何か用ですか? 特に至急調べたいものがあるわけではありませんが、時間を無駄にするほど暇でもありません」

「無駄なんかじゃないですわ。その……お母様押さないでください」

「何言ってるの。こうしなきゃいつまで経っても何もいえないくせに。そういうものはパッと渡して、ギュッとしてもらえばいいのよ」

「ギギギギッギ、ギュっはいりません!」

「それでたぶんその後ゼロ距離でボヒュッ!」

「余計な事は言わなくてよろしいですわ」

恥ずかしがるラナに何故か余計な事を口走ろうとしてしまったリュカは、フローラの裏拳によりあえなく撃沈となった。
鼻血をおさえながらうずくまる父と、取り出したハンカチで拳を磨く母を半眼で見つめながら、本当に何をしに来たんだとルカはあきれていた。
そして再度フローラに背中を押されたラナが、戸惑い躊躇しながらも椅子に座るルカの前にまで歩いてきた。
まだあちこち視線をさまよわせていたラナは、水中に飛び込む前のように息を止めて一気に持っていたものを差し出した。

「なんですか、これは?」

「あ、あげる!」

子供じゃないんだからと問われてから叫んだ言葉にラナは後悔の嵐に見舞われる事になった。
もうちょっと気の利いた、可愛い言い方はなかったものか。
そう言えば厨房から直接来てしまったが、髪の毛は乱れていないだろうか、顔は汚れていないだろうかと今更気になってきた。
まっすぐルカを見る事もできず顔を真っ赤にしていたラナの手から、ふいにクッキーの入った袋の重さが消えた。

「ルカ?」

「くれると言うのなら、もらっておきますが」

どうも要領を得ないようであるが、しっかりとルカの手にはクッキーの袋が納められていた。
最初であるし、ひとまずはこれで良しとしようとしたところ信じられない光景が目に入ってきた。

「それで用が済んだのであれば、出て行ってもらえますか?」

薬品や試験管が置かれたテーブルの上に、それらと同類であるかのようにクッキーの袋を置いてからルカが言って来たのだ。
無造作に置かれた事も、どうでも良い事のように言われた事も、渡す前とは違いちっとも嬉しくない恥ずかしさがこみ上げてくる。
それに耐え切れなくなったときには、ラナは走り出していた。
誰の顔を見る事もなく、一目散に階段を上り行ってしまった。
その姿を見送るまでもなくビアンカはルカの前に歩いていくと、躊躇なく拳を振り下ろした。

「なにをするんですか?」

「手加減しすぎたかしら?」

「ビアンカさん、無駄な事はおやめなさい」

だがあっさりとルカの手のひらに止められてしまい、もう一度振り上げたところにフローラに止められた。

「止めないでよ、一発ぶん殴る」

「止めもしますわ、どうせ殴ることなどできませんから。貴方はこちらへ着なさい」

執拗にルカを殴ろうと駄々をこねてまで留まろうとするビアンカの首根っこを掴み、フローラは階段へと足をかけた。
だがそのまま行ってしまうのではなく、ようやく鼻血が収まりかけたリュカへとしっかり釘をさす。
それも言葉ではなく視線だけで、後は頼みますとも、何とかしてみせろとも取れる視線である。
ブスリと視線で殺されたリュカが直ちに鼻血を止めて背筋をまっすぐに立ち上がったのを確認してからようやくフローラは階段を上り始めた。

「……さて、どうしようというか」

すでに興味を失くして実験を再開し始めたルカの背中を見て、困ったようにリュカは呟いた。
どう考えても真面目な話をするに相応しい場所ではないし、ここではルカの集中力が続かないであろう。
ある意味実験に集中しすぎるため。
とりあえずリュカの奮闘は、かじりつくように動かないルカを自分の執務室へと連れて行くことから始まった。

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