第八話 二人の亀裂


ルカが妖精の国へとラナを連れ戻しに行き、ついでとばかりに薬を貰ってきてから数日。
ようやく胃の痛みが治まり始めたリュカは、医者の許可を貰って貯まっていた仕事をひたすら片付けていた。
とは言うものの、前国王代理であり宰相であるオジロンが気を利かせてくれ、本当にリュカに見せる必要のある書類以外は回ってきていない。
おかげで完全に書斎に篭り切ることなく夕方にはリュカの机の上から書類の束は消えていた。

「は〜……やっと終わった」

最後の書類の作成が終わると、思いっきり背すじを伸ばし、椅子の背もたれが悲鳴を上げるほどにのけぞりかえる。
よほど背伸びが気持ちよかったのか、調子に乗っていると今度は胃がキリっと小さな悲鳴を上げた為に慌てて止めた。

「おっと、危ない危ない……こんな馬鹿なことでまた寝込んだら叔父さんに申し訳ないよね」

ようやく背伸びを止めたリュカが椅子から立ち上がろうとしたところに、部屋のドアがノックされた。
返事をしてからゆっくりとあけられたドアからは、一人のメイドが顔を出してきた。

「リュカ様、御夕食の支度が整っております。皆様はすでにお待ちしておりますので、お越しください」

「ああ、解ったよ。すぐに行くって先に行って伝えてもらえるかな」

「はい、かしこまりました」

ペコリと頭を下げたメイドがドアを閉めてから、リュカは種類を机の引き出しに片付けてから椅子を立ち上がる。
そして長時間椅子に座っていた為に硬くなった体を解しながらドアへと向かい、部屋を出て行く。
メイドの言うとおり、リュカが王族専用の食堂に赴いた時にはすでに全員が揃っていた。
まず親戚筋となるオジロンとその娘のドリス。
そして娘のラナと息子のルカ、妻のフローラに愛人であるビアンカである。
実は愛人という呼称はよろしくなく、いっそ第二妃に昇格してしまおうという話があるのは、フローラにはまだ秘密であったりする。

「リュカおっそーい。みんな待ちくたびれてるぞ」

「お仕事だからですよ。何処かの誰かさんとは違って、日がな一日ゴロゴロしてて良い立場ではありませんのよ」

「それぐらい知ってるわよ。要はお腹がすいてるって事なの」

いつかフォークやナイフで皿を叩きかねないビアンカに、フローラが少しトゲのある言葉で注意する。
以前であれば、一騒動ありそうなものだがビアンカがあっさり引いてしまうため、リュカがお腹を押さえながらハラハラするだけですんでしまう。

「ご飯時にまで勘弁してよ。リュカさん、さっさとお祈りすませて食べちゃおうよ」

「こらドリス、王様だろうが」

「ああ、いいですよオジロンさん。親戚じゃないですか。え〜それじゃあ」

席に着いたリュカが両手を合わせて、祈りの言葉を捧げる。
空と大地に、精霊と神々に。
言葉に加えて数秒の間黙祷を捧げてから頂きますと声が揃った。
リュカ自身がマナーに詳しくないせいもあるが、基本的にこの食堂内では最低限のマナーさえ守れば後は自由であった。
何から食べようと、飲もうと、誰と喋ろうと。

「ああ、そうだ。オジロンさん、仕事の方済ませてもらえた所もあるそうで、有難うございました」

「なに、無理に仕事をさせて長引かせるわけにもいかないのでな。だが、後で知りませんでしたでは困るからな。隙を見て資料にだけは目を通して置いてくれるとありがたい」

「ちょっと二人とも、ご飯の時に詰まんない話は無しよ。そんなんじゃ折角のご飯が美味しくないでしょ?」

「ごめんごめん、でもお礼は言っておかないとね」

「そうだな、仕事の話はマナー違反だな」

真面目な顔で話し合う二人に茶々を入れたのはビアンカである。
言っている事は当然であるが、国の王と宰相に率直に言えるものであろうか。
しかもその二人が笑いながら謝る始末である。

「相変わらずビアンカさんは怖いもの知らずよね。普通言えないわよ、それって」

「怖いもの知らずに加えて、考えも無いだけですわ」

「悪かったわね。でも時にはそういう方が楽しい事もあるのよ」

ワイングラス片手に笑ってみせるビアンカに、この人はとドリスに加えフローラまでも苦笑を見せていた。
リュカは内心このまま何事も無いように、また同じ日々が続けばと思ったが、そうは行かなかったようである。
カチャリとフォークとナイフを置かれた音の後に、小さな声が呟かれた。

「ごちそうさまですわ」

ルカはともかく、今まで黙っていたラナが席を立って食堂をでていってしまったからだ。
リュカの病気が回復に向かって喜ばしいことばかりに目が向けられていたが、ちゃんと気付かねばならない事であった。
フローラがすぐに席を立ってラナの後を追っていく。

「そういえば、ご馳走様って……全然食べてないね。何時もなら何も言わなくてもたくさん食べるラナが」

「お腹でも痛いのかしら。ルカ君は何か知ってる?」

リュカに指摘されドリスがラナの席にあるほとんど手のつけられていない料理を見た。
何か聞いているんじゃないかとドリスが尋ねるが、ルカは「さあ」っと短く終わらせてしまう。
ラナに話を聞いて戻ってきたフローラも首を傾げるだけであり、そういう日もあるのかなと夕食は続けられた。





次の日の午後、剣術の訓練をスライムナイトであるピエールにつけても貰っていたはずのラナは王宮の廊下を歩いていた。
ズキズキと痛む左手首を押さえ、不得意ながらもなんとか成功させているホイミをかけ続けている。
その手は考え事をしながら稽古をしていたため、剣を振るときに変に捻ったのだ。
おかげで怪我だけではなく、ピエールにまで身の入らぬ稽古は怪我の元だと怒られてしまった。

「私としたことが……他ごとに気を取られるなんて。いけませんわ」

ようやく和らいできた痛みに、左手を二、三度振って確かめる。
問題ないと気持ちを新たに吹っ切ろうとした所、丁度窓枠に映る自分の姿が見えた。
その自分の姿の後ろに背負われているのは空に認められた者のみが振るう事のできる天空の剣が映っている。
そして思い出した光景に、ラナは何度も首を振って追い払う。

「いけません。あれは何かの間違いですわ!」

必死に自分を確立させ、見たはずのものを頭から振り払おうとする。
もう少しでそれは上手く行きそうであったが、タイミング悪くとある人が見つめていた窓ガラスに写っていた。

「貴方の奇行も随分慣れたつもりですが、そのような姿を見れば自分の認識の甘さを恨んでしまいそうですよ」

「ル……ルカ」

「何か?」

問われても用があるわけでもないため、何も答えなかったラナを置いてルカは行ってしまう。
いったい誰のせいでこんなにも悩んでいるのか。
珍しく自分自身の為に怒ってしまったラナは、悩みを確かめるためにも天空の剣に手を掛けていた。

(駄目、何を考えているの。怪我じゃすみませんわ!)

今自分が何を確かめる為に、何をしようとしたのか振り返り頭を振る。
だが振りだけでも確かめられるかもしれないと、彼女の手が天空の剣の柄を放さない。

(そう……ちょっと確かめるだけですわ)

誘惑に負けたラナは強く自分の意志で天空の剣の柄を握り締めると、音も無くそれを鞘から解き放った。
そして一足飛びにルカに背後から斬りかかった。
もちろん寸止めもしくは、空振りさせるつもりでラナには、ルカを傷つけるつもりなどこれっぽっちも無かった。
正面からそうされれば、ルカもそれなりの対応は取れただろう。
だがやはり背後から行き成りというのがネックであり、思わずルカは願ってしまっていた。

(天空の剣よ!)

声に出なかったのはさすがであるが、願った時点で結果は同じであった。
以前の森でそうであったように、天空の剣がまるで見えない壁に跳ね返されたようにルカから遠ざかる。
正確には、天空の剣がルカを傷つけることを拒み、自ら遠ざかろうとしたのだ。
天空の剣を跳ね返されたラナは、そのまま王宮の廊下へと尻餅をつく形で落ちていた。

「嘘…………嘘よ」

「ラナ」

明らかな自分の失敗を悟りルカが、ラナに手を差し出すがラナはその手を見ていなかった。
呆然と呟きながら自分の手と、やや離れた場所に落ちた天空の剣を見比べ呟く。

「嘘だ……でも、やっぱり。天空の剣に選ばれていたのは」

「ラナ様!!」

叫びながらやってきた人は、薬箱を持っているピエールであった。
その必死の声から一部始終みてしまったのだろう。
慌ててやってくるピエールを見て、ラナはいったい自分が何をしてしまったのかを理解した。

「違う、私……そんなつもりじゃ」

「ラナ、いいから落ち着いて」

一度落ち着けようとルカが尻餅をついているラナの両肩に手を置こうとしたが、逆効果であった。

「ごめんなさい、ごめんなさい!」

逃げるように走り出したラナを、ルカは追う事ができなかった。
ただ自分の失策が悔しくて、手ごろな壁を力いっぱい殴りつける。

「見られた。ちゃんと隠せたと思ったのに、見られてたんだ!」

「ル、ルカ様これは一体……」

何が原因でラナがルカに襲い掛かったのか理解できないピエールがオロオロとルカに話しかけてくる。
だが俯いたままのルカが何も答えてはくれなかった。
ただ直ぐ傍に置き去られた天空の剣を拾い上げ、ルカの背を押してリュカの元へと歩き始めた。

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