第十三話 ダーマの攻防


ダーマの神殿は高い城壁に囲まれていた。
何を考えて神殿の設計者がそう設計したのかは不明であるが、神々しさよりも重厚な威圧感が明らかに勝っている。
だがそれでも各地からの巡礼者や相談を持ち込むものが耐えないのか、分厚い鉄の扉の前には長蛇の列が作られていた。
自分の順番を今か今かと待ちわびる彼らであるが、その横を悠々と突き進む一行を誰もが訝しげに、時に睨みつけていた。
あまりにも堂々と順番を無視して最前列へと突き進むのは、セイを筆頭にしたアムルたちであった。

「ねえ、並んでる人たち思いっきり睨んできてるわよ。注意こそしてこないけど」

「ああ、気にしない気にしない。真面目に並んでたら日が暮れちゃうよ。それとも真面目に並んでみる、これに?」

フレイに言われ、笑いながらセイが指差したのは最後尾が何処かさえ見えそうにない列である。
よほど重要な理由でもなければ、並びたいとは欠片も思わなかった。

「それに俺の用があるのは大神官長であるクソ親父だけだし、一般の人の声を聞くのはただの神官の仕事だから順番無視しても関係ないの」

「貴様、父親に会うつもりなのか? 何故わざわざ」

「単にこっそりガルナの塔を目指して悟りの書を破壊しても意味がないから。もう一度ダーマ全部を巻き込んで、その上で破壊する。そうじゃなきゃ、意味がない。って単に俺の我侭」

嘘ではなさそうであるが、まだ他にも目的がありそうだなとレンは疑いの眼差しを向けていた。
それに気づいているのか、いないのか。
セイはどんどん神殿の城壁へと足を向け、受付を行っていた神官見習いらしき少年に軽く声をかけた。

「お疲れさん、入れてくれるかな?」

「は? 順番はきちんと守ってください。一体、どういう教育を受けてきたんですか?」

「たぶん君と同じ教育」

「ふざけないでください。あまりしつこいと、僧兵の方々に追い出してもらう事になりますよ」

もしかすると順番を守ろうとしない人は頻繁に居るのか、やけにあっさりと受付の少年の口から脅し文句が飛び出してきた。
さらに受け付けてもめているせいか、並んでいた一般の人たちからも不満の声が上がり始める。
セイもまいったなと言う顔をしているが、どうやら顔パスのつもりが、相手の神官見習いの子がセイの顔を知らないらしい。

「兄ちゃん、神官長である証のペンダントを見せたら速いんじゃないの?」

「過去の栄光に縋ってるみたいで嫌なんだけど、この際仕方ないか」

アムルに言われたとおり、セイは懐から一つのペンダントを取り出した。
神官や僧侶が良く来ている空色の法衣に良く似た、空色の石にダーマ神殿を象徴する紋章が刻まれたものである。
大神官のみに送られる品であり、その数は両手で数えるほどしかないとされている。
それを見せた途端、受付の少年の態度の変化は、すばらしいものがあった。

「し、失礼しました。まさか、大神官様とは露知らずお許しください。できればお名前をお教えくださいますか?」

「ああ、セイリュード。そう言えば、四年前を知る人は誰でもわかるから」

「四年前、セイリュード。まさか、あの、うわぁぁぁ!!」

だが名前を聞いた途端に、受付の少年は悲鳴を上げながら城壁の向こう、神殿へと一目散に逃げ出してしまった。

「邪教集団にでもばったり出くわしたような逃げっぷりだな」

「アンタ、他にも何かやったんじゃないの?」

「いや、たぶんクソ親父がでたらめな情報を流したせいだろう。おおよその見当はついてるよ。行こうか」

セイがやや複雑そうな顔をしたのは、そうした相手が親であるからか大神官長であるからか。
それでも行かなければならないと気持ちを切り替えて、セイはアムルたちを大神官長がいるであろう神殿内部へと案内し始めた。
あの受付をしていた神官見習いの少年が叫んだのか、報告したのか神殿内で廊下の端々で神官たちの姿が見えた。
だが誰一人として取り押さえようとしないのは、単純にその方法を知らないだけのようである。
誰も彼もが、自分ではない誰かに命令するだけで自分から動こうとはしなかったのだ。
そして取り押さえろと命令を受けた僧兵たちは皆、逆に歓迎の意思を持ってセイを迎え入れようとしていた。

「セイリュードさん!」

僧兵の中でも一際体格の良いものが一人、セイへと駆け寄ってくる。
それは四年前にセイを地下牢から助け出した僧兵であり、暗殺者たちとの戦いで唯一生き残ったものでもあった。

「今帰った。クソ親父に会う前に、早急にダーマの近況を聞きたい」

「ひどい物です。アレから神官と僧兵の溝はさらに深くなりました。神殿の殆どの区画に僧兵は立ち入れず、まるで神官の小姓のような扱いです。その反動から周辺地域の見回りも雑なものです」

「お前には全て押し付けてすまないと思っている。だが、もう少しだけ付き合ってくれるか?」

「寂しい事を言わないでください。私は貴方ならば、ダーマを変えてくれると今でも信じているから耐えられるのです。用が済めば巡礼者用の宿に来てください。部屋は私が取っておきますから」

立ち去ろうとする彼にセイはなにやら耳打ちをすると、彼は驚きの顔になってセイの後ろにいたアムルたちを見た。
やや困惑しているようだがセイに頭を下げてから、彼は踵を返して神官たちの間をぬって駆けていった。
それから再びセイは、大神官長が待っているであろう神殿の祭壇部へと向かった。





城壁にあった鉄の扉とは何もかもが違う、下手に触れれば壊れてしまうかと思う程に細やかな装飾までが施された祭壇部への扉。
それをセイが開いた向こうには、当然のように待ち構えていたセイの父親、大神官長サイードがいた。
祭壇でなにをルビスに祈っていたのかは不明であるが、ゆっくりと振り向き、セイたちを見下ろしてきた。

「今更何のようだ。すでに貴様は神官長でも僧兵長でもない。ただの邪教に走った裏切り者として処理されている」

「そんなこったろうと思ったよ、見習い神官の態度を見たときから。けど、別にそれをどうこう言うつもりもない。ただ悟りの書を破壊する前に、俺の仲間を紹介しようと思ってな」

「まだそのような夢をみるのか。無駄だ、精霊ルビスの遺産は人に壊せるものではない。たとえお前の仲間がオルテガの息子であろうと」

知っていたのかと、悔しげにセイが歯噛みする間もサイードは続けた。

「君がオルテガの息子であるアムル君だな。その姉であるフレイ君。そしてジパングの女王巫女であるヒミコの妹のレン君。君たちの活躍は、聞いている。ノアニールとエルフの仲を取り持った事から、イシスで熱病の薬をピラミッドから持ち帰ったこと。バハラタで人攫いを一網打尽にしたこと、そしてジパングをヤマタノオロチから救ったこと」

さすが神殿の大神官長ともあらば、様々な情報が入ってくるのだろう。
しかもジパングでの件はここ最近の事であり、迅速な情報収集には恐れ入る。

「だがそんな輝かしい経歴を持つ君らも、一つだけ汚点を持っている。息子と呼ぶ価値もないが、彼とは縁を切ったほうが身のためだ」

「言いたい放題言ってくれるじゃねえか。だが俺は絶対に悟りの書を破壊する。セイラームのような奴をこれ以上増やさないためにも。なにより、俺のためにも」

「一見冷静なようで、直情的なところは変わらないな。また仲間を失う事になっても良いのか?」

サイードが右手を挙げると、どこからか黒装束の男たちが数人現れた。
咄嗟に剣を抜こうとするレンとアムルであるが、二人を抑えるようにセイが手を挙げて制止した。

「仲間を失わせないためにも、俺はわざわざアンタの所に着たんだよ。俺たちがここへ来たのは、一般人から神官、僧兵と大勢の人たちが見ている。さらに、ある奴が今頃大勢にアムルたちの事を触れて回っているはずだ。オルテガの子だと、ジパングの姫君だと」

「くっ、下がれお前たち。少しは用意周到さを身に着けたらしいな」

「けたクソ悪い鳥かごを抜け出して、世界を知ったからだよ。もっとも、アンタのあくどさは地だろうけどな」

サイードが下がれと言うと、本当に黒装束の男たちは景観にとける様に消えていった。
何がどうなっているのか、ぽかんとサイードとセイのやり取りを見ているだけしかできなかった。
要は大勢の人を救ってきたことで有名となったアムルたちを殺す事は、サイードにはできないと言う事である。
アムルたちを見たのが神官や僧兵だけであれば、なんとでもなるが、すでに何人もの一般人にまで見られていてはどうする事もできない。
ようやく一つサイードの上をいけたと、ニヤリと笑ったセイは、アムルたちの背を押して祭壇の部屋を出て行った。
そして扉が閉まると同時に、張り詰めていた緊張をそのまま吐き出すようにフレイが呟いた。

「なんていうか、私たちの父さんとは違った意味で凄い人ね」

「俺もあの人嫌い、嫌な感じが凄くする。でも……」

不意に振り向いて扉の向こうを眺めるようにしたアムルに、皆の視線が集まる。
一体何が気になるのか、アムルの勘はそれほど馬鹿にはできないのだ。

「良くわかんないけど、凄く必死なんだと思う。悟りの書とは別に、必死にならざるをえない理由がある気がする」

「あったらいいな」

それは本心なのか、セイはそういってアムルの頭に手を置くと、今度は宿へと向けて案内を始めた。
ダーマ神殿には、相談事にやってくる巡礼者たちの為に、格安の宿を提供しているのだ。
部屋自体はセイの昔の部下の人がとっておいてくれたらしく、セイが名前を出すだけですぐに部屋へと通してもらえた。
何時も通り二部屋に男と女で別れる寸法である。
ただすぐに部屋ごとに別れるわけではなく、アムルとセイはそのまま女部屋のほうへと足を踏み入れてきた。

「で、これからどうするのだ?」

それぞれが好きな場所に腰を下ろした途端に、レンが口火を切ってきた。
もちろんその相談の為に、一部屋に集まったのだからレンの言葉にセイはすぐに答えた。

「明日の早朝、一応ダーマ内での安全は保障されてるが、一度ダーマを出たらクソ親父も本気で掛かってくるはずだ。今夜だけはゆっくり体を休めておいてくれ」

「それだけでいいの? 何か準備とか」

「ガルナの塔の場所も悟りの書の位置も俺が知ってるからね。取り立てて準備は……あ、一個だけあった」

わざとらし過ぎるほどに、わざとらしい手振りで今思い出したようにセイは手を叩きながらフレイを見た。
何故かその視線からいやな予感を感じたフレイが後ずさるが、以外にもセイはアムルを呼び寄せ軽く耳打ちするだけ……のはずはなかった。
耳打ちを終えてすぐに、アムルの背をフレイの方へと押し出しながら言ってきた。

「アムルにかかったルビスの呪いを弱めておいてちょうだい」

「それって……」

「だからアムルとキ」

「言うなッ!」

手近にあったベッドの枕を投げつけるが、軽く受け止められてしあう。

「あのね、協力してくれるんだろ? 悟りの書の破壊にはアムルが全力を出せる事が最低条件なんだ。だから、ここはずいっと一発」

「一発じゃないでしょ。そりゃ協力はしてあげたいけど、無理ッたら無理! 絶対に!!」

「ウグッ……」

つい先日禁止令を出したばかりだと思って全力拒否を言い渡したフレイの耳に、涙と共に息を呑んだアムルの声が届いた。
ハッ気がついて見れば、目元を潤ませながら必死に耐えるアムルの顔があった。
フレイがしまったと思う間もなく、駆け出したアムルは一番近くに居たセイではなく、レンの胸へと飛び込んだ。
思わず受け止めてしまったレンは、アムルが自分の胸に顔をうずめてこようと引き剥がせなくなってしまう。
なんとか落ち着けようとするものの、ますます強く抱きつくアムルにレンは困り果てて言葉にも力が出ない。

「お、おいこら。相手が違うぞ」

「あ〜あ、フレイちゃんってばきっらわれたぁ」

まるで最初からこうなる事が解っていたかのように、セイが気楽そうに追い討ちをかける。
追い討ちが届いているのか、フレイは俯いたまま震えていたかと思うと、すぐにレンからアムルを力ずくで引き離した。
思いっきりアムルの首根っこを掴んで引っ張ったつもりが、あまりの軽さに少しバランスを崩す。
すると泣いているはずのアムルが笑顔で振り返って、固まっているフレイへと言い放った。

「大好き」

直後に軽く吸い付くような音が唇同士の間から漏れ、床の上へとフレイが腰砕けになって座り込んだ。
茫然自失の様ではあるが、顔色だけは完熟したトマトを思わせるほどに赤かった。

「ナイスだ、アムル。名演技だ。言っただろう、押して駄目なら退いてみろって」

「ん〜、でもやっぱりちゃんとした方がいいなぁ」

「お前らッ!」

叫んだのは二番目に振り回されたレンであり、怒られたセイとアムルは子供のように一目散に部屋を出て行った。

「一体何を考えているんだ。真面目になれんのか、真面目に。おい、フレ……」

頭が痛いとおさえながら振り返ったレンが見たのは、顔の火照りが治まり、今度は頭が火照りだしたフレイの姿であった。
未だ床に座り込んだままであるが、なにやらブツブツと一人で呟いている。

「またされた。四回目よ、されたのは正確に三回目だけど。私の時はノーカンよね? だってわけわかんなかったもん」

このままでは何時までもそうしてそうなフレイの肩へと、慰めるようにレンは手を置いて言った。

「もう、色々と諦めろ。なんだか慣れてきているように見えるぞ」

「そもそもアンタが抱きつかれたのが悪いんじゃない。船の上でも言ったでしょうが、隙だらけだって!」

「弟にキスされるような奴に言われたくはない。嫌なら嫌でちゃんとかわせ!」

「誰が嫌って言ったのよ!」

自分自身の台詞にハッとして、二人の間に奇妙な沈黙が下りた。
数秒、数分の間無言であった二人であるが、ぎこちない動きでレンが告げた。

「もう、寝るか?」

「うん」

再び、フレイの顔は赤みを取り戻していた。





まだ日が落ちる前から就寝に入ってしまったため、眼が覚めたときは始めそのせいだとレンは思った。
カーテンの敷かれていない窓からはわずかな月明かりと、星のきらめきが届くばかりである。
だがそれに混じって、不快とまでは行かないものの、なにか闇にまぎれて動く気配のようなものを感じた。
跳ね飛ばすようにかぶっていた布団を跳ね上げると、防具類は無視してアマノムラクモの剣だけを手に取り、フレイの寝ているベッドを蹴った。

「おい、起きろ。来て欲しくない方の客人だ」

「ん〜〜、客? アム代わりに追っ払っておいて。お姉ちゃんはまだ眠いの」

「さっさと起きろ、寝ぼけるな!」

らちが明かないと敷布団の方を捲り上げると、当然のようにフレイはベッドから転げ落ちた。
なにやら痛みを訴えて叫んでいるが、それよりもレンは部屋の入り口の向こう側に居る気配へと集中した。

「ちょっと、なに?! なにかあったの?」

「これから起きるんだ。武器を持って構えろ」

「杖、さざなみの杖」

フレイがあたふたしている間にレンは誰がと思ったが、考えるまでもなかった。
ダーマに着たばかりで、自分たちを邪魔に思うのは一人しか居ない。
しかもセイとアムルがすぐにやってこないのも、同じように部屋の中で構えているからだろうか。
鍵をしっかりかけておいたはずのドアノブが、ゆっくりと周り少しずつドアそのものが開いていく。
くるかとレンが身を僅かに沈ませた時、窓ガラスが破られガラスが飛び散る音が響いた。

「後ろだとッ!」

逆を突かれたかとレンが振り返るよりも先に、フレイの喉下に小刀を突きつけるあの黒装束の男がいた。
抵抗は無駄だとすぐにレンは持っていたアマノムラクモの剣を捨て、ならうようにフレイもさざなみの杖を足元に落とした。
見計らったかのように部屋に入ってきたのは、ダーマ神殿の大神官長であるサイードであった。

「これはどういう了見でしょうか、サイード殿」

「いえ、これは極秘情報なのですが、最近勇者一行を名乗る偽者が横行していましてね。疑いをかける事すら無礼は承知の上です。ご理解いただけますか?」

「あっきれた。よくもまあ、そんな口からでまかせ……すみません。黙ります」

本心での言葉であったが、サイードが睨むのと同時に首もとの刃が近寄り、慌ててフレイは言いなおした。
確かに口からでまかせに近いレベルではあるが、悟りの書の破壊を止めるには有効であった。
あくまでサイードが手を出せないのはアムル、フレイ、レンの三人であり、逆に言えば一番悟りの書を破壊したがっているセイだけは違うのである。
どんな手を使ってでもセイさえ止めれば、後はどうにでもなると考えているのだろう。

(でも、ここまでされちゃあ私やレン。特にアムルなんか、絶対破壊してやろうって思っちゃうけどね)

ギリギリの手だなとフレイだけでなく、レンも同じように心の中で思っていた。
とりあえずこの状況では相手に身を任せるしかないと傍観していると、サイードの下へともう一人黒装束の男が現れた。
何を報告されたのか、驚きの後、レンとフレイを忌々しげに睨み付けてきた。

「また出し抜かれるとは、私らしくもない。そちらのお二人を丁重に……嫌、一緒にお連れしよう」

「何処へ連れて行くつもりだ?」

「白々しいですな、わかりきったことを。当の昔にガルナの塔へと向かった愚か者とアムル君の元へだ」

置いていかれた、そんな事がされるとも思うはずもなく、レンもフレイも言葉がなかった。

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