第二十四話 サマンオサの勇者


アリアハンから海を隔てて西にある海賊たちのアジト。
アムルはサニィの率いる海賊の船によってそこから南下をする事になった。
目的地は、氷の大陸であるグリンラッドの南にある祠であった。
サニィの説明ではバラモス城と同じように陸の孤島であるサマンオサには、そこにある旅の扉からしか行けないそうだ。
よって現在はグリンラッドを通り過ぎたばかり。
アムルは甲板の上でガタガタと震えながら歯を鳴らしていた。

「さぶ、さぶぶぶぶ。寒い、寒い!」

「ピッー!」

両腕を掴んで震えるアムルに、だったら船内にいろとでも言いたげに服の中から鳴いた。
船旅の知識のないアムルは、海軍軍人にとっても海賊にとってもお荷物でしかない。
特に昼間は皆が皆忙しそうにしているため、船内では暇すぎた為に出てきたのだ。
だからと言って仕事がもらえるわけもなく、甲板で寒そうに震えるのが関の山である。

「おい、坊主。見てるこっちが寒くならぁ。もうすぐ目的地の祠がある陸が見えてくる。たどり着く前に力尽きるのは馬鹿のやる事だぞ」

「ぞ、ぞうずる」

「まあ、待て坊主」

鼻を鳴らしながら船内へと向かおうとしたアムルを別の海賊が引きとめた。
そして慎重に辺りを見渡してから、アムルの首に腕を回してこそっと言った。

「お前、昨日お頭と一緒に風呂入ってただろ」

「うん」

それがどうしたとばかりの軽い返事に、アムルに腕を回していた海賊だけでなく最初に声をかけてきた男も密かに握りこぶしを作っていた。

「でだ。どうだった」

「どうって、なにが?」

「馬鹿野朗。言葉遣いはあれだが、お頭みたいな良い女と一緒に風呂に入ってなんとも思わねえのか。ガキの特権使って色々できるだろうが!」

「ガキじゃないよ。もうすぐ十五だもん!」

「人の話をきけや、このガキ!」

「いふぁい、いふぁい!」

話の通い合わないアムルに腹を立て、男が口元をひっぱりながら持ち上げた。
この寒い中で肌や唇は乾燥し、そこをひっぱられればその激痛はなみのものではない。
バタバタとアムルが暴れても身長差から意味はないに等しく、むしろ自分で自分の首を絞める結果となってしまう。

「お、おい。その辺にしとけ、こんなところをお頭にで……遅かったか」

「良い度胸だな。俺のもんに手を出すとは、心臓も一瞬で止まる海ん中に放り込んでやろうか!」

言うや否や男の尻を蹴り上げたのは、分厚い毛皮のコートに身を包んだサニィであった。
サニィが本気であるのは普段の行いからわかっているのか、男は苛めていたアムルを甲板に落っことして逃げていった。
そのアムルを抱き上げたサニィが、真っ赤に熟れたアムルの頬っぺたに熱い視線をよこす。

「全く、馬鹿が。坊や、大丈夫かい。あ〜あ、こんなにほっぺたが晴れ上がって」

「だからって舐めないで。凍えて冷たい、凍っちゃう!」

「ガキの特権の良さがわからないのもガキだからか。お頭、遊んでないで暇だったら坊主を中に連れて行ってください。もうじき見えてきますよ」

何やってんだかと、最初にアムルに声を駆けた男が忠告した。

「たく、気が利かないね。言われなくてもそれぐらいわかってる。邪魔にならないように黙って立ち去るぐらいしろ」

「気が利くからお教えしたんですよ。それじゃあ気の利く俺は、お頭と坊主の荷物纏めておきますね」

そう言って男が去ってから、アムルは気がついた。
男はサニィとアムルの分の荷物をまとめておくと言ったのだ。

「なんでサニィ姉ちゃんの荷物までまとめる必要があるの?」

「当然だろ、俺も行くからさ」

「ええ、いいよ。ここまで運んでくれただけでも」

「あのなあ、坊や」

一体いままでどういうつもりで海賊船に乗り込んでいたのか。
全く解っていないとサニィは赤い髪を乱暴にかき乱した。

「この俺が坊やを送り届けて、はいそれじゃあって別れるとでも思ったのかい? 前にも言ったが俺は坊やのボディーガードだ。報酬の分はかっちり働くよ」

「でも、できれば報酬はキス以外の方が……」

「却下だ。我侭言うと、本当に俺の好き放題に坊やで遊ぶからね。コレでもけっこう我慢してる方さ。諦めな」

どちらが我侭なのかと、アムルは弱り果てたように首を落とした。
海賊のアジトで気がついた当初は、シンの事で手一杯であまり頭が回らなかった。
だから最初にキスされた時も、サニィがサマンオサに連れて行ってくれることが嬉しくてよく考えていなかった。
大好きなフレイ以外の人に、しかも口と口でキスしてしまったことを。
これって浮気だよなと思い、逃げようにも逃げられない。
海賊船に乗っている以上、それはサニィの手のひらの上と全く同じ意味である。
知られたら怒るだろうなと思っているアムルの上から声が降ってきた。

「陸だ、見えてきたぞ!」

声が振ってきたのは見張り台があるマストからであり、船べりに張り付くように乗り出したアムルにもそれは見え始めた。
さすがに北の地方だけあって真っ白な雪に覆われているが、立派な陸地であった。
そして船が進む先には、雪化粧の施された土地の中にしっかりと建てられた祠がたたずんでいた。





雪に覆われた大地に可能な限り近づいた海賊船は、ボートと共にサニィとアムルを波の上へと降ろした。
寒空のしたの波は荒く、アムルは必死にボートにしがみ付いていたが、サニィはまるで陸地の上のように立ったまま上を見上げた。

「お前達はしばらくアジトで大人しくしてな。勤労もいいが、ヘマしても助けてはやらんからな!」

「了解でさぁ。頭、お気をつけて!」

言うだけ言うと、サニィは反転する船の波にさらわれない様にボートを漕ぎ出した。
雪が見える陸地までは数百メートル。
歩けば直ぐの距離も、ボートで漕いで進むとなるとかなりの距離である。

「ねえ、俺も漕いだ方がいい?」

「坊やは落っこちないようにボートにしがみ付いてりゃいいさ。それに二人で漕ぐ方が難しいんだ。特に素人と玄人の二人じゃね」

確かにボートにしがみ付いているのが精一杯のアムルに出来る事は何もない。
むしろ落っこちでもすればサニィの手間が増えるばかりである。
わかってはいても悔しい思いがあふれ、アムルは服の中のキーラを抱きしめるように丸くなった。
サニィがオールを漕ぐギシギシという音が冷たい空気の中で何度も響くと、少しずつだが陸地が近づいていく。
やがてボートは陸地へとたどり着き、サニィが降りてから手を借りてアムルが降りた。

「さあて、寒いのもあそこに見える祠に着くまでだ」

サニィが指差したのは船上からも見えた祠であった。
誰も踏みならした事のない新雪を歩きながらサニィが言った。

「あそこの祠の旅の扉は三つ。ロマリア地方、オリビア岬、そしてサマンオサ地方にそれぞれ続いている」

「三つもなんで集まってるの?」

「さあな、それは造った本人に聞くしかないな。ただ三つの地方に繋がってるって事で、俺らには重宝されてるのさ」

つまりサニィたちはここの祠を使う事に慣れているということである。
祠についてからも、サニィは三股に別れた通路から迷うことなく一つの通路を選んで先にある旅の扉の前に立った。
それがサマンオサに続いているのであろう。
アムルもまた旅の扉の前に立って、底の見えない不思議な泉を覗き込む。

「ここに飛び込めば、もう後戻りはできないぞ。心の準備はいいかい、坊や」

「うん、正直に言うと何が待ってるのか怖い。だけど、確かめたいと思ってる自分もいるんだ。このままでいいのか、変わらなきゃいけないのか」

シンが言った混沌とした国であるサマンオサ。
そこで何が出来るのか、何を見なければいけないのか。
怯えを飲み込むようにゴクリと唾を飲み込んだアムルは、心が萎えない内にと飛び込んだ。
直ぐ後にサニィも飛び込んだのがわかった直後、意識が泡となって旅の扉の中に溶けていった。
これでアムルが旅の扉に潜るのは二度目、慣れる暇もない程の一瞬の後、アムルはサニィと共に別の旅の扉の前に立っていた。
そしてそこが何処か確かめるよりも前に、叫び声と共に複数の刃が二人に向けられた。

「動くな!」

「え?」

「やれやれ、誰も帰って来ないってのはそういうことか」

何を言われたのか解っていないアムルはともかく、サニィは言葉通り肩をすくめていた。
旅の扉を背にした二人へと槍や剣といった刃を向けているのは、一目でそうとわかる魔族の若者達。
見張りとしていた五人ほどに加え、まだ数人こちらに向かってきている足音がする。
陸の孤島であるサマンオサの玄関口がすでに魔族に占領されているとなると、シンの言った混沌の意味が自ずと解るものである。

「貴様たち、人間だな。大人しく武器を捨てて言う事を聞けば、良い場所に連れて行ってやる」

「ご丁寧な歓迎に痛み入るよ。だけどあいにくこっちにも都合ってものがあってね」

「動くなと言ったはずだ!」

サニィが腰に帯びた剣に手を伸ばすと、再度の警告が放たれる。
聞こえていないはずもないが、サニィはそのまま剣の柄に触れてしまう。
魔族の若者達に緊張が走り、持ち直された剣たちが音を奏でる。

「まあ、そういきり立つな。もう終わったからさ」

自分へと複数の刃が向けられても動じなかったサニィが言った途端、鞘に封じられたままの剣が輝きを放った。
怪しげな緋色の光は一瞬にして消えてしまうが、効果はすぐに現れていた。
この場にいた魔族の若者達の半分近くが、味方へと向けてその手の中の刃を振り上げたのだ。

「来るな、来るなッ!!」

「痛ッ、一体……おい、やめろ。どうしたんだ!」

仲間の制止も聞こえず、何かに脅え追い払うかのように味方へと刃を振るう。

「さあ、逃げるよ坊や!」

「う、わぁ!」

呆然としていたアムルが返事を返す前に、サニィが首根っこをひっ捕らえて走る。

「メダパニの効果だ。混乱いした奴はラリホーか当身で眠らせろ。奴らを逃がすな、追え。奴らに連なる者かもしれん」

サニィに抱えられているアムルは、メダパニという呪文の名を聞いて目前にある剣に目をやった。
刀身は相変わらず鞘に収められているが、柄や鍔のこしらえが普通の剣とは違って見えた。
なによりも剣全体が銀光沢ではなく、緋色の独特な色をしているのが特徴的であった。

「相手を混乱させる効果のある誘惑の剣さ。俺みたいな美女が扱うにはもってこいのって、冗談を言っている暇もないか」

幸いにして挟み撃ちにあうことはなかったが、後ろからは決して逃がすなと言った声が追いかけてくる。
サニィはアムルを小脇に抱えながら旅の扉から続いていた通路を走り、祭壇も兼ねた祠のホールへと飛び出した。
そのまま祠からも飛び出して逃げようとするが、平原を普通に走っていてはすぐに追いつかれてしまう。
だとすれば逃げ込むには森の中が一番だと、サマンオサとは逆方向の森に目を向ける。

「お前達、こっちだ!」

旅の扉を出たときと同様に、突然かけられた声。
それはサニィが逃げ込もうとしていた森とは逆方向、つまりサマンオサへと続く平原からであった。
馬に跨った数人の男達であったが、敵か味方かもわからずサニィが一瞬躊躇った。

「サニィ姉ちゃん、あっちの人たちについて行こう!」

「根拠は?」

「声をかけられたときに、剣を突きつけられなかった!」

「そういう単純な所も可愛いな、お前は!」

アムルの意見に賛成と言うわけでもなさそうだが、サニィは他に手はないと男達へと走り寄った。
そしてその中の一人が馬を明け渡してくれ、アムルを前に乗せてサニィも跨った。
二人が馬に乗ったのを確認した後、リーダーらしき男が合図をすると、追っての魔族たちへと魔法が雨あられと降り注がれる。
慌てふためく魔族の若者達に背を向け、サニィとアムルはとりあえず男達についていく事になった。





アムルとサニィが着いていった集団は、しばらく馬を走らせた後で近くの森の中に身を隠した。
適度な木に馬の手綱をくくりつけると、アムルとサニィも馬から降りる様に言った。
そしてアムルとサニィをぐるりと囲みこんで、男達が好奇の視線を注いでくる。

「サマンオサじゃ、そんなに美女と美少年が珍しいのかい。そろいもそろってむさい男ばかり集まってさ」

「なにお、助けてもらっておいてその言い草はなんだ!」

「頼んだ憶えはないね。それに俺が喋ってるのは三下じゃないよ。そこの男さ」

軽い挑発にあっさり乗ってきた男を無視して、サニィは好奇の視線ではなく、冷静な目で観察してきていた男を顎でさした。
ここに逃げてくるまでに何度かその男が仲間達に指示を出していた事からリーダーだと見抜くのはそう難しいことではなかった。
ただそれだけではなく、サニィの目にはこの男が只者ではないように映っていたのだ。
只者ではないと言っても、あのシンと比べればいくらか落ちるが十分である。
サニィに顎でさされた男が、いきり立った仲間を手で制してサニィとアムルの前に立った。

「珍しいのは、こんな時にサマンオサにやってこようとする人間だ。すぐに帰れと言いたい所だが、それも無理。自分達の迂闊さを呪う事だな」

「ハッ、だいたいの事は察するけどね。いざとなったらキメラの翼で帰ってやるさ。ただこっちにも事情ってもんが」

「キメラの翼だと!」

最後まで言い切る前にリーダーの男がサニィの両肩を掴んで大声を上げてきた。
普段ならすぐさま振り払うのだが、キメラの翼一つで起こされた反応にサニィも唖然としてしまっている。
そんなもの道具屋にでも行けばいくらでも手に入るはずだ。

「そいつを俺たちに売ってくれないか。千、いや三千は出そう!」

「ちょっと待て」

「なら五千、これが限界だ。頼む、譲ってくれ!」

「待てって言ってるだろうが、この野朗! こっちは情報不足で満足な商談もできねえよ。物が欲しけりゃまず情報をよこしやがれ!」

男の胸倉を突き飛ばしたサニィは、苛立つ自分を静めようとアムルを抱き上げ抱きしめる。

「すまない。ある事情で道具や武器のたぐいの入手は困難な状況で焦ってしまった。俺の名はレイモンド、俺の名は知らなくとも父親の名は知っているだろう。サイモン、この近辺じゃオルテガ以上に有名だった勇者の名だ」

「父さん以上に?」

「ああ、そうだ。あのオルテガ以上……に、父さん?」

レイモンドと名乗った男の動きがピタリと止まった。
周りでリーダーであるレイモンドの対話を静観していた男達も、そしてサニィまでもが。

「ぼ、坊や……お前、あのオルテガの息子だったのかい?」

「あれ、言ってなかったけ」

あまり自分から言う事でもないため、アムル本人も言ったかどうかを忘れていた。
あのシンが拘るわけがこれで解ったわけだが、サニィは少しばかり今までの行動を後悔していた。
このまま抱いていて良いのか迷ったサニィの耳に、豪快な笑い声が飛び込んできた。

「なんて幸運な日だ。決起の光明が見えたばかりか、オルテガの息子がやってくるとは。これで奴らをサマンオサから追い払う事が出来る。コレまでの屈辱を、倍にして返してやれる」

大声で笑い始めたのはレイモンドであり、周りにいた男達もサニィからアムルを奪うと皆で好き勝手に頭を撫でたり強く背中を叩いたりと大騒ぎし始めた。
事情がわからないサニィはもとより、もみくちゃにされたアムルはたまったものではない。
半べそになりながら説明を求めても、皆の笑い声にアムルの声がかき消されてしまう。

「さあ、お前ら。客人をアジトに案内するぞ。早速作戦会議だ」

話にまったく着いていけないサニィとアムルを無視して声をあげるレイモンド。
だがその足を止めるように、一人の男が慌てた様子で馬を飛ばしてかけてきた。

「レイモンド、今日に限って何も知らねえ奴らがもう一組着ちまった。さっきので魔族どもがピリピリしてやがって助ける隙もなかった、すまねえ」

「チッ、良い気分に水をさしてくれるな。掴まった奴らの特徴は?」

「それが変わったパーティでよ。ジパングの大女に、魔法使いらしき金髪の姉ちゃん。あとはオマケみたいな優男だ。どうするよ、レイモンド」

いつか何処かで聞いたことのあるような表現に、アムルの顔色が一瞬にして変わっていった。

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