自分へと振り向いたシンを見て、アムルは掴んだ剣の柄を強く握り締めた。 剣の重さが加わり、足が砂浜に埋もれていく。 そして剣を持っていては一歩も動けない事も同時にわかった。 今の自分の腕力に対して、剣が重過ぎるのだ。 一度持った剣を今さら手放すわけにも行かず、かと言ってこのままでは持ち上げる事すらままならない。 ならばシンに来てもらうしかないとアムルは、剣の重さをおくびにも出さずに言った。 「こ、こないの?」 言葉につまずいたのは、本心ではきて欲しくなかったからだ。 このまま何事もなかったように去って欲しい。 もう自分の事は放っておいて欲しい。 だがそんなアムルの願いは叶う事はなかった。 ほんの僅かにシンが身をかがめるようなしぐさを見せた次の瞬間、異物が腹にねじりこまれていた。 シンの拳、ガントレットに覆われたそれがアムルの腹に突き刺さり、体が吹き飛ぶより先に折れ曲がる。 「うゲァッ!!」 シンの拳がある場所から、熱いものが喉を通りこみ上げる。 その後から体が思い出したように吹き飛び出した。 シンが拳を振りぬいた先へと吹き飛んだアムルの体は、失速して砂浜の上を滑っていった。 「坊や!」 「あ……ぃ…………」 激痛を叫ぶ腹部を中心にしてアムルは体を丸めた。 少しでも痛みを和らげるように本能で腹部の筋肉を縮めようとしたのだ。 赤子のような格好で砂浜に転がされ、痛みで頭は一杯にされる中、アムルは思った。 痛みで意識を失う事は出来なかった事は不運であったが、もう終わったんだと。 シンの望み通り戦おうとして、敗れた。 だからもういいんだと。 次の瞬間砂浜が爆発し、鯨が潮を吹いたように砂が空へと舞い上がっていた。 爆発地点はサニィや海賊達のすぐ目の前。 それを成したのは、シンであった。 「な、んで……」 もう終わったと思っていたアムルは、腹を押さえながら体を起こし問いかけた。 答えは、投げつけられた剣であった。 アムルの目の前に突き刺さり、シンが手にしろと声なき声で投げかけてくる。 シンは知っているはずだ。 もう自分が何の力もない事を、知らなくても解らないはずがない。 なのに何故そこまで戦いを求めるのかが解らない。 アムルは、ゆっくり立ち上がり目の前に突き立てられた剣を杖にして立ち上がる。 今度は剣を持ち上げようとする振りをする前に殴り飛ばされた。 頬をシンの拳が突き刺さり、ゴキっと何かが折れる音が脳内に響いた。 痛い、痛みしか見えなかった。 自分の体がどう吹き飛び、砂浜を荒らしていくのかも理解できず、ただ痛みだけが見えていた。 もうシンが戦いを望む理由もなにも関係なく、自分をさいなむ痛みだけが怖かった。 自然と涙があふれ、砂にまみれた頬を洗い流していく。 「立て」 何時までも立とうとしないアムルを前にして、シンがアリアハンに現れた頃から保っていた沈黙を破った。 たった二文字ではあるが、確かに声を発した。 だがそこにある違和感を感じ取れるほどに、アムルは余裕がなかった。 「世界はお前が思っているほど優しくはない。例えば、お前は戦う素振りさえ見せれば私が大人しく退くとでも思っていたな。大きな勘違いだ」 言い終わると同時に、またしてもサニィたちの目の前で爆発が起きた。 たいした詠唱もなしに発動したのはイオラである。 サニィだけは強い眼差しで魔法を放ったシンを見ていたが、その部下である海賊達は大わらわであった。 「私には奴らを生かしておく理由がない。さて、お前はどうする? お前には何ができる?」 「なにも、できない。なにもできないよ!」 お前に何がわかるんだと叫んだ時には、転がされていたアムルの腹にシンの足が大振りでめり込んでいた。 「なにもしようとしないだけだろう。お前は怖いのだろう?」 「ぅ……そう、だよ。俺が戦えば、兄ちゃんが死んじゃう。もう嫌なんだよ。誰にも死んで欲しくないんだ」 「違うな、お前は誰にも死んで欲しくないわけではない。お前は誰かが死ぬ事で、自分が苦しむ事が嫌なだけだ。誰かが死ぬ事そのものは気にもしていない」 「違う、違う違う!」 違うと叫びながら、アムルはシンの言葉が突き刺さってくるのがわかった。 全てがそうだというわけではない。 だが全てがそうではなかったとも言い切れない。 ルビスに力を捨てる事を迫られる前に、セイを生き返らてやろうと言われる前に自分が何と言ったか。 何も知らずにフレイと一緒に毎日を過ごしていけばよかったと言った。 フレイさえ一緒であれば、自分がよければそれでいいと断言したのだ。 「ならば何故戦おうとしない。お前が戦おうとしなければ、なにも知らないそこの海賊達が死ぬ。私を止めるには、倒すしかないぞ?」 「だから俺が力を望めば兄ちゃんが死んじゃうんだ。俺にどうしろって言うッ!」 認めるわけにはいかなかった。 小さく残っていたプライドを叫びきる前に、アムルの目の前が弾けた。 体が宙を舞い、砂浜へと落ちる。 「甘えるのもいい加減にしろ、アムル。誰かが死ぬ事を言い訳にするな。言っただろう、世界はお前が思うほど優しくはないと。だがお前一人が戦う事で変えられるものがある、救えるものがある。痛みを、苦しみを恐れるな。立ち上がることをやめるな。お前は勇気あるもの、勇者だろう!」 「どうしろって言うんだよ。兄ちゃんを見殺しにしろって言うのかよ。できないよ、できないよ。そんなこと……もう、わかんないよ」 自分が何を考えているのか、何が正しいのか。 体の痛みを忘れ去るほどに考えてもわからなかった。 「シンって言ったね。これ以上はやめてあげな。これ以上追い詰めたら、坊やが本当に使い物にならなくなる。これはアンタのものだ、今日はもう退いてくれないか」 取り出したレッドオーブをシンへと投げつけながら、サニィはシンの目的が何であるのかようやく解った。 オーブなど二の次で、本当はアムルと戦う事が、理由はわからないが戦う意志を取り戻させるのが目的であった。 一見ただの子供にしか見えないアムルであるが、シンの拘りようから何かあるのだろう。 思ったとおり投げつけられたレッドオーブを手に取ったシンは、自分の剣を鞘に納めた。 予想外だったのは、倒れているアムルの前の前にレッドオーブを投げ捨てたことだ。 「私との約束を守るつもりなら。それを手に取り、サマンオサへと向かえ。この世界で最も混沌とした国だ。その国で世界の厳しさを知り、答えを見つけろ」 「やくそく?」 「それさえも忘れてしまったのか。オルテガを越える程に強くなり、私と戦う。私はあの日より、一日とて忘れた事はないがな」 何の事だと、アムルがその約束ととある人物を結びつける前に、シンはルーラで飛んでいってしまった。 アムルもその約束を忘れていたわけではない。 その後でチェリッシュとした約束もそうだ。 ただセイとの命を天秤にかけて、どちらをとったかだけなのだ。 そしてその約束をした相手は一人しか居ない。 「ザイオン? シンがザイオンだった。生きてた、生きてたんだ」 まだ力を望むわけには行かないが、それだけは嬉しくアムルは涙を零していた。 シンのおかげで散々引っ掻き回された海賊一家であるが、シンが去ってからは普段通りになっていた。 日が暮れる一歩手前から酒樽を持ち出して飲めや歌えやの大騒ぎ。 つい数時間前には皆殺しの憂き目にあいかけたことなど、遥か彼方である。 海賊達のアジトから漏れる明かりと騒ぎ声を背に、アムルは一人夜の砂浜に腰を下ろしていた。 あぐらをかいた場所に置いた手のひらの上には暗がりでもほんのり光るレッドオーブが収められていた。 「どうしたら、いいのかな?」 「ピー……」 独り言のような問いかけには、困ったようなキーラの声が返された。 的確な答えを期待していたわけではないが、アムルはあぐらの状態から立てた膝を両手で抱え込み膝の上に顎を乗せた。 丸まるように縮こまるようにしながら、怪我によって熱を持った体を抱きしめる。 「痛いのは嫌だ」 「ピッ!」 今度はキーラから同意を貰え、もう一度小さな声でアムルは同じ事を呟いた。 シンに殴られた頬、蹴り上げられた腹、治療を終えた今でも熱を放ちぼんやりとした痛みをもたらしてくる。 フレイに撫でてもらいたい、大丈夫かと声をかけてもらいたい。 もうアリアハンに帰ってきてるかもしれない、そもそもここが何処なのかまだサニィに聞いていない。 アリアハンからは近いのだろうか。 帰りたい、そう願いながらもシンのことが頭から離れずちらついていた。 「シンの正体がザイオンだった。ううん、違う。シンは二人いる。最初にテドンで会った時のシンと、シンに成りすましたザイオン。どうなってるんだろう。なんでザイオンがバラモスと戦ったの?」 そこまで考えて、アムルは急に首を横に振り出した。 「関係ない、もう関係ない。約束をするだけしていなくなったのはザイオンの方じゃないか。もう、無効だよ。それに、戦えないんだ。兄ちゃんを犠牲にしてまで戦えない。兄ちゃんも言ってたもん、誰かを犠牲にしてしか誰かを救えないなんて勇者じゃないって。今のままでも誰も救えないけど……俺、勇者じゃないから」 膝に顔を埋めた途端、ポロポロと涙がこぼれ出した。 ザイオンの言った通りである。 今のままでは誰も救えない所か、見殺しにして生きていくしかない。 全てに耳を塞ぎ目を閉じて。 何も出来ない自分が悔しい、けれど力を手にする事は望めず、矛盾が胸を鷲掴む。 「なに泣いてんだい、坊や。こんな夜更けに坊やみたいな可愛い子が外にいると、食べられちゃうぞ。それとも食べて欲しいのかなぁ?」 「んッ、お酒くさい。俺のことは放っておいて、一人で考えさせて」 後ろからしなだれかかってくるサニィを遠ざけようにも、逆に抱き寄せられてしまう。 お酒くさいのは少し嫌だったが、本当の所は誰かに抱きしめられるのがありがたかった。 首に回された腕に手を添えた途端、一瞬だけ持ち上げられサニィがかたいたあぐらの上に座らされる。 ほとんど抱っこされたようなものである。 「少しだけ、真面目な話をしようか」 「だったらなんで抱っこなの?」 「それは俺の趣味。話の展開しだいでは、しばらく坊やは俺のものだからな。所有権の主張って奴さ」 フレイのものなのにと思いはしたが、アムルは黙っておく事にした。 そんな事を主張すれば、とんでもない事になりそうなことがなんとなくわかったからだ。 「行くつもりかい、サマンオサに」 「わからない」 結局の所、どこまで考えても行くかどうかの答えさえ出せなかった。 「俺は行くべきだと思う。あのシンって男は並みの男じゃない。やってることは無茶苦茶だが、それも坊やを認めてるからさ。あんな男に見込まれるってのは行った方が坊やの為になると思う。もちろん坊やにだって拒む理由ぐらいはあるだろうから、結局は坊やの気持ちしだいだけどな」 「一つ聞いて良いかな?」 「ああ、一つだろうが二つだろうが好きなだけ答えてやるさ」 「右手と左手、片方ずつに救いたい人が居てどちらかしか救えない場合、サニィ姉ちゃんはどうする? どっちの手を離す?」 アムルの言い方のせいでいまいちであるが、よくある究極の選択と言うやつである。 本来ならば右手に父親、左手に母親など同等の存在を持ってこなければならない。 そのあたりの細かい事は一先ず置いておいて、サニィは少し間を置いてから答えた。 「俺だったら、どちらの手も離さず急いでどちらかを助けようとせずひたすら耐えるな。時間さえ稼げば状況が変わるかもしれない」 「むう、卑怯だよ。じゃあ状況が変わらなかったら?」 「さあな、その時になってみないと解らねえ。三人一緒にくたばるって選択肢もなくはないな。両手に本当に大切な奴がいたのなら」 「もういいよ」 真面目にこたえる気がないのかと思ったアムルは、ふてくされたような声をだしえそっぽを向いてしまう。 そんなアムルを無理に振り向かせる事はなく、サニィはより力を込めて抱きしめながら言った。 「坊や、急いで掴もうとした答えにろくなもんはないぞ。坊やの両手にどんな大切なものがつかまれてるのか、俺にはわからない。ただ急いで選ばなきゃ死んじまうような状況でもないだろう?」 確かに言われて見れば、その通りでありアムルはこくんと頷いた。 「だったらまだしばらくの間は掴んだまま耐えてみな。苦しくても、手が痺れても我慢しな。いつか状況が変わる時が来る。それでも変わらなけりゃ、その時に決断すればいい」 思ったよりも、もっともな話であった。 今の自分の手には、まだセイの命しか握られていない。 今日はたまたまシンのおかげでサニィたちの命が無理やり握らされたが、今は空いているのだ。 なにも急いで決断して、手放す必要がなかったはずのセイの命を手放すなんて事は避けられる。 ただしサマンオサへと向かうかどうかの決断はまた別である。 行けば確実に状況が変わる。 シンが行けと言ったのならば、変わらざるをえらない何かが待っているはずである。 「この世界で最も混沌とした国ってどういうことだろう」 「サマンオサってのは船や陸路では行けない陸の孤島で、行くにはとある旅の扉を使うしかない。だけど何時の頃からか、その旅の扉をくぐって戻って来た者はいなくなっちまった。奴の言った混沌って奴が関係あるのか。今じゃもう、何の情報もない国さ」 「何か起こってるんだ。バラモスの仕業か、それ以外か」 行くべきなのだろうか、そうアムルは考えが変わり始めていた。 先ほどの話でもそうだが、セイが死んだ時それしかないと思い込んでよく考えもせずにルビスとの契約に応じた。 急いで掴んだ答えは、正しかったのかどうかわからない。 もちろんセイが生き返ったことだけは正しいと思う。 わからないのは、自分が力を捨てた事に対してだ。 もう一度だけ考え直してみるぐらい、ルビスだって多めに見てくれるだろう。 「俺、行ってみようと思う。急いで掴んだ答えじゃなくて、きちんと周りを見て色々考えてから答えを掴んでみようと思う」 「なら決まりだな。この俺がしばらく坊やの足に、坊やのボディーガードになってやるさ。その代わり、坊やはしばらく俺のもんだからな」 振り返ってアムルが告げた瞬間、サニィは言うだけ言ってアムルの唇を奪っていた。 目を丸くして驚いているアムルを無視して、口をこじ開け舌を滑り込ませる。 行為よりも口内の酒臭さに涙目になっているアムルを薄めで見てから、再び楽しそうに舌を躍らせる。 十分にアムルの口内を堪能してから手放したサニィは、今にもご馳走様と言いそうに腕で口元を拭っていた。 「なにするんだよ。うぇ、口の中が苦い……」 「前払いさ、前払い。言ったろ、しばらく坊やは俺のもんだって。だから最低一日一回、気が向いた時にはそれ以上に報酬を貰うからね」 「だったらお酒だけはやめてよ。喉痛い、気持ち悪い」 決して嫌だとは言わずに、アムルはそのことだけを懇願してほぼ了承していた。
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