第十三話 親の気持ち


すっかり夜もふけ、これから始まるのは大人時間。
だがヘンリーは目の前にいるのが最愛の妻ではなく、親愛の友である事にため息をつきつつ手に持ったグラスを掲げた。
もちろんそれが本気ではない事はリュカも見抜いている。
十年以上前、本当に子供の頃に初めて見た時の笑顔とさして変わらないのではと思える笑顔で、リュカもグラスの高さを合わせてきた。

「政略結婚の失敗に」

「ラナに笑顔が戻ったことに」

グラス同士が触れ合い音を奏でると、連鎖するようにグラスの中の氷もカラリと音を立てた。
それがらグラスを傾け、琥珀色の液体を喉に流し込むと冷たいはずなのに熱いものが喉から胃へと流れていく。

「くーっ、しかしあれだな」

喉を過ぎ去る熱さを堪能してから、ソファーの背もたれに無造作に腕を回しながらヘンリーは言ってきた。

「結局ラナちゃんを元に戻したのがルカ君で、俺たちのおせっかいも半分は無駄に終わっちまったな」

「そうだね。でももっと驚いたのはコリンズ君が簡単に今回の話をなかった事にしてくれた事だよ。言ってなかったんだろ、今回のお見合いは正式なものじゃなかったって」

「ま、自分の力不足を痛感しての事だろ。そういった挫折も必要さ」

だからと言って十歳児にそれを求めるのも、今更ながらリュカは悪い事をしたと思っていた。
ヘンリーの言うおせっかいとは今回のお見合いそのものが、秘密裏に行われたやらせであるのだ。
ラインハットのオジロン以外は、今回の訪問を単なるバカンスとして認識している。
そしてラインハット側も、ヘンリーの信頼できる家臣以外は今回の目的がラナとコリンズのお見合いであるなどと知りもしない。

「それに国をまきこんでの言わばイタズラだ。お前がこの話を持ってきたときは本当に笑ったぜ。ただ、偽の賊を登場させてラナちゃんに天空の剣を抜かせるってのはどうかと思うが」

「う〜ん、ルカのとった方法とさして変わらない気がするけど……」

それがもう半分の、無駄になった方のおせっかいであった。
やらせでそういった状況を作り出し、ラナにせめて人を守るという行為がどういうものであるのか思い出して欲しかったのだ。
ラナは勇者にこだわりすぎるあまりに、その本質を忘れて天空の剣に認められる事ばかりを考えていたからだ。

「まあ結果オーライってことで」

そう笑顔で締めようとしたリュカであるが、それはかなわなかった。

「少しだけ真面目な話だ」

グラスから手を離して、少しだけ姿勢を正したヘンリーがいた。
その顔は、王を影で支える男の顔である。

「俺は最新の注意を払って、今回の話を進めたつもりだ。お見合いという言葉が出る場所には、信頼できる部下しか配置していない。だが何処で誰が今回の話を聞きつけるか解ったものじゃない」

「ラインハットとグランバニアが不仲になるように仕向けるってことかい?」

「まあたかがお見合いの破談を突きつけて、そこまでは持っていけないだろが……問題はむしろお前の方だろう」

「まあね」

今回の行動が危ない橋であることはリュカ自身認識はしているつもりであった。
何処の国だって完全な一枚岩である事は不可能だ。
魔界の王を倒したという威光があるものの、所詮リュカは国を放り出して飛び出した先々代パパスの子なのだ。
それが帰ってきたと思ったらあっさりオジロンと入れ替わった。
以前にも一人それを危惧してリュカを王位につけることを防ごうとした人物がいたこともあった。
もっとも魔物にそそのかされた結果でもあるが。

「お見合い一つまとめられず、ラインハットとの友好にヒビを入れたって事にでもなれば、僕を引き摺り下ろす口実にはならなくてもきっかけぐらいにはなるだろうね」

「もっともその友好もお前がいてこそなんだが、そんな事知るものも多くないしな」

それはヘンリーの継母に魔物がすり替わっていた一件によるもので、現ラインハット王からもリュカは信頼されているという事である。

「でも例えこれから先、僕を引き摺り下ろすような話があがって来てもなんとかするよ。それぐらいなんとかしなきゃ」

「自分が王だからか?」

「違うよ。なんとかするってのも、王という座にしがみつく事じゃない。家族が普通に暮らしていけること。僕はラナとルカの親だから」

ヘンリーの言葉を即座に否定したリュカは、当たり前のことを改まって言った。
その視線はうつむき加減にテーブルに置かれたグラスを見ているようだが、実際はリュカの過去を見ていたのだ。

「二人が生まれてすぐに、僕とフローラは魔界の手先によって長い間石にされていた。ずっと二人に何もしてあげられなかったのに、二人は立派に育ってくれた。そればかりか、何もしてやれなかった僕を石から元にもどしてくれさえした」

「罪滅ぼしなんて言ったら、殴られるぞ。俺に」

「そうじゃないけど……何もしてやれなかった分、少しでも何かしてあげたいんだ」

後悔していないわけでもないだろうが、ヘンリーから見れば十分過ぎる程にリュカは親をしているように見える。
それでも足りないと何か手を捜すリュカが少し真面目すぎるのだろう。
いつの間にか底が見えていたグラスに、ヘンリーは新たに琥珀色の液体を瓶から注いでやった。

「お前は難しく考えすぎだ。何かしてやりたいと思う前に、そばにいてやる事が先だ。そうすれば悩みを話してくれたかもしれないし、ここまで話を大きくする事もなかったかもしれないんだからな」

「そっか……そうかもしれない。真摯に受け取っておくよ」

っと真面目な話はそこまでであった。

「子供の話は置いておいて……そろそろ詳しい話を聞かせてもらおうか」

急にいやらしい笑みを浮かべだしたヘンリーが、身を乗り出す勢いで聞き出そうとしてくる。

「なんでビアンカさんが一緒に来てたのかをよ」

ヘンリーはフローラからそれを聞きだしたマリアからさらに聞き出していたのだが、やはり身近な所から聞き出したいだけのようである。
いきなり話をそちらにもっていかれ、リュカは苦笑いしかできなかった。
それでも新たに注がれた酒を飲み干してから一つずつ話し始めた。





結局それからリュカたちは本当にラインハットでバカンスを始め、二日が過ぎた。
いくらオジロンに王の仕事の肩代わりを頼んでおいたとはいえ、そうそう長い間白をあけるわけにも行かず、グランバニアへと帰る日が訪れた。
やってきたときと同じ中庭に集まり、別れの言葉を交わしあう。

「ま、お前の事だから心配はいらないだろうが。しっかりやれよ」

「もちろん、そのつもりだよ。たまには今回みたいに迷惑かけるかもしれないけどさ」

「いたずらなら何時でも付き合ってやるぜ」

ヘンリーの言外に含んだ意味を汲み取り、リュカはしっかりと頷いていた。
それに対してヘンリーらしい言葉を返すと、二人で自分たちと同じように別れを告げている三人の子供たちを盗み見る。

「コリンズ君、今回のこと」

「いえ、いいんですよ。ラナ、貴方が元気でいてさえくれれば」

ギクシャクしたような様子は見えないが、そう言い合う子供たちに大人たちが隠れて感心していたりする。
特に十歳児の台詞ではないと言うところで。
大人たちに見られていると言う意識もあるのだろう、早々にラナに別れの言葉を注げたコリンズは、一度ルカに視線を合わせる。
そしてわずかに視線をずらして、少しはなれた場所を指定する。

「なんですか?」

促されるままに皆との距離をとったルカは、コリンズに尋ねる。

「重要な事です。貴方にとっても、私にとっても。もちろんラナもですが」

「まわりくどいですね」

ちょっと険悪そうなその雰囲気に、ラナが心配そうな視線をよこしている事は二人も気づいているだろう。
だがどちらを心配しているかは、一人しか気づいていなかった。

「今回は引いてあげましたが、次もこうとは限りません。貴方ならわかりますよね?」

「…………」

「沈黙は肯定と受け取りますよ。それと、ラナを譲るつもりは毛頭ありません。貴方には、負けませんよ」

最後にためをいれてから言われたその台詞は、鉄扉面と言えるルカの顔に明らかなひびを入れる結果となった。

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