第十四話 ガルナの塔へ


今にも日が落ちてしまいそうななだらかな山道を、アムルとセイの二人は走り抜けていた。
そのスピードは普段の彼らよりも随分速いものであり、魔法を使っているのには間違いなかった。
魔法の効果が切れてきたのか、少しでもその予兆があればセイはすぐさま詠唱に入る。

「天と地にあまねく精霊たちよ。汝らの偉大なる力をもって風の如き身のこなしを与えたまえ、ピオリム!」

「ねえ、兄ちゃんこれで五回めだよ。大丈夫なの?」

セイに言われるままに、フレイとレンを置いてダーマを抜け出してからもう二時間以上経つ。
それなのにまだ足りないとばかりに魔法を使ってまで先を急ぐセイを心配するアムル。

「あんまり大丈夫じゃねえが、少しでも距離を稼いでおきたい。まさか馬が調達できないとは思わなかったからな」

本当はセイもこんな無茶はしたくなかったのだが、思ったよりもサイードの手が細部にわたっていたのだ。
おかげで馬屋にも十分過ぎるほどの警備がしかれ、頼みの綱の部下でもそれは無理だったのだ。
一応走りながら道に小細工は残してきたが、それも何処まで通用するのか。

「でも本当にフレイとレンを置いてきてよかったの?」

「言ったろ、二人が女だから置いてきたって。結局悟りの書の儀式の詳細は知らないが、おいそれと女を近づけられないんだよ」

そう言われて納得したアムルだが、実はセイがわざと言わなかったこともある。
サイードは間違いなく四人を拘束しようとするだろうが、その場に全員居なければすぐにでも追いかけようとするだろう。
だがレンとフレイの二人がいるならば話は別だ。
二人を拘束するにしろ、つれてくるにしろ時間はとられる。

(だがもしも連れて来る方を選択されたら、やっかいだな。急がねえと)

セイがせめてもと小細工のためのものを懐から取り出そうとすると、アムルの小さな手が胸の前に差し出された。
何をと疑うよりも先に、セイも魔物の気配を感じてその足を止めた。

「チッ、ガルナの塔に向かうのに夢中で気づかなかったか。本末転倒だな、こりゃ」

取り出そうとしていたものを取り出さずに手を懐から出し、セイは身構えた。
夕闇にまぎれて集まりだしたのは、紫色の毛皮を持った大ざるである二匹キラーエイプに、羊型のマッドオックスが一匹である。
マッドオックスが声を上げると大きな二本の角の間に光が灯り、閃光が二人へと向けて駆け抜けた。

「アムル、あまり時間はかけられねえ。隙があれば逃げ」

慌ててマッドオックスが放ったギラを交わしたセイだが、目を向けた先にアムルはいなかった。
まさか今のギラの直撃を受け手とも思ったが、そうでもなかった。
空へと立ち上るかのような断末魔の叫びがあたりに響き、真っ二つに切られたマッドオックスの目の前にアムルは居た。
ギラの閃光を交わすのではなく、逆に向かっていったのだと理解した時にはセイの背筋に冷えた汗が流れた。
仲間意識があるのかもとよりそうなのか、怒ったキラーエイプが大樹の幹のような腕を振り上げながらアムルへと向かっていく。
その腕が振り下ろされて生まれたのは、陥没した地面だけ。
どうやらこの場でその動きが見えたのは本人以外にセイだけであったようだ。
セイが見上げた上でアムルは両手に持った誓いの剣に炎を絡ませ、それを容赦なく振り下ろした。

「本当に、強くなりやがったな」

燃え盛るキラーエイプの前に降り立ったアムルは、セイの今の言葉が聞こえたわけではないのだろうがすぐに振り返ってきた。
そして何事もなかったかのように言ってきた。

「行こう、兄ちゃん。あんまり時間はかけられないんだろ?」

「ああ、そうだ。行くぞ」

再び二人はガルナの塔を目指して走り出した。
休みなく走り続ける事数時間、途中また魔物に襲われながらもようやくガルナの塔へとたどり着いた。
四年ぶりの塔を見上げいままで走り続けさせてきた足を止めるセイ。
その胸中はセイにしかわからないであろうが、想像するだけならアムルにもできた。
もしもフレイが悟りの書に殺されてしまったのなら、憎しみも悔やみも通り越して怒りしか浮かばないであろうことは、握り締めた拳が証明していた。

「兄ちゃん、悟りの書まで案内して。絶対に壊してみせるから」

「ああ、悟りの書は四階にある。ただ四年前に俺がフロアをぶっ壊しちまったから、ちょっと遠回りがいるだろうな」

ガルナの塔へと入っていくと、ルビスの遺産である悟りの書が安置されているとは思えないほど荒れ果てていた。
四年前セイがこの塔内でバギクロスを使ったと言う話であるが、果てしてそれだけでここまで壊れるものだろうか。
あろう事か魔物の気配が濃厚にただよってさえいる。

「妙だな」

こういうものなのだと思い込もうとしていたアムルに、セイから否定にも似た言葉が放たれた。

「妙って、やっぱりこの塔の状況が? 外よりも魔物の気配が多い」

「四年前はここまで、と言うよりも魔物の気配もしなかったはずだ。仮にもルビスの遺産があるこの場所で」

「何か起きてるって事?」

もしかするとこの奇妙さの答えをサイードが知っていて、それであの恐慌に走ったのか。
そう考えてしまってから慌ててセイはその考えを振りはらった。
例えそうだとしても、決して踏み越えてはならない一線があるのだ。

「そこまではわからないが、それを調べるのが目的じゃない。目指すは上、悟りの書だ」

「うん」

セイが先を急ぎ、追うようにアムルが走り始めた。
魔物の気配が濃いといっても即座に襲われるわけでもなく、順調に二人は悟りの書へと向けて進んでいった。





アムルとセイがガルナの塔へと入っていった頃、サイードによって強制的にガルナの塔へと連行されていたフレイとレンは、まだダーマとガルナの塔の中間辺りにいた。
それも大量の魔物に襲われている最中であった。
あまりの魔物の大群に、はじめフレイとレンの武器を取り上げていたサイードが共闘のために返してくれたほどだ。

「天と地にあまねく精霊たちよ。汝らの偉大なる力をもって邪を砕き散る力を我に与えたまえ、イオラ!」

フレイが唱えた爆破の呪文が炸裂し、暗闇であった辺り一体を光と炎によって明るく照らし出した。
余熱によってまだ苦しむ魔物たちの中をレンがアマノムラクモと共に駆け抜ける。
剣の力なのかイオラの余熱を物ともせずに、虫の息か運よく被害を免れた魔物たちへととどめの一撃を放っていく。

「驚いたな、これがオルテガの娘とジパングの姫君の力か。確かに並ではないな」

「おじさん、驚いてないでレンに補助魔法でもかけてあげてよ。それと傷ついた人たちの治療もね」

「ああ」

言われてからようやく動き出したサイードを見て、フレイではなくともため息の一つもつきたくなるものであろう。
確かにサイードは人を統率したり、知識はあるのかもしれないが、圧倒的に自分で動くための力と知恵が足りない。
上がこんなでは、僧兵のように自分の力と知恵で戦うものは文句の一つも言いたくなるであろう。
ダーマという組織に全く関係の無いフレイがそう思うのだから、当事者たちはなおさらだ。

「レン、魔物の倒し残しはいた?」

「いや、これで全部のようだが、コレをみろ」

煙と闇が交じり合う中から現れたレンが見せたのは、すでに半分黒こげであったが肉か何かのようであった。
しかも今しがた倒した魔物の肉とかではなく、しっかりと加工された一品である。

「なにこれ、干し肉?」

「魔物の餌だ。おそらくあの馬鹿が通りがけにばら撒いていったのだろうな。足止めとして」

「くう、馬鹿のくせにむかつくぅッ! アムをだまくらかして連れ出したと思えば、腹の立つ事を!」

「奴も私たちがその魔物を倒すとは思っていなかっただろうがな」

なにも二人がサイードと共闘したのは、魔物に襲われたからだけではなかった。
仮にも仲間をおとりとして敵側に渡して、敵を手間取らせようとした考え方。
それ以上に、置いていかれたと言う気持ちが強く二人を突き動かしているのだ。
一発殴ってやらなければ腹の虫が収まらないと言う所であろう。

「おじさん、部下の人たちの具合どうなの? さっさとガルナの塔にいきたいんだけど」

「ああ、満足に動けるのは半数と言った所か。仕方が無い、動けないものはここへ置いていく」

苛立った声でフレイが催促すると、サイードは信じられない台詞を平然と吐いてきた。

「本気で言っているのか?」

「目的のためには切り捨てなければいけないものもある。この場合が傷つき動けない者だと言うだけだ」

正気かとレンが聞いてもさも当然のようにサイードは答えてくる。
それに対して訴えを起こさない黒装束の部下たちも部下たちである。
一体どんな理由があるのか、情け無い限りである。

「ああ、もうわかったわよ。ガルナの塔まではちゃんと護衛してあげるから、半分の半分はここにおいていきなさい。それだけ居れば、怪我した人もなんとか帰られるでしょ?」

「しかし」

「しかしじゃないの。どうせこの先も魔物がわんさかといるんだから、大勢居ても守りきれないわよ。それなら半数の半数は置いて言ったほうが効率的でしょ」

フレイの言い分はまさに合理的であった。
そもそも黒装束たちが大量にけが人を出したのも、彼らが対人戦闘にのみ特化した人種であったからだ。
武器もナイフや小刀と、人は殺せても、魔物には小さな傷しか与えられない。
まさにじゃんけんのように、黒装束は人に、フレイとレンよりも強いが、魔物に対してはフレイとレンの方が戦いなれているのだ。

「わかった。満足に動けるものの半数はここに残れ。残りはついてこい。いくぞ」

不機嫌そうに言うとサイードは歩き出し、そのあとを黒装束の部下がやはり文句も言わずに歩き出した。
その姿はまさに忠実な犬そのものであるが、それなりの理由でもあるのだろうか。

「行くのはいいけど、とっくに馬は魔物に驚いて逃げちゃったしねえ。あ〜あ、アムが居ればおんぶしてもらうのに」

「アムルが居なければ素直にそういうことが言えるのだな。さっさと歩け」

「歩いてるわよ」

暗闇の中をぐんと減った人数でガルナの塔を目指して歩き出した。
最初は魔物の餌がばら撒かれていると知らなかったために不意を疲れたが、解っていれば対処の程はそれ程難しくはなかった。
慎重に歩をするめ、キーラが魔物が集まっている場所を察知し、フレイがそこへめがけて呪文を炸裂させる。
それだけで随分数を減らせるし、突然の事に逃げ出す魔物だっている。
二度も三度も、それ以上に魔物の大群には遭遇したが、上記の方法で最初ほどは足止めを喰らう事はなく、人数が減る事もなく先を急ぐ事ができた。
だがフレイの魔力も底なしではないし、神殿にこもりきりのサイードの体力も知れたものであるため、休憩を取らざるを得なかった。

「こんな所で休んでいる暇など無い。先を、いそがねば」

「行ってもいいけど、私はいかないわよ。勘違いしないでよ、意地悪で言うわけじゃなくて本当に魔力がつきそうなのよ」

先を急ごうとするサイードにフォローを加えつつ冷たく当たるフレイは、さっさとその辺の石に腰を下ろしてしまった。
事実上フレイにおんぶに抱っこのサイードは文句が言えず、無言でその場に腰を下ろした。
何処かほっとしているようにも見えるのは、無理をしていたからにほかならないからであろう。

「お前たちも、休むなら今だぞ。魔物が一箇所に集まっていると言う事は、逆に手薄な場所もあるということだ。警戒はキーラに任せておけば良い」

「ピッ!」

その通りだと胸をはるキーラを見て、黒装束の彼らも辺りに腰を下ろし始めた。
そしてレンはと言うと、サイードの正面にわざと腰を下ろしていた。
もちろんサイード自身もそれには気づいたが、何も言わなかった。

「一つ聞きたいことがある。無理に聞こうとは思わないが、できれば答えて欲しい」

「なんだね?」

「こんな言い方をすればセイは怒るだろうが、過ぎてしまった事を問い詰めるつもりは無い。ただ貴様は何を知っているのだ?」

その言葉に、明らかにサイードの表情が仮面を思わせる無表情へと変化していった。
そして、それっきり何も答えようとはしなかった。

「黙秘か。曲がりなりにも大神官長だけあって、無理に聞き出すのも無理そうだな」

「いや、知らない方が幸せだと言う事だけだ。世の中には知ってはいけない、知らなくても良い事があまたあるのだ」

「不十分とはいえ、答えてくれた事は感謝する」

レンが礼を言って立ち上がると、フレイがちょいちょいと手招きをしてきていた。
大体のことは予想がつくが、まさにその通りでフレイは耳打ちで呟いてきた。

「何か聞き出せた?」

「私はもとより聞きだすつもりなど無いぞ。ただ、理由があるのかないのか。それが知りたかっただけだ」

「なにそれ?」

そんなものを知ってどうするつもりだったのかと首をかしげると、アマノムラクモに手を置きながらレンが言った。

「もちろん、斬るつもりだった」

「アンタねえ。そんなことしたら、黒装束の人たちが一斉に襲い掛かってくるわよ。なんか異常な忠誠心をみせてんだから」

「それぐらいは解っている。それに理由もなにかあるらしいからな。それまでは様子見だ」

これ以上ややこしくしたくないと勘弁してくれとレンを見ていると、サイードが立ち上がるのが見えた。
どうやら休憩を終わりにしてガルナの塔へとむかうつもりらしい。

「行くぞ」

短く区切られた言葉に、やれやれとレンとフレイが立ち上がった。

「行くのはいいけど、ガルナの塔まであとどれぐらいなの?」

「あと一時間も歩けば塔が見えてくる。塔まではさらに半刻といった所だろう」

まだ結構あるくなとげんなりしつつも、フレイはキーラを肩に乗せてから歩き出した。
その後をレンが歩き出し、黒装束の男たちもついてくる。
幸運な事にセイがしかけた魔物の餌による魔物の大群は、休憩の直前に倒したのが最後であった。
偶然魔物に遭遇する事もなくガルナの塔が、闇の向こう側から顔を出し、やがてその全貌をあらわにした。
やや傾いた印象を受け、とてもルビスの遺産である悟りの書があるとは思えないが、ダーマの大神官長が何も言わないからにはガルナの塔に間違いないのであろう。

「ボロっちいわね。まだシャンパーニの塔とか、ナジミの塔の方がそれっぽいわよね」

そう思わないかとフレイがレンに言おうとした瞬間、耳の奥にそっと触れるように何か聞こえた気がした。

「ん? どうしたのだ?」

「レン、なにか私に言った?」

「いや、気のせいであろう?」

そうなのかなとフレイがガルナの塔を見上げた瞬間、再び同じようなささやき声が今度はハッキリと耳に届いた。
人間ではない、もっと他の何かの声である。

『お待ちしておりました』

「誰ッ?!」

突然フレイが耳を押さえながら警戒するように身構えた事で、誰もが不思議そうに見つめる。
自分にしか聞こえていないのかとフレイが気づいた時、立ちくらみを起こしたようにあたり一体の景色がぼやけだした。
レンが何かを叫びながら手を伸ばすが、フレイはそのまま何もできないままにガルナの塔を目前にして姿を消してしまった。

『長い、長い時をずっと。貴方様に全てをお返しするために、待ち続けていました。おいでください、我が元に。悟りを得る為に』

フレイがいなくなったその場で、フレイにしか聞こえなかった声がむなしく響いていた。

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