「あ〜、酷い目にあった。ルカの薬にはいつも困らされてばかりだな」 やけにげっそりしたリュカの顔が、王子の薬の威力を物語っていた。 なにしろ十年近く奴隷を続けてきたリュカは、体外だろうが体内だろうが耐久力が普通の人間と違っている。 もしあの薬を普通の人間が飲んだのなら、容易く痛みか脱水症状を起して死のふちにたっていたころだろう。 もっともリュカと言えど、王宮の廊下をヨタヨタと頼りなく歩くぐらいではあったが。 「どうせ今日は緊急の仕事は無いんだしサボっちゃえ。となると何をしようかな。魔法の絨毯で風を肌で感じるの……いやお腹がぶり返すかも。ならオラクルベリーのカジノでも……いや仮にお腹が緊急事態に陥ったら逃げ場が無いな」 浮かんでは消えていく楽しみを即座に消していくと、すぐに楽しい事など無くなってしまった。 その全てがお腹が原因として消えていったのだが。 「先にルカに解毒薬でも創ってもらったほうが早いかな。う〜ん、でもまた変なの飲まされたら今度はさすがにやばいな」 仕事をやらないと決めたのなら決めたで、やる事が見つからないとはなんとも不毛である。 うんうんと唸りながら歩いていたリュカは、とある窓からふと眺めた外に見知った姿を見つけた。 木の木陰で気持ち良さそうに昼寝をするプックルだ。 なんとも穏やかな顔で昼寝をされては、羨ましすぎた。 「昼寝か、たまにはいいかな。体力を回復するには寝るのが一番だし」 そう決めると直ぐに城外に出ると、プックルが休んでいた木陰へと駆け寄っていく。 気持ちよく丸くなって昼寝をしていた所にリュカが現れたが、プックルの尻尾は正直に揺れていた。 「悪いなプックル、ちょっと一緒に休ませてくれない?」 「…………」 チラリと閉じていた目を開けてリュカを確認したプックルは、そのまま目を閉じた。 それを了承の意味にとったリュカは、プックルに体を預けるようにして目を閉じた。 目が閉じられた事でそれ以外の感覚が様々なものを感じさせた。 木や草が擦れる音、プックルの毛皮が放つ獣と浴びた日の光の匂い、風と日差し、そしてプックルの毛皮の感触。 時折顔に触れる、何度も揺れるように振り回されるプックルの尻尾。 「気持ち良いね。ここはプックルのお気に入りの場所なの?」 睡魔が襲ってきてはいるものの、自然とリュカの口が動いたが、プックルは答えてこなかった。 ただ相変わらず動いているプックルの尻尾は、時折リュカの顔に触れていた。 「また、来てもいいかベッ? ベッペ!」 揺れる尻尾の先端にあるふさふさが口の中に入ってしまい、口内に残った毛をリュカが吐き出した。 「も〜、尻尾を振るのはいいけど気をつけてくれよプックル」 注意しても目を閉じたままのプックルは、相変わらず尻尾を揺らして時折リュカの顔を叩いていた。 いくらなんてもその動きがうっとおしくなり、リュカは手で軽く払うと同時にその動きを目で追った。 するとどうだろうか、規則正しく尻尾が揺れているのではなく、何かを追うように不規則な軌道を描いていた。 その追っているものとは羽虫であった。 小さな、プックルにまとわり着こうとする羽虫を一生懸命尻尾で追い払っていたのだ。 プックルは鬱陶しいものを尻尾で叩いていたのだ。 「ってプックル、僕は羽虫じゃないぞ!」 立ち上がってプックルを叱ったリュカだが、返答は辛らつなものであった。 うっすら目を開けたかと思うと思いっきりあくびをして、そっぽを向いてまた眠り始めたのだ。 もしやと思い叫ぶ。 「もしかして、僕がビアンカを選ばなかった事をまだ怒ってるの?!」 ピタリとプックルと尻尾が動きを止めた。 「だってあれは」 「プックル〜!」 不意にこちらへと向かって走ってくるラナの声が二人の間を駆け抜けていった。 すると今まで眠そうにしていたプックルが、嬉々として王女の方へと向かって走っていってしまう。 「プックルゥ〜、何年の前の事をいまだ怒ってるくせにラナには甘いんだから。イタタ……」 「甘いのはお前の方だろ、リュカ」 シクシク痛む腹を押さえたリュカに突然投げかけられた声は、木の上からであった。 リュカが見上げたとたんに大きな鳥の羽ばたきが聞こえた。 どうやら木の枝に乗っていたようで、羽で滑空して降り立った。 それは大きな黒い翼を持った人間であった。 「えっと……メッキー?」 どうやらリュカにはこの男に覚えがなかったらしいが、全く姿の違うはずの顔見知りの名前が口から漏れた。 「やっぱ決めてはリュカだったなぁ。ルカの言うとおりだぜ。お前だけは一発でわかるだろうってな」 「って、その姿は一体。ルカってことは、また変な薬を?!」 「魔物を半人間化する薬だってさ。俺は実験の第一号らしいけど、それは置いておいてだな。よっと」 軽く掛け声を上げると小さな煙幕がメッキーの体から漏れ、それが収まる頃にはキメラの姿となっていた。 そのままリュカの頭の上に降りて体を固定させた。 「お前さ、甘いよ。お前はこの国の王だろ? もっと自分の好きなようにやってみろよ。はむかう奴にはビッと言ってやればいいのよ」 「はは、相変わらず過激だね」 「でだ、その第一歩として愛人でも作ってみたらどうだ?」 「メッキー、自分が何を言ってるか解ってる?」 頭の上に居座るメッキーに、混乱していないか問うが、彼は正常であった。 淡々とその愛人候補の具体的な特徴をあげだした。 「金髪の髪を一つにまとめてて、多少のことでは動じないパワフルさと、魔物を差別しない寛容さを持った美女さ。そうだな、プックルなんかが好きそうな美女だ」 「なんかかなり具体的に特定人物を想像させられたんだけど」 「別に俺は誰とは言ってないぜ。おっと、そろそろルカに薬の効果の程を伝えないと、それじゃあな!」 言いたいだけ言ってメッキーはバサバサと飛んで行ってしまう。 確かに王族として正妃以外に誰かをめとる事はさほど珍しい事ではない。 だがリュカは二人の女性を平等に愛せるほど器用でもないし、それが出来れば結婚式前夜にあれほど悩みはしなかっただろう。 しばらく考え込んだ結果、リュカはメッキーの性質の悪いイタズラと考えて、愛人の事を頭から綺麗に消し去った。 そして誰もいなくなった木の下で寝転がり、昼寝の続きを始めた。 「リュカ、み〜つけた!」 小さな森の入り口にある藪の中に、二本のお下げを結い上げた少女が腕を突っ込んだ。 そのまま掴んだ何かを引っ張り上げると、少女よりも少しだけ背の低い少年が藪の中から現れた。 「チェ、うまく隠れたと思ったのに……どうして解ったの?」 「リュカの事なんてなんでもお見通しよ」 お姉さんぶって胸を張る少女の言葉を鵜呑みにして、少年は尊敬の眼差しを惜しみなく送っていた。 ただその通りだと疑うことなく信じていた。 本当は緑の藪の中に、少年の被る紫色のターバンの色合いが浮いて見えただけの事ではあっても。 「それじゃあ、次は僕が鬼?」 「う〜……プックルがまだ見つからないのよ。身軽だし、小さいし。そうだ、リュカはプックルが何処に隠れたか見てなかった?」 「ダメだよビアンカ、ちゃんと自分で探さないと」 「そ、そんな事解ってるわよ。リュカが鬼になったときにちゃんと自分で探すか、試してみただけじゃない」 全く筋の通らない言葉を聞いても、少年が首をかしげたのは僅かであった。 それから隠れたプックルを探すビアンカの後について周り、プックルを探したが結局日が暮れるまで見つからなかった。 なのに名前を呼べば何処からか現れるのだから不思議なものだった。 夕暮れによって伸びる三つの影と共に、手を繋いで歩く二人の周りを一匹のベビーパンサーが跳んで歩く。 小さな、本当に小さな頃の思い出。 (そう言えば、僕がどんなに頭を駆使してもビアンカは真っ先に見つけてくれたっけ) そう考えてから、大人のリュカは苦笑した。 (当たり前か、プックルが絶対に見つからないなら、僕を見つけるしかないんだもんな) 目が覚めた時には、夢の中と同じように近くの山に日が折りかかっており、夕方に入り始めていた。 山間の国だけあって冷え込み始めた空気を感じてリュカはブルリと身を震わせた。 「ビアンカ……元気にしてるかな」 フローラとの結婚式以来、連絡は一切取っていない。 取れるはずが無かった。 なのに今、リュカはビアンカに会いたくてたまらなかった。 ビアンカだけが、世界で唯一…………を言える相手であるから。 リュカ自身には、そんな自覚がないとしても。 「明日会いにいってみよう。友達として」 すっかり腹の痛みは治まっていた。
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