第八話 解除の言葉


逃げろと叫ばれても、体が足が言う事をきかなかった。
ただ迫りくるオロチの首が開いた大顎を見つめるぐらいで、せめて動いた腕で顔をかばいながら精一杯の悲鳴を上げる。
肌を照りつける辺りの熱さはそのままに闇が訪れ、心の中で助けてと彼の名を叫んだ。
激しく殴りつける音と、自分ではないオロチの悲鳴が響く。
やがてゆっくりとフレイが目を開けて腕をどけるとそこには、名を呼んだ彼がいた。

「アム……」

その小さな背中に背負うのは、見た事もない二振りの剣。
だがそんな事よりも、振りぬいた拳を収めて振り向いたアムルは馬鹿みたいな笑顔で突拍子もない台詞をフレイに放ってきた。

「フレイ、大好き」

「へっ?」

吹き飛ばされたオロチの首が瞳に更なる凶暴性を宿らせ、自らを吹き飛ばしたアムルを睨み付けている。
おそらくは一秒か、遅くて三秒後にはアムルを標的に襲ってくるであろう事は間違いない。
なのにフレイは、アムルの放った言葉に全ての意識を奪い去られていた。

(今、フレイって……なに呼び捨てって言うか、大好きって。大好きって!)

ただ体が熱くて、言葉の意味を理解する程にまだまだ体の熱が上がっていく。
自分の顔が赤くなるのが自覚できる程に恥ずかしくて、それでもどこか嬉しくて。
状況さえ忘れて自分もだと言いたいけど、ためらいが勝っているが、やはり言いたくて。
そのうち思考が付いてこれないほどに熱くなった所に、背負った片方の剣を抜き放ち掲げたアムルの声が響く。

「フレイ、ヒャダルコ!」

「あ、はい。邪を貫く氷刃を我に与えたまえ、ヒャダルコ!」

ちょっとしおらしい返事の後に唱えたヒャダルコはアムルの持つ剣に直撃したが、凍りつくどころか、それ以上の冷気を放ち始めた。
剣を中心に猛吹雪が発生し、あたり一面の溶岩を冷やしてオロチ塚内の気温を急激に下げていく。

「くらえッ!」

殴り飛ばされたお礼とばかりに突進してくるオロチの鼻っ面にヒャダルコをまとった剣をたたきつけた。
刹那、あたり一面溶岩の海ごとオロチの四本の首が氷に閉ざされた。
やかましいほど挙げられていた咆哮も唸り声も、なにもかもが氷の檻へと閉じ込められてしまっていた。
三人が呆然とする中、それができて当然のようにアムルは剣に絡みついた露を払い、背中に交差するように背負った鞘に収めて振り返る。

「フレイ、大丈夫? ギリギリ間に合ったとは思うけど」

「う、うん……あれ? なにこれ、腰が」

差し出された手に捕まって立ち上がろうとしたが、腰が抜けてしまっていた様でうまく立てなかった。
するとクスリと大人のような笑いを見せて、アムルがフレイを抱きかかえた。

「ちょ、アム。立てるから、立てるから下ろしてよ」

「時間がないから我慢して。アレぐらいじゃたぶん駄目だから。レンと兄ちゃんもこっちに来て。オロチ塚を出るよ。ジパングの人たちも準備は整ってるから」

「それは朗報だが、急ぐ必要はないのではないか?」

「いや……急いだほうが良さそうだ」

レンの背中を押したセイが見たのは、氷に閉ざされながらもそれを打ち破ろうとするオロチの首の姿であった。
少しずつではあるが、氷にひびを入れて自由になろうともがいている。
レンもそれに気づいて走ってアムルの下まで行くと、嫌がっていたわりにはしっかりアムルの首に腕を回しているフレイがいた。

「べ、別に私がしたくて……アムが無理やり」

「照れながらの台詞の何処に説得力がある。さっさとリレミトを唱えろ」

図星をつかれて唸ってばかりいるフレイの変わりに、アムルの口が動いた。
ルーラと同じように魔力の光が四人を包み込んだ途端、その姿はオロチ塚の中から消え去っていた。
その後すぐにオロチは閉ざされた氷を打ち破り、怒りの咆哮を挙げた。
つられるように五本目、六本目の首が封印を破り地中から現れ、辺りの氷もすでに蒸発し元の灼熱の間に戻っていく。
残りの首は三本、それもまた封印を破るのは程なくしての事であった。





リレミトで脱出してすぐに目に入ったのは、オロチ塚の周辺一帯を覆いつくす結界。
それらを作り出す巫女たちとジパングの兵士たちは結界の外で包囲するように配置されていた。
これからどんなに激しい戦いになるのか解らないが、結界と兵士の配置は被害を最小限にとどめようというつもりなのだろう。
巫女たちの中にヒミコとデイダラの姿をみつけたアムルが、フレイを抱えたまま近寄っていき、レンとセイもそれに続く。

「アムル君、間に合ったみたいね。こっちはもう準備万端だよ。一応今現在作れる最高の結界を張ったけれど、耐えられそう?」

「う〜ん、たぶん大丈夫だと思うけど。全力で使った事ないから気をつけるに越した事はないよ」

「おいおい、一応は前回のオロチをこの場に完全に閉じ込めた力だぞ」

今しがたオロチの脅威、といってもオロチもまだ全力ではなかったが、それをみてきたレンたちの顔色はすぐれない。
どうにも三人のやり取りがのんきにしか見られずに、秘策でもあるのかと疑わずにはいられない。

「姉上、何故そうも気楽にしていられるのですか? 姉上もデイダラもオロチの脅威はご存知でしょう?」

「でもヒメちゃんこそ見たでしょう? アムル君の力を」

言われて思い出してみれば、ルビスの呪いで力をなくしているはずのアムルが、先ほど魔法剣を使っていた。
しかも他人の魔法をつかってのものであるし、その力は以前以上にも見えた。
呪いを解く鍵でも見つけたのかと皆の視線が集まる刹那、当たり一帯を地震が遅い、オロチ塚が崩れ落ちていくのが見えた。
それでもまだ揺れは収まる事がなく、被害は結界内に収まっているが地割れがおきてその隙間から溶岩なのか真っ赤な光がぼんやりともれ出ている。
もうオロチが完全な姿で出てくるまでに長い時間は掛からないであろう事は、誰の目にも明らかであった。
すると今まで抱きかかえていたフレイを、一番安全であろうヒミコのそばへと下ろし始めた。

「アム?」

「フレイはここで待ってて」

「おい、アムル。フレイちゃんを心配するのはわかるが、オロチに一番効果的な力を持ってるのはフレイちゃんだぞ」

「セイの言うとおりだ。相手はコレまでのレベルとは段違いだ。我々もコレまで以上に力を合わせなければ勝てないぞ」

至極全うな意見を言ったつもりが、アムルはゆっくりとその首を横に振ってきた。

「レンも兄ちゃんも、ここで待ってて。オロチとは俺が一人で戦うから」

二の句が継げられない二人に、さらに間違えたとばかりにアムルは訂正した。

「ううん、一撃で終わらせてくる」

何処にそんな自信があるのか、それは新しく背負った二振りの剣によるところのものなのか。
アムルの自信と共にあふれる確信に思わず道を開けてしまったレンとセイであるが、彼女だけは違った。
置き去りにされた子供のような不安を瞳にためて、下ろされた地面から必死に手を伸ばしてアムルのマントを強くつかんでいた。

「アム、いい子だから二人の言うことを聞いて。皆で戦うの。アンタだけでなんて」

言葉で答えることなく、アムルは自分のマントを握るフレイの手をとって、その指をゆっくりと離していった。
その手を下ろしてやると、まっすぐこちらを見つめているフレイの顔を自分の両手で包み込む。
激しく揺れが続く中で固定されたフレイの顔だけはゆれる事はなく、小さく唇同士が接触する音が鳴った。
口笛を吹くデイダラやころころ笑うヒミコ以外、フレイ自身も呆然とするなかで、フレイの額にアムルは自分の額を押し付けた。
まるで心に直接響かせるように、言い聞かせるように言う。

「もう一度言うよ、フレイ。大好き。大好きだよ」

行動も言葉も、どう見ても聞いても家族に対するものではなった。
だがアムルはフレイが安心、実際は放心であるが、するのを確認した後、結果以内へと歩いて戻っていった。
揺れる地面を物ともせずに歩き、結界の中心辺りで背負っていた二振りの剣を同時に抜いた。
ナイフと呼ぶには刀身が長く、剣というには短いが、刀身が放つ輝きだけはどんな剣にも劣らぬものであった。

「デイダラ、あの剣は」

「俺が再度鍛えなおした誓いの剣だ。あんまりにも見事に折られちまってたから、アムルの体格も考えて二本に分けてみた」

レンの疑問に簡潔に答えたデイダラは、答えは自分の目で見てみろとばかりに顎でアムルをさした。
そのアムルはというと、いまや二振りとなった誓いの剣を頭上で交差するように構えて、静かに目を閉じてあの呪文の詠唱を始めた。

「天と地を造りし精霊ルビスよ」

それが耳に入りハッと放心状態を脱したフレイであるが、見越したように振り向いて笑ったアムルに止められてしまう。

「汝の偉大なる力をもって我に金色の鉄槌を与えたまえ、ライデイン!」

空に集まった雷雲から、アムルの言葉通りに金色の鉄槌が生まれた。
垂直にただまっすぐに振り下ろされた鉄槌が、頭上で交差していた誓いの剣へと落ち、その輝きを倍化させる。
どんどんと膨れ上がっていく稲妻の光に呼応したわけではないだろうが、ひび割れていた大地が盛り上がりを見せた。
まさに食い破るように大地から姿を見せたものは、一見山のようであった。
あまりに大きすぎるその巨体に思考が付いてこれずに山としか映らなかったのだが、それはまぎれもなく八つの首を持つ大蛇であった。
合計十六の瞳がにらみつけたのは、いまや金色の剣となった誓いの剣を両手それぞれに握るアムル。

オロチの八つの首が同時に吼えた。

「アムッ!」

結界の中が炎で埋め尽くされたのかと思うような業火の嵐に、外側にいるはずのフレイたちにもその熱量は伝わってきた。
ひとしきり炎を吐き出し満足したのか、八つの口が閉じられた瞬間に、今度は二振りの誓いの剣がまとう稲妻を使って咆哮をあげた。
アムルの姿はオロチのすぐ目の前、山ほど大きいオロチの頭上にいた。
炎だけで事足りたと満足していたオロチの意表を完全につき、金色の剣を二度振り下ろした。

「これが俺の勇者としての力だッ!」

誰に言うでもない自分に言い聞かせるような叫びは、結界内を多い尽くした光に消えていた。
荒れ狂う稲妻が結界内で暴れ周り、オロチの体を引き裂き焼き焦がしていく。
耳に耐えない凶悪な悲鳴が上がったが、いつしかその悲鳴でさえも稲妻に引き裂かれていった。
オロチの悲鳴が途絶えてもまだ続く稲妻の蹂躙は、長い時間をもって終わりを迎えていた。
まだ煙充満する近辺からは良く見えなかったが、かすかに全身の八割を失い下半身部のみとなったオロチの姿があった。

「これがアムル君の力。ここまでとは思わなかった。単純な破壊力だけならすでにオルテガを凌駕してる」

ヒミコが呟きぺたんとしりもちをついたのには理由があった。
自分もその後ろに控えるジパングの巫女たちも、全ての力を使い果たして結界が消え去っていた。
オロチではなく、アムルの力を閉じ込めるためだけにその力を使い果たしたのだ。

「すげぇ、これなら……これならきっとアレを破壊できる」

「…………」

セイの意味深な台詞に敏感なはずのレンも、今は耳ざとく聞き入れることもなかった。
ただ当たり一帯を破壊しつくしたアムルの力に心を奪われている。

「アムは、アムはどこ?!」

フレイの泣き出しそうな叫びに、誰もがその小さな勇者の姿を探し始めた。
結界が消えた事で風が吹き込む事によって煙は流され始めている。
その中に本当に小さな、人影が現れた。

「アムッ!」

砕けていた腰の事など忘れて走り出したフレイに向かい振り向いたアムルは、誓いの剣を鞘に収めて両手を広げた。
飛び込むというよりもぶつかるようによってきたフレイを受け止める。

「馬鹿、アンタがすごい事はわかったけど、馬鹿。心配させないでよ、アンタはまだ小さい……」

違和感を感じて言葉を止めたフレイは、一端アムルと距離をとってマジマジと見つめ気づく。

「背が、のびてる?」

「五センチほどだけどね」

間違いなく伸びているが、異常である。
オロチ塚に入る前に分かれてから一日も立っていないはずだ。
少し気味悪るがるフレイに対して、ムッとしたようにアムルが言ってきた。

「フレイのせいだからね。ルビスの呪い。アレのせいで俺の背が伸びなかったんだから」

「そんなこと言われても、ってことは呪いがとけたの? でもどうやって?」

「知りたい?」

可愛い弟からいたずら好きな弟に変わったような笑み。
それからフレイが頷いて顔が下を向いた瞬間に、背伸びしたアムルが顔を近づけた。

「大好き」

呟きと同時に触れる唇。
いたずら好きな弟が赤面するフレイの目の前で笑顔を浮かべていた。





動くどころか、生命体として完膚なきまでに破壊されたオロチの姿はかなり遠い場所からもはっきりと見えていた。
流れ出る血でさえも蒸発させるようなエネルギーに殺しつくされたオロチ。
だが彼女はオロチがアムルに倒されたことよりも、オロチの封印が解けてしまっていたことに愕然としていた。

「馬鹿な、どうしてオロチが。ボールマンはどうしたの。彼が封印をといたというの?」

アムルたちから十分に距離をとった場所で呟いたのは、チェリッシュであった。
そもそもオロチ塚を人質にとれと作戦を言い渡したのは彼女であるが、封印をとけなどとは一言も言っていない。
まさかボールマンの独断であるのか。
だとすれば、すでにその命はなくなってしまっているだろうと断言せざるを得なかった。

「アムルに殺されたとはいえ、大地を食い破り現れるほどの力だ。ボールマンでもひとたまりもない」

だがしかし、何故そんなおろかな行動をボールマンがしでかしたのか。
胸騒ぎによりジパングへときてみたが、胸騒ぎが的中してしまったチェリッシュは一人考え込んでいた。
ふいに浮かんだ名前はバラモスという名であったが、それをすぐに打ち消した。

「違う、バラモス様はそのような事……」

スカリアの時も、浮かんだ疑惑をすぐに捨ててしまう。
バラモスには落ちこぼれだった自分に将として通用する程の力を授けられた恩がある。
疑うことさえ許されないのだ。
必死に浮かんだ考えを振り払っていると、オロチの死骸の中に陽光を反射する何かが見えた。
たまたまチェリッシュの目に反射してきただけであろうが、それは封印を破るときに飲み込まれたアマノムラクモの剣であった。
そこにあるだけなら問題はなかったが、チェリッシュにはそこに宿る力が見えた。

「命が……宿ってる?」

仮にも命をつかさどる者であるからこそ気づくことのできた事であった。
さらに気が付いてみれば、焼き尽くされ血でさえ蒸発させられたはずのオロチの死骸から、血が流れ紅色の肉が見え始めていた。
限りなくいやな予感がチェリッシュの胸を駆け抜けたとき、彼女は背中から炎の翼を生やして空を駆けていた。
周りの者に魔族だと知られてもかまわない、人だ魔族だと言っている場合ですらないと予感が叫ぶ。

「あ、アレ!」

ジパング人の誰かが自分を指差した声がしたが、かまわず駆ける。
そして自分の声がギリギリ届くと判断できた瞬間に叫んだ。

「アムル、気を抜くな。まだオロチは生きている!」

「チェリッシュ?!」

アムルがチェリッシュに気づいたとき、奇怪な音が当たり一面に響き渡った。
急速に育まれてできた、血肉がこすれあうおぞましい音色。
それが終わりきる頃には、完全にもとの姿を取り戻し、その首の一つが上からアムルとフレイを飲み込もうと向かってきていた。
信じられない出来事に身動きのできない二人に、チェリッシュが地面すれすれを滑空しながら届けと手を伸ばすが間に合わない。
オロチの首が二人を飲み込む瞬間、

「え…………」

アムルはフレイをチェリッシュめがけて突き飛ばした。
その意思をくんだチェリッシュが、フレイの手だけをとって離れていく。

「アムッ!!」

そして、少しだけ背が伸びたはずの小さな勇者は、オロチへと飲み込まれた。

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