ランシールは、神殿を主体とした一種の自治都市であった。 どの国にも属さず、ただただ精霊ルビス教の発祥の地として巡礼者を受け入れ送り出すための街である。 交通に不便な島と言う事もあってどの国も手を出さないと言う理由もあるが、魔物が活発になっても定期船は途切れず巡礼者の数は多い。 何隻もの船が停船している港へと降り立ったフレイやレンは、思い描きもしなかった街の発展ぶりにしばし驚いていた。 ルビス教の発祥の地と聞いて、勝手に静寂の保たれた街を思い描いていたからだ。 「二人とも、口開いてるぞ」 言われてハッと口を押さえた二人に、セイはさらに言った。 「大抵の人は想像と違う雰囲気に最初そうなるけれど、そもそも街が正常に機能しなきゃ誰も巡礼をしようなんて思わないさ」 その説明が意味する所は、特別な神殿があるのがランシールなのではなく、普通の街に特別な神殿があるのがランシールと言う事である。 港では水夫たちが船から荷を降ろし、商人らしき恰幅の良い男と大声で交渉している人もいる。 セイの案内で街に入れば、より解る事となった。 港からすぐ繁華街に入り店頭では呼び子が客を招きいれ、大通りの中では時折子供達が元気よく駆けて行く。 そして大通りを抜けた向こうにどっしりと構えているのは、ダーマと並ぶ二大神殿の一つランシールの神殿。 「あそこから、地球のへそにいけるのね?」 「そう、精霊ルビスが生まれたとされる場所。実際どこまで本当かわからないけど、オーブや悟りの書が実在する以上、あそこにも何かあると思って間違いないだろう」 「ルビスが生まれた地か。他宗教の私でさえ、そう言う話には少し惹かれるものがあるな」 思いつめた表情をして歩き出したフレイを気遣いながら、レンとセイも神殿へと向かう。 神殿の受付にたどり着くと、すでにダーマからの知らせが届いているらしく一般巡礼者の列からはずれ、貴賓室に招かれる事になった。 神殿と言う場所に似つかわしくない無駄に豪華な調度品のある部屋に、招かれた事に三人とも首をかしげていた。 なにか自分達の期待した対応と計り知れない差があるような気がしてならなかったのだ。 だがしばらく待った後に入室してきた大神官らしき男の言葉に、ある意味では納得させられる事となった。 「お待たせして申し訳ありません。あなた方の……貴方が精霊ルビスとの交信に成功した女性ですか?」 「あの馬鹿親父」 にこやかに尋ねられ困惑したフレイを前に、額に手を当てて俯いたセイが恨めしげに呟いていた。 「交信と言われてもわかりません。ただ地球のへそに降りる許可さえもらえれば、それで結構です」 肯定でも否定でもない言葉に、尋ねた大神官がふむと息をついて考え込み始めた。 と言っても、一分にも満たない時間であり、居住まいを正しなおした大神官が頭を下げてきた。 「申し訳ありません、少し試させていただきました」 「どういうことだ? 何を試す必要があるのだ?」 「嘆かわしい事ですが、利権からルビスとの交信に成功したと祭り上げられた人物かどうか判断する為にです。同じルビスに仕えながら、ダーマとランシールの仲はよろしくありませんから」 「馬鹿親父の考えそうな事だ。フレイちゃんはあくまでダーマの人間であることを強調しつつ、ランシールに切り札として示したかったんだろ」 「ああ、そう言えばダーマってランシールの分家みたいなものだっけ?」 フレイの言う通り、あくまで精霊ルビス教はランシールが発祥の地であり、ダーマはその分家にすぎない。 本家と分家で色々とあるのだろうが、フレイはあまり興味がなかった。 知りたいのは自分とルビスの関係と、ルビスにとってアムルが何なのかである。 「その辺りの小難しい話は置いておいて、今日のご用件は地球のへそへと降りるだけでよろしいのですか?」 「ええ、できるだけ早くお願いします」 「では今から参りましょうか」 お願いしますとフレイが頭を下げて、即座に了解が得られてしまった。 事前に話がいっていたのにしても、返答が早いと言うか、軽すぎる。 一旦顔を上げたフレイは大神官を見上げ、それからレンとセイに視線をよこして、また振り返りなおす。 「詳しくは申せませんが、不可侵の領域と言うわけではないのです。手続きさえ行えば、一般の方でも足を踏み入れられる場所ですので」 騙しているわけではないのだろうが、どうにも腑に落ちない言い草に首をかしげながらフレイたちは大神官につれられていった。 フレイたちが案内されたのは神殿の最奥、そこからさらに奥へと続く一本道であった。 人一人がやっとと通れそうなぐらいの狭さで、窓一つないその廊下は日の光が入り込む余地さえない。 そのせいなのか昼間だと言うのに松明の明かりが灯されていた。 ゆらゆらと揺らめく炎が生み出す影が、なんともいえない不気味さを生み出していた。 「この奥へと抜けると一度外へと出ることになります。そこから真っ直ぐ行けば地球のへその入り口が見えてきます」 「一度外へと出るのか?」 それなら何故こんな所に専用の通路を作ったのか、レンならずとも浮かぶ疑問であった。 「それはこの先へと進めばわかることです。ただし、一度に入ることが出来るのは一人のみ。つまり貴方一人で行ってもらいます」 「私一人で……」 「そう言う決まりですので。お一人が不安と言うのであれば、無理にとは言いませんが」 挑戦的な大神官の言葉に挑発されるまでもなく、フレイに引く気などなかった。 自分とルビスの関係を知る為に、わざわざアムルを一人にしてまでやってきたのだ。 今さら自分だけ一人は嫌だからなどと思うはずもない。 「レン、それにセイ。行ってくるわ。色々と確かめてくる」 「怖くなったらいつでもこの胸に戻っておいで。アムルの変わりに抱きしべッ!」 「馬鹿は放っておいて行って来い。それと、何かあったら解りやすい合図をしろ。すぐに駆けつける」 セイを殴ってから、レンは最後の方だけ声をちいさくしてフレイに伝えた。 その事に軽く礼を言ってからフレイは持っていたさざなみの杖を胸元に抱え込んで、一つ息を吸い込んだ。 胸が一杯になるまで吸い込んで、少しずつゆっくりと吐き出していく。 ただの深呼吸であるが、頭に浮かんだのは当然のようにアムルの顔であった。 ここから旅がはじまるのか、終わるのか。 「行くわよ、アタシ」 よしっと呟いてフレイは通路を奥へ奥へと歩き出した。 レンとセイ、大神官の視線を背中に浴びながら、松明を道しるべに歩いていく。 本当に一本道で通路が曲がる事はなかったが、百メートルも進めば後ろを振り返っても闇が濃くレンたちの姿は見えなくなっていた。 その事に胸がざわめきを憶えるが歩みを進めると、やがて先に日の光が見え外へと出た。 一面見渡す限りの草原が絶壁の山々に囲まれ、盆地を形成していた。 大神官が通路の意味は行けばわかると言った意味をフレイは理解した。 「絶壁に囲まれた場所だから、神殿の奥のトンネルからしかこれないんだ」 少々感心しながら辺りを見渡すと、洞窟らしき入り口が目の端に引っかかった。 盛り上がって小高くなった場所に大きく口を開けた洞窟がある。 中にも点々と松明の灯りが見えたため、フレイは慎重に足を踏み入れていった。 今のところガルナの塔の時のように何かに喋りかけられる事も、特別な気配を感じたりする事もない。 「本当にこんな所で精霊ルビスが生まれたのかしら」 一応は神殿の人たちが管理しているだけあって、人為的に清められていたりする感じはある。 だが本当に人為的に人の頭で考えられる範囲であり、あたりを見渡しながら歩くうちにフレイは一つのホールへと着いてしまった。 何百人と入れそうで上を見上げても暗がりで高さが全く解らないほどである。 そのホールの中央には祭壇が設けられており、綺麗に整備されてお供え物もされている。 「この祭壇でいいのかしら?」 何か手がかりの一つでもと思い祭壇へと続く階段に足をかけようとすると、いつか聞いたような声が響いた。 『そちらではありません』 その一言で伸ばしていた足を引っ込めると、後ろへと飛び杖を両手で持って構えた。 ガルナの塔でかつてフレイに語りかけてきた悟りの書に似ていた気がしたのだ。 乾き始めた喉をごくりと鳴らしながら、警戒心を丸出しで待っていると声は続いた。 『それはあくまで人が、想像の産物として生み出した祭壇。本当にルビス様が生まれた場所は別にあります』 「何処? それは何処にあるの?!」 『すぐそば、貴方様の足元にございます。命令してくだされば、いつでもご案内いたします。ルビス様』 足元と言われ正直に足元を見たフレイであったが、その後の言葉に我が耳を疑った。 「ルビス様って……どういう事? ガルナの塔にあった悟りの書も似たような事言ってたわ。私はルビスと私の関係が知りたいの。ルビスは私に何をさせたいの? ルビスはアムに何を求めているの? 知っていたら教えて!」 だだっ広いホールの中に、フレイの渾身の叫びがこだましていく。 声の反響が終わるとしばしの静寂が訪れたが、代わりにそれが姿を現した。 見上げなければいけないような高い場所に現れた一冊の本、フレイはそれを見た瞬間に体が強張っていくのを実感した。 自分を別人へと塗り替えようと力を行使し、沢山の命を奪う原因のなった悟りの書。 「他にも、この本が残ってたなんて……」 『すでにもう一冊の悟りの書と会われたようですね。悟りの書は元々二冊あるのです。ルビス様の迷いを示すように。自らの愛と与えられた使命に揺さぶられながら記された悟りの書が一冊ずつ。そして私は世界を支える大精霊の使命を思い記された悟りの書。貴方様に覚悟がある限り全てをお話しましょう』 「なんでも答えてくれるって言うの?」 緊張はそのままに、襲ってくる気配のない悟りの所を前にフレイは言葉を投げかけた。 『貴方様に覚悟のある限り、この世の全てをです』 フレイは少し頭が混乱し始めていた。 何よりも突如ルビス本人だと言われても実感など皆無で、これはあのランシールの大神官のイタズラかと思ってしまうほどである。 息を細くしたまま呼吸を繰り返し、ゴクリと喉を鳴らす。 なんでも答えるといわれると逆に何から聞いてよいものやら、どれから聞いてよいか解らなくなる。 何から聞くべきか、長い時間をかけてフレイはそれを導き出した。 「なんで私がルビスなの? 精霊ルビスは、神官の一人に謝罪を残して消えたんじゃないの?」 謝罪と言ってもすまないの一言であるが、たった一言で大勢の人が死んでいった。 まずはその言葉を聞いた神官が自殺し、ダーマのせいもあるが悟りの書にすがり大勢の女性が死んでいったのだ。 なのに今ここにいる自分がルビスだと言われても納得など出来るはずがない。 『消えたわけではありません。人に生まれ変わる為に精霊である立場を、世界の管理者としての責務をお捨てになられたのです。そうして生まれ変わったのが、今そこにいる貴方様なのです』 「でも私は、普通に生まれた。父さんの、オルテガっていう勇者の娘としてだけど。普通の女の子として生まれたわ」 『普通こそがルビス様が望まれた結果なのです。それにお気づきでないのですか? 貴方の家系に金色の髪を持った人はいません』 「ふふっ、化けの皮が外れたわね。この金髪はね、お婆ちゃん譲りなのよ。お爺ちゃんもお母さんもよく言ってるもの」 『それは貴方を思い貴方様の祖父や両親がついた嘘です。それこそ嘘だと思うならば、祖母の姿絵をごらんになってください。一枚だけ、祖父が持っているはずです』 ぐらりと足元が揺らぐ思いであった。 信じたくない気持ちが沸く反面、悟りの書の言葉に嘘がないことがなんとなくわかってしまうのだ。 生まれ出るはずのない金髪の赤子を授かり、父と母の間に確執は生まれなかったのだろうか。 悟りの書を作り多くの罪のない人間を死においやり、ルビスの呪いをアムルにかけることで苦しませたり。 もしかすると父がアムルを殺すと苦渋の決断を下した事も関係あるのではないかとさえ思えてくる。 本当に自分が精霊ルビスの生まれ変わりであるのなら、なんと自分勝手な精霊なんだろうと自分自身に殴りかかりたい気分である。 「本当に私がルビスなの? 他に、髪の毛の色なんて俗っぽい理由以外になにかあるの? それを示せる?!」 混乱しすぎてフレイは無意味に高圧的になってしまっていた。 逆に頭に血を上らせて理解しないように努めていただけかもしれない。 『貴方様は、光の勇者に愛されている』 だがその一言で冷水をあびせられた様に頭が冷えていった。 『そもそも貴方様が人に生まれ変わる事を望まれたのは、光の勇者に愛されるがため。世界の管理者たる役目も、二大精霊の誇りもなげうち人に生まれ落ちた』 「じゃあ、私のこの気持ちは精霊ルビスのものだって言うの?! 散々悩んだのよ、姉弟なんだもん。なのになんで姉妹なの?! それでも構わないって思いながら、心のどこかではやっぱり普通に出会いたかったって思ってる!」 一気にまくし立て胸のうちを吐露すると、フレイは肩で息をしながら俯いていた。 頭に血が上って冷やされて、また上る。 急激に脳を使わされながら感じるのは、知ることへの恐怖であった。 あれもこれもと知りたがっていると、つい知らなくてもよい事まで知ってしまいそうで怖い。 現にルビスの生まれ変わりと知っても、アムルを愛する為にとは知りたくはなかった。 この洞窟に入る前から何度行ったか、今一度深呼吸で心と脳を落ち着かせフレイは言った。 「もういいわ。私はこれ以上自分について何も知ろうとは思わない。ただし、アムの呪いを解く方法を教えて。ルビスの呪いを、あの子をルビスの呪縛から解く方法を教えて。言ったわね、全てを答えてくれるって」 『貴方様が望むのであれば。ただし、私は貴方様に聞くだけの覚悟がない場合は何もお教えできません。貴方様に世界を滅ぼす覚悟はありますか?』 「世界を……なによ、それ。アムとどう繋がるのよ」 『もしも光の勇者の封印を解いた場合、世界が終末を迎える可能性が生まれます。それでもかまいませんか?』 「父さんはそれを防ごうとした?」 何故か唐突のフレイはオルテガの事が頭に浮かんでいた。 息子であるアムルを殺すように親友に託した父、もしかしたら何かを知ってしまったのかもしれない。 そして苦渋の決断として、勇者としてアムルよりも世界をとったのではないか。 「それってどういうことなの? 光の勇者って一体何なの?!」 『光の勇者とは光を統べる者。闇を統べる勇者と戦う運命にあり、世界を救うと同時に滅ぼす役目をおった者。私に伝えられるのはそれまでです。よくお考えください。そして知るべき覚悟をしてください』 何の覚悟をすればよいのかフレイにはわからなかった。 それを読み取ったかのように、悟りの書が伝える。 『世界よりも光の勇者をとる覚悟、または光の勇者よりも世界をとる覚悟。貴方様がすべき覚悟はこの二つのうちに一つ、よろしいですか?』 フレイは答えるべき言葉を持っていなかった。 自分が何者か知る覚悟と、アムルの封印をとく覚悟までは確かにあった。 だが何者か知り、アムルの封印を解いた後までの覚悟は何もありはしなかった。 想像の域を超えていたこともあるが、一つ確かな事はフレイの考えが甘かったと言う事である。 『では私をお持ちください。そして貴方様の決断如何によっては必要にも不要にもなりましょうが、このブルーオーブも』 目の前に下りてきた二つのルビスの遺産を前に、フレイは覚悟一つないままに手を伸ばした。 『二つの覚悟、そのどちらかを選んだ暁にはこの私をお開きになってください。その時こそ、全てをお話いたしましょう』 たかが一冊の本と宝玉、それだけであるのにフレイには何よりも重いもののように思えた。
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