第十七話 帰国


瞼を通してそそがれる陽の光に促されるように、徐々にだがアムルの瞼が開いていく。
その隙間から見えたのは十四年間毎朝眺めてきた天井であった。
未だはっきりとしないままの頭で、ぼんやりと帰ってきたんだと思いながらアムルは自分の体をベッドから起こした。
枕元ではキーラが寝息を立てており、隣のベッドを見てみればセイの姿ではなく姉であるフレイが寝ている姿が見えた。

「帰ってきたんだ、帰ってきちゃったんだ」

沸かない実感を確かめるために、もう一度部屋の中を見渡すと実感せざるを得ない光景があった。
旅に出てからずっと自分の近くに置いておいた誓いの剣、今は双剣であるが、その姿がないのだ。

「やっぱり無いや。帰ってきたんだ」

もう一度ベッドに身を預けたアムルは、そのないはずの誓いの双剣のことへと思いをはせた。
王様から授かったそれは父から間接的にでも受け取った代物であるが、ある意味では自分が開花させてきた力の象徴でもあった。
だからこそ、もう手元には置いておけないと別れ際にレンとセイに一振りずつあげたのだ。
もう自分の手には勇者の力も、その象徴も何もかもがない。
残念に思うよりも、何故だかこれでよかったんだと言う思いの方が、アムルにはあった。

「これで、戦わなくて良い。姉ちゃんとずっと一緒にいるだけで良いんだ」

クルリと首を回した先では、あいかわらず布団にもぐりこんだフレイの頭だけが見えていた。
真面目に帰ってきたことを考えていたのはそこまでで、ピクリとも動かないフレイに対して段々とイタズラ心を芽生えさせていた。
早速ベッドを降りると、背を向けているフレイの正面に回るためにベッドを迂回する。

「姉ちゃん」

こそっと耳元でアムルが呟くと、言葉にもならない小さなうめき声を上げてフレイが仰向けになるように寝返りをうった。
だがそのまま寝続けようとするフレイを見て、アムルはベッドに上がりこむと体重をかけぬようにしてフレイにまたがった。

「姉ちゃん、朝だよ」

「ん〜……アム?」

これまたわざとおきない程度の声でこそっと告げると、今度は言葉にこそなってはいたが、やはりフレイに起きる様子は見られなかった。
名前を呼ばれたときはドキッとしたが、すぐにアムルはいつまでも起きないフレイの唇目掛けて自分の唇を寄せていった。
アムルは単にフレイがびっくりするであろう、その程度の気持ちであるが、唇が触れる直前にパッチリと目を開けたフレイに逆に驚かされていた。
なんでと言葉が出ないままに、フレイがニヤリと笑いながら言った。

「何時からアムは女の子の寝込みを襲うような子になったのかしら?」

「え〜っと」

上手い言い訳が思い浮かばずに、とりあえずベッドから降りようとしたアムルを今度はフレイの方が捕まえていた。
そのままアムルを自分へと倒れこませると、布団の中で器用に自分とアムルの上下の位置を取り替えた。

「これはお仕置きが必要ね」

フレイの両手がアムルの体を這い回り、ゾクリとした分だけアムルが体を跳ねさせるがフレイが乗っているために多くは動けない。
だが次の瞬間には、アムルの笑い声、苦しみを込めた笑い声が屋内へと響き渡っていた。

「ねえちゃ、アハッ。こそばいい、やめて!」

「ほらほら、お姉ちゃんにごめんなさいは? もうしませんって言って見なさい」

「嫌だけど、やめて。言うから、もうしまゥ!」

最後まで言わせることなく、フレイがアムルのわき腹を指先で突いたためにそこで途切れた。
アムルが最初に持ったイタズラ心をそのまま受け取ったように、アムルが謝ろうとするたびにフレイのほうが邪魔をする。
単に悶えるアムルが可愛かっただけであるが、少しやりすぎてしまったようだ。
気がつけば、押さえつけていたアムルが反抗すらを放棄して、スンスンと鼻を鳴らしながら涙ぐんでいた。

「あ、ごめん。やりすぎちゃった?」

「あらあら、駄目じゃないフレイ。アムルはまだ子供なんだから、無理やりはいけないわよ?」

「って、お母さん何時からそこに?!」

意味ありげに無理やりといったライラは、良いものを見ちゃったとばかりに笑いながら部屋の入り口に立っていた。

「フレイがアムルに馬乗りになって、指攻めしてるあたりからかしら」

「いやらしい言い方しないでよ。ようはくすぐってただけじゃない!」

「そうとも言うわね」

そうとしか言わないというフレイの突込みを聞いても、ライラは見事に黙殺して二人を起こしにかかった。
泣きそうなアムルをあやして、着替えさせるとご飯が出来ているからと階段を下りていった。





色々な土地を回って、色々な味に触れて回ったが、やはり舌に慣れた母の味が一番であった。
決して豪華とはいえないが、薄めの味付けのスープにパン、それだけでもご馳走と呼んで遜色ないほどである。
アムルやキーラなどはコレでもかと口いっぱいにほお張っていた。

「ほら、量はあるから慌てないの。キーラも、いいわね」

「うん」

「ピッ!」

ライラに対する返事だけは良いものの、結局慌てるようにかき込んでいる二人はむせはじめていた。
そんな様を微笑ましそうに綻んだ顔で見ていたダイダが尋ねた。

「昨晩だいたいの事、アムルが二度と戦えない事などは聞いたが、それで王への報告は何時にするつもりだ?」

「お昼になる前に行って見ようとは思ってる。すんなり謁見できるとは思えないけど、報告する前に何か要請されても困るし」

フレイ自身はさっぱり覚えていないのだが、精霊ルビスが宿りアムルの力を全て封印、もしくは取り去ってしまった事は間違いなかった。
セイとレン、二人に預けた誓いの双剣を片方でもアムルは持つ事が出来ず、くさりかたびら一枚はおって動く事もままならなかった。
もしかすると冒険当初よりも弱くなってしまったのかもしれないが、そのおかげで完全に死亡していたはずのセイが生き返ったのだから文句の言い様がない。
後残っている問題としては、王にそれを知らせなければいけないということだ。
アムルがもはや勇者としての資質を全てなくしてしまったことを。

「でも大丈夫かしら。勇者になって帰ってくるどころか、その可能性を全て捨て去って帰ってきたりして」

むせた喉に水を流し込んで全く話を聞いていないアムルの頭を撫でながら、フレイが呟いた。

「そうじゃの、結果はともあれ功績を考えれば王も無茶を言わんであろう。なに、いざとなればロマリアかイシス。その他の国や街にでも逃げればええ」

「そうね、話を聞く限りじゃ貴方達は色々な国の王に気に入られているみたいだし。それも悪くはないわね」

努めて明るく言う二人であるが、本心がそうであるとはとてもフレイには思えなかった。
ダイダはかつてアリアハンの騎士団長であるし、ライラはオルテガとの思いでも沢山ある国である。
もしかするととんでもない選択をして帰ってきたのではと思いながら、それっきり黙りこくって朝食をお腹に詰め込んだ。
一抹の不安を抱えながら、朝食後に休憩を挟んでからフレイは冒険中に纏っていたシャツとマジカルスカート、それに身かわしの服を羽織った。
アムルにも同じように、旅人の服を、鎖帷子はなしで着させるとライラとダイダに、王城へ行くと告げて家の玄関に立った。

「それじゃあ、行ってくるから」

「行ってきます!」

一人明るい声を出したアムルに面食らいながらも、二人は送り出してくれた。
家から王城までそれ程距離が離れているわけでもなく、歩いて二十分も掛からない距離をアムルとフレイはゆっくりと歩いた。
時折すれ違う隣人たちに何時帰ってきたのかと問われては答えるのを繰り返しながら、王城の門の前へとたどり着く。
昼間は開放されている王城の門を通った直ぐそばの兵士に、用件を言付けるとしばらく後に即座に謁見を許された事を教えられ、謁見の間へと進む。

「王がお待ちかねです。中へどうぞ」

謁見の間の門番に促されて中に入ると、出立時と同じように城の大臣や重鎮たちが、正面に続く赤い絨毯の先に朗らかな顔を見せるアリアハン王がいた。
ある程度の距離を置いて、ひざまずいた二人へとアリアハン王がその声をかけた。

「良くぞ帰ってまいったオルテガの息子、アムル。そして娘のフレイよ。そなたたちの噂は聞き及んでおる。ロマリア、イシス、ポルトガ、ダーマ。他の街からもだ」

「おひさしぶりです。王様、話し出せば長くなりますので、単刀直入に申し上げたい事がございます」

終始笑顔を浮かべていたアリアハン王であるが、フレイの雰囲気を察してその顔を引き締めていた。
周りの重鎮たちも息を呑みながら、フレイの報告を待っていた。

「私達は沢山の国や街をめぐり、仲間と出会い別れを経験し、成長してきたと自負します。特にアムルの勇者としての成長は目を見張る物がありました」

「うむ、未来の勇者足るべき物そうでなくてはならんな」

「問題はそこなのです。先日のダーマでの事、アムルは精霊ルビスとの交渉に応じ、仲間の一人の命と引き換えにその力を捨てざるをえませんでした」

ざわついた周りがどちらに驚いたかは、正直フレイにはわからなかった。
アムルが力を捨てた事か、それとも精霊ルビスとの交渉した事であるのか。
ただ事実は変わらないと、フレイは続けた。

「その際に精霊ルビスは言ったそうです。もう一度アムルが勇者としての力を望み、手に入れた場合、その仲間は再び死ぬと」

「ぬう……それでは」

「はい、アムルは勇者として二度と戦えません。もう二度と、世界へと向けてその足を踏み出す事は出来ません」

シンと静まり返った謁見の間で、もう語るべき事は無いとフレイは口を閉ざしていた。
口々に聞こえるのは、たった一人のためにだとか、軽率すぎるといった知らないから事言える台詞ばかりであった。
正直何も知らないくせにと叫んでやりたかったが、フレイは唇をかんで耐えていた。
王も突然の事で唸るばかりで何も言えそうに無い中で、これまでずっと黙っていたアムルが急にその顔をあげた。

「王様、姉フレイの言葉に嘘偽りは何一つありません。そして力を捨て去る事に私は何一つ後悔はしておりません。私はもう、二度と勇者を名乗ろうとも思いません。旅たちの日、勇者になって帰ってくると言ったあの日の嘘をお許しください」

「そうか、お前がそこまで言うのなら私はお前を許そう。かつて勇者を目指した若者よ、顔を上げるが良い」

「寛大な処置、恐れ入ります。ならば一つだけ、王様に喜ばしい報告をしたいと存じます。私の父であるオルテガは生きております。旅の途中、父の友人が二年前に会ったと知らされました。真に世界に危機が訪れた時には、勇者である父が現れましょう」

再度ざわついた謁見の間から、アムルとフレイは退室を許されたために出て行った。
アリアハン王の言うとおり勇者を辞めたことが許されたのなら、何も問題なくアリアハンでの生活が継続できるだろう。
城を一歩出た所で、一気に体の力を抜いたアムルとフレイはお互いを見合ってからどちらともなく笑い出した。

「久しぶりに、アムの城の中での言葉遣い聞いたわ。ちょっと格好良かったぞ」

その証拠かどうかはともかく、アムルの頬に軽く唇を寄せたフレイに対して、少しだけアムルは不満そうであった。

「むぅ、ほっぺた?」

「当たり前でしょ。私はアンタのお姉ちゃんなんだからね、でも。身長が追いついて、追い越したときには考えてあげようかしら」

「本当? 本当?!」

「さあて、どうかしら?」

はぐらかすフレイの背中から思いっきりぶつかるようにアムルは飛びついていた。
突然の事でバランスを崩して転びそうになったフレイは、アムルをしかりつけながらしっかりとその手を握っていた。
足が向かったのは家ではなく、お店が開き始めたばかりの商店街。
今日一日は遊び倒す勢いで、二人の姉弟は一目散に駆け出していた。





陸の孤島であるネクロゴンドにあるバラモス城、その最深部にある謁見の間でバラモスは一人玉座で足を組みながら不機嫌そうに肘をついていた。
今ここに一人でも部下がいれば、人睨みで殺すことが出来そうな程に、バラモスは機嫌が悪かった。
機嫌しだいで命を奪えるほどの実力を持った魔王は、忌々しげに呟いた。

「やってくれるなルビス。まさかそこまでお前が思いつめていたとはな、嬉しく思える反面憎くてたまらんよ。だがいくら先延ばしにした所で、この流れは変えさせん。変えさせるわけにはいかん」

意を決したように組んでいた足を解いたバラモスは、普段一番近くに置いている部下の名を呼んだ。
魔王軍の中で随一の力を持ちながらも、一番最初にアムルと出会い、一番最初に敗れた男の弟子を。
一番そばにいたが故に、矛盾に気づき始めている少女を。

「なんでございましょう、バラモス様」

バラモスに呼ばれたチェリッシュは、言葉こそ相手を敬っている物の、どこか不信感に彩られていた。
いまさらそれを隠そうともせず、むしろ自分が疑っている事を知られても良いと思っているようであった。

「アムルがその力を失った事は当に耳に入っているな?」

「聞き及んでおります。不確かながら、その力を奪ったのが仮にも奴らの味方であるはずの精霊ルビスとも」

「誰が奪おうと関係ない。この機を逃さず攻めるぞ」

「光の玉の場所がわかったのですか?」

チェリッシュの問いかけに対し、バラモスは違うとばかりに首を振った。

「攻めるのは国、これまでに我らの手を邪魔してきたアムルたちだ。スカリアの傷は癒えているな?」

「はい、作戦行動を行うには全く問題ないかと」

「ではスカリアをダーマへ、ルセリナはジパングへ。そしてお前は私と一緒にアリアハンを攻めるぞ」

「まさか全面戦争を起こすつもりですか?」

確かに魔族は人に比べて幾分戦闘に関するポテンシャルが高い。
だがあくまで魔族はこの世界に対する侵入者的な意味合いがあり、その絶対数は少ない。
いくらネクロゴンドが陸の孤島といっても、全面戦闘ともなればとても安全とは言いがたかった。

「案ずるな、あくまで狙いはアムル一人。交渉しだいで戦争とまではいかん」

「了解しました」

不承不承ながらも頷いたチェリッシュが謁見の間を去ろうとしたところ、バラモスが不意にささやいてきた。

「おそらく今回の事でお前の疑いも晴れる事になるだろう」

「それは……」

「私と闇の勇者シン、これが同一人物であるのではと疑っているのであろう?」

傷が癒えたスカリアから聞いた話と、その事件の直後にバラモスに謁見した時の血の匂い。
さらにはアムルの成長を促すような動きを常に見せるバラモス。
確かに疑ってはいたが、その疑いが晴れるとはどういうことなのであろうか。
ただ今回バラモスは自らもアリアハンへと向かうと明言した、となれば来るのだと言うのであろうか、もう一人の勇者が。
全くバラモスの真意が読めないままに、それでも信じたいと願いながらチェリッシュはスカリアとルセリナを呼びに走った。

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