僅かに体重を乗せるだけでもこちらの足を砂に埋め、鈍らせようとする砂浜の上でレンはアマノムラクモの剣を正眼に構えていた。 向かい合うのはアマノムラクモの剣を造り、かつ自分の剣の師でもあるジパング随一の刀鍛冶デイダラ。 息を細くし、耳にはすぐそばで波音を立てるさざなみだけが届く。 刹那、レンの姿が消え去った。 何の前触れもなく、その場所に最初からいなかったかのように消えた。 「さすがお転婆でもジパング王家の血をひいているだけはある。短期間でここまでものにするとはな」 口笛の一つでも吹きそうな軽い口調で言い放って直ぐにデイダラの姿も消えた。 二人の姿が消え、剣撃の音が一つ、また一つと響きあう。 砂浜の砂粒一つ乱れる事はない静止した風景の中で剣同士がぶつかりあう音だけが響く。 最初は一撃一撃の音が長い合間に訪れていたが、それが段々と間隔を短くしていった。 やがて一際大きな剣撃の音が響き、突如砂浜の上にデイダラが現れ尻餅をつくようにして倒れこんだ。 あたりの静寂を一人で乱すように荒い息をつきながら天を仰ぐ。 「まいった。まいったから、剣を納めろレン」 「まったく、練習相手にもならんとは師匠失格だな。これでは私の力の上限がいまいちわからんぞ」 「お前俺が目一杯力を出してるのに、まだそう言うことを言うのか」 デイダラが降参の宣言をすると、デイダラの数歩前に剣を首筋に突きつけた格好でレンが現れた。 こちらはデイダラとは違い息はそれほど乱れてはおらず、まだ物足りなさそうにしている。 「しかし、変ったなお前も。ジパングを出る前は、神降ろしの法をあれほど嫌っていたのにな。神だろうが人だろうが、他人の力を借りたくはないって粋がって」 「あれから何年経っていると思う。主義主張が変るには十分すぎる時間だ。と言っても、それが変ったのもつい最近の事だがな。もう自分の力のなさを悲観して、あんな気持ちにはなりたくはない。私は今よりも、もっと強くなりたい」 デイダラから見て、確かにレンは変った。 強くなりたいと言う言葉に代わりはないが、その言葉に秘められた決意が違う。 ジパングの剣士の間で伝わる神降ろしの法。 それはジパングが八百万の神を信仰する所に端を発し、字の如く万物に宿る神の力を少しずつ借りる方法である。 地面を蹴る時には地の神の力を、駆けるには風の神を、対象を斬る時には刀の神の力を、防御には鎧や衣服の神の力を。 一つ一つの力はそれ程大きくはないが、八百万が示すようにちりもつもればである。 そして剣士としての成長が頭打ちになりかけていたレンにとっては強くなるには最良の方法でもあった。 神の数は限りなく、その力もまた限りはない。 「とは言うものの、少々目的を失ってしまってはいる。もはや強くなる事そのものは目的にはならない。それに長いこと四人、時に五人で旅をしていて、それに慣れすぎた。もう一人で武者修行に旅立つには寂しすぎる」 「お前が寂しいね。変るもんだ、本当に」 アムルが勇者としての力を失った事は、レンの口からデイダラやヒミコにも伝えられていた。 レンが戻ってきて一ヶ月と少し、ジパングは何事もなく平和の一言であった。 ようやくオロチの爪あとの片付けも終わり、オロチ塚のあった場所には死んでいった兵士や巫女たちの墓標が立てられた。 レンも帰ってきた翌日には一度その墓標へと足を運んでいる。 今もまだ真新しい花があちこちに置かれているが、訪れる者は死者に別れを告げて新しい一歩を踏み出そうとしていた。 「社に、姉上の所に帰るか。補佐をさぼって修行ばかりしていると、後で色々と大変だからな」 「がんばれよ、女王巫女補佐兼護衛役。大変だな、オロチのせいで人手不足でよ」 「他人事のように言うな。貴様も女王巫女の相談役の一人だろう。毎日家に引きこもって剣ばかり打って、たまには社に顔を出せ!」 「嫌だね。誓いの双剣みたいに、強い剣を作るって決めたんだ。政は専門家にまかせる。だいたい俺が顔を出すと皆して嫌な顔するじゃねえか」 「それは貴様が年甲斐もなく女官の尻を触るわ、着替えを覗くわ。やりたい放題をするからだろう」 ぶつくさ文句を言いあいながら、修行場にしている浜辺を後にして社へと向かう。 異変に気付いたのは、村へと一歩足を踏み入れてからだ。 浜辺へと向かう時には村人達が外を出歩き、時にレンやデイダラへとうやうやしく挨拶を飛ばしてくれたものだ。 なのに村へ入り込み家々の間を歩いても人影一つ、ささやき声一つ聞こえなかった。 まるで村人全員がいなくなってしまったのではと思うほどである。 「妙だな……社の方で何か行事でもあるとは聞いていないが」 「はっ、どうやら力は強くなったが、微細な空気の変化にはまだ鈍感らしいな。レン、感覚を研ぎ澄ましてみろ。それに気付いて、同じ態度はとれないはずだ」 言うや否やデイダラが走り出し、レンは感覚を研ぎ澄ます作業よりも後を追うことを優先した。 詳細を感じるまでもなく異変は明らかであるし、デイダラが向かった先は社である。 今考えられるのはこのジパングに何者かが侵入し、狼藉を働こうとしている事だけであった。 すぐさまレンも地の神と風の神の力を借りてデイダラの後を追った。 村を通り過ぎ社へと続く真っ赤な鳥居をくぐり抜け社へと足をかける。 出かけるときと変らぬ光景ではあったが、村の中でのように兵士や巫女、女官の姿さえ見えない。 「姉上!」 はやる気持ちを口からほとばしり、女王巫女の間へとふすまを叩きつけるようにして開いて踏み込む。 「意外ですわね。女王巫女であるヒミコならまだしも、私の力の影響を受けない者がまだいたなんて」 「ヒメちゃん……デイダラ、来ちゃだめ」 そこには、女性であるレンでさえ目を奪われるような妖艶な美女がいた。 真冬の湖面が見せるような水色の髪を持ち、波打つ髪を思うがままに広げ、妖艶な外見とは裏腹に真っ白なドレスに身をつつんでいる。 レンは一目で魔族とわかるその女性に、どこかで見たことのある面影を重ねずにはいられなかった。 だがその人物に思いをはせるよりも今は、襟首を掴みあげられ片手で持ち上げられているヒミコの方が心配であった。 「村と社の人気の少なさはお前のせいか。こんな状況じゃなけりゃ一杯誘いたい姉ちゃんだが、まずはそいつを話してもらおうか」 「御免なさい。もう用はすんだから、お嬢ちゃんはダンディな叔父様の所に行きなさい」 デイダラが凄むと、街角でぶつかったときのように軽い謝罪の後にあっさりヒミコを開放した。 ヒミコがわたわたと逃げ出す様を見て後ろから呪文を放つこともしなかった。 それを恐れて身構えていたデイダラやレンは、拍子抜けせざるをえなかった。 「ヒメちゃん、デイダラ気をつけて。あの子、信じられないほどに精密な幻術を使ってくるよ」 「何者だと問うの馬鹿らしいぐらいに素性に心当たりはあるが、一応切り捨てる前に名前ぐらい聞いておこう」 「私はバラモス様の忠実な配下、五人の将の一人。月を司りし将、ルセリナ。そこの女剣士さんは、私の可愛いスカリアに会った事はあるのではなくて?」 突然指差され挙げられた名前に、レンはすぐさま記憶を合致させる事はできなかった。 しばし思案し、それがテドンを襲い闇の勇者と名乗る男に殺された男の名であることがわかった。 「弟の敵討ちのつもりならば見当ハズレもいい所だ。奴を殺したのは、闇の勇者シンだ」 「私のスカリアはちゃんと元気にしていますわ。今頃はダーマを凛々しく制圧している頃かしら。あの子の格好良い所を見たいもので、そろそろお暇させていただきます」 「それを聞いて易々と逃がすと思ったか!」 浜辺での時と同じようにレンの姿が掻き消える。 少し違ったのは怒りのせいで集中力に欠如があるのか、板の間を足が蹴りつける音が数回鳴ったことだろう。 小気味良い音が数回響きレンの姿がルセリナの頭上に現れる。 対してルセリナは驚くわけでも身をかわすでもなく、変らぬ姿でそこに立っていた。 「反応すら出来ないか、貴様をダーマに行かせるわけにはいかない!」 完全にルセリナを捕らえ、頭上から真っ二つにアマノムラクモの剣が駆け抜ける。 深々と板の間を駆け抜け割ってしまうが、ルセリナは傷一つ負うことなく、アマノムラクモの剣が駆け抜けた一歩横に変らず立っていた。 「見当違いな場所に剣を振って、どう行かせないつもり?」 「そうか、貴様の弟も剣術と幻術を混ぜた技を使うとアムルに聞いたな。貴様は幻術を極めた口か」 「極めたのはそうですが、あの子の事は少し違うわ。私と同じ技を使いたいとわざわざ教えてくれと言ってきたの。なんて可愛らしい子」 先ほどから気になっていたのだが、どうにも目の前のルセリナという女性は弟の名を呼ぶときにやけに吐息が熱い。 フレイと同種の人物かと失礼な意見を口内で留まらせながら、レンは目を閉じた。 「残念だが、貴様にはもう少しつきあってもらう」 「わからない子ね。貴方では私に指一本」 「どうかな?」 床に突き刺さった剣を引き抜き、再度レンは駆けた。 相変わらずレンの姿が掻き消えてもルセリナは表情を変えず薄く笑っていたが、突如その笑みが崩れた。 つい先ほどルセリナが立っていた場所ではない場所から小さな悲鳴が漏れ、姿を現したレンがそこへと刃を振るう。 余裕を見せていた相手だけに大振りに振りかぶったのがまずかったらしく、アマノムラクモの剣は外れルセリナが慌てて逃げ出す。 「どうして私の場所が……目を閉じただけで、私の幻術は気配さえもごまかすと言うのに」 「気配を誤魔化そうと、人は息をするものだ。他にも匂いや衣服の衣擦れ。貴様を追う情報には事欠かず、幻術などかかる視界を閉じさえすれば良い」 「貴方、幻術使いの天敵ね。もう悠長な事は言わないわ、退かせてもらいますわ」 「逃がしもしない!」 今度こそしとめるとレンが動き出したが、余裕をなくしたはずのルセリナが笑う。 正面から突きたてられたアマノムラクモの剣、ルセリナの胸にそれが突き刺さるも空をつくように抵抗感は皆無であった。 その姿もまた幻術かと、いつの間に術にかかったのかレンが信じられないと辺りを見渡す。 「幻術を極めた者が、仕掛ける方法が視力だけと思いましたか? 貴方が先ほど言った言葉を全てお返しするわ。嗅覚、触覚、味覚、聴覚、そして視覚。どれか一つでもあれば幻術をかけるのには困らなくてよ。それとも五感全てを塞いで戦いますか?」 感じられなくなった存在感を探して辺りを見渡すも、もはやルセリナの声しか聞こえなかった。 取り逃がした事に歯噛みしているレンは、悠長に去り際の挨拶を残すルセリナをいかせるしかなかった。 「それではごきげんよう」 「くそッ!」 ルセリナが去り、剣を納めて直ぐに社中に人の気配があふれ出した。 幻術に引っかかって直ぐに別空間にでも強制移動させられていたのか、女王巫女の間にも幾人の女官が現れた。 床に座り込んでいるヒミコを見ては騒ぎ出したが、デイダラとレンがいたため大騒ぎとまでは行かなかった。 レンはすぐさまヒミコに駆け寄り声をかける。 「姉上、奴の用とは一体」 「オーブ、奴らはオーブを狙ってるみたい。ただ前の時のように光の玉って名前で呼んでたけど、ヒメちゃん急いでダーマに行って。セイ君を助けに行きなさい!」 「行きたいのは山々ですが。しかし、まだジパングの住人全部が正常に戻っているとも確認が……」 「良いから、聞いていたでしょ。奴らはオーブを狙ってるの」 「レン、良く聞け。ダーマには今、イエローオーブがある。つい先日寄越された手紙でイエローオーブの入手に成功した旨がしたためられていたんだ。恐らく奴らは、ダーマのイエローオーブが狙いだ」 ルセリナの言葉から、ダーマへと向かったのがスカリアだとは知っている。 そして奴が目的を達する為には手段を選ばない残虐な、人を人とも思わない性格だと言う事も。 デイダラの言葉を聞いて社を飛び出そうとしたレンを、ヒミコが止める。 「ヒメちゃん、これから貴方をダーマへ送ってあげる。セイ君を助けたら今度はアリアハンへ。魔族の動きが活発すぎる。アムル君やフレイちゃんの事が心配だから、そっちにも行ってあげて!」 「わかった。姉上、ここでの後始末は任せます」 レンの頷きに答えたヒミコは、そばにいても聞こえないぐらいの小さな声で呟き始める。 数秒それが唱えられ続けた後、レンは辺りの景色が一変したことを知った。 草原を掻き分けるように薄茶の土が顔を出した街道が遠くに見える壮麗な神殿へと続いている。 ルーラのように派手な光はないが、同じ効果の術であるらしかった。 こんな事もできたのかと姉の力に驚きながら、レンは見覚えのある道を走り始めた。 走りながら腰に携えたアマノムラクモの剣に我知らず力が篭る。 だがレンがたどり着いた頃には、すでにダーマは戦場跡のように倒れ伏す怪我人とそれを救助する僧侶たちであふれ返っていた。 「遅かったか……」 「重傷者を優先して運び入れろ。この際担架だろうが、手押し車だろうが使えるものは使え。それとベホマラーが出来る者は、ぶっ倒れるまで唱え続けろ!」 怪我人たちが呻く中で一際張りのある声が響いていた。 決して軽症とは言えないが、五体満足に指示を出しているセイである。 しきりに指示を仰ぎにくる者たちに怒鳴りながら、各所に目を光らせていた。 「セイ、無事だったか」 「レンちゃん、そっちこそ」 レンの姿を見るなり、安心しきった顔を見せたセイは指示の権限を他の者に譲り駆け寄ってくる。 「それにしてもイエローオーブを手に入れていたとは、どういうつもりだ? アレが魔族に狙われている物だと、知っていたのだろう?」 「まあね、でもいずれ必要になると思った。必要になって欲しかった。だから悟りの書を失い、躍起になった親父を利用してダーマにルビスの遺産であるオーブを探させた」 セイはアムルが力を失った原因が自分である事を恥じているのだろう。 あれほど夢見た勇者の道を自分一つの命で放り出してくれたことが嬉しい反面、なおさらである。 自分にはそんな価値は、何一つない。 だからこそ、セイは危険を顧みずオーブを欲した。 いつかアムルが自分から受け取りに来る日がきて欲しい事を願い。 「だが、奪われた」 「うば、お前が不覚を取ったというのか?」 聞くなり顔を片手で隠しながら歯噛みした姿を見せたセイは言った。 「いや、スカリアも前より強くなってたが、ほぼ互角だった」 「ならば、何故……」 「シンだ。勝負の最中に闇の勇者が現れて、瞬く間に奪われた。弁解の言葉もねえ。両軍必死に取り返そうとして、シン一人にこのありさまだ。運よく死者はいなさそうだが」 まさか魔族に加えて闇の勇者シンまで出てくるとは、一体何がどうなっているのか言葉もなかった。 ただシンが現れたと言う言葉から、すぐに姉の言葉を思い出す事になった。 ヒミコはアムルやフレイの事が心配だと言っていた。 言っていたが、それが単純に心配していたからだけとは、今はもう思えなかった。 ヒミコは時に未来さえ見通す力を持ったジパングの女王巫女だ。 見えずとも、二人に迫る何かを感じ取っていたのかもしれない。 「セイ、すまないが付き合ってくれ。すぐにアリアハンに飛ぶ」 「だろうな。今のアムルには……いや、アムルは俺が守る。アイツの力を奪った以上、俺にはアイツを守ってやる義務がある。少しだけ時間をくれ、最低限の引継ぎだけ済ませてくる」 「かたい決意も結構だが、アムルの前では口にするな。すぐに泣くぞ、アレは」 軽く頷いてから現場指揮の権限を譲渡しにいったセイを身ながら、レンが深く被りをふった。 口が裂けても守ってくれなどと言えない自分にとっては、先ほどのセイの言葉は羨ましすぎる言葉であった。 羨ましいが、今はまだ口にするわけにはいかない。 まずはアリアハンへと向かうのが先決だと、レンはアマノムラクモの剣に触れて雑念を振り払っていた。
|