好天に恵まれながらジパングを出向したアムルたちの船は、ジパングから一路、ダーマへと向けて北上していた。 正確には、ジパングから西の大陸に突き当たるまで進み、そこから大陸に沿って始めは南下、川が見えたらそこを北上と言う形となる。 だが実際の船の移動はドルフ率いるポルトガの船員たちが全てを仕切ってくれるので、アムルたちはただ着くのを待つばかりである。 となると、何度目の事かフレイの船酔いが始まり、天気が良いにも関わらず彼女は船べり近くに体を預けうなだれていた。 「あ〜、気持ち悪い。吐きそう……」 いつまで経っても船の揺らぎになれず、いっそ船酔いそのものに慣れてしまった方が楽なのではと思ってしまう事もある。 またアムルでも呼びつけて抱きしめてやろうかと思った瞬間、フレイはその考えを全力で振り払っていた。 「調子に乗らせるとまたキスされるかもしれないじゃない。でも、この気持ち悪さと引き換えなら。どうしよう」 船酔いに加え、最近の悩みを悶々と考えふける。 すると珍しく不機嫌以外で眉根をひそめているレンが、こちらへと向けて歩いてくる。 だがそれはフレイの方へではなく、単に所在無く歩き回った結果でもあった。 それを証明するかのように、レンがフレイの存在に気づいたのは、彼女もまたフレイのように船べりにその身を預けた後であった。 「ぬお、貴様急に驚くではないか。いるならいると言え」 「ここにいるわよ〜……今言ったわ」 「相当具合が悪そうだな。それなら以前のようにあの」 急に言葉を止めたレンは、その続きを言うのを躊躇い、結局何も言わずに地平線の彼方へと視線を向けた。 なんとなく察したフレイの方が、レンの言葉を続けた。 「薬なら、セイに作ってもらったわよ。さすがダーマの神官長ともなればいい薬を知ってるわね。あれ? 僧兵長だっけ?」 「その両方だ。ダーマには昔から神官と僧兵と二種類の僧侶がいる。政や教えを説く神官と、争いを沈め、命を絶つこともある意味許された僧兵。その違いは城の文官と武官のようなものだ。もちろん、例に漏れず仲は悪い」 「がり勉と体力馬鹿って? でもあのセイが両方の長だったって本当かしら。私には未だにただの馬鹿に見えるけど」 「本当にそうか? 今まであいつの懐の深さに一度も世話にならなかったか?」 フレイに否定の言葉は一切上げられなかった。 いつも馬鹿なことを言っては自分たちに殴られているが、いざ自分たちが迷い立ち止まろうとしたときにはそれとなく助言をくれる。 フレイ自身は、ロマリアで仲間と言うものに迷ったときに。 アムルは、ノアニールで父と勇者としての考えに迷ったときに。 そしてフレイは知らないが、レンはイシスで自分の心に迷ったときに。 「ちょっと納得した」 「だろう、奴の懐の深さは四人の中で一番深い。包容力と言い換えても良い」 珍しくセイを熱く語るレンの姿に、フレイの頭にとある考えが唐突に浮かんできた。 「もしかして、アレに惚れてる?」 「どうしていきなりそうなる!」 「だってアンタってあんまり人を褒めないじゃない。それに前の経験上……その、包容力がある自分をしっかり持ってる人が好みなのかなって」 「知らん。そういう考えは一切ない。とにかく、私が言いたいのはだな」 それが何かを言う前に、船首に近い場所で歓声の声があがった。 いつの間にか人だかりができているようで、船長であるドルフさえ交えて何かを観戦しているようだった。 フレイとレンは一旦会話を中断させて顔を見合わせると、そちらへと歩み寄っていく。 船にいる全ての人間が集まっているのではと思える人だかりを掻き分けて前へと陣取ると、人だかりがぽっかり口を開けたそこには良く知る顔が二つあった。 「いつでもいいぞ、アムル」 すっかり元に戻った口調で言ったのは、これまた見慣れぬ胴衣に身を包んだセイであった。 ジパングで来ていた空色の法衣ではなく、夕闇を思わせる半そでとハーフパンツの胴衣である。 それに対しアムルは、背中の誓いの剣を抜かぬまま、その体を低く構えていた。 「わ、珍しい。アムとセイの手合わせなんて。アンタは混ざらなくていいの?」 半分冗談で言ったのだが、レンはは短く「いや、いい」と言っただけであった。 気が抜けたように再び視線をアムルとセイに戻すと、すでに二人の手合わせは始まっており、先に飛び出したアムルが仕掛けていた。 矢のように駆け抜けたかと思うと、何故かセイのいる場所を通り過ぎてしまい、悔しげにアムルが歯噛みをするのがわかった。 今度はセイの手前で左に向かうと見せかけ右へと回り込むと、そのセイの足を払おうとしゃがみながら足を伸ばす。 対するセイは片足をあげてかわすのかと思いきや、タイミングを見計らい、アムルの足が丁度あたるタイミングで強く甲板を踏み抜くように下ろした。 虚とタイミングを計った事で本来の足払いの威力はそがれ、逆に利用されてしまった。 セイは長い足を巻き戻すように止めたアムルの足を絡めとってその小さな体を持ち上げた。 アムルが浮遊感を感じたのは一瞬の事であった。 気がつけば周りの船員たちへと体が吹き飛んでいたからだ。 「まさに子供扱いだな」 冷静に観察していたレンの言うとおりであった。 だがそれは体の成熟、未成熟の話ではなく、自分を知り理を得ているかどうかという意味であった。 アムルは素早さが飛びぬけているが、技術が荒い。 反対にセイは素早さこそアムルに劣るが、高い技術を持ってそれを補っている。 (確かに元僧兵長というだけあって強い。私も勝てるかどうか、いや。勝てないだろうな。それほどまでに強い、だからこそ私は……) 何を思ったのか、アムルとセイの手合いを最後まで見もせずにレンは背中を向けだしていた。 「あれ、レン? アンタ挑戦しないの? レンってば!」 フレイが呼び止めてもレンは立ち止まらなかった。 何か様子が変であったが、アムルが気にもなっているフレイはどっちつかずでオロオロしてしまっていた。 当然その間にレンは船員の間をぬって船室か何処かへといってしまっていた。 「どうした、アムル。なんか動きがぎこちないぞ。オロチと戦った時は、もっと速かったはずだぞ」 「なんか兄ちゃんにそう言われるのも変な感じ。またちょっとルビスの呪いが強くなってきた影響だよ」 「呪いが強くなってきたって、もう解けちまったんじゃねえのか?」 「一時的に弱めただけだもん。あ、フレイ」 不満そうにひよこ口を作っていたアムルがフレイに気づいて手招きをする。 なんだろうとフレイが一歩を踏み出すが、そこでその足は止まっていた。 冷静な頭が、アムルは先ほどルビスの呪いがとか言っていなかっただろうかと繰り返す。 つまり、呪いの効果を薄めるにはどうするつもりだろうか。 「あは、ははは。私まだ船酔いだから、船室で大人しくしているわ。それじゃあ!」 それ以上何か言われる前に、この大勢の目の前でキスをかまされる前に、フレイは逃げ出した。 船のたびは昼間でもすることが少なければ、夜はなおさらする事がなかった。 ゴロゴロするどころか、じっとしている事すら苦手なアムルは、闇に染まった船内をブラブラと歩き回っていた。 厨房に顔を出してあまり物をつまんだり、仲のよくなった船員たちのゲームに混ぜて貰ったり。 それすらも最近はルーチンワークと化しており、目新しいものを求めて歩いていたのだ。 「暇だなぁ。暇、暇。最近なんだかフレイがよそよそしいしのが悪いんだ。一緒に寝てもくれないし、なんでかな?」 気まずいという考えが一切ないアムルの呟きが答えに行き着くことは永遠にないであろう。 そのままブラブラ歩いているとやがて船内にも行き場をなくし、仕方なく夜の甲板へと足を向けた。 船室へのドアをくぐれば、あたり一面の闇の中で、光は手元のランプと空に輝く星々。 「こ、怖くないよ? うん、怖くないってば」 あまりの闇の広さに自然と口ずさんだアムルは、船内でと同じようにブラブラし始めようと足を動き始めた。 「アムルか?」 「うわっ!」 その時急に明かりもない方向から名前を呼ばれ、飛び上がりそうになるぐらいにアムルは驚いていた。 ドンドンと心臓が体をノックする音を聞きながらランプを向けると、夜の海を眺めているレンがいた。 「レン、明かりもなしに何してるの? 落っこちたら危ないって船長に怒られるよ?」 「すぐに船内に戻るつもりだったからな」 なんとなくその言葉が嘘っぽく、レンの手に触れるとひんやりと冷え切っていた。 「嘘だ。手が冷たいよ」 「ああ、嘘だ。ずっとここで考え事をしていた」 あっさり嘘を肯定したが、またレンは海を、闇色と星の光をを映し出す海を見つめていた。 アムルは波が穏やかなのを確認すると、レンと同じように船べりへと近寄り手をかけてレンを見上げた。 ランプの明かりだけではどんな顔をしているのかわからないが、普通でない事だけはわかった。 「なに考えていたか聞いていい?」 「恋愛」 「へっ?」 イメージとは違いすぎる返答に目を丸くしていると、少し笑いながらレンが言ってきた。 「嘘だ。どうすれば強くなれるか考えていた」 レンは冗談めかしてうやむやにしたかったようだが、アムルは嘘だというのが嘘なんだとなんとなく理解していた。 だがレンが何を悩んでいるとか肝心の部分は何も理解できずにいた。 なんと言えばいいのか迷っているうちに、レンの方から語りかけてきた。 「アムル、これは知り合いの話なのだが……知り合いだぞ、私ではないぞ」 何故か知り合いだというところを何度も強調してから、話し出した。 「その知り合いなんだが、昔付き合っていた男がいたんだ。そいつはとても強かったんだが、いろいろあって別れた。次に現れた男は酷く馬鹿でな。だか心というものが解っている。その知り合いは少し惹かれたのだが、問題が発生した。実はその馬鹿はとても強かったのだ。どうすればいいと思う? その知り合いがだぞ?」 もう一度強調してから尋ねたが、レンは尋ねたことを後悔してしまう事になった。 顔をくしゃくしゃにして何とかレンの話を理解しようとしているアムルだが、言い回し方法が悪く混乱しているようだったのだ。 恋愛のれの字も知らなさそうなアムルであるからして、仕方がないと思うレンであった。 だが何故か、アムルは正確に見抜いていた。 「えっとレンは、兄ちゃんが実は強かったから、アモンのおっちゃんの時と同じように単なる強さを好きになったんじゃないかって不安なんだよね?」 「ちょっと待て、私は単に知り合いの話をしているだけだ! ちゃんと聞いていたのか、貴様は!」 まさかそこまで見抜かれるとは思わず、静かな海の上にレンの叫びがこだました。 アムルの襟首を掴みながら叫んでしまったレンは、しまったと聞こえていないだろうなと船室の方へと視線を向けていた。 それから自分を落ち着かせ、アムルを下ろすと二、三回深呼吸を繰り返してから、凄んだ顔をアムルに向ける。 ついでに怒ってないよと示すために伸ばした手は、パシパシとぎこちなくアムルの頭を叩いていた。 「いいか、私がしているのは私の知り合いの話だ。そのところを間違えるなよ?」 「う、うん。レンの話じゃないし、兄ちゃんは何の関係もないんだよね」 「そうだ。で、答えは?」 「えっと…………別に何もしなくていいんじゃないの?」 当然のように答えてきたアムルを抱えると、投げ込んでやろうかとばかりに振り回す。 アムルの方は、闇色の海面が近づいたり遠ざかったりと怖く半泣きである。 「ちょっと、止めて。怖いよ、止めてよ!」 「私は結構真面目に聞いているのだがな。思いっきり聞いた相手を間違えたとは思っているが」 イライラとしながらアムルを下ろすが、アムルはまだしつこく自分の意見を変えていなかった。 「だって前は前、今は今でしょ? 絶対に同じ事にはならない」 「だが似たような事にはなるかもしれないではないか」 思わずそう揚げ足を取ってしまったレンであるが、顔を上げなおしたアムルの瞳に息を呑んだ。 今までアムルが見せたどの顔とも違う。 全くの子供の無邪気さもなく、戦闘のときのみに見せる大人びた瞳でもない。 まるで眼前に広がる闇色の海と同じ、底を知らない深いとても深い色を持つ瞳。 「でもそれを怖がってたら、何もできないよ。僕はフレイが、姉ちゃんが好き。たとえ姉弟だとしても。この気持ちが造られたもの、以前と同じものかもしれない。でもそんな事知るかっていえるぐらいにフレイが好き」 アムルの持つ雰囲気に気おされながらも、なんとかレンは言葉をつむいだ。 「以前とは何を言っているのだ? フレイと姉弟であることに以前も何もないだろう」 「あれ? そういえば、なんだ。何言ってるんだろう? あれ?」 自分で何を言ったのか理解できていないのか、首をひねり出したアムル。 大丈夫かコイツといった視線を向けるレンであるが、全く意味の解らない言葉でもない場所だってあった。 怖がっていたらなにもできない。 確かにその通りであり、何もできないというのは逃げたという事であり、レンがもっとも嫌うものでもある。 「ただし、それだけの勇気があればという話だな。前進したようで、しばらくはまだ変わりそうにないな」 「あれ? 何が言いたかったのかな。フレイは姉ちゃんで、俺はフレイが好きで。でも以前ってなんだ? 姉ちゃんに姉ちゃんはいないよな?」 結論を口に出して呟いたレンは、未だ混乱しているアムルを前にしてややかがみこんだ。 手を伸ばしてアムルの顎に手をかけると、クイッと上を向かせ空いた手で額に掛かる髪の毛を跳ね上げる。 「レン?」 「一歩か二歩程度だが、前進は前進。その礼だ」 最後にそう呟いて、唇をアムルの額にそっと触れさせる。 なんだか良くわからないがレンに元気が戻ったと笑おうとしたアムルだが、ふいに船室へのドアが音を立てて開きだした。 まるで幽霊がドアを開けるようにゆっくり開きだしたそこからは、幽霊の方がマシであろうと考えさせられるものが立っていた。 「なかなかレンが帰ってこないから心配してきてみれば、アムと浮気? ちなみに釈明は聞き入れないわよ。レンには色々前科があるんだから」 「また貴様が勝手に勘違いした話を」 「アムもアムで、無防備すぎ! アンタ前にもルミィに不意打ちでキスされてたでしょ!」 「そんな前の話をされても」 レンとアムルに順々に突っ込まれてもフレイの怒りはまだ収まっていなかった。 というよりも、さらに加熱していた。 「うるさい、うるさい、うるさい。とにかくアムはしばらくキス禁止。私にもレンにも!」 「えーーッ!!」 「黙らっしゃい。ちなみに一緒に寝るのも、手をつなぐもの禁止! 禁止ったら禁止ッ!!」 「じゃ、じゃあ一緒にお風呂は?」 「もっと禁止に決まってるでしょ、アムのスケベッ!」 アムルがポカリと殴られているうちに、こっそり忍び足で逃げようとしたレンであるが、そうは問屋がおろさなかった。 まるで獲物を狙う鷹の爪のように手のひらを伸ばして逃げ去ろうとするレンの襟首をつかまえていた。 逃げ切れなかったレンは結局そこで諦め、甘んじてフレイの自分本位な説教を受ける事となった。 翌日には、眠そうに眼をこすりながら、アムルから半径数メートルの距離を必死にとろうとするレンの姿があったとか、なかったとか。
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