第十二話 元の鞘に


「僕が好きになったのは今の貴方ではありません」

コリンズが去り際に残したその言葉は、色々な意味で重くラナの心にのしかかって来ていた。
そもそも自分がこの話を受けたのは好きとかそういう感情を一切考慮していない。
それどころか、天空の剣に認められなかった、勇者になれなかったという現実から逃げたのが始まりだ。
笑って欲しいといわれても、心から笑えるはずがない。

「姫様?」

翌日の、お見合いのための着替えを行っている間にもラナはずっとその事を考えていた。
しかも周りが見えなくなる程に深く考え込みすぎて、先ほどから名前を呼び続ける侍女にも気づいていない。

「姫様、いかがなされましたか? もしやお召し物がおきに召しませんでしたか?」

「え、あ……そんな事はありません」

「そうですか。それに緊張するのも無理ありませんよね。まだ姫様は十歳なのですから、私もこの話は早いと思っていますから」

見当違いな思いやりを見せる侍女に、軽く微笑もうとしたラナだが、失敗した。
コリンズにああ言われてから、もしかするともっと前からなのか。
今目の前にある鏡の前にいる自分は、お面でもかぶっているかのように表情が固定されてしまっている気がした。

「とは言っても、一番大切なのは当人同士の気持ちですものね。さあ綺麗にできましたよ。これならコリンズ様も姫様の事を気にいるに違いありません」

「そう……ですわね」

本当にそうだったら悩む事すらしなかったものを、鏡の中の笑わない自分を恨みつつ、ラナは座っていた化粧台の椅子から立ち上がった。
たとえ笑えなくても、もう後戻りはできない。

「ラナ、もう進むしかありませんわ」

鏡の中の自分へと、気合を入れた。





コリンズとその両親、そして自分の両親が待つ部屋へとラナは案内された。
さして広くない部屋の中央にはお茶が用意されたテーブルが置かれ、その両側に大きなソファーが置かれ両国の代表が座っていた。
ドアを開けて入り込むとめかし込んでドレスを着たラナの姿に、まずフローラとマリアが反応する。
まだまだ可愛らしいという表現が似合うラナであるが、いずれ綺麗と言う言葉が似合うようになるであろう片鱗を見つけては小さく歓声の声を上げている。
リュカはラナの可愛さに満足そうに笑い、ヘンリーはこれが未来の娘かとニヤニヤ息子と見比べている。
そして肝心のコリンズは、部屋の中でラナと同じように笑っていなかった。

「さあラナ、こちらへお座りなさい」

「はい、お母様」

コリンズと同じように長めのソファーの両端に両親を置いて、はさまれるように間に座り込む。
そのときにちらりとコリンズを見たが、昨日最初に会った時の様に笑いかけてはくれなかった。

「え〜それでは、両国の王子、王女の出会いを祝しまして……」

それから始まった神官だか、司祭だかの長々とした祝福の言葉が続く。
大人たちは黙ってその言葉に耳を傾けていたが、コリンズもラナもその祝辞の欠片も耳をかすめる事はなかった。
コリンズは怒っているようではないが、時折考え込むようなそぶりを見せる。
やはり自分が笑えないのが原因なんだろうかと、喉の渇きを目の前に用意されたお茶で潤そうとした時である、部屋のドアが開かれた。

「…………なんですかな?」

祝辞を邪魔され、明らかに不機嫌になった司祭がにらむ先には、ルカがいた。
珍しい事にその背には二本の刀剣が背負われているが、この場に似つかわしくない事この上ない。

「失礼します。少し、ラナをお借りいたします」

「え、ちょとルカ?」

端的に用件を述べたルカが、座っていたラナの手をとって部屋を出て行こうとする。
突然のその行動に、ひそかにリュカとヘンリーはアイコンタクトを取っていた。
もちろん、ここでルカが動くとは予想外だと言う意味合いであると同時に様子を見るかと言う意味でもあった。
だから憤る司祭を止めようと言葉を発しようとしたのだが、コリンズの方が一足早かった。

「待ちなさい、ルカ王子。私の祝辞を邪魔するだけならまだしも、ラナ王女まで」

「かまいません」

「ほらごらんなさい。コリンズ様も……コリンズ様?」

「少し休憩しましょう。司祭の話が長すぎて、座っている事に疲れました」

そう言って立ち上がりながら背伸びをしだしたコリンズに、ルカは軽く頭を下げてからラナの手を引いていった。
なんどもラナがルカへと急にやってきた理由を問いただすが、ルカは何も答えずにただラナをどこかへと連れて行く。
何処へ行くのか、あまりに強引に手を引かれたため、やがてラナは尋ねる事を諦めた。
そしてどんどん手を引いていくルカにあわせて歩いていくと、ルカは城を抜けてすぐにルーラを唱えた。
魔力が輝いて二人を包み込んだ瞬間についたのは、ラインハットのすぐそばにある森の手前であった。

「こんなところにまで……どういうつもりですの、ルカ?」

「別に、正直どうでもよいのですが、これではあまりにも私の気がすっきりしませんので」

酷く自分勝手な言葉を述べると、ルカは背負っていた剣の一振りをラナの目前に突き立てた。
何のつもりだと目で問うラナに、部屋に行った時のように端的に伝えた。

「行きますよ」

端的過ぎる言葉の後、もう一振りの剣を鞘から解き放ってルカはラナへと斬りかかった。
自分のすぐ目の前にルカによって突き立てられた剣があるにもかかわらず、突然の行動にラナは反応が遅れた。
首筋数センチの所で、ピタリとルカの剣が止められる。

「次は止めませんよ」

「どういうつもりですの?!」

怒りながら問い返したラナの手には先ほどの剣が握られており、一振りで首筋に突きつけられていた剣を振り払った。

「簡単な事ですよ。ラナは黙って人の話を聞けないですから、冷静に話し合うのが不可能です。だからこうして極限の状態で話し合おうとしたしだいです」

真面目な顔でとんでもない事を言い出したルカが、またしてもラナに斬りかかる。
剣と剣が火花を散らすかと思うほどに激しくぶつかり合い、無機物らしい悲鳴をあげる。
それにしても剣と剣をあわせたのが五回を越えたあたりで、ラナは怒る反面冷静に思う事があった。
ドレスと言うまったく動くに不利な格好をしているとはいえ、何故魔法使いであるルカがこうも剣を使えるのだろうか。
もしや剣が使えると言う事すらも隠していたのだろうか、また嫌な気持ちが胸をよぎる中、見透かしたようにルカが言う。

「貴方は勇者だ」

「今更そんな話……ああ、もう。邪魔くさいスカートですわ!」

剣と剣がぶつかり合う瞬間に力を終結させてラナが一気に押し返した。
それでルカがバランスを崩したうちに、長く足にまとわり着いてくるスカートを剣で短く切り裂いてしまう。
普段のラナが言いそうな台詞に、ひそかにルカが密かに笑いながら立ち上がる。

「勇者とはなんですか? 魔王を殺す事ができる人ですか? 誰にも仕えない強い魔法が使える事ですか? それとも……天空の剣に認められる事ですか?」

「関係ありませんと言いましたわ。私は、もう!」

「では何故そうも辛そうなのですか? 本当にもういいと思っているのですか?」

「辛くなんかありませんわ。もういいんですの!」

「では何故、貴方はその剣を握っているのですか?」

一瞬だけその問いかけにラナが目を丸くし、憤りを持って剣を掲げた。

「貴方が斬りかかってくるからですわ」

「そうでしょうか? 僕がラナを斬れるはずがありません。このまま無視して城に戻ればいいでしょう?」

「それは……」

気がつかされ、まさに剣を手放そうとしたが両手がそれを許してはくれなかった。
今まで何度剣を振ったかわからない、豆だらけとなった両手が開いてくれない。
そして自然と両手が剣を持ち上げ、ルカの持つ剣へと振り下ろした。

「剣を振る事が楽しいんでしょ?」

「…………否定しませんわ」

「少しは素直になってくれたようですね。ではラナ、聞いてください。勇者とは魔王を打ち倒す人物の事ではありません。ましてや強い魔法を使えるだけの人でも、天空の剣に認められただけの人物とも違います。勇者とは、他者を救う者です」

ようやく、二人が撃ち付け合っていた剣撃の嵐が止んだ。

「他者を救う者?」

「見返りを求めずに他者を救おうとする者。父上も母上も、プックルもメッキーも……そして貴方も勇者だと僕は思います」

「でも……私は私が勇者である証が欲しかった。だから天空の剣が語りかけてくれるのをずっと待ってた」

「だったら僕がその証に…………ん? 語りかけてくれる」

真面目に答えようとしていたルカの答えが中途半端に終わる。
なにか聞き捨てならない台詞を聞いたように、固まっていた。

「ルカ?」

「ラナ……魔界へ乗り込んだ時を思い出して、誰かを助けたい、救いたいと思いながら天空の剣の名を呼んでもらえますか?」

「呼ぶの? 呼んでもらうんじゃなくて?」

何故と言う疑問を残しつつ、ラナは言われた通りに両手を合わせて祈った。

(お願い、天空の剣よ)

当時、皆激しい戦いに疲れ果て、終わりを求めていた。
その力に少しでもなれるのなら、皆が望む終わりを迎えられるのなら。
力が欲しい、力を貸して欲しい。
ラナが当時を思い出しながら祈った瞬間、風が吹いた。
あまりの激しさに目を閉じながら祈っていたラナが転びそうになり、慌ててルカがそれを支えた。
そして次の瞬間に、それはそこにあった。

「うそ……」

「最初から、認められてたんだ。ただ方法を知らなかっただけなんだよ」

ラナに呼ばれた天空の剣が、二人の目の前に現れていた。
恐る恐るラナが手に取ったそれは、今までのような重量感はなく、手にしっくりと来る重さであった。
信じられないと二人が間を持って、お互いを見合い、そして思い切り笑い始めた。

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