第七話 森の薬草


ルカたちの不安は、ラナたちが盛りに入って一時間も経たないうちに現実のものとなっていた。

「け、毛虫ぃ!!」

何かされたわけでも、見た目が極端に醜悪なわけではない。
なのにただ出会ってしまっただけの巨大な毛虫を前に、ラナは背中に背負った天空の剣を抜いた。
怯える巨大な毛虫を前に天空の剣の重さに任せてそのまま横なぎに振り回す。
だがパニックに陥ったまま振り回された天空の剣は、全く関係のない木々をへし折りなぎ倒していく。

「ガウ、ガウゥ!」

「嫌ですわー! 近づかないでですわー!」

「ガゥーーンッ!!」

必死にラナを止めようとしたプックルも目に入らず、逆にあっちへ行けとばかりに天空の剣を振り回す。
ラナの言葉に顎が外れそうな程にショックを受けているプックルだが、それも長くはなかった。
キッと巨大芋虫をにらみつけると、彼の咆哮が雷を呼んだ。
そのまま自らの体に雷が落ちると土煙が彼の姿を取り巻き、薄れた頃には一人の青年がいた。

「プ……プックル?」

「許さない。ラナを苛める奴は倒す」

深紅の髪を持った青年プックルは、少しは冷静さの戻ったラナをひとまず置いて巨大な毛虫へと向かっていた。
その速さは獣の姿の時と変わらず風のごとき速さである。
それに獣としての力をもプラスしてプックルは巨大芋虫へと向かっていった。





一方その頃、ルカたちも森へと入り込みラナたちの行方を捜していた。
だが中規模の森と言えどもたった一人の人間と一匹のキラーパンサーを探すには広すぎた。
何時までたっても見つからない二人に、いい加減メッキーが腹を立てた始めた頃にソレは起こった。
空が破れたかと思うような轟音に、青白い稲光がこの森へと落ちたのだ。

「あれは……」

木々の枝の隙間をぬってべラが見上げた空にはすでに名残は何も残っていなかった。
だが見間違いではないと言うように、人型に変身したメッキーが叫んだ。

「プックルのやろう、本気出しやがった。滅多に使わねえ稲妻なんて使いやがって、何かあったぞ!」

「では急ぎましょうか。森が破壊しつくされる前に」

まだ言うかと思いながらもべラは走り出した二人を追いかけ始めた。
基本体力の違うべラは、少しでも気を抜けば二人においていかれそうになるほどである。
本当にそうなってしまう前にと、息が乱れるのにも構わず伝えた。

「お二人とも聞いてください。ここへ来る前に話した芋虫のことです」

「ああ、幻覚作用の息を吐くって奴だな」

「それがなにか?」

たったそれだけ喋っただけで五歩ほど二人から遅れたが、べラは構わず続けた。

「いいですか、決して芋虫の腹は攻撃しないでください。もししてしまうと広範囲にわたって幻覚の息を吐き出してきます」

「つまり殺るなら一撃でと言う事ですね」

「そういうこった。おい、そろそろ稲妻が落ちた場所が見えてくるぜ」

「ああ、もうどうしてそう曲解するんですか。魔物と言っても元々は大人しい芋虫なんです。だから、絶対にお腹だけは!」

稲妻の落ちた地点、そこへたどり着くのを阻む最後の藪を抜けた先に確かにプックルとラナ、そして巨大な芋虫がいた。
少々森の木が折られたりなぎ倒されたりなどしていたが、それはさほど問題ではなかった。
問題であったのはプックルの手のひらが突き刺さっている場所であった。

「メッキー、ルカも。大丈夫、ラナを苛める奴にはお仕置きしたところ」

「もうすでにしっかり攻撃してるしッ!!」

べラの事前の注意もむなしく、巨大芋虫の腹にはプックルの容赦ない一撃が突き刺さっていたりする。
攻撃された方の巨大芋虫は、顔を青くして今にも何かを吐き出しそうな雰囲気である。
もしかすると別のものを吐き出すかもしれないが、べラは叫んだ。

「みんな急いで息を止めて、来るわ!」

べラの言葉が終わるか終わらないかのうちに、白い霧のような息が芋虫から吐き出された。
なんとかお互いの姿が確認できる中、べラは息を止めたまま皆を見た。

「皆、大丈夫? 息は止めた?」

せめてメッキーとルカだけは大丈夫であろうと思ったが甘かった。

「いいから息を止めろプックル」

「ガ……何故」

「いいからこうやって、すぅぅぅぅぅぅぅぅん!」

「すぅぅぅぅぅぅぅぅぅん!」

「…………バカ」

「「ウっゲホ、ゲホ!」」

止める前に思いっきり吸い込んだバカ二人は、幻覚の息を吸い込んだせいで思いっきり咳き込んでいた。
その直後、急にキメラとキラーパンサーの姿に戻らさた。
そして急に何かに怯えるようにプックルは、近くの藪の中に頭だけ突っ込んで震えだした。

「ガウガウ、ガゥ〜ン」

もう一人のバカはと言うと、近くにそそり立つ木に向かって愛の言葉をささやきだしていたりする。

「あれ、君可愛いね。どう俺のハーレムに来ない。一生の幸せを約束するぜ」

さらに木の幹にキス……くちばしを突き刺して次のような事を呟き、さらに叫びだした。

「アレ、固い唇だね。緊張……って誰だ、貴様! 近寄るな、筋肉を躍らせるな汗を飛ばすな! うおぉぉぉぉ!!」

「大人しく寝てなさい、ラリホー!!」

本来ならばべラのレベルの者が唱える催眠呪文など効かないであろうが、幻覚の息の作用もあって二匹は即座に眠りに陥った。
ソレはそれで今度は悪夢に唸らされていそうだが、自業自得である。
森を出る前に大層な荷物が出来てしまい、うんざりしているベラだが、まだ気を抜くのは速かった。
嵐の如く風を唸らせ振り回される天空の剣、それがベラの頭を狙っていた。

「毛虫ぃ!! 一杯の、毛虫がぁ!!」

同じように幻覚を見せられ、ふたたび天空の剣を振り回し始めたラナであった。
もうすでにベラの目と鼻の先に天空の剣が迫った時、彼女を抱えて飛び下がった者がいた。

「下がっていてください。今のラナは、魔界の王よりも性質が悪いですから」

「ルカ君、良かった君は無事だったんだ」

「くだらない絶望は見飽きてますから」

ぼそりと呟かれた台詞は、ベラを抱えたまま着地したショックで聞き逃してもらえたようだ。
ルカはベラを置いて、まずどうしようかと作戦を練りながらラナへと近づいていった。
すでに芋虫は逃げだしたようだが、先ほど自分で言ったとおり今のラナは魔界の王よりも性質が悪い。
目に映る幻覚、全てに対して見境なく攻撃してくるのだ。
しかも幻覚を解こうにもルカは攻撃魔法こそ得意であるが、回復や補助魔法は苦手な部類であった。
すると無傷でラナを止める為にはと、ルカはラナが振り回している天空の剣を見た。

「ベラさん……今から起こる事、全て忘れてくれますか?」

「出来るなら忘れてしまいたいわよ。安心して頂戴」

「その約束、守ってくださいね」

一体何を忘れれば良いのかわからないが、息を止めるのも限界で何度も頷いていた。
最悪薬だなとルカも覚悟を決めて、ラナを見た。
まだ幻覚の芋虫相手に戦い続けており、その標的が何時こちらへ向くか。
いや、それは直ぐに来た。
ラナの目がルカの姿を芋虫とダブらせ、殺す勢いで天空の剣を振り上げ、振り下ろしてきた。

「ルカ君!」

ソレに対しルカは防御するわけでもなく、かわす素振りすら見せず、ただそこに立っていた。
そして、たった一言だけ呟いただけだ。

「僕を殺すというのか、天空の剣よ」

直後まるで見えない壁にでもぶつかったように、振り下ろされた天空の剣が弾かれた。
一番驚いているのはラナであり、一歩一歩近づいてくるルカへと何度も天空の剣をたたきつける。
だがその度に天空の剣は見えない壁にぶつかり、ルカの足は止められなかった。

「いや……こないで、こないでですわ!」

「ラナ、もういいんだ」

最後には抵抗する気力すら失ったラナの手から天空の剣を奪うと、ルカはそれを掲げてみせた。

「さあ天空の剣よ。その力を示せ、我が血を分けた同胞を救いたまえ」

ルカの掲げた天空の剣が森を呑み込む勢いで光輝き始める。
浄化の光によって当たり一面に広がっていた幻覚の息は消え去り、幻覚に掛かっていたラナもくたりとルカにもたれかかって来た。
ベラは知らないが、珍しく兄として妹の頭を優しく撫でている光景を見ながら酸素の限界が訪れていた事に気付く。
急いで大口を開けて呼吸を再開して幾ばくの時間が経つと、当然のようにある疑問にぶつかった。

「どうしてルカ君が天空の剣を扱えるの。それに魔王を倒したのは最後にラナちゃんが天空の剣を使って倒したって」

「忘れるという約束でしたよ。ないとは思いますが、誰にも喋らないでください。もし喋ったら、わかりますね?」

世界中の認識のズレを感じながらも、凍てついた氷を思わせるような視線に、ただベラは頷くしかなかった。

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