第九話 光の雨


その巨大な口からまとめて喰らった土くれをバラバラとこぼしながら、オロチの喉がゴクリと動いた。
長い長い喉を大きな塊が動いていき、ついには腹へと収められた。
あまりの一瞬の出来事に静まり返っていた辺りに、チェリッシュに手をつかまれ空を飛んでいたフレイの悲痛な叫びがこだました。

「アムーッ!!」

唯一の幸運、それはフレイが叫んだ事であろう。
まだ食い足りないとばかりに辺りを見渡しているオロチが動くよりも先に、ハッと我に返ったヒミコが命令を下せたからだ。

「巫女たちは結界を再度張りなおせ、兵士たちは矢を構え次第一斉発射!」

幼い声が辺り一帯に響き、隊長格の兵士がさらに復唱して矢を構えさせる。
すぐさま射られた矢の雨がオロチへと降り注ぐが、それらの矢の殆どがオロチの首一本が吐き出した炎に焼かれ落ちていく。
運よくオロチに届いた矢も、その硬い鱗の前では殆ど無力であった。

「くっ、飛び道具ではこのようなものか。結界は……」

悔しがるヒミコが振り向いた先では、一心に祈り続ける巫女たちがいたが結界は薄い膜を張る事すらなかった。
オロチを一撃で葬りされなかったツケがきてしまっていた。
しかもそのツケを作り出したのも、先ほど飲み込まれてしまったアムルの力である。
だからと言ってこのままオロチにジパングを蹂躙されるのを指をくわえてみているわけにもいかない。
多大な犠牲が出てしまうだろうが、他に方法はなかった。

「巫女たちはもっと後方へ、支援を結界から残った力で回復にまわせ。兵たちは抜刀、突撃!」

ヒミコの声に続いて各所から、ジパングの兵士たちの雄々しき声が響いた。

我先にと兵士たちが剣を掲げてオロチへと向かっていく。
そんな兵士たちをオロチはまるで紙くずを相手にするように長く太い首でなぎ払ったり、炎で一斉に焼き払っていく。

「年寄りの冷や水はしたくねえんだが、言ってる場合じゃねえな。おじさんも頑張ってみるか」

「我々も行くぞ、セイ」

「アレだけの人数にフバーハは無理だが、レンちゃんとおっさんぐらいならかばってみせる」

見ていられないとばかりに言ったデイダラに続いて、レンとセイが駆けようとしたがヒミコに止めた。

「待って、オロチの様子が変なの。まるで何かを探しているような、ヒメちゃんもデイダラももう少し様子を見て」

「だが姉上、兵の数も無限ではないのですよ。私たちが向かえば少しは」

「解ってる。それぐらい解ってる! でも、アムル君がいない今、オロチに止めをさせるのはヒメちゃんたちしかいないの。辛くても耐えなきゃいけないの!」

一人一人の名も知らぬ兵士とは言え民がボロボロと死んでいく様を見せ付けられて平気なはずがなかった。
だからこそ今は冷静に戦況を見つめなければいけないとヒミコは、助けに行ってやってくれという言葉を必死に飲み込んで耐えているのだ。

「オロチの首の八本のうち、一本がまったくなにもしてないの。猛ることも吼える事もせずに何かを探してる」

まさか知恵でもあるのかと皆が一斉にその一本の首を見た。
確かに他の首に比べ何もせずに、辺りを、まるでジパング中を眺めるようなしぐさを見せていた。
その真意がどこにあるのか、その一本の首がさまよわせていた視線が一点に定められた。
まっすぐにレンたちの方を見ているその首は、ヒミコの胸元にあるパープルオーブの首飾りをしっかりと見定めていた。

「まさか、オーブが狙い?!」

ヒミコが自分の胸元を見ると同時に、今まで何もしていなかったその首がこちらへむけて大きく口を開けてきた。
口の中から生まれるのは巨大な炎、太陽が生まれたのかと錯覚するような熱く、赤い炎。
それが放たれた。

「天と地にあまねく精霊たちよ。汝らの偉大なる力をもって我らを大いなる災厄から護りたまえ、フバーハ!」

早口にまくし立てたセイが両腕を前に突き出して叫んだ。
辺りに広がった金色の幕が炎を押しとどめるが、その熱気を止めるには至らなかった。
コレだけの炎の塊が着弾すれば、今更逃げても間に合わない。

「姉上、姉上の力で」

「ヒメちゃん、もうやってるの。やってて止めるのが精一杯なの」

気が付けば、ヒミコもまたセイと同じように両腕を前に突き出して手で止めるようなしぐさを見せていた。
熱気が熱風へと変わり、これ以上とどめられない事は明白であった。

「冷たき吐息を持つ女王よ。汝の吐息は全てを凍らせる、そう時の流れでさえも」

謎の声が響いた刹那、セイたちの目の前に青白い肌を持った女性が現れた。
耳を引き裂くような悲鳴にも似た声をその女性が上げると、辺りの気温がグッと下がり、オロチの吐き出した炎でさえも小さくしていく。
それを見逃さなかったセイとヒミコは、一度顔を見合わせてから力を振り絞り炎を押し返した。
すると一気に気が抜けて座り込みそうになったセイとヒミコに冷たい微笑を浮かべてから女性は消えた。

「礼を言うべきなのか?」

「いらないわ。貴方たちが死んだら、アムルの姉を誰に押し付ければいいのかわからなかっただけだから」

レンが見上げたのは、フレイを抱えて空から降りてくるチェリッシュであった。
彼女は言葉通りか変えていたフレイをレンへと捨てるように投げた。
慌てて受け止めたレンは、泣き崩れようとするフレイを支えるので精一杯であった。





「気がつかれましたか?」

薄目を開けて飛び込んできた光景は、黒であった。
上も下も右も左も黒一色。
その中で唯一の例外は自分と、目の前の見た事もない青年の姿であった。
辺りの黒に侵食されたように顔の辺りが見えないが、背の高い細身の青年であった。

「誰? ここは……」

「申し訳ありませんが、私が何者かである事を貴方様にお教えするわけにはまいりません。ですが、この場所が何処であるかはお答えします。オロチの中です」

「そうだ、オロチに飲まれて。困ったなどっちに行けばいいんだろう、キーラ解る?」

青年の言葉を聞いて飛び上がるように起き上がったアムルは、すぐさま懐にしまいこんでいたはずのキーラに尋ねた。
だが返事がないため、パタパタと服の辺りを手探りでさがし、やがて顔を青ざめさせた。

「お、落としたのかな?」

「いいえ、キーラでしたらオロチに飲まれる直前に逃げ出しました。ご安心ください」

「ゲッ、一人で逃げたのかキーラの奴…………キーラのこと知ってるの?」

「ええ、誰よりも。貴方様の事も、もちろんあの方の事も」

なんだか敬われているその言い方が気味悪く、今更ながら一体誰だとは思ったが、今はあまり意味のない質問であった。
状況はまだつかめていないが、生きている以上オロチを止めなければならない。
腹の中の割には胃ではないように思えるし、何処なのだろうかとアムルは辺りを見渡し、諦めた。
相変わらずあたり一面黒に塗り固められていて、右と左はともかくとして北も南もわからない。

「アムル様、こちらです。こちらにオロチを操っている輩がいます」

迷い始めたアムルを導いたのは青年であった。
この黒一色の世界の中で彼だけが見える道でもあるのか、迷いなく先を走っていく。
何故か疑う事もせずに後を追い始めたアムルであるが、彼の背中にどこか親しみを感じずにはいられなかった。

「ねえ、どこかで会った事ない?」

アムルの質問に答えるどころか苦みばしった顔をするだけの青年は、結局答えてくれなかった。
名を尋ねても、どこ出身なのかと尋ねても答えてくれず、ただ走り続ける。
それでも自分を惑わすような悪しき者であるという考えは微塵も浮かんではこなかった。
どれほど走ったであろうか、やがて黒一色であった世界に薄くぼんやりと輝きが見えてきた。

「あれはアマノムラクモの剣が放つ光です。そしてあの剣を握っている者こそが、全ての元凶です」

輝かしい剣を持ち振り回している彼は、固い筋肉の鎧をまとった魔族の男であった。
長い髪は無造作に伸びただけの結果であり、いかにも野人といったパワーファイターを思わせる。
彼もアムルたちに気づいて、驚きと共に喜びを見せていた。

「なんだ貴様、アムルか。オロチに喰われたはずじゃ……まあ、いい。光の玉を手に入れる前に、貴様をこの手で殺してやる」

「きます、アムル様。気をつけてください。この世界は奴の味方です」

言葉の意味は解らなかったが、誓いの剣を両手で抜いた直後に解る事であった。
魔族の男がアマノムラクモの剣を振りぬいた直後、辺りから鍵爪のようなものが現れアムルと青年を切り裂いた。
生えてきたのではなく、突然現れたそれを避けるすべなど存在しなかった。

「アムル様! 貴様、邪を掻き消す閃光を我に与えたまえ、ベギラマ!」

「効くかよ、そんなもん。そらお返しだぜ」

魔族の男が手をかざすだけでベギラマの閃光は黒い世界に飲み込まれ、かわりに黒い閃光が青年を焼き尽くす。
その隙に背後に周って飛び掛ったのはアムルであった。

「こんのッ!」

だがまたしても不可視の、黒い世界の手によって誓いの剣は止められてしまう。

「くっくっく、笑っちまうぜ。これが勇者だって? スカリアの奴もなんでこんな弱っちい奴にやられちまったのかね、って事はこんなチビよりもスカリアが弱かったってわけか」

「まずいですね。アマノムラクモが作り出した世界では、アマノムラクモの剣を持った彼が王か」

「それでも倒す」

焼かれた肌の痛みに顔をゆがめている青年の前で断言したアムルは、笑う魔族の男の前で近いの剣を頭上に持ち上げていた。
そして呟くのはあの呪文。

「天と地を創りし精霊ルビスをよ。汝の偉大なる力をもって我に金色の鉄槌を与えたまえ、ライデイン!」

だが望むべき鉄槌は降りることなく、雷雲さえも集まることはなかった。
考えても見れば、この黒の世界に空はなく、集めるべき雷雲一つない。

「はっ、びびらせやがって。この世界じゃ俺が王だ、誰にもバラモスでさえでかい面はさせねぇ!」

魔族の男の声に合わせてアムルの体が吹き飛んだ。
衝撃波のようなものであろうか、吹き飛ばされたアムルに駆け寄り抱き起こした青年は自分の失策を悟っていた。
アムルであるならば勝てると思ったのだが、あまりにも甘い考えすぎた。
せめて護りきれるであろうかと、一歩ずつ歩きながら近寄ってくる魔族の男を見据え、そして祈る。
彼の主ともいうべき者に。

「ルビス様」

祈りでさえもまた、黒く塗りつぶされていった。





「今、声が……」

戦場の最後列に待機させられていたフレイは、今炎を吐き出そうとしているオロチを見た。
一際大きな炸裂音が響き、空気も土も草も全てを吹き飛ばしていった。
もうこれでジパングの兵士の何割が生きているだろうか、積み上げられた死体たちはさらに焼き焦がされていく。
何故かチェリッシュと呼ばれた魔族が加勢をしてくれたが、あまりにも力の差がありすぎた。
何かを聞きつけたフレイに気づくことなく、ヒミコは自分の胸にあるパープルオーブの首飾りをギュッと握り締めた。

「渡してしまえば、去ってくれるのであろうか?」

それでは死んでいった兵士たちの死が無駄になるかもしれないが、これ以上蹂躙されるよりは余程良かった。
また一つ炎の塊がどこかに落とされたのか、レンとセイがヒミコの近くに吹き飛ばされてきた。

必死にセイがかばってくれたのか、レンはセイほど火傷を負ってはいないが、この先はもう保障の限りではない。

「オロチよ!」

「いかん、姉上。渡してオロチが去るとも」

もはや背に腹は変えられぬと、首飾りを剥ぎ取りそこに収められたパープルオーブを掲げるヒミコ。
レンの静止もわかってはいたが、それでもそうせずにはいられなかった。

「もしもお主がこの地を」

「止めなさい」

止めたのは泣きはらした目を真っ赤にしながらも、涙を流す事をやめたフレイであった。
そしてヒミコが掲げたパープルオーブを取り上げると、それを自分の首へとかける。

「何をする気じゃ、フレイちゃん」

「アンタがやろうとしてた事より、万倍マシな事よ。黙ってなさい」

そう言ったフレイはオロチが人を蹂躙する様を眺めながら、レンに言った。

「ねえレン、アンタ言ってたわよね。本当に何か力があるのなら、時がくればわかる事だって……でも待ってるだけじゃ遅いの。私は今力が欲しい」

「待て何を考えているフレイ!」

パープルオーブの首飾りをつけたまま走り出したフレイを止めようとしたが、すでにレンの体は言う事をきかなかった。
止める事すらままならぬレンの叫びがこだまし、奇しくもその叫びがオロチに気づかせてしまう。
オロチの咆哮と口先がフレイへと狙いを定めた。
空気が急速にオロチの首へと吸い込まれ、炎が加速度的に大きくなっていく。

「アムルの姉、何のつもりだ。この火炎、これまでの比ではないぞ!」

空から見ていたチェリッシュがまた、凍りの女王を召還しようとするが、別の首がその邪魔をする。
その一撃で凍りの女王は消し去られてしまうのと同時に、オロチの首が溜め込んだ炎を吐き出した。
多少狙いが外れても間違いなくフレイごと吹き飛ばすであろう火球の狙いは、寸分も外れてはいなかった。

「私はアムルを守ってあげられる力が欲しいの。だから、これでいいんでしょ、キ」

最後まで言い切ることができないまま、炎はフレイを飲み込んだ。
ゆらゆらと揺れる真っ赤な炎にフレイが飲み込まれていくの中で、炎とは違う色の光が輝いた。
フレイが首にさげたパープルオーブから紫色の光があふれ、炎の色を染め替えていく。

「光、フレイちゃんの力」

遠くで呟かれたヒミコの言葉などフレイが知る由もなく。
やがて紫一色に染め上げられた炎は金色の光へと姿を変えていき、フレイは右手を上げて大きく前へと突き出した。
吐いた炎が時間が巻き戻されたかのようにオロチの口から体の中へと入っていく。

「アムル、今よ。あの呪文を使いなさい!」

フレイが叫んだ直後、光を過剰に食わさせられ体が大きく膨張し、空へと口を開けていたオロチの口内へと稲妻が落ちた。





薄皮のように一枚、また一枚の黒の世界が剥がれ落ちていく。
その隙間から漏れてくるのはやや紫がかった光。

「馬鹿な、馬鹿な。俺の世界が」

狼狽する魔族の男の前で、光に誘われるようにアムルは青年の腕から立ち上がり、今一度剣を頭上で交差させた。

「天と地を創りし精霊ルビスよ。汝の偉大なる力をもって金色の鉄槌を我に与えたまえ、ライデイン!」

たくさんのガラスを一斉に砕いたのに似た音が響き、破壊された黒の世界の変わりに光が満ち溢れていく。
誓いの剣へと集約されていく稲妻は、ここが自分の世界であるとばかりに猛り狂う。
今ならとフレイは青年を見たが、今度はまぶしすぎる光にその顔は見る事はかなわなかった。
それだけは酷く残念ではあったが、アムルはその二振りに込められた全エネルギー全てを目の前で狼狽する魔族の男へとたたきつけた。
触れたそばから魔族の男が四散して行く様を見ていると、すでに実態を失っていたのではないのかと思う。
魔族の男を消し去ってもまだ暴れたりない力がこの世界をさらに壊そうと暴れまわっている。

「ちょっとやりすぎたかな。ねえ、逃げた方がいいんじゃない?」

「大丈夫です。あの方が、アムル様を迎えてくれますから」

聞けばそれが本当だとはなんとなく解るが、一つだけ解らない事がある。
絶対に知っているはずなのに、名前すら思い出せない青年の事だ。

「君は、誰なの?」

「すみません、本当なら貴方様に顔向けすら許されないのは解っています。それでも、これが私の役目ですから」

何故そんな悲しい顔をするのか、それでも必死に笑みを向けようとする青年。
彼は魔族の男が消え去った後に残されたアマノムラクモの剣を黙ってアムルへと渡した。

「アムル様の剣に比べれば格段に劣る代物ですが、人の手には十分すぎる力でしょう。どうかお持ちください」

再度青年の名前を聞こうとしたアムルであるが、光の洪水が彼の姿もアムルの意識でさえも押し流していった。





フレイが生み出した光を飲み込み膨張を始めたオロチは、稲妻を飲み込んだままずっと静止を続けていた。
だが再びオロチが膨張をはじめると、耐え切れず裂けだした体から眩いばかりの光があふれ出した。
一つ、また一つと裂け目は増え続けていき、最後にオロチは断末魔すらなく破裂して光の粒子となって消えて行った。
完全に消え去ってしまっては二度と再生する事はないだろうと、少しずつ歓声があがっていく。
生き残った者よりも、死んでいった者の方が圧倒的に多いであろうが、今はただ助かったもの同士互いを支えあって声を上げていた。

「フレイ」

オロチが消え去っていった空を見上げ続けているフレイに、セイに肩をかしているレンが声をかけた。
勝った事は勝ったが、オロチに飲み込まれたはずのアムルの姿は何処にも見えない。
結局名前を呼ぶ以外に何も言えずに射ると、ふいにフレイが両腕を空へと広げ始めた。

「何が見えるというのだ?」

「降りてくるのよ、アムル君が」

振り向いた先には答えてきたヒミコがいた。
言われるままに空を見上げると、アムルが集めた雷雲の中に小さな光の繭が見えた。
それが落ちてくる場所に数歩合わせたフレイは、その繭を受け止めた。
触れたとたんに割れた光の繭からは、少しだけ背が伸びたアムルが現れ、フレイに抱きとめられた。

「奇跡か」

「かもしれない。もしかするとフレイちゃんやアムル君の存在自体が奇跡なのかもしれない」

「なんせオルテガの子だからな」

勝手な言葉が聞こえていないはずもないのだが、フレイはただ自分の腕で眠るアムルの顔をただみつめていた。
ススなのか泥なのか解らないもので少し汚れてしまっているが、躊躇はなかった。

「私も、大好きよ」

頬にではあったが、フレイの唇は確かに触れていた。

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