第十四話 感謝の印


ラインハットからグランバニアへと戻ってきた次の日。
久々に仕事以外何事もない日を満喫していたリュカは、腹の減り具合から厨房へと足を向けていた。
おやつの様なものぐらいあるだろうと頼んでもいないものを期待して歩いていると、その先の厨房の閉じたドアから漏れるほどに大きな声が聞こえた。

「ああ、ラナ様それは違います!」

「あ、こっちでしたわよね。間違えて」

「それも違います!」

一人は耳慣れている声である事が当然のラナであり、もう一人はわからないが召使の一人であろうか。
言い争うのとは違うが、召使らしき人の声がかなり慌てていた。
なんとなくドアを半開きにして覗き込むと、台の上にさまざまな材料を置いてラナが何かを作っていた。
正確に表現すると作っているつもりになっているだけかもしれない。

「えっと…………ここでコレを使えばいいんですわね?」

「だから、違いますといっているではありませんかラナ様!」

なにを作っているのやら、手に取る材料、道具全て召使の女性に訂正されているからだ。
育て方を間違えたのかなとその光景を見て思ったリュカは、ついでに隠れている必要性も思い浮かばずドアを大きく開けた。

「あ、リュカ様」

「え、お父様? 厨房にどうかなさいましたか?」

召使の声につられて振り向いたラナは、鼻の頭に白い粉がついていてなかなか可愛かったりする。

「ちょっとお腹がすいてね。なにかないかと思ってきてみたんだけど、ラナはお菓子作り? 珍しいね」

「わ、私だって女の子です。お菓子ぐらい作ります。他意はありません、ルカに作ってあげようなんて思ってませんから!」

「ああ、そういうこと」

それ以外に理由は見当たらずにリュカが納得したしぐさを見せると、ラナは一生懸命そうじゃないと訂正してくる。
顔もちょっと赤くなっており、なんだかあの一件のおかげで表情が柔らかくなったように見えた。
リュカはあくまで雰囲気が変わった事を喜んで笑っていただけだが、ラナはそうとらなかったようだ。
ついには頬を膨らませて、リュカを無視する事に決めたようだ。

「それで、次は何をすればいいんですの?」

「え……あ、はい。次はですね」

小腹が空いたことさえ忘れたリュカは、手近にあった椅子を近くに寄せてラナの様子を見守るように座り込んだ。
表情が柔らかくなった分以前の張り詰めた凛々しさは薄れたが、まだ子供であることを考えるとこっちの方が可愛いよなと眺めている。
どちらかというと失敗ばかりで満足にお菓子作りが進まない状況を見られているのもいやなのか、ついにラナがニヤニヤ笑うリュカをとがめる様に見てきた。

「なんですの、お父様? 見られているととてもやりにくいですわ」

「そう? それならラナに嫌われないうちに……」

嫌われてはたまらないと立ち上がったリュカは、とある事に気づく。
いつもの格好にエプロンをつけているラナであるが、何処にも天空の剣を持っていない。

「ラナ、天空の剣はどうしたの?」

「お部屋においてありますわ。厨房では邪魔になりますし、呼べばすぐにきてくれますわ」

何の問題もないように言うラナであるが、以前なら一時でも手放さないようにさえ振舞っているときさえあった。
その変化も喜んでいると、ラナがいかにも自慢したげに言ってきた。

「なんなら、今呼んでみましょうか?」

尋ねてきてはいるが、その目はキラキラと輝いていて頼んできてくださいと言っていた。

「それじゃあ、一度見せてくれるかな」

「良く見ててくださいね。天空の剣よ!」

もちろんリュカ自身、天空の剣が呼ばれる光景を見たいという気持ちはあった。
だがそれ以上にラナの気持ちを満足させて上げられればよかったわけで、厨房の中に吹き荒れる風は想定外である。
一体何処から吹いてくるのか渦を巻く風は厨房内を駆け巡り、壁に引っ掛けてある道具たちをかき鳴らし、小麦粉か何かの粉を巻き上がらせた。
そこに召使の悲鳴も混じり、数秒後、あたり一面真っ白になった厨房は混沌という表現がピッタリとなっていた。
それまでラナと召使が一緒になって作っていたお菓子がどうなったかは解らない。
ただ……

「なんてことするんですの、お父様の馬鹿ーッ!!」

「僕のせいバボッ?!」

リュカは、ラナの小さくも鋭い拳を頬に埋め込まれていた。
一転して娘に嫌われた父、リュカは両肩を落としてトボトボと厨房を後にするしかなかった。
忘れてしまったはずの空腹を思い出し、ひもじい思いをしながら。





それからどれほどの時間が厨房の中で流れた事か、ひときわ大きなラナの声が響き渡る。
彼女が断熱のミトンをして持っている鉄板の上には、形は悪いが狐色においしそうに焼きあがったクッキーがあった。

「で、できましたわー!」

「おめでとうございます。おめでとうございます、ラナ様。本当にもう、おめでとうございます」

ちょっと召使に泣き声が混じっているのは気のせいではない。
苦労して作り上げた材料は天空の剣とリュカによって駄目にされ、再び位置から作り始めてみれば、同じところで同じ間違いをしてしまうラナ。
召使の苦労は筆舌にしがたいものであったろう。
だがここで気を抜いてはいけないと召使の行動は、テキパキとしたものであった。

「ではラナ様、こちらの袋へ適量お詰めください」

ラナから鉄板を受け取り台の上におくと、即座に渡した紙袋へと詰めさせる。
もうちょっと感動に浸りたかったというラナの顔を見ないようにしながら、完成品を完璧にさせていく。

「さ、これで完了でございますね。後片付けは私がしておきます。ラナ様はコレをもってがんばってきてください」

「なんだか釈然としないものがありますが、行って参りますわ!」

クッキーを詰めた袋を持って飛び出していったラナ、その後ろで任務が終わったことにうれし涙を流しながら後片付けをする召使の姿があった。
召使のそんな姿を見ることなくラナが向かったのは、自分の部屋の隣にあるルカの部屋である。
かなりドキドキする心臓を押さえようと何度も深呼吸を繰り返し、ゴクリと喉を鳴らしてからドアをノックする。

「ルカ、ちょっと用がありますの」

声がかすれてしまい変に思われなかったかと思いながら待つ中、いっこうに返事が返ってこない。
もう一度ノックをしてみても返事は返ってこないため、留守であると判断するしかない。
しかしラナにはルカの行き先など見当も付かず、手近なところで書斎にいるであろうリュカに尋ねようと足を向ける。
すると丁度書斎の部屋の前で軽くつまめるお菓子を持ったフローラがノックをしているところであった。
ついでにラナが滑り込むと、執務机にいたリュカが激しく反応してきた。

「ラナ、お菓子できたんだ。僕に持ってきてくれたの?」

「違います。お父様に差し上げる分はありません」

と言うのは嘘であるが、たんにルカより先に食べられたくないだけである。
またしても激しく落胆しているリュカは、気を利かせてお菓子を持ってきたフローラの手元に気づいていない。
父親だから娘が可愛いのは解るが、それでもフローラの額は大きく引きつっていた。

「そんなことよりもお父様、ルカが何処にいるかご存知ありませんか?」

「そんなこと……知らないけど、そこで暇そうにしてるプックルに匂いで探してもらったら?」

「ガウ?」

ソファーの陰になっていて見えなかったが、床にねそべっていたプックルが近寄ってくる。

「それじゃあ、お願いしますわ。プックル」

「ガウッ!」

「あ、僕もついでだから行くよ」

プックルを連れて行ったラナに続いてリュカも部屋を出て行こうとしたが、その足が急に床と縫いとめられたように動かなくなった。
正確には、リュカの足を思いっきりフローラが踏んでいただけだが。

「フローラさん?」

「なんでもありませんわ、ラナを追いかけるんでしょう?」

やっと足を踏むのを止めてくれたかと思えば、一歩一歩続く痛み。

「あの……なんで僕は歩くたびに足を踏まれているのでしょうか?」

「ご自分の胸にお聞きください」

胸に手を当てても解らなかったリュカは、二人三脚の要領でフローラに足を踏まれながらラナを追いかけていった。
歩くたびに足にのしかかってくる痛みに何度くじけそうになった事か。
半泣きになったリュカがようやくラナに追いついたときには、プックルが泣きそうになっていた。
ラナに詰め寄られて壁の隅に追いやられてあたふたしているプックルを、不思議そうな顔でビアンカが見ていた。

「プックルゥ……誰がビアンカさんを探せと言ったのですか?」

「ガ、ガウ!」

どうやらまっさきにビアンカの下へと走ってきたようだが、プックルは首を横に振って違うと言っているようにみえた。
大きな体をあらんかぎりに小さくして、前足で頭を抱えるプックルを哀れに思ったのか、事情を察したビアンカが言ってきた。

「ラナちゃん、たぶんプックルは間違った事してないわよ」

「どういうことですの?」

「だって、私にルカの匂いがついてたんでしょ?」

自分を指差しながら言うビアンカに、プックルは何度もその通りと首を縦に振っている。

「なんでビアンカさんにルカの匂いがついてるんですの!」

当たり前ではあるが、父親の愛人であるビアンカにラナはあまり良い感情を抱いていない。
さらにはそこにルカがかかわってくるとなると、今にも飛び掛りそうな雰囲気である。

「違う、違う。さっき私ルカの部屋にいからよ」

「私も行きましたけど、留守でしたわ。下手な嘘は止めていただけますか!」

「だってそれ、ルカの部屋じゃないもの。誤解されたままってのも面倒だし、ルカは怒るだろうけど教えてあげるわ」

要領の得ない言葉にますます眉をつりあげるラナであるが、次にビアンカが発した言葉は興味深いものであった。

「こっちよ、ルカの本当の部屋は」

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