第二十話 新たなる旅立ち


雷鳴こそないものの雲は黒く厚く膨れ上がり、家の戸を窓を強く叩くように雨が降り注いでいた。
しばらく止むことはないだろうと窓の外を眺めながら、フレイは小さな子供のように膝上で向かい合い抱きついてくるアムルの頭を撫でた。
強く抱きしめずともアムルの体が震え、ガチガチと恐怖から歯を鳴らし続ける音は聞こえていた。
人は死に弱い。
自分だけでなく近しい者、優しい者であれば見ず知らずの人の死にさえ涙を流す。
特に優しくもあり死というものにトラウマを持つアムルは、涙を流す事も忘れ怯えていた。

「大丈夫よ、アムル。お姉ちゃんはここにいるから」

フレイはアムルを抱き寄せる力をさらに強めながら、つい昨日の戦いを思い出した。
人智を超えた戦いはああいったものを言うのだろう。
国に仕える宮廷魔術師の中でも、使える者がいるのかわからない閃光系の最強呪文を半端な詠唱で放ったバラモス。
閃光系最強のべギラゴンをいとも容易く剣で斬り裂いたシン。
だがそれでもまだ二人の実力は少しも発揮されてはいなかった。
バラモスとシン、剣と剣がぶつかり合った途端、二人を中心にして空気が弾かれ轟音が轟いた
たかが剣の一振りが空気を、空を揺るがし、大地を斬り裂いた。
相応の実力を持った両者はまだよかったが、それに巻き込まれた魔族の軍隊はたまったものではなかった。
怯え逃げ出そうにもすぐそこで戦っているのは敬愛すべき総大将なのだ。
かと言ってそのまま留まればどうなるかわかったものではない。
助太刀などもってのほか。
魔王バラモスと闇の勇者シンの戦いは何人たりとも踏み入る事のできない領域だったのだ。
命を賭けて大勢の魔族たちが見守る中、変化は訪れた。
始めは気のせいかと思う程度、だが確実にバラモスがシンに押され始めたのだ。
腕、足、肩とかすり傷を受け始めたのを見るや、このままでは危険だと判断したチェリッシュが叫んだ。
魔王バラモス様をお助けしろと。
それがどんな無茶な命令かはチェリッシュだけではなく魔族全体共通の意見であったが、誰一人そむく者はいなかった。
果ては命こそバラモスの盾にと突撃し、散っていく。
だがシンの前では所詮、紙の盾であった。
魔法で消し飛ばし、剣でなぎ倒し膝を付きチェリッシュに助け起こされようとするバラモスへと剣を振るう。
その時チェリッシュが自らも盾の一つにならんとしたが、バラモスが庇い押しのけた。
胸に大きな傷を受けたバラモスは全軍に撤退を命じ、去っていった。

「確かに私達は助かった」

アムルに聞こえないように口の中だけでフレイは呟き、胸に手を置いた。
助けられた代償に失ったヒミコから貰ったパープルオーブである。
初対面の行動から、バラモスの次は自分かと思ったが、シンは振り向いて無言で自分の胸元を数回人差し指で挿していた。
何故喋らないのか疑問に思うよりも先に、フレイはそれが胸に下げているパープルオーブを指したジェスチャーだと感じた。
大切なものだが命には代えられないと渡した後、シンは最後にアムルを十字架の戒めから解き放ち去っていった。

「フレイ、もっと抱きしめて。フレイ」

震えた声に応えて下を見ると、アムルに唇を奪われていた。
魔王バラモスも、闇の勇者シンもアリアハンから去っていった。
だが消えたわけではないのだ。
やがて落ち着いたアムルから唇を離すと、階段の上から母親であるライラが降りてくる。

「お母さん、お爺ちゃんは?」

「今はだいぶん熱も収まって、静かに寝てるわ」

ダイダは騎士団の先陣をきっていたことから、爆心地の一番外にいたのだ。
おかげで命こそ助かったものの、利き腕である右腕は紙一重の差で光の中で蒸発してしまった。
もう二度と剣を握る事が出来なくなったダイダの話を聞いて、アムルの震えが再燃する。
アムルがこんな状態で大丈夫なのか、フレイは不安を胸に抱きながらも、考えていた事をこの場で言った。

「お母さん、アムル。私考えてた事があるの」

「話してごらんなさい。アムル、こっちにいらっしゃい。一緒にフレイのお話を聞いてあげましょう」

ライラに言われ一瞬躊躇したものの、フレイにも頷かれアムルは抱きつく相手を変えた。

「お爺ちゃんは運が良かったけれど、今回の事で大勢の人が死んだわ。確実に、私とアムはコレまでの生活は出来ないと思うの。私やアムが望んでも、周りが許さない。父さんの息子と娘だから。国が蹂躙されかけた状況で何もせずにいる事を許されない。だから、私行こうと思うの」

やはりそうかと何処か納得したライラと違い、アムルは怯えるのを一旦止め叫ぶように言った。

「なんで?! 父さんがなんとかしてくれるよ。俺は勇者なんかじゃないし、フレイだってそうじゃないか。誰かなんか言ってきたって関係ない」

「アム、貴方は待っていてくれればいいの。レンとセイには、今王様に説明に行ってもらってる。旅に出るのは私とレンとセイ。貴方はアリアハンで私の帰りを待っていてくれない?」

「嫌だよ、さっきここにいるって言ったじゃん。外の世界になんか行きたくない、フレイにはずっとそばにいて欲しい。そばにてよ、何処にも行かないでよ!」

ライラの手を振り払い、アムルがフレイの胸へと飛び込むように抱きついた。
フレイ自身、ここまでアムルに求められ嬉しくないはずがなかった。
だが周りが許さないとは言い訳に過ぎず、フレイ自身が旅立ちたがっているのだ。
自分の為に、そして力を捨ててしまったアムルの為にも。
自分を知る為に旅立ちたい、それがフレイが見つけた自分だけの理由なのだ。

「お願い、アム。少しの間だけだから、お姉ちゃんは直ぐに帰ってくる。だから」

「嫌だ、嫌だ。ここにいるの。フレイは何処にも行かないよ!」

それでも縋りつくアムルに理解してもらえる事は、最後までなかった。





夜明け前から降り続ける雨の勢いが弱まり出したのは、昼を過ぎ去り太陽は見えないが夕方にさしかかろうと言う頃であった。
フレイにしがみ付いてしきりに泣きついていたアムルも泣きつかれ、昼からずっと眠っていた。
ベッドで眠るアムルの瞳には、乾いた涙の跡が残されている。
それを指先でなぞったフレイの姿は、身かわしの服やマジカルスカートと言った旅の衣装を着ていた。

「ごめんね、アム。すぐに戻ってくるから」

アムルが寝ている隙にでも旅立たなければ、アムルはもとより、自分も踏ん切りがつききらなかったのだ。
今でもこうしてアムルの寝顔を見ていると、ここに留まった方がと心が甘く囁きかけてくる。
歯を食いしばり、誘惑を振り払う。
だが最後の最後にアムルの頬にキスをしたのは、振り払いきれなかった思いだった。
本当にそれを最後にしてフレイは部屋を出て行くと、階段を降り、待っていてくれた二人に視線を投げかける。

「別れはすんだのか?」

「一応ね、アムは寝てるけど。二人こそ、よかったの? 私に付き合ってくれて」

「強くなるにはより強い者との戦いが欠かせないからな。魔王バラモス、闇の勇者シン。望むところだ」

半分はレンの本音であろうが、それだけではない事ぐらいは解っていた。
もうすでに付き合いだして長いのだ、レンがいつもあえてこういう言い回しをする事はわかりきっている。

「俺は正直、フレイちゃんを行かせたくはない。アムルが泣くと解っていて、行かせたくはない。だがアムルが引き止めても駄目だったんだ。だったらアムルの代わりにフレイちゃんを守るのが俺のやり方だよ」

「アムの代わりにしては可愛くないけれど、頼りにしてるわ。もちろん私だって守られてばかりじゃないけどね」

セイに応えて笑うと、フレイは控えていたライラに振り返る。

「お母さん、お爺ちゃんがあんなになって大変な時に、ごめんね。わがままを言って」

「看病は得意なんだから、心配しないで行ってらっしゃい。アムルの事もなんとかなだめてみるわ」

「直ぐに戻ってこれるかどうかも解らないけれど、できるだけそうするから」

「ええ、解ったわ。ただ最後に一つだけ、行き先だけは母さんにだけでも教えていってくれないかしら。アムルに喋るつもりはないけれど、あの子がどうしてもと言い出した時には教えてあげたいの」

できればアムルが馬鹿な事を考えないように行き先はライラにさえ黙っていたかった。
だが本当に知らないものをアムルに問い詰められるライラの心情を思うと、教えないわけにもいかない。
フレイは出来るだけ教えるのは先延ばしにする事を約束してもらい、目指す目的地を口にした。

「ランシールに行ってみようと思うの。ダーマに並ぶルビス教の神殿がある所。セイの話だと、ランシールは精霊ルビス教の発祥の地らしいの」

「そこにはルビスが生まれたとされる深い洞窟、地球のへそと呼ばれる場所があるんだ。あまり人が入り込んだ話は聞かないが、ランシールの神殿はその洞窟へ人を寄り付かせないような位置に建っている。なんとか頭を下げて入れてもらえるよう頼んでみるさ」

セイのフォローを聞きながら、ライラは何故ランシールなのかと次なる疑問が浮かんでいた。
精霊ルビス教の発祥の地だとは、まがりなりにも僧侶だった身から知識として知っていた。
だが魔王と闇の勇者の脅威を見たフレイが何故底を目指すのかまではわからなかった。
娘が一体何を知ろうと、大好きな弟を置き去りにしてまでも目指すのか、悩みを共有してやれない歯がゆさをライラは感じていた。

「フレイ、貴方は……」

「ごめん、お母さん。まだ詳しい事は何も、私自身解ってないの。だからこれ以上は聞かないで欲しいの」

自分でも言葉にしきれない思いを口に出来ないまま断った瞬間、フレイは抱きしめられていた。

「もう何も言わないわ。ただコレだけは忘れないで、貴方は私とあの人、オルテガの大切な娘よ。何時でも好きな時にこの家に帰ってらっしゃい」

「うん、わかってる。わかってるから」

フレイからも抱き返し、言葉なく数分が過ぎた頃にフレイが自分から離れていった。
目元に浮かんだ光を見られないように腕で拭い笑って見せた。

「それじゃあ、行ってきます」

「あっ、フレイ」

「え、なに?」

照れ隠しに敬礼を交えて言ったフレイへと、ライラはわずかに手を伸ばしていた。
ふと、今が伝えるべき時なのではと思ったからだ。
だが立ち止まり振り返ったフレイの顔を見て、すぐにその考えをしまいこんでしまう。
わざわざ旅立ちの足を止めてまで伝えるべき事ではないと思ったのだ。
フレイが家族の中で一人だけ金髪だった理由、フレイが本当に疑問を持った時にだけ伝えようと伸ばした手を引っ込め代わりに手を振った。

「なんでもないわ、行ってらっしゃい」

なんだったのかとフレイが首をかしげたのは一瞬、すぐにレンとセイを伴ってルーラで飛んでいった。





フレイが旅立ってから、一週間の間、アムルはずっと部屋に篭りきりであった。
一体部屋の中でどのように一日を過ごしているのか心配ではあったが、ライラはアムルの事だけを考えているような余裕はなかった。
いまだダイダは意識がはっきりとせず、痛みに呻いたり熱を出したりと気が抜けない状態であったのだ。
自然とアムルの事は頭の隅においやる日が続いてしまったがそうするべきではなかった。
多少時間をとられることにはなっても、部屋に踏み入るなり、せめて部屋の外へと出させるべきであった。

「ピー……」

「しーッ、キーラ適当にごまかしておいて」

部屋に篭りきりであると思っていたアムルは、二階の窓からロープをたらして抜け出していたのだ。
最初の三日は本当に篭りきりであったのだが、確かめたい事ができたのだ。
心配そうに声をあげるキーラに口止めをしてまでアムルが向かっていたのは、あろうことかアリアハンの外であった。
毎日毎日浜辺へと通い、フレイに会いたい一心であるものをこしらえていたのだ。
そして部屋の前にご飯を用意してくれるライラにばれぬよう、日が落ちる前には密かに家へと戻り二階の窓から家へと入り込む。

「アムル、ご飯できてるけれどどうする?」

間一髪、窓をよじ登ると同時に聞こえてきた声に、慌てず落ち着いて応える。

「食べるよ、でも」

「そう。なら何時ものように部屋の前においておくから、食べたら同じ所に出しておきなさい」

一日に三度のやりとりであるが、ライラの声がやけに疲弊しているようであった。
ドア越しで声が聞こえにくいと言うよりは、声がかすれて響きにくいのだ。
自分の心配だけでなく、いつ熱を出すかわからないダイダの看病をして寝る暇もないのだろう。
少しだけ何も言わずに準備を進めていた自分の行動に疑問を持つが、それ以上にフレイに会いたいとアムルは思った。
一緒にダイダの看病をして手伝った方がライラは元より、ここにいないフレイだって喜ぶはずだ。

「ごめんなさい。ごめんなさい」

ドアの向こうから聞こえる母の遠ざかっていく足音に何度も何度も謝る。

「ピー」

いつの間にか謝る声に涙が混じり出し、心配そうに肩に乗ったキーラが体をこすりつけてくる。
それに大丈夫だと応えながら、アムルは涙を拭いたが拭いきれる量ではなかった。
ポタポタと零れ落ちた涙は、両腕を、時にキーラの体へと、自分の足元へと落ちていく。

「会いたい。フレイに会いたい。どうして、行っちゃったの? 俺の事嫌いになっちゃったの?」

そんなはずはない。
自分はこんなにも、そばにいないだけで泣きたくなるほど大好きなのだ。
それともフレイは平気なのだろうか、自分との好きには隔たりがあるのだろうか。
確かめたい、聞きたい。
嫌われたわけじゃなく、目的があって出かけ、そして自分のもとに帰ってきてくれることを。

「キーラ、ご飯食べよう。それから、今夜出るよ」

「ピーッ?!」

「解ってる。母さんが心配する事ぐらい、ここにいるのが正解だって事ぐらい。それでも会いたいんだ。着いてきたくなかったら、キーラは残ってもいいんだよ?」

「ピピピッ」

その方が心配だとばかりにキーラは体を震わせていた。
キーラの意思を確認したアムルは、ライラが用意してくれたご飯を平らげてから、以前使っていた道具袋を引っ張り出した。
簡単にライラへと置手紙を書くと、道具袋をひっさげて窓から家を飛び出していく。
向かうのは昼間と同じアリアハンの砂浜。
そこでアムルを待っていたのは、この一週間で必死にくみ上げたイカダであった。
ボロボロの木を集め、無闇にロープで縛ったその姿から、とても外洋に出るどころか釣り船としても使えそうにない。
それでもアムルは砂浜からイカダを押し出し、飛び乗った。

「行くよ、キーラ」

「ピ〜…………」

気がすすまなさそうな相棒の声を聞いても、アムルはこしらえたオールでイカダを漕ぎ出した。
フレイが何処にいるかなんてわからないが、海に出さえすればどうにかなるかと思っていたのだ。
アムルの見通しの甘さは言うまでもなく、さらにその夜、海はおおいに荒れた。

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