第六話 勇者という資格


静まり返った部屋で皆が見守る中、並んで座るフレイとアムルへとヒミコはその手をかざした。
事前に言われた通りに二人は心を静かに保つために、目を閉じて息を細くゆっくりとはいていた。
そんな二人の心を探るかのようにその手が滑らかに動く。
傍目にはただ手をかざしているだけにしか見えないが、うっすらとヒミコの額に浮かぶ汗が行いの過酷さを語っていた。

「どうですか、姉上?」

一体どれほど長い間そうしていたのか、ついに待ちきれなかったレンが尋ねると、張り詰めていたものを一気に解き放つようにヒミコが長い息をはいてから言った。

「呪い……確かにこれじゃあ、呪いと言いたくなるのも無理はないよ。正確にはアムル君の力を抑える封印。それもかなり強力な。もし他の人に同じ封印がなされたら、指一つ動かす事ができずに死んじゃうかも」

「ちょっと待って、私そんなの知らない。だってアムはこれまで普通に生活してきたもの。ねえ、そうよねアム」

「うん。別に病気になりやすいとかなかったし、むしろ病気になった事がないよ?」

必死に違うと否定するフレイに、アムルも普通であった事を証明するような言葉を言った。
だがヒミコはそれこそが違うとばかりに、首を横に振る。

「オルテガの息子が普通であるはずがないでしょ? むしろ封印で力が押さえつけられてたからこそ、アムル君は普通の子供として育ってこれたの」

「普通の子供か……じゃあ、その封印をけしかけたのがオルテガだって可能性はないのか? オルテガはアムルが持つ力を恐れてるはずだ」

「「それはない」」

可能性の一つとしてセイが挙げた意見を、デイダラとヒミコが違う意味で同時に否定した。

「俺は直接オルテガを知っているから言うが、アイツは単純な力を恐れるような奴じゃない」

「それにあくまでこの封印はフレイちゃんが核となってる。本人の意思を無視してまで、他人がこんな強力な封印を無理やりは施せないよ」

「だから知らないって言ってるでしょ。それに父さんは確かにすごい人かも知れないけど、私とアムはあくまで普通よ。単に勇者の子……」

何度も違うと言うのにそんな物騒な封印を自分のせいにされて憤るフレイだが、ヒミコが見せた瞳に気おされ言葉を止めた。
これまでの歳に不釣合いな無邪気な目ではなく、心まで見透かすような冷えた瞳である。
無邪気な姿よりもむしろこっちが本来の姿であるように、瞬間的にフレイは悟らされた。
そう思った瞬間には、すでに目の前のヒミコは先ほどまでの幼い少女の瞳に戻っていたが。

「う〜ん、どうも二人とも自覚が足りないみたいね。あんまりコレはやりたくないんだけど、自覚させなきゃ話がすすまないもんね。水鏡を用意してちょうだい」

控えていた巫女たちにヒミコがそう言うと、しばらくたってから一抱えもある杯のようなものが運ばれてきた。
杯と言っても、器はほぼ半球状であり、その器を安定させる足と持ち上げるための取っ手がつけられている。
その杯がヒミコの前まで運ばれてくると、別途運ばれてきた聖水が並々と注がれ器の中で波を打ち始めた。

「この世にはラーの鏡って真実の姿を映すものがあるんだけど、これはその簡易版って思ってくれていいよ。それじゃあフレイちゃんから、この杯の前に立って両手を添えてみて」

「こんなので何がわかるのよ。これでいい?」

ブツブツ言いながらフレイが杯に手を添えたのを確認すると、ヒミコも杯に両手を添えて祈りだした。
すると杯に注がれた透明な聖水が波打つのを止めて凍った湖面のように静まりかえりだした。

「まだ見えないけど、もうすぐ湖面に見えてくるのがフレイちゃんの魂の色」

「私の魂の色?」

「ほらだんだんと……あ」

静まり返った湖面の中心に小さな輝きが生まれたと思った瞬間、それは爆発的に大きくなり部屋全体を光で覆いつくした。
そのあまりの眩しさにかざした腕で影をつくってさえ、目を開けるのが一苦労である。
熱量といったものはないのだが、強すぎる輝きにフレイが杯から手を離してしまうと、しだいにその輝きは収まり始めた。
完全に輝きが失せてもまだ目がチカチカと光が焼きついており、ブルブルと顔を振っている者もいる。

「いまのがフレイの魂の色なのか、姉上?」

「うん、あんな完全に光一色の魂なんて初めて見たけど。さしずめ汚れなき聖なる魂って所かしら」

「聖なる魂か……そういやフレイちゃんやアムルって夢見るルビーが置いてあった祭壇に張られたエルフの結界を素通りしてたよな」

「どうでもいいけど、聖なるとか何度も言わないで。言われる方はすっごく恥ずかしいわ」

一応は褒められている範疇に入るのだが、フレイは縮こまるように両腕で体を抱きしめていた。
そんなフレイを見て、ヒミコはくすりと笑いながら忠告する。

「でもこれで少しは解ったでしょ? フレイちゃんが普通の人とは違うってことが。ちなみに普通の人が杯に触れると薄っすら聖水の色が変わる程度だよ」

「むぅ……わかったわよ。なんか秘密みたいなもんがあるんでしょ」

「ねえ、これ俺もやってもらっていいかな?」

「え゛……」

唇を尖らせながら納得したフレイに続いて、アムルが言うとヒミコはあからさまに嫌そうな顔をしていた。
それでもここでやめるわけにもいかず、不承不承ながらアムルに杯を触れさせ、自らも触れた。

「アムル君、あんまり力まなくていいからね?」

そう注意してから、ヒミコは恐る恐る祈り始めた。
フレイのときと同じように波うっていた聖水が静まり返りはじめる。
表面上は一心に祈っているようには見えるが、内心ヒミコは悲鳴をあげていた。
フレイはどうにか目に痛い発光程度ですんだが、それ以上の事が起こりそうな予感があったからだ。
なぜなら、オルテガがそうであったからだ。
そしてそれは見事に的中してしまった。

「光……くっ、背中がぞわぞわする」

ヒミコが呟いたように、張り詰めた聖水の湖面に浮かび上がったのは光であった。
光が強くなりはじめ、フレイの時と同じかと誰もが目をかばった瞬間、別のものに光が喰われ始めた。
それは闇、光を喰らい尽くそうと闇が広がり、対抗するように光も輝きを強め始める。
拮抗する光と闇を皆が呆然と見つめていた。
光が輝きを強めれば、闇がその深さを増していく。
果てのない攻防が終わりを向かえた結果がヒミコの瞳に映った瞬間、突然屋敷全体が激しい揺れに襲われた。

「なっ!」

そのために杯は倒れ聖水が流れ出し、最終的にオルテガと同じになった結果はヒミコ以外の誰の瞳にも入る事はなかった。
だがそのような事にかまっていられないほどに揺れは大きく、たっていることさえ困難であった。
思わず転びそうになったヒミコを咄嗟にアムルが支え、デイダラやレンでさえも肩ひざをついてこの揺れに耐えている。
どれぐらい揺れが続いたであろうか、収まるまでの時間は一分や二分ではなかった。

「ジパングは地震が多いって聞いたことあるけど、こんな大きなのも日常茶飯事なのか?」

「そんなわけがなかろう。姉上、これは一体」

セイの疑問に答えつつレンがヒミコを見ると、信じられないとばかりにとある方向を見つめていた。
だがヒミコが見つめている方向は窓すらない壁しかなく、壁を越えた遥か先を見つめているように見えた。

「馬鹿な…………まだ期日ですらないというのに」

「姉上?」

ヒミコがアムルの支えを脱して立ち上がると、一人の兵士らしき男が部屋へと駆け込んできた。
酷く慌てており、しばらく何を言っているのかわからなかったが、落ち着いてようやく理解できる言葉を放ち始めた。

「オロチ塚が。オロチ塚の方面から巨大な蛇の形をした火柱が上がるのを見張りの兵が見ました。屋敷中からも同じ証言を行う者が続々と現れています!」

「なんてこった。馬鹿な魔族が不用意にアマノムラクモの剣にでも触れたか。ヒミコ、呆けている場合じゃねえぞ。民の避難を、それと戦の準備だ」

「お、おお。そうであったな。だがオロチの完全復活にはまだ時間がかかるはず。まずは民の避難を優先させるから、急いで」

「了解いたしました!」

ヒミコの言葉を聞いて走りこんできた兵士が、再び外へと走っていった。
レン以外はまだ騒ぎの流れについていけていなかったが、それでも状況は待ってはくれない。
そしてさらに状況よりも先に、ヒミコが頼み込んできた。

「ヒメちゃん、フレイちゃん、それにレン君。貴方たちには戦の準備が整う前にやってほしい事があるの。引き受けてくれる?」

「聞かれるまでもない。私は異存ない」

「右に同じ」

「正直やりたくなりけど、そんな事も言ってられないし。ところで、アムは?」

四人の中でたった一人名のでなかったアムルの事を気にするが、それについてはデイダラが答えた。

「力をなくしたガキに何ができる。こいつは俺が借り受ける。もう一度、アマノムラクモを打つためにな。それじゃあ、お前らはお前らができる事をしっかりやれよ!」

「ふぇ、ちょっ。俺まだそんなの承諾してないよ!」

言うだけ言うとデイダラはアムルの首根っこを引っ張って連れ去ってしまう。
フレイたちについて行きたそうにアムルが叫ぶが、はなっから無視する算段のようである。
アムルの悲鳴と、屋敷の周りから悲鳴が聞こえる中、ヒミコは残る三人を見据えて頼むべき事を説明し始めた。

「いくらオロチでも先代のヒミコとオルテガ、そしてアマノムラクモの剣の封印を完全に解くのには時間がかかるはず。だからヒメちゃんたちには、これからオロチ塚に出向いて時間稼ぎをして欲しいの」

「それは問題ないけど、もう一度封印できる当てはあるの?」

「正直、わからない。オルテガはおらず、アマノムラクモの剣の二代目もまだ打てていない。でもやるしかないの。お願い、力を貸して」

不安しかないこの状況ではあるが、見捨てると言う選択肢などあるはずがなく三人はしっかりと頷いた。





レンから預かった壊れた二振りの剣とアムルを荷物のように肩に引っさげたデイダラが向かったのは、ヒミコの屋敷を離れたみすぼらしい一軒家であった。
中に入ってみればさらに驚かされる事となった。
半分以上が剣を打つための工場であり、寝るスペースがかろうじて確保されているのみなのである。
しかもそのかろうじて確保されたスペースでさえ、酒瓶にほとんど占領されていた。


「男の城なんてもんは、こんなもんだ」

本気なのか言い訳なのか、そう言ったデイダラはアムルを下ろしてやると仕事に必要な道具をそろえ出した。
何をすればいいのかキョロキョロしていたアムルは、桶を投げてよこされた。

「すぐ近くに川があるから水を汲んで来い。汲んできたらそっちの水桶に入れていっぱいにしろ」

「いっぱいって……この水桶に?」

「それが終わったら釜に火を入れてふいごで加熱しろ。手抜くんじゃねえぞ」

「ピ〜」

風呂釜ほども大きい水桶に、川から水を汲んでくるのに何往復しなければいけないのか。
想像するだけでも嫌になるのに、デイダラはそれが当然であるかのように、さらに次の仕事まで命令してくる。
だが拒否をするわけにもいかずアムルはキーラを連れて川へと走り出した。
走り出すまでのアムルの一挙一動を観察していたデイダラは思うところがあるのか、意味ありげに鼻を鳴らしていた。
そしてその場に腰を下ろし、アムルと一緒に背負っていたレンの剣と誓いの剣を手前に降ろした。

「ヒミコやレンの手前アマノムラクモの剣を打つと言ったは良いが……もう一度俺にアレが打てるのか。たった一度きりの奇跡だぞ」

ヒミコには気づかれていたが、デイダラにはアマノムラクモの剣と同じ、もしくは同等の力を持つ剣を作り出す自信がなかった。
十八年前はまだ若いと言える年齢であり、ジパングを救うと無我夢中であったのだ。
若さゆえの無鉄砲さと体力、その二つのどちらも今の自分が持っているとは思えなかったのだ。

「まいった…………歳をくったもんだ。本当に、まいった」

自分の気持ちがどうであれ、造らないわけにも行かず、かと言って造れるとも思わない。
ほんのわずかな現実逃避として、目の前に置いたレンの剣を手にとり少しだけ刀身を鞘から出して眺めてみる。
レン本人には言っていないが、この剣はもう一度アマノムラクモの剣を打とうとした若い頃の一品であった。
見た目の輝きや切れ味など他の刀剣類より優れてはいたがそれだけである。

「せめてまがい物でもいいから打とうという気持ちが……ん?」

剣をもう少しだけ抜いてみると、シャリンと刀身が鞘を撫でる音が途中で途切れ、砕かれた刀身があらわとなる。

「ちょ、ちょっと待て。壊れたって、ただの刃こぼれかと思ったら、完全に砕かれてるじゃねえか。まさか、こっちもか!」

レンの剣を鞘に戻し、アムルの誓いの剣を同じように鞘から解き放つと、それはデイダラの思ったとおりであった。
まさかと言う言葉がそのまま現実となってデイダラの目へと映りこんだ。
しかもデイダラの見る限り、この誓いの剣に使われている金属は、ただの鋼ではなかった。

「この輝き、まさかオリハルコンなのか?」

「う〜、重い……」

「ピー、ピー!」

呆然と折れた誓いの剣に見入っていると、キーラに応援されながら桶に水を汲んできたアムルが戻ってくる。
デイダラは立ち上がると、すぐにその桶をとりあげてすぐに問いただした。

「おい、水汲みはもう良い。その代わり答えろアムル。この剣を砕いたのは誰だ、どんな剣だった!」

「え……シンって言う、闇の勇者って名乗る奴だよ。持ってた剣の事はあんまり良く覚えてないけど、誓いの剣と似てたかも」

「やはりそうか。いくらなんでも強度的に劣る金属でオリハルコンの剣が砕けるはずがねえ。オリハルコンの剣。そうだ、まったく同じ剣しか造れない奴なんて刀鍛冶なんて辞めちまえ」

「おっちゃん?」

飄々としているセイにどこか似た雰囲気を持っている男だとばかり思っていたら、急に熱く語りだしたためにアムルはそのギャップに戸惑ってしまう。
だがデイダラはまだまだ熱く、熱くなり始めたばかりであった。
呆気にとられるアムルに釜の準備を任せると、桶を持って川へと走り始めた。
大きな水桶をいっぱいに水で満たしてもまだ、デイダラは疲れ一つ見せずに聞きとして刀打ちの準備を進めていった。
そして準備を全て滞りなく終えると、アムルを自分の正面に座らせてその手をとって眺め始めた。

「ちっちぇえ手だな。この手とあの剣の大きさから考えると、今まで相当無理をしてきたはずだ」

デイダラはアムルの手と、今は砕かれてしまった誓いの剣を見つめ頭の中でふさわしい剣を思い浮かべる。
それはアマノムラクモの剣などではなく、それよりも強く強靭な現時点での最強の剣である。

「アムル、俺はこれからお前の為に最強の剣を造ってやる」

「え、でもアマノムラクモの」

「いいから聞け。俺はこれから造る最強の剣と、それを振るう最強の勇者が見たい」

最強の剣はともかくとして、最強の勇者と言う名を聞いてアムルの頷きは中途半端なものとなってしまった。
アムルの中では未だ勇者の称号は父であるオルテガのものであるのだ。
だがそんなアムルの内心を見抜いたかのように、デイダラは言葉を続けた。

「これは俺の我侭ではあるが、望まれた以上お前は答える義務がある。小難しい事を考える必要はねえ。勇者として望まれた奴が望まれた時に勇者を名乗れなきゃ、一生名乗る資格なんて手に入らねえ」

「勇者を名乗る資格」

「そうだ、俺はお前が勇者である事を望んだ。俺だけじゃねえ、ヒミコもレンやお前の仲間も勇者を求めているはずだ。お前はただ、それに応えればいい」

力強く言い切ったデイダラの瞳を前に、アムルもまた力強く頷いていた。
それを見てよしと言ったデイダラは、真っ赤に火照る釜の前にしゃがみこみ、ふいごを使ってさらにその火照りを強めていく。
汗が体中から吹き出る事すらものともせずに釜の炎をじっと見つめ、その色によって頃合を見定める。
やがて釜の塩梅が満足いったのか、近くに立てかけてあった鋼の槌を手に取り、誓いの剣の片方を釜にくべた。
一人剣の作成へと打ち込むデイダラの後ろ姿を見ながら、アムルは先ほど言われた言葉を心の中で何度も繰り返していた。

(皆が望む勇者、皆が望む俺。姉ちゃんが望む勇者、姉ちゃんが望む俺)

デイダラの作業が進むに連れて、アムルの瞳に今までになかったものが生まれ始めていた。

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