何年たってもその外観が移ろわない山奥の村に、光の玉が落ちた。 落ちたと言っても地震も起きなければ、周りの物を吹き飛ばしたわけではない。 たが変わったのは、つい先ほどまで誰もいなかった場所に、一人の青年が現れたことだけであった。 「う〜ん、この匂い。久しぶりだね、この街も」 「ガルッ!」 「あ、プックル!」 背を伸ばして土の匂いがふんだんに混じった空気をリュカが吸い上げていると、一緒にルーラでやってきたプックルが一目散に走り始めてしまう。 待ってよと伸ばしたリュカの手が届かなかったが、リュカは別段慌てた様子はなかった。 それはプックルが何を感じて何処へ向かったかわかりきっていたからだ。 そしてリュカの目的もそこにあると解っているため、ゆっくりと歩きだした。 村の入り口に広がる畑の間に伸びた農道を通ってその先にある階段を上がっていく。 たいした高さのある階段ではないが、その先に広がるのは、ポツリポツリとある家と温泉の湯が生み出す濃い湯煙である。 「これこれ、この匂いを嗅ぐとここに来たって感じがするんだよね」 風景同様に暢気な台詞を吐いたリュカは、歩き続けた先にその光景を見つけた。 「あははっ、プックル。だめだってそんなに舐めたら。くすぐったい」 「ガウ、ガウゥ」 まるで少女のような無邪気さを振りまいて大きなプックルとじゃれあっているビアンカであった。 リュカがとある理由で石になっていた年数を考えると、その歳の差はさらに広がったはずであるが、そのような事を感じる事はなかった。 「あ〜、でもプックルがなんでいるわけ? まさか一人で来たわけないだろうし」 「僕が一緒だよ。久しぶりだね、ビアンカ」 「リュカ…………久しぶり!」 「ちょっ、ちょっとビアンカ」 さすがに天下の往来で抱き疲れるとは思ってもみなかったリュカが慌てる。 「なんだ来るなら手紙の一つでも送ってくれれば良いのに。子供たちとフローラさんは?」 「ああ、今日は僕一人なんだ。たまにはね」 「ふ〜ん」 リュカの微妙な顔色を察してビアンカはそれ以上尋ねてこなかった。 その代わりにリュカの手をひいて自分の家へと引っ張っていった。 「まあ、細かい事はいいわ。とにかく、今日は家でゆっくりしていきなさい。お姉さんの命令よ」 「お邪魔します。ビアンカ、ダンカンさんに挨拶したいんだけど」 ビアンカの家へと招かれたリュカはすぐさまビアンカの父であるダンカンの姿を探そうとした。 記憶の中に残るダンカンは病にふせり、確かベッドで寝たきりであるはずであった。 だからこそ、寝室の方へと行ってもよいかと尋ねると、ビアンカはゆっくりと左右に首を振ってから言った。 「お父さんは、もういないわ」 「いない?」 「もう二年ぐらい前になるけどね。結局あのまま」 そう言われて直ぐには信じられなかったが、そんな嘘をビアンカがつく理由もなく信じるしかなかった。 「ど、どうして教えてくれなかったんだ? それぐらいの権利は僕にだってあったはずだよ」 「私もそう思うけどね。私とリュカがただの幼馴染のままだったらそうしてたわ。でも貴方はフローラさんを選んで、今は王の身。しがらみが多すぎたわ」 「それは……そうだけど」 「そういう訳でその話は無しね。さてお客さんも久しぶりだし、今日は腕によりをかけて美味しい物でも作ろうかな。リュカは何か食べたいものある? ないなら私が料理している間に温泉にでも行ってきたら?」 無理をしているわけでもなく、自然と笑ったビアンカを前にリュカは持っていた道具袋を置いて温泉に行ってくると呟いた。 そして再び表へ出ると、少し寄り道をしてビアンカの母が眠る墓へと寄っていった。 木の棒で作られた簡素な十字架に刻まれた名前、ビアンカの母の隣の十字架には確かにダンカンの名が刻まれていた。 二年前と言えば、丁度魔界へと乗り込んでいた時期である。 例え連絡を貰ったとしても、自分が足を運んだかどうかは怪しいものであった。 「おじさん、遅くなっちゃいました。すみません」 「グルゥ」 一緒についてきたプックルと共に頭を下げて、黙祷する。 だが考えたのはダンカンのことではなく、ビアンカのことであった。 お客さんでさえ久しぶりと言った事から、ビアンカは毎日を一人で過ごしているのだろう。 その間自分はしがらみがあるとはいえ、家族と民に囲まれ幸せな日々を一応は過ごしている。 「プックル、僕に何ができるんだろうね」 「グゥ」 下手な事を言えば、怒らせるだけであろう事は解っていた。 同情、それはビアンカがもっとも嫌う所であろう。 「…………温泉、行こうか」 立ち上がって歩き出したリュカの服の裾を、プックルが噛み付いて止めた。 「プックル、それは出来ないんだよ。しがらみ。本当、多すぎるね」 リュカがプックルの頭を撫でると、少しは理解してくれたのか、そっと服の裾を噛む事をやめてくれた。 そしてゆっくりと温泉へと足を向けながら、それでもリュカは頭のどこかでビアンカのことが引っかかっていた。 「あ〜、さっぱりした。これで美味しいご飯があれば最高だね」 ビアンカの前で暗い気持ちを見せるわけにも行かず、リュカはビアンカの家へと戻ってくると必要以上に明るく言い放った。 料理をするという言葉に偽りはなく、お帰りと振り向いたビアンカとリュカの間にあるテーブルには所狭しと料理が並べられていた。 二人分にしては多すぎるが、一際大きなプックルがいる為に無駄にはならないだろう。 「思ったより長風呂だったわね。そのおかげですっかり準備は整ったけどね。はい、これ。冷やしておいたわよ」 「うん、ありがとう」 ビアンカから受け取った紫色の飲み物をグイッとリュカは飲み干した。 受け取った当初はワインか何かだと思ったのだが、なにやら薬品のような匂いと味がしたため、不審に思ったリュカが尋ねる。 「ビアンカ、これなに? ワインじゃないみたいだけど……」 「何って……リュカの道具袋に入ってた薬よ。ファイト一発でしょ、それ? ほら作りすぎちゃったし、一杯食べてもらわないと」 ファイト一発と聞いてサッとリュカの顔が青ざめていく。 ビアンカは良かれと思って飲ませたのだろうが、それはルカに貰ったあの薬である。 ダラダラと温泉で温まった体から嫌な汗をかく事数秒、リュカの意識が飛んだ。 鳥のさえずりと冷涼な空気。 お城の寝室では味わえぬそれらに、普段と違うものを感じてリュカは目を覚ました。 だが冷涼と言ってもそれを感じたのは顔だけであり、首から下は言い様のない温もりが傍らに存在した。 温もりだけでなく、滑らかな肌触りと柔らかな匂い。 「えっと……」 昨晩の記憶が一切ない。 真横に見える金髪と端正な顔立ちを間近に見ながら、リュカは昨晩記憶をなくす前と同じ冷や汗をかいていた。 一体何があったのか、予想をするのは簡単であった。 「えっと……」 それでも脳が理解する事を避けて、リュカは同じ台詞を何度も繰り返している。 そうしている間に、隣のビアンカが目を覚ましてしまう。 「えっと……」 「あはは……いや〜、びっくりしたわよもう。突然なんだもん」 嫌がった様子はなく、どこかスッキリした顔で言ってからおはようと言うビアンカ。 なににびっくりして、なにが突然なのか……お互い裸で寝ている時点で一つしかない。 「ビ、ビアンカ」 「まあ、こうなっちゃったもんは仕方ないわよね。結局嫌がった振りは最初だけで、私もノリノリだったし。お互いに抱えてるもの吐き出してすっきりしたしね」 何を言ったのか、何をやったのか覚えていないとは言えなかった。 「だから、はい」 照れながら差し出された手のひら、もちろんそこには何もおかれていない。 「はいって」 「ほら、やっぱ愛情からってまずいじゃない? 色々と。だからアタシはただの愛人って事でよろしくね。実は私仕事してないし、預金を食い潰す毎日だったのよね。でもこれで何の心配も要らないわ」 つまり差し出された手は金品を要求する手であり、それが言葉だけだという事も解る。 いまだ混乱したまま、要点だけ掴んだリュカの目の前で、素っ裸のビアンカが服を着て荷造りを始めた。 「となると引越しもしないとね。そうだ、リュカ今度ルーラ教えてね。いつでもお父さんとお母さんのお墓参りできるように」 まだまだベッドの中で固まるリュカは、鼻歌交じりで荷造りと引越しの準備を始めたビアンカが寝室を出て行ったことでようやく思いのたけが、口から飛び出てきた。 「や、やってもうたッ!!」
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