第十一話 ダーマの悲劇


ダーマに進路をとる前に、アムルたちがセイに突きつけた条件は、全てを話す事であった。
一体過去にダーマで何が起こったのか、何がセイをそこまでダーマ不信に陥らせる事になったのか。
ジパングでの最後の夜、一つの部屋に集まったアムル、フレイ、レンはセイから一つの過去を知らされた。
それはダーマがコレまでに行ってきた知られざる暗部。
本来ならば決して外に漏れてよいような類の話ではなかった。

「ダーマの歴史は同じ神殿であるランシールよりも浅く、言わば精霊ルビス教の分家。その昔から受け継がれてきた劣等感が神殿を歪めていた。その歪みの中で俺の妹は、悟りの書と言うルビスの遺産を前に生贄としてささげられた」

セイが話した内容は今から四年前、セイがまだ十五歳であり、一年勤め上げた僧兵長に加え、神官長をも兼任することになった年であった。
その歳にセイの妹であるセイラームが悟りの書に取り殺された年であった。





「セイリュードお兄ちゃ〜ん!」

ダーマ神殿の神官と僧兵にしか立ち入りを許可されていない区画に、なんとも能天気な声がこだまする。
呼ばれたセイリュードは周りにいた同僚の僧兵たちの苦笑を黙らせるために咳払いを一つして、声の主へと振り向いた。
同時に胸元に飛び込んできた小柄な女の子を受け止め、拳の裏を軽くコツンと落とす。

「こら、神殿内でお兄ちゃんは止めろと言ったはずだ。セイリュード僧兵長だろ? 巫女セイラーム」

「ぶー、だってセイリュードお兄ちゃんってばちょっと前に神官長にもなったでしょ。紛らわしいからお兄ちゃんでいいの!」

「紛らわしいって、そういう役職だから仕方がないだろう。神官長セイリュードからの命令です。すぐに態度を改めなさい、巫女セイラーム」

周りの同僚の忍び笑いの手前、兄でいることはできず毅然とした態度をとった事は逆効果であった。
セイラームのまん丸の顔をもっと膨らませてしまう結果となるだけである。

「やー」

「お前もうすぐ十四だろ。子供みたいな…………」

ぷいっと顔は背けられ、気がつけば同僚だけでなく道行く他の巫女や神官たちにさえ笑われていた。

「ああ、お前ら先に行っててくれ」

「お疲れ様です。セイリュード僧兵長」

「うるさい、さっさと行って日課をこなして来い」

追い払うように同僚たちを先に行かせると、セイリュードは未だ頬を膨らませているセイラームの手を引いてあまり人の来ない廊下へと歩いていく。
一本道の廊下の手前と奥に人気のない事を確認すると、今度こそ兄としての口調に変える。
もっとも、細かい際などはセイラームぐらいにしかわからないであろうが。

「それで、お前は私を陥れて楽しいのか、セイラーム?」

「可愛い妹が甘えてるんだから、受け止めてくれればいいじゃない。けちぃ」

「はいはい、可愛い妹に甘えられて私もうれしいよ。ああ涙が出そうだ」

あまりにうそ臭い棒読みの台詞に、むっとするセイラームだがなんとか耐えたようだ。
と言うよりも自分から呼びかけておいて、無視を決め込むつもりらしい。
きつく閉じた口がその証拠であるが、セイリュードは黙って自分と同じサラサラとした、だが色は母親似の金髪の頭に手を置いて撫で付ける。

「ここでの生活が辛いなら、止めてもいいんだぞ。バハラタ辺りの一等地とは言わないが、それなりの家で、それなりの暮らしをさせてやるぐらいはできるぞ」

「…………お兄ちゃんはどうするのよ」

「知ってるだろう? 私が神官長に就任してから、神官と僧兵の確執が徐々にだが薄らいでるのが」

「知ってる。それでお兄ちゃんの夢がお父さんの跡を継いで大神官長になるってこともね」

あまり誇らしげには聞こえない声に、セイリュードは苦笑するしかなかった。

「今のダーマは何処かおかしい。人に道を説くような奴らがいがみ合ってるのがだ。人に道を説く前に、自分の道が見えてないなんて矛盾してる。私はそこからダーマを立て直したいんだ。別に父さんの跡を継ぐ云々は正直どうでもいい」

セイリュードの言葉に嘘は一欠けらも見つからなかった。
ダーマ神殿に少しでも関われば、神官と僧兵の確執はいたるところで見受けられる。
しかも勤勉な神官はわりと裕福な家柄の人間で、血なまぐさい事もする僧兵が孤児など貧しい家の人間であるからなおさらである。
決して埋まらないその溝を埋められるものは誰もいないと、半ば諦められていた所に現れたのがセイリュードであった。
家柄こそ大神官の子息であるが、神官の学だけでなく、同時に過酷な僧兵の武を収めた秀才。
皆神官と僧兵の確執を何とかしたいと思っているからこそ、セイリュードに掛かる期待はとてつもなく大きい。

「大変だね、皆がお兄ちゃんに期待してる」

「期待するだけ、その時には皆協力してくれるさ」

「うん……あのね、その。協力ってわけじゃないんだけど、今度私悟りの書の洗礼を受けようかと思うの。そうすれば女性神官にもなれるし。ほら、お兄ちゃんの味方になってくれる人は一人でも欲しいでしょ!」

悟りの書の洗礼、それは十数年前からできた洗礼らしく詳しい事は大神官か、それに近しいものしか知らない。
ただ近年出てきた女性の神殿での地位の押し上げのための制度とも言われ、これまでになかった女性神官も多数生まれている。
考えればよい方向に動いている制度だと、誰一人として反対の声を上げるものはいない。

「あまり無理はするなよ。お前がこけたぐらいじゃ、私も父さんもどうってことないからな」

「微妙にないがしろにされてる気がするんだけど、気のせい?」

「気のせいだ。まあ、お前が無事女性神官になれたら、私が大神官になった時に秘書ぐらいにしてやるよ」

「やらしぃ、お兄ちゃん何考えてるの。知ってる、お父さんとお母さんはそうやって出会ったのよ」

小生意気にも、下からいやらしく見上げるセイラームにセイリュードはコツンと再び拳を振り下ろした。
それが、悟りの書による洗礼が行われる一週間前であった。





異変は、悟りの書による洗礼が行われてからであった。
総勢九名もの巫女が名乗りを上げ、八名が女性神官と言う位を授けられ新たなる勉学に励んでいる。
だがたった一人、女性神官どころか、姿さえ見えなくなってしまった者がいた。
それはセイラームであった。
一日程度であれば、なにか洗礼の最中にトラブルでもあったのかと、心配になるぐらいですむがそれが三日、四日となると心配では済まされない。
何も知らされないセイリュードが、立場を超えて大神官である父の執務室に飛び込んだのは言うまでもない。

「父さん、一体どういうことだよ。なんでセイラームだけが帰ってこないんだ! 答えてくれ!」

「セイリュード神官長、ここは大神官長の執務室だ。礼はどうした?」

「父さん!」

以前セイラームに注意した事であるが、さすがにこの場合にそれはないとセイリュードは咎めるように叫ぶ。
だが大神官長であるサイードは、それでも済ましたものであった。

「忘れろ。セイラームの事は忘れて、コレまでどおりにするのだ。セイリュード神官長」

「何を……妹を忘れろってどういうことだよ!」

「私も、まさかセイラームが選ばれるとは思わなかった。悟りの書がセイラームを選ぶとは思わなかったのだ。だが、コレまでの所業を我が子だからとやめるわけにもいくまい」

「選ばれたって、悟りの書の洗礼って何なんだよ!」

近くのテーブルに躊躇なく拳をたたきつけたセイリュードを見て、いたたまれなくなったのかサイードは短く着いて来いと述べた。
何も知らされぬままにセイリュードが連れられていったのは、大神官長しか立ち入りを許されぬダーマ神殿の最奥であった。
そこからさらにいくつもの隠し扉を抜け、隠し階段まで下りた先にあったのは牢屋以外のなにものでもなく、そこにはセイラームが捉えられていた。

「セイラーム!」

「お兄ちゃん、セイリュードお兄ちゃん。これってどういうことなの。ただ悟りの書の前に座らさせられて、それで悟りの書が光ったら選ばれたってこんな所に」

「選ばれてしまったのだよ、セイラーム」

鉄格子を挟んで抱き合う兄妹に告げたのは、実の父であった。

「悟りの書の洗礼とは、女性神官の選出などではない。悟りの書に、生贄を選ばさせる儀式なのだ。そして、選ばれた者はその身を悟りの書に、精霊ルビスに捧げなければならない」

「ならないって、まさかこの制度が生まれてからずっと」

「ひどい……そんなのって、ないよ」

「確かに事の表面だけを見れば、誰もがそう思うだろう。だからこそ、これは大神官長とその側近にしか実の内容を知らされていない。もっとも、本当に本当の意味を世間に知られれば、大混乱に陥るであろうがな」

生贄を捧げなければならない事実よりも大切なものがあるのかと、思う間もなくサイードが問うた。

「私がお前をここに連れてきたのは、セイラームを密かに逃がすためではない。セイリュード、いずれ大神官長を継ぐつもりなら、受け入れろ。ダーマの暗部も。そうでなければ、お前に大神官長になる資格はない!」

「俺は……認めない。例え精霊ルビスが生贄なんか欲しても、俺は差し出さない。例え父さんが認めなくても、俺は俺のやり方で大神官長になって変えてやる!」

「お前ならそう言うと思ったよ、残念だ」

最後の言葉が合図であるかのように、何か黒いものがこの狭い牢屋のための部屋の中を跳んだ。
元々薄暗かった部屋のせいで、それが黒装束の人影だと気づいた時にはセイリュードは顔に衝撃を受けて冷たい石畳の上を転がっていた。
まさか実の父が排除行動に出るとも思わず、何の抵抗もできないままにセイリュードは謎の黒装束に打ちのめされていった。
セイラームの止めてと叫ぶ声も届かない場所へと、セイリュードの意識は落ちていった。





「セイリュード僧兵長、セイリュードさん!」

次にセイリュードが目を覚ました時には、地下牢のせいで昼か夜かもわからなかったが、慣れ親しんだ部下である僧兵が自分の体を揺さぶっていた。
いささか朦朧とする頭だが、すぐに意識を覚醒させると、自分がセイラームのいたであろう場所に似た牢に閉じ込められていた事に気づいた。

「ここは、どうして」

「それがセイラームちゃんに続いて、セイリュードさんまで行方不明になって僧兵たちが総出で探し回ってたんです。もう思い切って大神官長しか入っちゃいけない区がまで入ってみたら、このあり様です」

「セイラームは、セイラームはここにはいないのか?!」

「姿はみてません。ですが、神殿の裏からセイラームちゃんらしき人影をつれた見慣れない奴らと大神官長を見たって奴がいます」

いつ見たのか解らないが、それほど遅くもないだろうと勝手に決め付けると、セイリュードは立ち上がった。
すると何者かに傷つけられたはずの体が、痛みもなく動いたのだが考えるのは後であった。
生贄とは誰かが手を下すのか、悟りの書が何らかの力を発するのかはわからないが、行動は早ければ早いほど良い。

「誰か手の空いてるもの数人と、馬を外に集めろ。神官たちが邪魔したら、俺の名前を出せ」

「解りました。セイラームちゃんを追うんですね?」

「もちろんだ。詳しい事は道中で話すから、できるだけ急いでくれ」

僧兵が急いで隠し階段を上がっていくと、セイリュードは大声を上げた。
信じていた物の予想以上の腐敗に、気取って正すんだと息巻いていた自分の滑稽さに。
それからすぐにセイリュード自身も階段を上っていくと、まさに神殿内は大混乱に陥っていた。
もしかすると、悟りの書の洗礼の奇妙さに気づいていたものが他にもいたのかもしれない。
呪文と拳、神官と僧兵が入り混じり真っ二つに割れていた。

「セイリュードさん、こっちです。言われた通りそろえておきました」

先ほど自分を迎えに来た僧兵が指差したのは窓の外であり、先に飛び出した僧兵に従うとすでに三人の僧兵たちが馬と一緒に待っていた。
もしかするとこの仲に自分と同じように姉か妹の犠牲者がいたのかもしれない。
馬にまたがり手綱を握ると、セイリュードは大きく腕を振って前進の意を伝えた。
馬が走り出した先は来たにまっすぐ、悟りの書が安置されているガルナの塔である。
そして事情を説明すると三人の中に一人、やはり自分と同じ事情を持ち、ひそかにこの時を待ち構えていたものがいた。

「良くも悪くも、今日ダーマはひっくり返ります。現大神官長の政権が続くか、セイリュード神官長、貴方の政権が始まるかです」

政権は冗談であったのかもしれないが、ひっくり返ると言う表現は間違いではなかった。
もう、今日の神官と僧兵との衝突を持って溝は底なしとなっているはずだ。
その時点でセイリュードの夢は壊れてしまっているが、まだその手につかめるものが一つだけ残されていた。

「ガルナの塔までわき目を振るな。一直線に目指せ!」

自らを鼓舞するように叫んだ瞬間、悲鳴と共に一人の僧兵が馬から転げ落ちた。
その上にハイエナのように黒装束に身を包んだものが飛び掛り、喉元に小刀を走らせた。

「一体、どこまでダーマは腐ってたんだ!」

牢屋では気づかなかったが、明らかに表の世界に出てくるようなものではなかった。
僧兵と言う兵を持ちながらもさらに暗殺者のようなものまで、雇っていたのかと思うと吐き気がした。

「セイリュード神官長、先に行ってください。ここは私が食い止めます」

たとえ僧兵と言えど、暗殺者相手に何処まで抵抗できるかはわからない。
だがその意味を汲み取った上で、セイリュードは頼んだと言葉を残してさらに先を急いだ。





一人かと思われた暗殺者が、一人、また一人と現れるにつれ、こちらの僧兵も一人、また一人と減っていった。
丁度といっては彼らに対して不敬であろうが、暗殺者と僧兵の数が丁度であった事は幸運であった。
ガルナの塔へと一人でたどり着いたセイリュードは、頭に叩き込まれたガルナの塔の地図を頭から引き出しかけていった。
急げ、急げとまくし立てる思考に活を入れながらもセイリュードが向かったのは、悟りの書が安置されている四階。
そこへの扉を開けた瞬間に、ガルナの塔全体が大きく揺れた。

「くっ、セイラーム!」

「セイリュードか……遅かったな」

振り向いたサイードの向こうには、セイラームが確かにいた。
だがその体は悟りの書によって支えられるように淡い光に包まれ浮かび上がっており、さらには悟りの書から解き放たれたページが高速にその周りを回っていた。
すでに意識もないのかまぶたを閉じてまるで眠るようにしており、セイリュードがやってきた事にすら気づいてもいない。

「セイラーム!」

「無駄だ。この状態になっては、全て手遅れだ」

「誰が聞くか。セイラーム、すぐに助けるからな。天と地にあまねく精霊たちよ。汝らの偉大なる力をもって邪を裁く一刃の風を与えたまえ、バギ!」

何故か邪魔をしてこなかったサイードであるが、無駄と悟りきっているからであろう。
そのわけは、セイが放ったバギがセイラームの周りを回る悟りの書のページに打ち消されたからだ。
たわむどころか、揺らがせる事すらできなかった。

「無駄と言ったであろう、セイリュード」

「うるさい、諦めない。絶対に、天と地にあまねく精霊たちよ」

「無駄だと言っているのが何故わからん!」

「汝らの偉大なる力をもって邪を浄化する聖剣を我に与えたまえ」

「まさか、そこまでだと言うのか、お前の力は!」

さすがに驚きを禁じえなかったのは、セイリュードが唱えた呪文が神官に与えられた攻撃呪文の最高位の呪文であったからだ。
セイリュードの両腕に風が絡みつき、自身を引き裂こうとするほどの竜巻へと成長していく。
体に裂傷が生まれようとも、セイリュードの視線は一点に注がれていた。
助けるのだと言う思いだけを乗せ、竜巻を宿らせた両腕を振りぬいた。

「バギクロス!」

二つの竜巻がそれぞれ逆向きに回転をしながら突き進む。
屋内で使うべきでない威力を秘めたその魔法は、塔そのものを四階フロアを破壊しながらセイラームを包み込む悟りの書へと向かっていた。
並みの生き物では四肢をもがれ、体を引き裂かれるであろうその威力である。
だがバギクロスが直撃する直前、セイリュードはセイラームを包む光が僅かに強まったのを見た。
さらに悟りの書のページが回転を早め、バギクロスに飲み込まれた。

「やったか?」

助け出せたのかと声を上げたが、すぐにサイードによって冷水を浴びせられた。

「いや、まだだ」

サイードの言葉通り、バギクロスが通り抜け、あたり一体が破壊されてなお、悟りの書はセイラームを放そうとはしなかった。
それどころか段々と悟りの書のページが回転を早め、球形だったそれが楕円形へと細く形を変えていく。

「セイラーム……セイラームッ!」

我を忘れ悟りの所へと殴りかかった刹那、奇異な音がセイリュードの耳へと届いた。
それは殴りつけた拳が潰れた音であった。
それでもなお利き腕とは逆の拳を使うも、結果は一緒であった。
触れる事さえ許さないとばかりに、両腕を潰されその痛みにセイリュードは無力感を味わいながら膝を突いた。
段々と楕円形から、人がそこにいられないほどに細くなっていく淡い光の中でセイラームの瞳が僅かに開いた。
それは悟りの書の慈悲だったのかは、わからない。
ただ一言、セイラームはセイリュードに継げた。

「ありがとう、セイリュードお兄ちゃん」

それを最後に、セイラームの体は光の中に消え、暴れ回転していた悟りの書のページ一枚一枚が綺麗に収まっていった。
残されたセイリュードは、ただ叫び、砕けた拳を叩きつけ、泣いた。





「そして、両手の怪我の治療もままならぬまま私はダーマを見限り、飛び出しました」

セイが全てを話し終えた後、我知らずフレイは涙をこぼしており、レンでさえ鼻の頭を赤くしていた。
そしてアムルはと言うと、無言のままセイに抱きついていた。
普段フレイにするのと同じように強く、押し付けるように抱きついていた。

「勇者アムル殿、私の願い聞き届けていただけますでしょうか? 悟りの書の破壊を願う私の思いを」

声が出ないのか、セイの服に顔を押し付けたままアムルはうなづいていた。

「ありがとうございます」

だが、セイのお礼を聞いてすぐに顔を離すと見上げながら条件をつけてきた。

「それ止めて。何時もの兄ちゃんに戻ってくれてたら悟りの書壊してあげる」

小さなお願いに、セイは確かにわかりましたと呟いた。

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