第十話 セイの正体


特別に用意されたジパングの家屋内のとある部屋の中に、唸り声が延々と響き続けていた。
唸り声がさらにくぐもって聞こえるのは、唸り声の主であるフレイが布団の中にうずくまるように引きこもっているからだ。
昨晩は疲労から泥のように眠ったのであるが、今朝起きて我に返ってからずっとこうである。
いい加減耳に残りそうなそれに嫌気が差したレンは、自分の布団を片付けて着替えると、布団の上から隠れているフレイの頭を軽く叩いた。

「うッ……う〜〜〜〜〜」

だが止まったのは手が打ち下ろされた後の一瞬であった。

「ああ、もう。いい加減にその唸り声を止めろ。ずっと聞かされる身にもなってみろ。いらいらする!」

「だって…………」

布団から顔だけを出してレンを見上げてきたその瞳は、見事に潤んでいた。
喜んでも悲しんでも射ないその瞳は、困惑を精一杯あらわしていた。

「あの子、急に私の事名前で呼び始めて。しかも好きって言ってきたかと思えばキスしてくるし」

「キスなら当にポルトガでしていただろうが。貴様の方からな」

「あれはなんだか悲しくてわけわかんなくて気がついたらしちゃってたから不可抗力よ!」

要はどうしていいのかわからなくて混乱しているのだろうが、どうしたいのかがさっぱりレンには伝わってこなかった。
かと言って放っておこうと部屋を出る素振りを見せれば、アムルがきた時の居留守のためにと引き止められる。
はっきりと言ってレンはうざったく思っていた。

「なんか私も貴様ら姉弟に感化されている気はするが……本当に今更だろうが。その歳で軽々しく抱きあったり、一緒に寝たり」

「今までは今までよ。どんな顔してアムに会えばいいのかわからないのよ」

「今まで通りでいいではないか。会ったらおはようと言って抱きつかれる。頭でも撫でれば終わりであろうが」

「その今まで通りができてればこんなにも悩まないわよ。絶対ギクシャクするに決まってる」

再び布団の中へと完全に引きこもってしまったフレイを前に、レンは奇妙な事に気がついた。
フレイの口から一言も弟だからと言う単語が出てこず、嫌がった様子が欠片もないのだ。
普段から二人は姉弟という意識が低く変だ変だとは思っていたが、こんな時にでもなければ聞くこともできない。
だからレンは思い切って核心を突いてみた。

「思ったんだが、お前とアムルは本当に姉弟なのか?」

ピタリと唸り声が止むと、考えもしなかったことを聞いたと言う顔でフレイが再び布団から顔を出してきた。
二、三度瞬きを繰り返したかと思うと、レンの言葉を確認するように繰り返してきた。

「アムと私が本当の姉弟じゃない?」

「あてずっぽうだがな。試しにアムルと結婚した所を想像してみろ」

言われてフレイはぽけっと無意味に天井を見上げ始めた。
恐らくレンに言われるままに想像し始めたのだろう。
一体どんな想像をしているのか、急に顔が赤くなり始めたかと思うと、えへっと笑い始めた。
まるで催眠術でも解くかのようにレンが両手を一度大きく鳴らしてフレイを我に返させると、突きつけるように言い放つ。

「普通、かどうかはわからんが。姉が弟と結婚した所を想像してうれしがりはしないはずだろう。想像してみろと言われた時点で、馬鹿じゃないのかと切り返すと思うぞ」

「た、試した事ないのにわかるはずないじゃない。それに想像したらアムの背が私より高くてちょっと格好良いなって思っただけよ!」

「なんだかとても不毛な言い合いをしているように思えてきたぞ」

目的地の見えない討論に徒労感を覚えていると、ふいに部屋と廊下の仕切りであるふすまがノックされた。
その途端に再びフレイが布団の中へと逃げ込むと、当の話題のアムルの声が聞こえてくる。

「フレイにレン起きてる?」

バタバタと布団の中で慌てだしたフレイのおかげで居留守は使えず、仕方なくレンは立ち上がり対応に向かう。
その際フレイはレンへと上手いこと言って追い返せと合図してきていた。
ふすまを開けるとすぐにアムルは部屋の中を覗き込んできた。
フレイのいる布団が不自然に盛り上がっているが、特に不思議に思った様子はない。

「フレイってばまだ寝てるの?」

「よほど昨日の事で疲れたのだろう。もうしばらく寝させてやっても良いと思うのだが」

「うん、そうしてあげたいけど。ヒミコが話があるからって皆を呼んでるんだ」

どうしようかなとアムルが困ったのは一瞬、良い事を思いついたとばかりに部屋へと入り込み盛り上がっている布団へと近づいていく。
止める間もないすばやい行動に、せめてレンは布団をはがされる前にとアムルに問いただす。

「待てアムル、なにをするつもりだ。疲れている者を無理やり起こすのは気の毒だぞ」

「無理やりじゃないよ。ほら、物語とかでよくある目覚めのキス。これなら気持ちよくフレイが起きられ」

「起きたー! あー、良い天気ね。今日も一日すがすがしい気分で過ごせそうだわ! あれ、アムってばいつの間に。おはよう、でも女の子の部屋にほいほい入ってきちゃ駄目よ。アムも十四歳なんだからその所しっかりしないとねー!」

無邪気なアムルの一言で、布団を跳ね上げる勢いでフレイは起き上がってきた。
両腕を挙げて窓から差し込む朝の光を元気良く賛美し、まるで今気がついたかのようにアムルに挨拶を交わして一言注意する。
キスの前にフレイが起きてしまったことで少し残念そうな顔をするアムルだが、すぐにフレイの注意にうなずきを返していた。
ギクシャク以前に、あまりにもその様が不自然で傍らで見ているレンなど、もはや笑うしかなかった。





ジパングで最初に訪れたヒミコの屋敷の謁見の間にアムルたちが訪れた頃には、すでにヒミコとその付き人、デイダラとジパング勢はすでに勢ぞろいであった。
なのにこちらはセイの姿がまだ見えず、フレイとアムルは奇怪な鬼ごっこを開始し始めていた。
均等な間を持って用意された四つの座布団、そのうちの一つにフレイが座ると、アムルは並べられた均等を崩してフレイのそばに座布団を寄せて座り込む。
一時の間を持ってフレイが間をあけると、アムルがまた近寄るといった繰り返し

「止めんか馬鹿ものども。これがジパングを救った英雄の姿かと思うと情けないぞ」

特にアムルをポカリと殴りつけたレンは、解決策として二人の間に座り込んだ。
おかげで奇妙な鬼ごっこは鳴りを潜めたが、アムルは姉を取られてにらんでくるし、フレイはアムルを殴ったことでにらんでくる。
さらにはヒミコやデイダラにも笑われる始末。

(なんだかまたアリアハンを脱した頃の子守に戻った気分だ)

深く、この頃忘れていたため息を思い出しながらついていると、笑いを収めたヒミコが切り出してきた。

「セイ君はもう少し時間がかかるだろうから、まずは女王巫女としてお礼を言うね。ジパングを救ってくれてありがとう、感謝しているわ。アムル君、フレイちゃん。それにヒメちゃんもね」

「ヒメちゃんは止めてくれ、姉上。それで呼びつけたからには重要な話があるのでしょう?」

ペコリと可愛らしい人形のように頭を下げてきたヒミコに、さすがのアムルとフレイも頭を下げ返していた。
これ以上ヒミコたちの前で醜態をさらさないようにと、レンは先を急ぐように促した。

「お礼と言うつもりでもないのだけれど、受け取って欲しいものがあるの。一つはこれ」

言葉でさしながらヒミコが首から外したのは、首飾りを模したパープルオーブであった。
それを持ったまま座布団に座っているフレイの前まで歩いてくると、表彰するようにフレイの首へとかけてやった。
フレイは首からかけられたそれを手に取り、紫色の輝きをしばらく眺めていたが、思い出したように口にする。

「でもこれって大切なものなんじゃないの? いらないのかって聞かれたら、欲しいけれど」

「代々の女王巫女に受け継がれてきたものだけど、そういうのは他にもあるし。たぶんこの先必要になるときが来るだろうしね」

アムルのような勘ではない、確信のような言葉を吐いたヒミコにかわり、デイダラが言ってくる。

「テドンに寄ったお前らならすでに知っているかもしれんが、口伝で受け継がれているものだ。世が乱れ、世界を闇が包み込もうとする時、二大精霊それぞれに認められた二人の勇者が現れるであろう」

「より優れた勇者に渡すべし」

アムルが呟き思い出したのは、あの黒づくめの鎧を着たシンの事であろう。

「ん〜、口伝の事を考えると勇者は二人現れなかったんだけどアムル君が優れた勇者である事には間違いはないと思うの。だからそパープルオーブは貴方のものよ」

「そしてこれは俺からなんだ。アムルがオロチの腹から持ち帰ったアマノムラクモの剣、こいつはレン、お前にやるよ」

「ちょ、やるってそんな無造作に。なんだか軽々しいぞ」

本当に無造作に投げつけられた剣を受け取ったレンは、神剣とまで言われたそれを慌てて受け取った。
あまりにもぞんざいな行為を咎めるが、デイダラは気にした様子もなく言ってのけた。

「いつまでも過去の偉業に囚われるのも良くねえからな、いずれそれ以上の剣を作るから必要ないのさ」

それでもまだお礼の品々は途切れる事はなく、刀剣、杖、防具類から金銀財宝を詰め込まれたつづらまで渡されそうになった。
死んでしまった兵士遺族のためにも金は必要だろうから、つづら一杯の財宝は諦めたが、それ以外の特に防具類は重宝する事になるだろうからありがたく頂く事にした。
すでに実力は一流であるのに、アムルたちの装備、特に防具類がはあまりにも貧弱であった。
なにしろアムルやフレイは未だに旅人の服であり、駆け出しの冒険者と変わらない装備なのだ。

「予備品は先にいくつか船に運び込んでおくとして、気に入ったものがあったら今すぐ着てみる? となりに着替えのスペースを用意しておいたけど」

隣の部屋を指差して、ヒミコの瞳はぜひ着替えて見せてと言っていた。

「私の袴も相当くたびれてきているな。だが予備だけを運び込んでもらうだけでいいか。これもまだきられない事は」

「駄目よ。ちょっとこっちにきなさい。アタシが見繕ってあげるわ」

ヒミコの熱意に反して反応の薄いレンの袖を掴み、フレイがすごい勢いで隣の部屋へとひきずっていく。
レンも抵抗していないわけではないが、フレイとヒミコの二人掛かりで引っ張られては服が伸びてしまう事を懸念してしまう。
諦めたレンが隣へと引っ張られていくと、用意された防具類を眺めながらアムルが悩んでいた。

「デイダラのおっちゃん、俺ってどういうのつけたらいいのかな? あんまり動きにくいのはつけたくないんだけど」

「あ、なにがだ?」

レンとセイがいないために、手ごろな相手を選んだつもりだが、そのデイダラは何人もの女官を引きずりながら隣の部屋を覗き込もうとしていた。
アムルの手が誓いの剣に伸びるのを誰が止めようか。
むしろ歓迎するような雰囲気が流れ始めていた。

「どんなふうに切り刻まれたいか聞いてるんだけど?」

「いや、絶対そんな事聞いてこなかったぞ。鎧だな、鎧を見繕って欲しいんだな?」

アムルが本気になったら人間一人チリも残さず吹き飛ばせるだろう。
まさに命がけで否定して確認したデイダラは、並べられた様々な防具類に目を光らせた。

「とは言ったものの、お前の体格で鎧となるとどれも規格違いだしな。それに最大の武器がすばやさとなると……今の旅人の服の下にくさりかたびらと鉄を仕込んだ皮の手甲とすねあてって所だな」

それならばこの場でもすぐに着替えられると、アムルは上着を抜いてまずはくさりかたびらを、次いでデイダラが選んだ手甲とすねあてをつけ始めた。
着てみれば結構な重量があり、慣れるまでにしばらく時間が必要そうであった。
だがデイダラが指摘した動きやすさは少しも損なわれる事はなかった。
屋内であるにもかかわらずアムルが肩を回したり、飛び跳ねていると隣へと続いていたふすまが開いた。

「じゃっじゃーん、お待たせ!」

少々ハイテンションとなったフレイはみかわしの服を前を開いてコートのように羽織り、中には厚手のブラウスとマジカルスカート。
手の中にはずっと使っていたかしの杖の代わりにさざなみの杖が握られていた。
一方レンはコレまでの袴ではなく、空色の上着に白の袴。
外見からは解らないがアムルと同じように手甲とすねあてをし、額にははちがねを巻いていた。
新品の衣装なのに憮然とした表情をしているので、華やかさよりも凛々しさの方が明らかに増していた。

「ヒメちゃん格好良いけど、あっちの着物でもよかったんじゃないの」

「そうよねぇ、肩までばっちりさらして。色っぽい足がスリットからはみ出るぐらいで」

「あんなはれんちな衣装が切れるか馬鹿者。それにそんな格好でどう戦えというのだ!」

どうやら少ない時間で精一杯着せ替え人形にされそうになったのが、憮然としている理由らしい。
そんなレンにアムルは駆け寄っていくと、羨望の眼差しを特に凛々しさに向けて言葉を放つ。

「おお、格好良い」

確かに同姓のフレイやヒミコから見ても、そこらの男よりずっと格好良くは見える。
だがそれはそれであることを示すかのように、自分よりも先にレンを評価したアムルの頭を真上からフレイが掴んできた。
そのまま無理やり自分をみろとばかりにアムルの首を回転させる。

「そうよね、レンは格好良いわよね。それでお姉ちゃんは無視? アムのために精一杯おしゃれしたお姉ちゃんは無視ですか?」

あれほどアムルと会うのを戸惑っていたのが嘘のように本音を暴露し、あまつさえ怒りをあらわにしている。
一方アムルは何か言いたげに聞き取れない奇妙な言葉を発しているが、首がギリギリと鳴らす痛みにそれどころではなさそうだ。

「はぁ……ほら、フレイも止めろ。アムルはフレイが可愛いのは当然の事だから何も言わなかっただけだ。そうだろ、アムル」

「…………本当、アム?」

レンの言葉を固定するように何度もアムルが首を立てに振った事で、ようやくアムルは開放された。

「もう、それならそうと言ってくれないと。言わなくても伝わるなんて思ってちゃ駄目よ、アム。お姉ちゃんだって口に出して言ってくれた方が」

「貴様、すっかりアムルにキスされた事忘れているだろう」

呆れながらの突っ込みにハッと気がついてみれば、アムルは深く考え込むように腕を組んでいた。
それが終わったかと思うと、あの時と同じような満面の笑みを浮かべその口が動き出すが、フレイの行動は速かった。
アムルを小脇に抱えてもといた座布団に座らせると、自分はその二つ隣へと座り込んだ。
何故フレイがそんなことをしたのか理解できなかったアムルは、隣の座布団をフレイへと近づけてその隣へと座る。
またフレイが距離を開けて座り込むと、アムルが追随するといったつい先ほど見たばかりの光景が繰り返された。

「だから止めんか馬鹿ものども」

もう一度レンが二人の間に座り込んで止めようとすると、ふいにふすまの向こう側からノックがなされた。
一体誰がと思ってレンたちが頭に浮かべた人物は、ノックなどといった礼儀を知らぬ人物だとすぐに削除された。
だが、それは決して間違いではなかった。

「失礼いたします」

ふすまを開ける前に放たれた声は明らかにセイの声であったが、何かが違っていた。
両手で対となっているふすまの片方を開けたその姿は、空よりも濃い色合いの法衣で身を固め、正座のまま深々と頭を下げているセイの姿があった。
面を上げないままにやや頭を上げたときに、セイの胸元に法衣よりも淡い色合いのペンダントが光を放つ。

「まずはジパングの女王巫女であるヒミコ殿。異教徒である私の装いを寛容にもお許しくださり、さらにこのような場を与えてくださった事に感謝いたします。そして、ジパングの姫君であるレン殿。オルテガの娘であるフレイ殿。勇者を継ぐアムル殿。これまでのご無礼をお許しください」

そこにいたのはセイであるが、アムルたちの知っているセイではなかった。

「私の正式な名はセイリュード。ダーマの元神官長にして元僧兵長。どうかこれまでの無礼を水に流し、私の願いをお聞きください」

突然の状況に理解できないまま、なんとかアムルが声を絞り出して聞き返した。

「お願いって、なに?」

「アムル殿、貴方様のお力で破壊していただきたいものがございます。ダーマに秘匿されるルビスの遺産、悟りの書をです」

ようやくちゃんと顔を挙げたセイの顔は、冗談を言っているような雰囲気ではなかった。
本気で、自分の言葉を理解しながら頼み込んできていた。
悟りの書、子供でも知っていそうな世界の宝を破壊して欲しいと頼み込んできていた。

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