第十六話 代償


炎とは違う、かと言って単純な光とも違う、命の輝きが誓いの双剣の刃の上で膨れ上がり広がっていく。
左手に持った誓いの剣でいれた一太刀が、悟りの書が作り出していた球体の回転に切れ込みを入れていた。
続く右手の誓いの剣の人たちが放たれ、初撃のそれと交わりばつの字を作り出す。

「フレイを、返せッ!」

止めとアムルは体ごと悟りの書のページたちに突っ込み、がむしゃらに誓いの双剣をたたきつけた。
双剣から膨れ上がりきった光は、やがて純粋なエネルギーへと変わり燃え上がるように吹き上がっていった。
もろくなっていたガルナの塔の四階から上を全て吹き飛ばし、瓦礫は全て熱量の中に消えていく。
アムル自身そのエネルギーに吹き飛ばされそうになりながらも、必死に手を伸ばしていた。

「フレイ!」

もはや意識は殆ど無いらしく、自分を繋ぎ止める為にアムルの名前だけを呟くフレイの手をとり引き寄せる。
その直後、エネルギーの熱量が最高点を向かえ、当たり一体を吹き飛ばしていった。
元々もろくなっていたガルナの塔の四階が崩れ出し、アムルはフレイを庇いながら落ちていった。
フレイを庇いながら三階へと落とされ二転、三転を繰り返し、適度な石畳に指先を食い込ませて体を固定した。
どれぐらいエネルギーの暴走が続いていた事か、それが収まった頃にはガルナの塔の四階から上は全て消し飛び、白み出した空が見えていた。
だがそんな事実よりも、大切なものをアムルは抱き起こし無事を確かめていた。

「ねえ、起きて。なんでもいいから、目をさましてよ!」

そうすべきではないと普段ならわかりそうなものだが、アムルは必死にフレイの体を揺り動かしていた。
しばらくそうしていると、やがてフレイがウッとうめき声を上げながら、瞳を隠し切っているまぶたを僅かに動かし出した。
ちゃんと生きてると思いながらフレイの胸に耳を寄せたアムルは、確かに動く心音を耳にした。

「生きてる、生きてるよ。兄ちゃ……ん?」

何処かに吹き飛ばされ、セイの姿が見えなかったわけではない。
四階から落ちてきた時にそばに投げ出されたのか、数歩歩けば手の届く場所にセイはいた。
だがうつ伏せで倒れるセイを見つけた途端、何か不吉な予兆のようなものがアムルの背筋を駆け抜けていた。
そっとフレイを寝かせて立ち上がったアムルは、力の入らぬ足をよろめかせながらセイへと近づいていく。
何かが変だと、警戒の鐘をならす心に押されアムルは倒れこんでいるセイの腕に触れた。

「つめたい」

冷気を帯びるほどではないが、明らかに人が持つべき体温が明らかに失われはじめていた。
何も考えられずにアムルはセイを仰向けに寝かせなおすと、先ほどのフレイにしたのと同じように胸に顔を寄せて耳を澄ました。
期待した音は何一つ聞こえず、不自然な気持ち悪さだけがアムルを襲っていた。
あるべきものが何一つとして見えないセイの体、体温も心音も、呼吸すらも失われていた。

「うそだ…………だって、なんできゅうに」

せめて体温だけでもと、混乱しながらもアムルはセイを抱き起こし抱きしめた。
だが何時もの軽口が利けるわけでもなく、伝わってくるのは冷たさだけであった。

「うそだ。うそだ。うそだ。うそだ」

「アムル!」

言葉では否定しつつも頭で認め出した事実に涙がこぼれた瞬間、レンが呼ぶ声が聞こえた。
この場所がガルナの塔の三階のどの辺りかはわからないが、レンがサイードらをひきつれながらやってきていた。

「アムル、一体何があったのだ。こっちは急にフレイが消えて、何があった?!」

「ねえ、どうしよう」

「アムル?」

アムルが座り込む場所からすぐそこにフレイの姿を見つけ、矢次に疑問を浴びせるレンの言葉を端的にアムルが止めた。

「どうしよう、死んだ。死んじゃった、兄ちゃんが死んじゃった。動かない目を開けない、呼吸して無いんだ。心臓の音も聞こえない!」

「死、かせアムル!」

そんな馬鹿なとアムルから奪うように亡骸を奪ったレンは、すぐに絶望感に包まれることとなった。
本来ならありえない体温と、呼吸のしない唇。

「フレイは無事だったんだ。ライデインが使えなくて、それでも悟りの書は止められたんだ。ただ兄ちゃんがその時、知らない呪文を唱え出して。それで魔法剣を使ったら」

支離滅裂なアムルの言葉を整理できるほど、レンは冷静でいられなかった。
ただセイの体の重みに耐えかねるように体を床へと横たえ、落ち着けとむなしい言葉だけを頭の中で繰り返していた。
代わりにアムルの言葉を理解して尋ねたのは、サイードであった。

「アムル君、もしやその呪文の詠唱の中に、最後の輝きという言葉は出てこなかったかね?」

「出てきたかもしれないけど、良く覚えてない。ただ呪文を使ってから、気がついたら兄ちゃんが」

「そこまで思いつめていたか。それは禁忌とされる自己犠牲自爆呪文。特に精霊たちに愛される僧侶にだけ許された呪文、メガンテだ。その呪文は、己の命と引き換えに、どんな呪文も及ばぬ威力を発揮させる事ができる」

最後に小さくばか者がと呟いたのは、やはり親だからだろうか。
だがサイードは呟いたっきり、すぐに部下に辺りに落ちているであろう悟りの書をすぐに探させていた。
セイを失い大粒の涙をこぼすアムルと、呆然とするレンを置いて作業は進み、すぐに悟りの書は見つけられた。
それを回収したサイードは、立ち上がろうとしない二人と立ち上がれない二人を部下に任せ、キメラの翼でダーマへと戻っていった。





悟りの書をとある場所に保管し終えたサイードが、アムルたちの為に用意した客室にやってきたが、アムルたちは部屋へと通した後となんら変わった様子は見られなかった。
二つのベッドに寝かせられているのはフレイと、もう二度と動く事の無いセイ。
近くのソファーにはレンとアムルがお互いを支えるように、もたれ合いながら俯いて座り込んでいた。
たった一日で何度もダーマの大神官長を引っ掻き回した人物とは到底思えないほどに、二人は憔悴していた。
それでもサイードは二人が座るソファーの向かいに座りながら言った。

「ただ聞いていればいい。君たちには知る権利があると思い、こちらが勝手に伝えるだけであるのだから」

何を言いだすつもりなのか、本来ならば身を乗り出すところだが、やはり二人の反応は薄かった。
そもそもサイードが部屋に来た事を今声で知ったように、一度視線を上げてからすぐに落としていった。
大切な人を失った時の反応は、一度目であればそのようなものだ。
かつてセイラームを失い、自室で一人うなだれていたサイードも人知れず一人で同じようにしていた。

「悟りの書の儀式が最初に行われたのは、今から約二十年前のことだ」

喋ると決めていたとしても、その先を口にするのは躊躇われたのだろう。
しばしの沈黙という間を持ってからサイードは呟いた。

「そのまえに一言説明しておくと。我々神官と巫女は身を清め精神をとぎすまし、一定の儀式を行う事で精霊と交信を行う事ができる。それはもちろん精霊ルビスとて例外ではない」

精霊と交信することは、魔法以外で精霊を身近に感じる最適の方法であった。
そして目に見えない精霊が本当にいるのだと言うその証明こそが、精霊ルビス教が全世界の宗教の十割に限りなく近い割合を占めている理由でもあった。
精霊と交信し、災害を沈め、豊作を願い、凶事を避ける。
それが精霊ルビス教ができる以前からずっと行われてきた人と精霊のあり方であった。

「だが約二十年前、精霊ルビスが最後の言葉を残してから二度と交信する事はできなくなった。普通の精霊とは代わらず交信できるが、ルビスだけは不可能となったのだ。原因は不明だが、最後にルビスが残した言葉が問題であった。一言、すまないと」

それがどんな意味を含んだ言葉であったのか、わからないからこそ今そこで両腕を抱きしめるサイードのように恐怖を覚えたのであろう。

「それを聞いた神官は、我々にその言葉を伝えた後に、人間は精霊ルビスに見捨てられたと言い残して自殺してしまった」

「だから精霊ルビスの残した遺産に縋ったのか?」

元々精霊ルビス教が広まっていないジパング出身のレンの声は、驚くほど冷たかった。
見捨てられて怒りを覚えるよりも、縋ろうとあがく事が醜く思えたのだろう。

「そうだ。だから我々は悟りの書の儀式で少しでも精霊ルビスを振り向かせたかった。どんな犠牲を払おうと、たとえ娘を失ったとしても!」

「そんなんだから見捨てられたんじゃないのか? 確かに精霊ルビスは人間の親みたいなものでずっと見守ってきたのかもしれない。だが子はいずれ親の庇護を離れ、一人で生きていくものだ。単に人間が精霊ルビスの庇護を離れる時がきただけではなかったのか?!」

「それは違う、精霊と人間の関係なくしては人間の未来など無いも同然だ」

「だがそのおかげで幾人もの人間の未来が消えた。セイもそのうちの一人だ。もう起き上がらない、笑わない。慰めてもくれない。こんなにも胸が痛いのに、泣きたいのに。微笑んでも、優しい言葉もかけてはくれない!」

レンの憤りにサイードは言葉もなかった。
だがそれで取り乱すほど、子供でもなかった。
ただ沈黙するしかなく、その通り沈黙する中で、ポツリとアムルが呟き涙をこぼした。

「どうして、いつも足りないんだろう。強くなりたいから強くなって。それでもいつも一歩が足りない。何処まで強くなれば、俺は泣かずにすむの? 誰一人泣かす事の無い勇者になれるんだろう」

「違う、今回だけはお前のせいじゃない。むしろお前は被害者だ。悪いのは、安易に精霊ルビスに縋ったダーマと」

もう一人無闇に命を投げ出した馬鹿の名をあげたかったが、そうしなければフレイの身がどうなっていたかわからない以上、あげられなかった。
だがアムルはそうではないと、首を横に振っていた。
巻き込まれたとか、被害者だとかそういった状況でさえも越えて助けなければならなかったのだ。
かつてセイが教えてくれた全てを救う勇者とは、そうであるべきであったはずだ。

「もう嫌だ。こんな思い、自分の力のなさに絶望するぐらいなら、中途半端な力なんて欲しくない、何も知らずにフレイと一緒に毎日を過ごしていけばよかった!」

「だがお前の力がなければジパングは滅んでいた。助けられなかった命が沢山あったはずだ」

「それでも、もう今は助かってるじゃないか。だからもういらない。勇者になんてなりたくないよッ!!」

アムルの心からの叫びが部屋に響いた刹那、窓から届く朝日とは違う、眩い輝きが部屋を包み込んでいた。
振り返ることなく解る膨大な存在感に促されて振り向いたのは、まだ目を覚まさないフレイと、もう動かないセイが居るはずのベッド。
そのうちの片方から、光があふれ出していた。
ゆっくりと起き上がったフレイが、正視するのも辛い光を放ちながら立ち上がる。

「その言葉に偽りはないな?」

立ち上がったフレイから放たれた声は、全く別人の者であった。
だが何処か聞いた事のあるような、知らないはずなのに知っている様な声であった。

「誰なの、姉ちゃんじゃない……誰なの?!」

「答えよ、私の愛する子よ。今何時は力を欲さぬと言った。それに嘘偽りはなければ、我と契約せよ。二度と力を欲さぬと、手に入れないと。さすれば一度は消えたこの男の命を、助けよう」

「助かる、助かると言うのか?!」

レンの叫びにはこたえず、光を放つフレイでは無い何者かは、じっとアムルの答えを待っていた。
まるでそれ以外、アムル以外には何の価値も見出していないように、アムルの言葉だけを待っていた。
一方的な言葉を吐いてはいるものの、その眼差しだけはフレイに通ずるようなアムルへの優しさがにじみ出ているようであった。
突然の事に混乱しながらもアムルは、フレイではない別の女性に迷い一つ抱かずに答えた。

「兄ちゃんを生き返らせて。こんな無力な力でいいなら、いらないから。二度と手にできなくてもいいから、兄ちゃんを生き返らせて」

「良かろう。ただし、気をつけろ。今一度勇者の力を求め、手に入れた瞬間にはこの男は再び死ぬ。同じ悲しみを味わいたくなければ、肝に銘じておきなさい」

女性の腕がアムルの額にある冠の青い石へと触れ、光が流れ込んでいく。
痛みも苦しみもなく、ただアムルは自分の中にあった激しい力の濁流が徐々に収まり、枯れた河のように消えてしまうのを感じ取っていた。
数分の間をもって女性が腕を放した途端に力が抜け落ち、背中の誓いの双剣の重さに押しつぶされそうになる。
慌ててレンが支えたアムルを置いて、女性は息もなく眠るセイへと今度は腕を伸ばし、アムルへの処置とは違い一秒にも満たない時間であった。

「契約はなった。忘れるな私の愛する子よ。再びお前が勇者としての力を欲し、使用した時この男は死ぬ。その枷を忘れるな」

「いらない。もう二度と、こんなものいらない」

「それならばよい。さらばだ、私の愛する子よ」

言うなりそこにあった光が消えた。
膝が折れて、次に傾き始めたフレイの体がベッドへと倒れこんでいく。
まだ上手く体が動かせないアムルに変わってレンが駆け寄り、その安否を確かめる。
脈拍に息、何一つ乱れず眠っているフレイを今一度ベッドに横たえ、そしてアムルとサイード、二人に目配せしてからもう一つのベッドに目を向けた。
ゆっくりと未だ眠るセイへとフレイが手を伸ばす。
生き返らせる、確かに先ほどの謎の女性はそういったが、本当にそんな事が可能なのか。
徐々に近づく手のひらに消え去ったはずの温もりが感じ取られるのか、触れる直前で躊躇いを見せながらレンは思いきってセイの頬に触れた。

「あ、あたたかい」

信じられないと言う思いを込めて呟き、意味もなく反対の頬にも触れ、胸に耳を寄せる。
ややゆっくりではあったが、耳に残るのは心臓が動く鼓動。

「生きてる。本当に生き返った。嘘じゃない、助かったんだぞ!」

「兄ちゃん、兄ちゃん!」

誓いの双剣を背中から放り出し、駆け寄ったアムルは足がもつれて転び、それでもベッドにしがみついてセイに触れる。

「あったかい、冷たくない。息もしてる!」

「アムルあまり揺らしてやるな。ゆっくりと、寝かせてやろう。それから起きたら思い切り殴ってやろう。心配、いや勝手に断りもなく命を投げ出したことを。コイツの無責任さを罵ってやろう!」

「うん、レンってば泣き過ぎ。レンが泣いてるところ始めてみた」

「う、煩い。お前こそ、涙はともかく鼻水はやめておけ。汚い顔をして」

泣きながら喜びと涙を惜しみなくさらす、アムルとレン。
そんな二人に反して、実の親であるはずのサイードは息子の生還を喜ぶよりも別のことに心を奪われていた。
ある意味で、それも仕方のなかったことなのかもしれない。
その為に、家族も何もかもを捨ててきたのだから。

「精霊ルビス、あの子は声を聞くだけでなくその寄り代にさえなれるのか」

サイードの視線は、ベッドに寝かせなおさせられたフレイにだけ注がれていた。

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