第九話 王女の決意


世界中から聖女として崇められているラナが起した衝撃的な事件は、目撃者がピエール他には城内のメイドなど数名であった事から、公にされることはなかった。
当然そこには被害者であるルカの言葉もあったのだが、だからといって何事も無かったかのように出来るはずも無い。
なのにリュカが詳しく話を聞こうにもルカは固く口を閉ざしており、ラナはラナで自室に引きこもったまま一日以上出てこない。
とりあえずリュカはまだ言葉の投げ合いが可能なルカを、自分の執務室へと呼び寄せた。

「何があったかは、ピエールから聞いたけれど……もう一度ルカの口から聞かせてくれない?」

「さあ、忘れてしまいました。ラナが何か騒いでいたようですが、背中越しであったので解りません」

「そっか……」

言葉を投げあうだけでキャッチボールになっていない。
それでも冷静なルカにしては珍しく動揺しているのだと言う事だけは知れた。

「忘れたのに、ラナが後ろで騒いでたのは覚えているんだ」

嘆息しながらリュカが指摘したのは、単なる揚げ足取りでしかない。
揚げ足でしかないが、十分すぎるほどにしまったとルカの顔がしかめられていた。
せめてコレを切欠に糸口を掴みたかったリュカであるが、次の瞬間にはルカの顔が見えない仮面に覆われた。
こうなると本当にお手上げだなと、リュカは溜息をついた。

「ルカ、もういいよ。あと言っておくけれど、ルカが喋ってくれないのなら僕としては憶測交じりで調べるだけだからね」

「そう、ですか」

それだけ呟くと、ルカは座っていたソファーを立って一礼してから退室していった。
やけに他人行儀なその行為に、リュカは困ったなと頬を掻いていた。
するとルカが退室していったのを見計らっていたかのようなタイミングで、人の姿を模したメッキーが入ってきた。

「目撃者に色々と聞いてきたぜ。ピエールの言ってた通りの事ばっかで、肝心のあいつらの心まではわかんなかったけどな」

「じゃあ、ラナが天空の剣で斬りかかったのは本当だったんだ」

一人の親としてなんでそんな事と言いたそうに呟いたリュカに、メッキーはこれまで隠れていた事実を一つ付け加えた。

「だけど、みんな同じようにラナが斬りかかった瞬間と、尻餅をついて呆然としてる所は見てるが振り上げた天空の剣がどうなったのかを見てない。ルカが避けたのか、ラナが軌道をずらしたのか。その点がすっぽり抜け落ちてた」

「たぶんラナの行動が意外すぎて、皆一瞬目を疑ったからだろう。それで思い直したときには、全てが終わった後」

「ピエールもそんなような事言ってたな。まず最初に目を疑ったって」

ラナを叱るにしろ、諭すにしろ情報が足り無すぎた。
しかも事情を聞こうにもそのラナは現在自室にお篭り中である。
だが確実にルカよりは心を開きやすかろうと、ルカは腰を上げた。

「ラナの方はどうなってる?」

「フローラとビアンカが行ってるけど、苦戦してるみたいだな。最初は呼びかけに何かしら反応があったらしいが、もう何時間も前から返答すらなくなったみたいだ。いっそ踏み込むか?」

「それは本当に最終手段。ラナの部屋に行ってみようか」





ラナの部屋の前では、その人気ぶりを示すかのように大勢の人たちが集まっていた。
フローラやビアンカ、プックルとおなじみの顔ぶれは当たり前で、城で働く者たちもかわるがわるやってきていた。
ある意味これじゃあ引きこもりたくもなるなとリュカは嘆息し、まずは城の者たちを仕事へと戻らせる。

「はいはい、ラナが心配なのはわかるけれども、皆持ち場に戻って。仕事を留守にするのはよくないよ」

「王様だ」

「リュカ様、ラナ様の事よろしくお願いします」

何があったのか公にしなかっただけあって、ほとんどの者は単に引きこもってしまったラナを心配しているようだ。
そんな者たちをあしらい持ち場に戻らせると、リュカは不安げにしているフローラに歩み寄っていった。

「ラナの様子はどうなった? せめてご飯とか……」

返答は首を静かに横に振られるだけであった。
普段から良く食べるラナが一日以上何も食べないなど、それだけでも事件である。
リュカは不安そうにするフローラの髪を一撫でしてからラナの部屋のドアの前まで近寄り、拳の裏を軽く二、三度当てた。

「ラナ、部屋にいるんだよね。喧しい事は何も言わないから、とりあえずご飯だけでも食べないかい?」

言い終わってから十秒、一分と待っても何の反応も見えなかった。
リュカでさえも反応を得られず、それまでこらえていたプックルがドアにすがり付いて爪を研ぐようにカリカリ引っかき始めた。

「こら止めなさい、プックル。ラナちゃんの邪魔しちゃ、余計出てくるのが遅くなるわよ」

「グルゥ……」

ビアンカに注意されて扉を引っかくのをやめたプックル。
その顔は酷く情けないものであり、唸り声にも不安があふれんばかりに滲んでいた。
もはやすでにルカとの一件を聞くよりも、ラナの無事を確認する方を優先しなければならない状況になってしまった。
食べ物も駄目、両親からの呼びかけも駄目、可愛がっていたプックルの哀願も駄目。
他に一体何が残っているのだと、皆が顔を見合わせる。

「本当に、困りましたわね。他にあの子の好きな事は何があったかしら?」

「おっ、そうだ」

どれでも良いからと頭を捻るフローラへと、思いついたようにメッキーが言った。

「こうなったらこの場所でドンちゃん騒ぎしたらどうだ? 楽しそうか喧しいのどちらがでブッ!」

「ああ、本当に困りましたわ。ふざけた事言っていると手が出てしまいますわよ」

直前のメッキーの発言を排除して、フローラは台詞を半分修正して繰り返した。
ちなみに裏拳気味のワンパンチを食らったメッキーは、壁に頭をぶつけて目を回している。
さらにメッキーに止めを刺すように、プックルが前足で容赦ない一撃を加えていた。

「でも真面目な話、メッキーの案も捨てたもんじゃないかもしれないわよ」

「本気で言ってますの、ビアンカさん?」

「だって出てきてもらわないと困る人が一杯いるじゃない。それにラナちゃん自身の体の事も心配だし。元気でわんぱくでも、女の子よ」

決して他人の子だからと軽々しく考えているわけではないと示しながら、ビアンカは真面目に答えた。

「あなた、どうしましょう?」

「あと一時間待ってみよう」

部屋の中のラナにまで聞こえるように、リュカは少し声を大きくしてあと一時間と宣言した。

「それで駄目なら少々手荒くなっても出てきてもらおう。ビアンカはラナが出て来た時の為のご飯とお風呂の用意を頼んできてくれるかい?」

「オッケー、頼まれたわ。プックルそこまで乗せて行ってくれる」

「ガウ!」

ビアンカがプックルの腰掛けて行った後、フローラが私は何をとリュカの顔を見上げてくる。
リュカはその場の廊下に座り込むと、絨毯の上を手でポンポンと叩いた。
それがス我の合図だと悟ったフローラが言われるままに、リュカの隣に座りこみ、肩にもたれるように首を傾けた。
それから十分、三十分と経っても目の前のドアは開く様子がなく、リュカとフローラはただじっと待っていた。
静かにだが確実に過ぎていく時間の中で、一時間が残り十分となった。

「ラナはまだ頑張っているのですか?」

いつの間にかやって着ていたルカが尋ね、リュカは短くそうだよと答えを返して続けた。

「ルカも心配だよね」

「別に心配などしていません。迷惑だなと……思っているだけです」

本当にそうであるならば、そもそもこの場に現れないだろうとリュカとフローラが密かに微笑んだ。
もう少しで一時間とリュカが懐中時計で確かめた時、僅かにだがそのドアが動き出した。
まさか自分から出てくる決心をするとはと、開いていくドアを見ているとそのうちラナが顔を出した。
一日以上何も食べても飲んでもいないが元気そうで……だが決定的に違う所があった。

「お父様、お母様。突然の我侭で人々に迷惑をかけたことをお許しください。そしてルカも、本当にごめんなさい」

普段の丁寧さとは微妙に違う丁寧な口調で言ってきたラナは、いつもの短いスカートと上着ではなく、髪の色に合わせた薄いブルーのドレスを着込んでいた。
そのような姿など、余程特別な行事があること以外、リュカもフローラも見たことが無かった。
それに加えてラナの浮かべるた表情が笑顔であるはずなのに、やけに暗いものにみえた。

「お父様、以前にもラインハットから通達されていたコリンズ君とのお見合いの件、受けようかと思いますの」

その言葉が熟考されたものなのか、自棄によるものなのか、判断できかねたリュカは言葉を失うしかなかった。
そしてルカは、驚きではなく怒りを持って去って行った。

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